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新聞連載小説『ひこばえ』重松清・作 川上和生・画 の感想と、読んだ本の感想を更新しています。

新聞連載小説『ひこばえ』重松清・作 川上和生・画 第132回2018/10/16 朝日新聞

 小さいものではあるが、こいのぼりを飾ってくれ、童話の本を買ってくれ、しかもその童話を父本人も熱心に読んでいたらしい。
 これを、子煩悩な父と呼ばないわけにはいかない。だが、この父が妻と子を捨てたも同然なのだ!

新聞連載小説『ひこばえ』重松清・作 川上和生・画 第131回2018/10/15 朝日新聞

 洋一郎本人と洋一郎の家族は、娘夫婦を含めて、現代社会によくいるような人間関をつくっている。それに対して、川端久子と道明和尚は、違うようだ。
 田辺(母)麻美さんは、川端久子・道明和尚に近い人のような気がする。

 洋一郎の父の読書傾向は、かなり異色だと思う。「思いがけない本」が何であったかはまだ明かされていないが、昔読んだ本のシリーズを読破するだけでなく、繰り返し読むということは、私には到底できそうもない読み方だ。『尾崎放哉全句集』の読み方にしても、念の入ったものだと思う。

 父が読書好きだっということは、洋一郎は今までは全く知らなかっただろう。ちなみに、読書家であることと、ギャンブルに溺れることは、矛盾しない。

新聞連載小説『ひこばえ』重松清・作 川上和生・画 第130回2018/10/14 朝日新聞

 川端さんについては、二つの面を感じる。自分のアパートの部屋を、高齢な人を差別しないで貸していることや身寄りのない店子が死ぬと葬儀や遺骨のことまで面倒を見ることは、他人のことでも優しく丁寧に接する面を感じる。一方で、洋一郎に遺骨をそばに置くように勧める所や父が借りていた本を返しに行く洋一郎と一緒に行く所は、他人のことに干渉し過ぎる面を感じる。
 他人の面倒をよく見ることと、他人に干渉してしまうことは、紙一重なのだろう。

新聞連載小説『ひこばえ』重松清・作 川上和生・画 第130回2018/10/13 朝日新聞

 死んだ父が家族を捨てたことをどう思っていたのだろうか?この疑問に洋一郎がはじめて触れたように感じる。
 「まちの小さな図書館」について書かれている。「和泉台団地」のような団地は、夫婦と子どもだけが住むための住居だった。団地が盛んに造られたころは、そんなことは意識しなかったが、三世代や大人数の家族が暮らすことを拒否した住まいだった。そこでは、世代間の交流も隣近所の交流も薄いものになるしかなかった。
 団地の住人が高齢化して、居住者の世代交代が行われず、だんだんに団地全体が寂れていく。そうなってはじめて、地域での人と人の交流の重要さがわかってきたのだろう。
 この小説の主人公洋一郎は、我が子に対しても、我が親に対しても、何というか、平板な感情しかもっていない。
 それと対称的なのが大家さんの川端久子であり、道明和尚だろう。

 私は、このどちらに近いかというと、洋一郎に近い。

 TVドキュメンタリー『グレートトラバース3』で、アドベチャーレーサー田中陽希が山伏の修行を体験する場面があった。山伏の指導者が、大声で詰問していた。「親孝行するか。ご先祖様を大切にするか。墓参りを欠かさないか。」
 こういう教えは、私の子どもの頃は、理屈ではなく、一般的な教えとして伝わっていた。そして、いつからか、見事にこういう教えは、消滅してしまった。

新聞連載小説『ひこばえ』重松清・作 川上和生・画 第129回2018/10/13 朝日新聞

 死んだ父のことは、まだ、ぼんやりとしかわからない。初孫の誕生についての洋一郎の喜びは、分かち合う相手がいない。父の遺品の整理を何日もかけて続けているが、遺骨を引き取る決心はつかない。
 いろいろなことが、ぼんやりとして、未決定、未解決のまま、物語は新しい章に入った。

新聞連載小説『ひこばえ』重松清・作 川上和生・画 第128回2018/10/11 朝日新聞

 「親孝行」、私は言わないし、私の周囲で聞かなくなった言葉だ。死んだ親への感謝、死んだ親の思い出、私の周囲では話題にならない。さすがに、親の葬儀や墓参りでは親類と家族の間で、死者の生前の事柄が話題になる。
 親が高齢で亡くなると、こういう雰囲気になるのは、私だけではあるまい。その代わり、高齢の親の介護と高齢で亡くなった親の家の処分に、苦労する話題には事欠かない。
 こんなことで、いいのだろうか。いいわけはないのだが‥‥

新聞連載小説『ひこばえ』重松清・作 川上和生・画 第127回2018/10/10 朝日新聞

 実の父と、父が生きているうちに洋一郎が会っていたら、どうなったか?
 いろいろな場合が想定されるが、たとえ、どんなに父が過去の行動を詫びたとしても、今回の洋一郎のように、スマホの写真を見せながら洋一郎の母や姉、家族のことを話すことにはならないと思う。
 そう考えると、父が死んだからこその今の洋一郎の心境なのだ。父が死んではじめて成り立つ父子の関係だ。
 親が死んで改めて、その愛情に気づくという話はよく聞く。事実そうなのだと思う。しかし、洋一郎の場合はそれとは違うと思う。

新聞連載小説『ひこばえ』重松清・作 川上和生・画 第126回2018/10/8 朝日新聞

 洋一郎が父の遺骨の前でビールを飲みながら孫の誕生を知らせる場面が、しんみりとしたいい場面になったなら、この小説そのものが安手のドラマになってしまうところだったが、そうはならなかった。
 洋一郎は、なぜクサくて学芸会でもやらないような場面とわかっていながら自ら身を置いているのだろうか?
 洋一郎は、孫の誕生に感動し、うれしくてたまらない。だが、その感動や喜びを分かち合う相手がいない。妻は、孫の世話に張り切っているが、洋一郎の感動には冷ややかだ。娘夫婦は、自分たちの喜びに夢中で、おじいちゃんの気持ちを察することなど考えもしない。親友の二人なら、同年齢の者同士で気持ちが通じるはずだが、佐山はもちろん、紺野にも洋一郎の方から孫の誕生の喜びを話すわけにはいかない。
 これは、主人公だけではないだろう。現代のおじいちゃんは、育児ではそれほど役に立たないし、昔のように名付けについて相談されるような権威もない。結局は、お母さんとおばあちゃんを中心とする家族の幸福の輪からそれとなくつまはじきされている存在だと思う。

新聞連載小説『ひこばえ』重松清・作 川上和生・画 第125回2018/10/7 朝日新聞

 鼻で笑ってしまう。
 この和尚さんの言いぐさと、持ってきた二つのグラス。
 そして、それを受け容れて、酔った気分になる主人公。
 この大家さんと和尚さんは、世間で迷っている人を救う世直しヒロインとヒーローか。

 そういう見方をすると、佐山夫妻の老人ホームに早く入りたいという思いも現実離れして見えてくる。世の中のすべての若者と子どもを見たくないというのは、あまりに極端だ。もし、そうならば、老人ホームよりも、過疎地か過去のニュータウンに移住する方が希望が叶えられると思う。
 
 主人公自身の家庭での出来事と心情は、現代の世相を写実的に描いていると思う。晩年の住居や、墓についての問題意識も現実そのままだ。そうでありながら、登場人物が不思議な行動を取り始めたように思う。

新聞連載小説『ひこばえ』重松清・作 川上和生・画 第124回2018/10/6 朝日新聞

 父の遺品を整理しているうちに、父がどんな人であったかを知りたくなり、さらに、父子関係を意識するようになった点は理解できる。
 だが、亡き実の父の遺骨へ、ひ孫の誕生を報告に行くのには驚かされたし、どうしてこうなるのかがまだわからない。ひ孫の誕生を知らせ、ともに喜ぶとしたなら、洋一郎の母へ報告するのではないのか。生きている実の母でもなく、長年暮らした亡き義理の父でもなくて、生きているうちは意識すらしていなかった実の父のところへ、しかも寺に預けたままの遺骨に真っ先に知らせたいとは、どういう心境なのか?

新聞連載小説『ひこばえ』重松清・作 川上和生・画 第123回2018/10/5 朝日新聞

 孫のキラキラネームについての感覚は、洋一郎と共通だった。また、娘の嫁ぎ先の家についての感じ方も洋一郎がオーバーだとは思えない。
 だが、今回の、ひいおじいちゃんについての感じ方は、洋一郎との世代差を感じる。自分に孫ができてはじめて、実の父と義理の父が、ひいおじいちゃんになることを実感するというのは、違和感を持つ。
 私は、四世代で一緒に暮らした経験はないが、三世代で暮らしたのは長い。また、ひ孫を私の親に見せるという経験もしている。洋一郎には、それがまったくない。
 ひいおじいちゃんとひいおばあちゃん、おじいちゃんとおばあちゃん、お父さんとお母さん、そして、子どもが、ただ顔を会わせるだけでなく、共に暮らす場があるというのは、過去のことになったのか。

新聞連載小説『ひこばえ』重松清・作 川上和生・画 第122回2018/10/4 朝日新聞

 平均的な死亡年齢が低い時代は、孫の誕生時に祖父が元気で生きているのは少数派だった。
 今は、「おじいちゃん」というには元気で若い祖父は多くいる。洋一郎のように五十代後半で孫ができるということは、これから孫との関係は三十年以上続く可能性がある。

 現代は、三世代、四世代が生存する時代だ。それなのに、祖父母、子、孫、ひ孫が集う情景を目にすることはほとんどない。一時代前は、四世代が一緒に住み、一緒に暮らす風景は、幸福の一つの形であったと思う。

 今は、一家族の四世代生存は、高齢者の死亡年齢が高くなったので、増えているはずだ。だが、家族の世代間の関係は反比例するかのように、希薄になっている。
 まだ、「おじいちゃん」としては若い洋一郎だが、自分の祖父母とも父との関係すらも薄い。その洋一郎が、これからどのように、孫との関係を作っていくのだろうか?

新聞連載小説『ひこばえ』重松清・作 川上和生・画 第121回2018/10/3 朝日新聞

 娘婿が感動しているのを、冷ややかに見ていたわりには、心の中とはいえ、軽薄ともとれるガッツポーズをする。初孫の「赤ちゃん」に「命の色」を感じているかと思えば、我が子の誕生のときのことについて、妻に嫌味を言われ、グウの音も出ない。
 初孫を見る洋一郎は、ほんとうにピリッとしない初老男性だ。
 それだけに、世間に今、溢れている初老男性の心の内を、作者は見事に描いている。

新聞連載小説『ひこばえ』重松清・作 川上和生・画 第120回2018/10/2 朝日新聞

 洋一郎は、我が子の出産に立ち会い、素直に無邪気に感動している千隼くんのことを羨んでいると思う。それを認めたくないのだろう。


 育てたり扶養したりするだけが、親と子どもの関係ではない。子どもが社会人になり、自分の家庭を持ってからも、親子の関係は続く。親が生きているかぎり、いや、墓のことを思えば死んで終わるわけではないし、私と父のように、親が死んでから突然始まった親子の関係だってある。
 ならば、佐山と芳雄くんも同じだ、と噛みしめた。子どもをなくした親も、我が子との関係はずっと、相手が不在のまま続く。

 この部分には、『ひこばえ』の中心となることが書かれていると思う。
 洋一郎は、父が死んでから親子関係が「突然始まった」とはっきりと、ここで認めている。さらに、序章から第四章までを貫くテーマが、「子どもを亡くした親も、我が子との関係はずっと、相手が不在のまま続く」に表現されていると感じる。

新聞連載小説『ひこばえ』重松清・作 川上和生・画 第119回2018/10/1 朝日新聞

 父の姿を追い求めている。初孫の出産がすごく気になる。洋一郎の気持ちは、常にこの二つのことを行き来する。
 ストーリー上では、今まで知らなかった父の姿と、初孫の誕生がどう結びついてくるのか?それともこの二つは特に関連することなく、進行するのだろうか?
 関連することなく小説が進むなら、非常に淡々としたストーリー展開になるのだが‥‥

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