ベッドから見える窓に庭のエゴノキの大枝が見える。
昨日の午後、その大枝に一斉に花が咲いた。
横になったままで、エゴノキの花見ができた。

 犬の散歩をカミさんがやるようになった。
 買い物に行くと歩くスピードがカミさんについて行けなくなった。
 病院へ行くのにカミさんについて行ってもらうようになった。
 薬やレシートの整理をカミさんまかせするようになった。
 これらが重なると、それは能力の変化だったのだ。

 紙パンツにおしっこをもらす回数が増えて、カミさんは平然とそれを受け止め始末をしてくれていた。
 そんな頃、1週間分の薬のセットをカミさんがやってくれるようになった。薬の始末はずうっと自分でやってきた。カミさんがこれをやってくれたので、頼んだのでもないのにずいぶんと親切になったなあと思った。

 外来受診をした。
 体調はよくなかった。
 車いすの上で診察の時間を待つのが辛くて処置室のベッドで休ませてもらう。行き帰りは、介護タクシーだ。付き添いはカミさんだ。私は、ただ身体が運ばれるだけだ。
 それが辛くてたまらない。

 病気以前の状態に戻すという目標での「闘病」は、私になかったのだ。
 「病気にかつ」ことはありえなかった。その意味では、「がんにまけない」「がんを克服する」などの言葉や経験談は役に立たないどころか害にさえなった。
  すい臓を取った者がすい臓のあった身体に戻ることは、なかった。

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