本屋のとなりは写真館

新聞連載小説『ひこばえ』重松清・作 川上和生・画 の感想と、読んだ本の感想を更新しています。

朝日新聞連載小説『春に散る』沢木耕太郎第72回
 文章表現というのはおもしろいものです。
 主人公がアパート住まいを始めた様子は簡単に描かれています。だが、「佳菜子」が「広岡」の部屋にやってきた場面は詳しく描かれています。それによって、「広岡」がアパート住まいを始めた様子が浮かんできます。ブログランキング・にほんブログ村へ

朝日新聞連載小説『春に散る』沢木耕太郎第71回
 先が見えてきました。
 主人公が日本に戻ってきた理由が感じられます。

心が残っていること、心を残していることが何もない。
 「心残り」という言葉をこうとらえている所が新鮮でした。

これから何をしたらいいのか。
 「広岡」は相変わらずこう感じています。でも、私は「広岡」が日本に帰ってきた理由と気持ちが、この回で分かってきました。ブログランキング・にほんブログ村へ

朝日新聞連載小説『春に散る』沢木耕太郎第70回
 「広岡」が何をするつもりなのか、なかなか先が見えてきません。それによって、読者の期待がふくらみます。

 蕎麦の味の表現がよい感じでした。

 「佳菜子」をさりげなく「土井佳菜子」と書いていて、重要な登場人物になっていくことが予想できます。ブログランキング・にほんブログ村へ

朝日新聞連載小説『それから』夏目漱石第50回
 この回で書かれている「代助」のことは、小説の登場人物というより、作者自身のことを語っているように感じました。
彼の近頃の主義として、人と喧嘩するのは、人間の堕落の一範疇になっていた。

人と応対している時、どうしても論理を離れる事の出来ない場合がある。
 小説の主人公は作者の分身でもあると思います。しかし、上のような表現は作者が自分のことを直接書いているという印象を受けました。

神経の鋭い

自己の脳力に、非常な尊敬を払う
 これも、漱石が自己を分析した結果が反映されていると感じました。ブログランキング・にほんブログ村へ

朝日新聞連載小説『春に散る』沢木耕太郎第69回
 「広岡」は、自分のアメリカでの過去をどう受け止めているのでしょうか。
 「進藤」の目には、チャンピオンになれず日本に戻ってきた「広岡」は、成功した人とは映っていないようです。
 私には、「広岡」がボクサーとしての過去を悔やんでだけいるようには思えません。

 気になった表現がありました。
それは掛け合い漫才のやりとりのように親しげなものだった。
 「進藤」と「佳菜子」には、社長と事務員以外の関係が隠されているのでしょうか。ブログランキング・にほんブログ村へ

朝日新聞連載小説『それから』夏目漱石第49回
 いよいよ「代助」は、身の振り方を父から迫られました。今後のための金は出してやるから、家を出て自活しろ、と言われています。今後のための資金を出す条件として、「佐川の娘」を嫁にしろ、とも迫られました。「代助」にとってはなかなかの難問だと思います。
 金のために動くか、それとも金よりも大切に思うことのために動くか、選択の時です。

朝日新聞連載小説『それから』夏目漱石第48回
 酒は弱いので、飲むときはかっこのよさとそのときのはやりで酒の種類を選んできました。若い頃は、ウィスキーがしゃれているような時代でした。ワインが出回ってたころは、私は既に中年で、ワインはおしゃれ過ぎました。

 「代助」と兄は、舶来年代物の葡萄酒を楽しんでいます。
 当時の資産家の嗜好がどれほど進んでいたかが分かります。同時に当時の日本の富裕層と支配者層がいかに西欧の文化に強いあこがれを持っていたかも分かります。
 今でも、日本の富裕層はそうなのかもしれません。それは、私の生活感覚や嗜好とはかけ離れているのでしょう。
 どの回でも次のように思います。作者は実際に体験しなくとも、その当時のあらゆる階層の人々の実態をつかむ力をもっていた。ブログランキング・にほんブログ村へ

朝日新聞連載小説『春に散る』沢木耕太郎第68回
 この回まできて、ようやく主人公のことが分かってきました。
 強いボクサーであったこと。そのボクシングスタイルはファイターというよりは、スピードとテクニックが特徴だったこと。 
 性格面も明らかになってきました。
 チャンピオンに有利にはたらくような理不尽を許せない性格であったこと。そして、理不尽さがまかり通る日本を見限ってアメリカに行くことをためらわない行動力をもっていたこと。
 「広岡仁一」には、古風な面と新しい感覚の両方を感じます。ブログランキング・にほんブログ村へ

朝日新聞連載小説『春に散る』沢木耕太郎第67回
 「広岡」と、不動産屋の社長の過去のつながりが分かりました。それは、お互いにとって思いがけないものでした。

 私は昔の話をすることも聞くことも好きではありません。特に自身についての子どもの頃や若い頃の話は、失敗談でなくても苦手です。理由は分かりませんが、子どもの頃に祖父母などから、自慢が中心の思い出話をさんざん聞かされたせいかもしれません。また、新しい物は良い物だという買い換え、使い捨ての消費者感覚をすり込まれたせいもありそうです。
 でも、最近は少しその気持ちが変わってきました。思い出を見直してみようという気持ちが出てきました。これは年齢のせいでしょう。

 「広岡」は、昔のことを持ち出されて、あまりうれしくはないようです。ブログランキング・にほんブログ村へ

朝日新聞連載小説『春に散る』沢木耕太郎第65回
 家財道具を処分してきたということは、「広岡」はアメリカには戻らないのでしょうか。それとも、相当長く日本にいるつもりなのでしょうか。それとも、家財道具を持たない主義なのでしょうか。
 
 知り合いの家財道具の処分を、手伝ったことがあります。独り住まい1部屋の間借りで大きな家具も電化製品もありません。しかし、最初の見込みとは違って、運んでも運んでも物が無くなりませんでした。
 私たちは、家財道具をいかにたくさんため込んで暮らしているか、つくづく思い知らされました。
 現在の私の家財道具を処分すると、トラック何台分にもなるでしょう。本気で整理と処分を始めています。ブログランキング・にほんブログ村へ

朝日新聞連載小説『それから』夏目漱石第47回
 『我が輩は猫である』『坊ちゃん』『三四郎』は、読んでいましたし、内容を覚えています。『それから』も読んだはずです。『それから』は、以前に読んだときと、印象が変わってしまっています。若い頃は、気にならなかったことに、今回は目がいくのだと思います。
 
 この回は、小説というよりは、文明評論になっていると感じました。
 維新前は武士であり、明治の今は実業家である「代助」の父のことが、次のように書かれています。
昔の自分が、昔通りの心得で、今の事業をこれまでに成し遂げたとばかり公言する。
 この前後の文章に、特に感心しました。
 社会の変化に合わせて都合良く生きてきたのに、それを自覚しないで平気でいる人がいるのだと思いました。ブログランキング・にほんブログ村へ

NHK総合TV ファミリーヒストリー「星野仙一~父と母の生きざま 燃える男の原点~」
『オモニ』 姜尚中

『春に散る』 沢木耕太郎

 星野仙一さんのお父さんが、太平洋戦争の戦災に遭ったときに、自分が指導した少年工員の面倒を見たこと、また見ず知らずの人でも自宅に泊めてあげるなどして助けたことが番組で描かれていました。これは、太平洋戦争の末期から終戦にかけてのできごとでした。また、お父さんが亡くなった後、女手ひとつで、仙一さん姉弟を育てたお母さんが、お父さんの勤めていた会社の人から助けられたことも描かれていました。これは、終戦後の混乱期のことでした。

 小説『オモニ』では、太平洋戦争の戦中戦後の時代を生きた「オモニ」の姿が描かれています。ここでは、自分たち家族の生活もやっとなのに、より困っている他人の親子を自分の家に連れて来て、共に生きる「オモニ」の姿が描かれています。

 連載中の『春に散る』では、40年前の東京の人が、若いボクサーの面倒を見る話が出てきます。

 ドキュメンタリーと小説の違い、そして主人公や舞台となる時代の違いがあります。でも共通しているのは、困っている人の面倒を見るという行為です。そして、それが取り上げられるのは、どの時代でもそうあることではなかったからでしょう。だが、そういう行動をする人が、昔の日本には確かにいたということです。
 今は、他人の面倒を見る人は極端に少ないと思います。今の時代のボランティアとは違う行動だとも感じます。
 よほど事情が変わらない限りは、困っている人の面倒を見る行為は、私にはできないと感じました。ブログランキング・にほんブログ村へ

朝日新聞連載小説『それから』夏目漱石第46回
 今までの私の知識が、世間ではいつのまにか塗り替えられていたということがよくあります。変わることがないと思っていた過去の知識や常識がどんどん古いものになっていく現代で、現代の社会がどのように動いていて、どんな特徴があるのかを知ることは難しいことです。

 「代助」は、自分と「平岡」の関係が変化したと感じながら、次のように考えています。
現代の人間は孤立した人間の集合体に過ぎなかった。大地は自然に続いているけれども、その上に家を建てたら、忽ち切れ切れになってしまった。
 
ここの「現代の社会」は今から106年前の日本の社会です。106年前と、平成の現代では社会の環境は大きく変わりました。しかし、主人公が考えていることは、現代にも当てはまると感じます。
 漱石には、100年後の日本の社会の様子が見えていたようです。そして、それを見事な日本語で表現していると感じました。ブログランキング・にほんブログ村へ

朝日新聞連載小説『春に散る』沢木耕太郎第64(65)回
 以前の回で、つばめが毎年巣をつくる店の老店主のことが出てきました。
 この回では、近所のボクシングジムの若い選手のために、見に行くこともしないのに、試合のチケットを買ってやる不動産屋の先代の社長のことが出てきました。
 自分の得にならないのに、近所の若い人のためにやってやる。こういう人はいたものです。つばめのことを思いやる老店主も対象は違うとはいえ、同じような心情でしょう。

 私もこういう気持ちがないわけではありませんが、実際にやったか、というと思い出せません。
 自分が飼っているわけでもない動物のために、近所づきあいとがんばる若い人のために、損得抜きで行動する。なぜ、こんなことを少し前の日本人はやったのでしょうか。そして、そういう心の人が以前はどこにでもいましたが、最近はどんどん減ってしまいました。これは、小説の中だけではないと感じます。ブログランキング・にほんブログ村へ

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