本屋のとなりは写真館

新聞連載小説『ひこばえ』重松清・作 川上和生・画 の感想と、読んだ本の感想を更新しています。

朝日新聞連載小説『春に散る』沢木耕太郎第63回
 私が20歳代ころまでは、物の大半は、販売する人を通して買っていました。電気製品はもちろん、スーツやスキー用品などはそのお店の方と顔見知りになり、よく相談をしたものです。学生の頃は、大書店でも顔見知りの書店員さんができました。自動車は、メーカーや車種で選ぶというよりは、馴染みのセールスマンさんの扱う車種の中から選ぶということもありました。
 最近は、大量に販売する店から、ネット上の見本などを見て、消費者が直接購入するルートばかりになってしまいました。でも、その方法にも限界があるのではないでしょうか。
 人口が減り、物の消費が量的には伸びることがないこれからは、人手を省くことで、値段を下げようとすることは間違いだと思います。物を買う場合は、製造者と販売者など、その製品やサービスにかかわる人の人件費に対してもお金を払うという気持ちが大切だと思います。
 販売や斡旋する人を信用できなければ、気持ちのよい買い物はできないと思います。

 「広岡」は、不動産屋の女性事務員と何回か会話をしました。そのやりとりから、彼女の人柄と仕事への姿勢を信用したのです。
 他人を見る目に自信がなければ、こういうこともできないでしょう。ブログランキング・にほんブログ村へ                                                      

 

朝日新聞連載小説『それから』夏目漱石第44回
 「代助」にとっては、「三千代」が結婚をしているという事実は、それほど重くはないような気がします。結婚そのものを、旧来の考え方でとらえないからかもしれないと思います。次のような表現にそれが出ていると感じました。

代助が三千代を奥さんと呼んだのは始めてであった。

彼らは互いの昔を顔の上に認めた。

 
「代助」は、昔から「三千代」のことを好きだったのでしょう。しかし、学生時代には、それをはっきりと意識しなかったし、ましてや結婚相手として考えることなどはなかったのでしょう。時間を経て、「三千代」が自分にとって大切な女性であり、困っている彼女を救いたいと思うようになったのだと思います。その思いは、彼女が結婚しているかどうかは、決定的な障害にはならないのでしょう。この回の最後の一文からもそれを感じました。ブログランキング・にほんブログ村へ 

朝日新聞連載小説『春に散る』沢木耕太郎第62回     
『心』 姜尚中

 この回でもいわば行きずりの他人との会話が書かれています。
 作者は、会話の場面を丁寧に描き、それが小説の要所要所に出てきます。会話の場面から、ストーリーが発展することもありました。

 姜尚中の『心』は、Eメールのやりとりが作品の軸になっていました。このスタイルをとることによって、重い問題が楽に伝わってくると感じました。『心』の内容が、直の会話のスタイルだったら、もっと重々しく混迷の世界に入る部分が多くなったのではないか、と思います。
 会話と、Eメール、それぞれが小説のスタイルとしても、魅力になっています。

 沢木耕太郎は、コミュニケーションの在り方を考える立場からも、会話を取り上げていると思います。作者が取り上げる会話は、話し手が意識しなければ、事務的に終わってしまうような場合です。主人公は、不動産屋の女性事務員のことを次のようにとらえています。ここにも、作者の思いが表れています。

たぶん、それはこの女性が本来持っている相手のことをよく知りたいという素朴な好奇心によるものだろう。 その明るい好奇心が心地よく会話をリードし、つなげていってくれる。

こういう作者のとらえ方が、大変に気に入りました。ブログランキング・にほんブログ村へ

朝日新聞連載小説『春に散る』沢木耕太郎第61回  
 『オモニ』 姜尚中

広岡はいつになく饒舌になっているのに驚いていた。
 40年ぶりの故国に戻ったというのに、両親のことや故郷のことのことは、今までの回で何も出てきません。この回ではじめて、親のことと兄弟のことに話がおよびました。

 
何十年ぶりに自分の生まれた国に戻った人の気持ちとして、今読んでいる『オモニ』の帰国の場面が浮かびました。主人公が置かれている事情も時代も異なります。共通するのは、長いこと戻らなかった故国に帰ったということだけです。それにしても、故国と故郷についての思いは、なぜこんなに違うのでしょうか。そして、私には「オモニ」の感じ方よりは、「広岡」の気持ちを近いものと感じるのはなぜなのでしょうか。ブログランキング・にほんブログ村へ 

朝日新聞連載小説『それから』夏目漱石第43回
手紙は古風な状箱の中にあった。
 「代助」は、兄嫁の趣味を知っていて、手紙を開けてみなくとも誰から来たものであるのかが分かってしまいます。その人の個性は、使う物の中に表れることを細かく観察し、普段から人の趣味がよく見えてしまうのでしょう。これは、主人公のことというよりも、作者の感じ方が表れているような気がします。

坂を上って伝通院の横へ出ると、細く高い烟突が寺と寺の間から、汚い烟を、雲の多い空に吐いていた。
 情景を描いていますが、その時の主人公の気持ちとつながっていると感じます。
 現代のコンクリートで造られた建物に囲まれた街中でも、四季の変化を感じます。人の気持ちと天候や景色とのつながりは、簡単には変化しないのでしょう。
 そして、それを文章で表現できるというのは、すごいことだと感じます。
 私の勝手な感じ方ですが、このような表現に当時の日本の社会の様子も表されているような気がします。
 江戸時代からの町並みの中に、近代工業の工場が建っている。工場は盛んに操業している。しかし、そこから吐き出される烟は汚いものであるし、そんな町並みをおおう空は曇り空である。明治の社会が、そこに暮らす人々にとって、暮らしやすいものでなかったことを感じます。ブログランキング・にほんブログ村へ

朝日新聞連載小説『春に散る』沢木耕太郎第60回
 他の人に話すことで、自分の思いが整理できたという経験がよくあります。結論がすぐに出ないような問題をひとりでいくら時間をかけても、考えは先に進まないものだと言っても言い過ぎではないでしょう。
 ブログに読後感想を書くのも同じです。感想を書くことで、読んだことが整理できます。
 「広岡」は、不動産屋の女性事務員に話をすることで、自分の過去やこれからのことを思い起こしているのでしょう。それは、小説のしかけとしても魅力的だと感じます。
  

朝日新聞連載小説『春に散る』沢木耕太郎第59回
「強かったか、弱かったか……そう、中途半端に強かった。」
 そう言っていますが、「広岡」は、プロのボクサーとして、世界チャンピオンを狙うことができるほどの実力を持っていたことが分かります。
 プロボクサーとしては、「中途半端」だったにしても、相当の戦績を残したボクサーでした。そして、やり残している何かをやるために、これから行動するのだろうと感じます。

朝日新聞連載小説『春に散る』沢木耕太郎第58回
 大きなホテルに長期滞在できる経済力があり、アメリカのホテル関係の仕事をし、40年ぶりにふっと日本に帰ってきた男。その男は、なんと元ボクサーだった。
 まるで、小説の主人公のような人物!

朝日新聞連載小説『それから』夏目漱石第42回
 ここまでを読んでくると、「代助」は、学者か作家を目指せばよいのではないかと思わせられます。
 この回では、友人の「寺尾」という作家を目指している人が登場しました。この「寺尾」を通して、当時の文筆業を目指す人の生活が書かれています。
 作家といえども、食うためのことと、それにまつわる評判や競争の世界に生きなければならなかったことが分かります。これは、現代の日本でも事情は同じなのでしょう。いや、明治の頃よりももっと過酷になっているような気がします。
 売れる本を書かなければ、作家として認められないし生活もできない。だが、評判がよくて話題になり、よく売れる本が、読者にとって読むに値す作品であるかどうかは別の問題です。世間の評判や著作の売れ行きと、その作品の価値とは一致しません。作家として当時も現代も高い評価を得ている漱石にしても、こういう矛盾は常に感じていたと思います。

朝日新聞連載小説『それから』夏目漱石第41回
 「代助」は、「一種の恐怖に襲われた」気分になって、それが地震だったと気づく場面が出てきました。
 今まで、穏やかな日常を送っていた主人公の周囲が波立ってきたようです。

 このように、小説の流れをなんとはなしに感じさせる構成は巧みとしか言いようがありません。

朝日新聞連載小説『春に散る』沢木耕太郎第57回
 アメリカに行ったことは1度だけですし、アメリカに住んでいた人も、身近にはいません。
 20年ほど前までは、アメリカは私にとって進んだ国でした。広くて豊かで、社会の仕組みも新鮮な国という印象でした。
  それが、急に変化してきました。アメリカから取り入れた会社経営のやり方や雇用の方法や教育の方法が、日本の生活に移植されることに、疑問を持ち始めました。アメリカ方式でないと、世界に通用しないものもあります。でも、それが良いことばかりではない、という当然のことが生活の中でも分かり始めたのです。
 日常では、食事や自動車は、アメリカ式は現代の日本に取り入れてもよいことはありません。
 新しい社会制度の国、豊かな物にあふれた国というイメージが取り除かれると、歴史上でアメリカが日本のことをどう考えていたか、また、現在のアメリカの外交の方針が日本にとって何をもたらすのか、についてもいろいろな角度からの見方を発見できます。
 でも、そうはいいながら、「アメリカ」と聞くと、とりあえず好意的な姿勢をとってしまうことも確かです。

 この回では、日本人のそんな様子が出ていると思いました。
 

朝日新聞連載小説『それから』夏目漱石第40回
 婚活という言葉は最近の言葉です。もちろん、『それから』には出てきません。新語が必要とされるほど、現代の結婚事情が今までと違っているのだと思います。
 この回では、明治時代の結婚に対する考え方が出てきました。この時代にも、古い考え方と新しい考え方があったことが分かります。
 家と家の問題であり、親が決める。縁談として周囲が準備し、親や周囲と本人が決める。好きな人ができて、周囲の賛成を得て、本人同士が決める。
 この時代では、3番目は珍しいことだったようです。そして、「代助」は、結婚そのものを必要なことと考えていないのです。これは、当時としては相当に常識から外れていたのでしょう。

 結婚について、その時代の多くの人々がどう考えていたかを知ることはそこからいろいろなことが分かると思います。
 私は、本人同士が決めることだというふうに考えてきましたし、そのように行動しました。しかし、形だけとは言いながら、そこには家と家との結びつきという要素が残っていましたし、男性が新家庭の経済的な面の中心になるという慣習のようなものもありました。そして、その常識をなかなか拭い去れません。
 だから、現在でも、家計や家事・育児の中心は夫婦のどちらでもよいという現実を見るとちょっと驚きます。それだけに、「代助」の考え方は、当時としては相当に珍しかったのだと思います。

朝日新聞連載小説『春に散る』沢木耕太郎第56回
そこの「車」という小さなプレートが貼られているフックから鍵を取り

手にした鍵のアンロック・ボタンを押して解錠した
 ミステリーの謎解き場面ではないので、どうしてここまで細かい描写が必要なのでしょうか。そして、今後の展開に関係があるとは思えないこういう表現が気に入るのでしょうか。

『オモニ』 姜尚中
 食えなくて、困ったことはありません。お金がなくて困ったことはありますが、食う物もなくなったという経験をしたことはありません。私の周囲でも、めったにそういう実際を目にしません。

 この小説では、食うことに困り続けた生活が描かれています。食うために働き続けた家族が描かれています。そして、それは小説の中ではあるが、過去の現実を伝えていると思います。
 事実に基づいた記録とされる資料は、必ず分析と解釈が必要なのだと最近痛感します。
 「小説」は、どこまでいっても、「小説」ですが、そこから事実を読み取ることはできると考えるようになりました。『オモニ』には、私が生まれた前後の我が国の姿が描かれています。

朝日新聞連載小説『それから』夏目漱石第39回
代助はこの事件をそれほど重くは見ていなかったのである。
 こう書かれているということは、この事件がこれから「重く」なってくるのでしょう。
 小さな事がきっかけで、人生が変化することはあるものです。むしろ 大きな事だと考えていることよりも、その時は小さいとしか思えなかった事が、後から振り返ると、大きな転機になった場合が多いと感じます。
 最近までは、理想と主張があって、行動がそれに沿っていくと思っていました。でも、その理想と主張も、実は日常の不平や不満あるいは、好みや満足感が基になっているのではないか、と思います。

 頭が良く、感情も豊か、性格も穏やか、そういう人であっても、金がなくて友だちを救えないようでは無能力としか言いようがない。「代助」は、漱石は、これにどう反論していくのでしょうか。

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