本屋のとなりは写真館

新聞連載小説『ひこばえ』重松清・作 川上和生・画 の感想と、読んだ本の感想を更新しています。

朝日新聞連載小説『春に散る』沢木耕太郎第65回
 家財道具を処分してきたということは、「広岡」はアメリカには戻らないのでしょうか。それとも、相当長く日本にいるつもりなのでしょうか。それとも、家財道具を持たない主義なのでしょうか。
 
 知り合いの家財道具の処分を、手伝ったことがあります。独り住まい1部屋の間借りで大きな家具も電化製品もありません。しかし、最初の見込みとは違って、運んでも運んでも物が無くなりませんでした。
 私たちは、家財道具をいかにたくさんため込んで暮らしているか、つくづく思い知らされました。
 現在の私の家財道具を処分すると、トラック何台分にもなるでしょう。本気で整理と処分を始めています。ブログランキング・にほんブログ村へ

朝日新聞連載小説『それから』夏目漱石第47回
 『我が輩は猫である』『坊ちゃん』『三四郎』は、読んでいましたし、内容を覚えています。『それから』も読んだはずです。『それから』は、以前に読んだときと、印象が変わってしまっています。若い頃は、気にならなかったことに、今回は目がいくのだと思います。
 
 この回は、小説というよりは、文明評論になっていると感じました。
 維新前は武士であり、明治の今は実業家である「代助」の父のことが、次のように書かれています。
昔の自分が、昔通りの心得で、今の事業をこれまでに成し遂げたとばかり公言する。
 この前後の文章に、特に感心しました。
 社会の変化に合わせて都合良く生きてきたのに、それを自覚しないで平気でいる人がいるのだと思いました。ブログランキング・にほんブログ村へ

NHK総合TV ファミリーヒストリー「星野仙一~父と母の生きざま 燃える男の原点~」
『オモニ』 姜尚中

『春に散る』 沢木耕太郎

 星野仙一さんのお父さんが、太平洋戦争の戦災に遭ったときに、自分が指導した少年工員の面倒を見たこと、また見ず知らずの人でも自宅に泊めてあげるなどして助けたことが番組で描かれていました。これは、太平洋戦争の末期から終戦にかけてのできごとでした。また、お父さんが亡くなった後、女手ひとつで、仙一さん姉弟を育てたお母さんが、お父さんの勤めていた会社の人から助けられたことも描かれていました。これは、終戦後の混乱期のことでした。

 小説『オモニ』では、太平洋戦争の戦中戦後の時代を生きた「オモニ」の姿が描かれています。ここでは、自分たち家族の生活もやっとなのに、より困っている他人の親子を自分の家に連れて来て、共に生きる「オモニ」の姿が描かれています。

 連載中の『春に散る』では、40年前の東京の人が、若いボクサーの面倒を見る話が出てきます。

 ドキュメンタリーと小説の違い、そして主人公や舞台となる時代の違いがあります。でも共通しているのは、困っている人の面倒を見るという行為です。そして、それが取り上げられるのは、どの時代でもそうあることではなかったからでしょう。だが、そういう行動をする人が、昔の日本には確かにいたということです。
 今は、他人の面倒を見る人は極端に少ないと思います。今の時代のボランティアとは違う行動だとも感じます。
 よほど事情が変わらない限りは、困っている人の面倒を見る行為は、私にはできないと感じました。ブログランキング・にほんブログ村へ

朝日新聞連載小説『それから』夏目漱石第46回
 今までの私の知識が、世間ではいつのまにか塗り替えられていたということがよくあります。変わることがないと思っていた過去の知識や常識がどんどん古いものになっていく現代で、現代の社会がどのように動いていて、どんな特徴があるのかを知ることは難しいことです。

 「代助」は、自分と「平岡」の関係が変化したと感じながら、次のように考えています。
現代の人間は孤立した人間の集合体に過ぎなかった。大地は自然に続いているけれども、その上に家を建てたら、忽ち切れ切れになってしまった。
 
ここの「現代の社会」は今から106年前の日本の社会です。106年前と、平成の現代では社会の環境は大きく変わりました。しかし、主人公が考えていることは、現代にも当てはまると感じます。
 漱石には、100年後の日本の社会の様子が見えていたようです。そして、それを見事な日本語で表現していると感じました。ブログランキング・にほんブログ村へ

朝日新聞連載小説『春に散る』沢木耕太郎第64(65)回
 以前の回で、つばめが毎年巣をつくる店の老店主のことが出てきました。
 この回では、近所のボクシングジムの若い選手のために、見に行くこともしないのに、試合のチケットを買ってやる不動産屋の先代の社長のことが出てきました。
 自分の得にならないのに、近所の若い人のためにやってやる。こういう人はいたものです。つばめのことを思いやる老店主も対象は違うとはいえ、同じような心情でしょう。

 私もこういう気持ちがないわけではありませんが、実際にやったか、というと思い出せません。
 自分が飼っているわけでもない動物のために、近所づきあいとがんばる若い人のために、損得抜きで行動する。なぜ、こんなことを少し前の日本人はやったのでしょうか。そして、そういう心の人が以前はどこにでもいましたが、最近はどんどん減ってしまいました。これは、小説の中だけではないと感じます。ブログランキング・にほんブログ村へ

NHKFM 世界の快適音楽セレクション 2015/5/2放送 ギター音楽特集
 
 音楽と運動と両方のオンチなので、音楽番組でこれがよい、なんて言ってもまるで説得力はありません。そんな私ですが、この番組のこの特集は、とてもよかった。
 毎週録音して、どの放送分も2~3回は聴きます。そのなかでも「ギター音楽特集」は、もう6~7回聴いています。どこがそんなによいのか。
 まず、ゴン・チチさん始め選曲の方々の力の入り方が、笑えるくらいすごい。笑いをねらった力の入れ方ではないので、選曲の理由や曲の説明が何度聞いても、笑えるところを発見できるんです。
 当然、選曲された曲も、何度聴いても飽きません。
 それに、「ギター音楽特集」というしばりがありながら、ジャンルを感じさせない内容に仕上がっていると感じます。

 私のように、絶対音感と真逆の才能をもっていると、曲についてのお話がついている番組が、とても楽しいんです。ブログランキング・にほんブログ村へ

朝日新聞連載小説『それから』夏目漱石第45回
朝日新聞2015/6/3文芸・文化掲載 「悪」解き明かす本を 姜尚中
 働きたいのだが働き口がない状態が、「平岡」のこととして描かれています。これは、現代の言い方でいうと、大手の企業を自分から辞めた人が再就職しようとしても自己の経験と能力を生かせる就職先がない、ということです。そして、これは現代ではたびたび見せつけられる現象です。
 『それから』の舞台となっている世間が、不景気で、本人に能力と意欲があってもそれに見合うような勤め先がなかったことが書かれています。そして、ここから当時の社会の様子が分かります。ただ、分かると言うだけでなく、作者夏目漱石の目を通して、明治の社会が人々に何をもたらしていたかについて考えることができます。

 私は、平成の今も、同じことが起こっていると感じました。
 求人率が上がっていると言われますが、それは大都市の新卒者にだけ当てはまることに見えます。地方都市の転職者と人口が減っている地域では、働き口は極めて限られた職種になります。それは、働く環境に恵まれた社会とは言えないと思います。

 『それから』と、同じ紙面で、姜尚中の次のように書いていました。

資本主義の本性が出て、人間が社会性を失っていく。

いま、人間は自己中心のガリガリ亡者になって、社会はあてにできない。

 このように姜尚中が書く平成の社会と、漱石が描く社会とに共通する要素が多いと感じてしまいます。ブログランキング・にほんブログ村へ

朝日新聞連載小説『春に散る』沢木耕太郎第63回
 私が20歳代ころまでは、物の大半は、販売する人を通して買っていました。電気製品はもちろん、スーツやスキー用品などはそのお店の方と顔見知りになり、よく相談をしたものです。学生の頃は、大書店でも顔見知りの書店員さんができました。自動車は、メーカーや車種で選ぶというよりは、馴染みのセールスマンさんの扱う車種の中から選ぶということもありました。
 最近は、大量に販売する店から、ネット上の見本などを見て、消費者が直接購入するルートばかりになってしまいました。でも、その方法にも限界があるのではないでしょうか。
 人口が減り、物の消費が量的には伸びることがないこれからは、人手を省くことで、値段を下げようとすることは間違いだと思います。物を買う場合は、製造者と販売者など、その製品やサービスにかかわる人の人件費に対してもお金を払うという気持ちが大切だと思います。
 販売や斡旋する人を信用できなければ、気持ちのよい買い物はできないと思います。

 「広岡」は、不動産屋の女性事務員と何回か会話をしました。そのやりとりから、彼女の人柄と仕事への姿勢を信用したのです。
 他人を見る目に自信がなければ、こういうこともできないでしょう。ブログランキング・にほんブログ村へ                                                      

 

朝日新聞連載小説『それから』夏目漱石第44回
 「代助」にとっては、「三千代」が結婚をしているという事実は、それほど重くはないような気がします。結婚そのものを、旧来の考え方でとらえないからかもしれないと思います。次のような表現にそれが出ていると感じました。

代助が三千代を奥さんと呼んだのは始めてであった。

彼らは互いの昔を顔の上に認めた。

 
「代助」は、昔から「三千代」のことを好きだったのでしょう。しかし、学生時代には、それをはっきりと意識しなかったし、ましてや結婚相手として考えることなどはなかったのでしょう。時間を経て、「三千代」が自分にとって大切な女性であり、困っている彼女を救いたいと思うようになったのだと思います。その思いは、彼女が結婚しているかどうかは、決定的な障害にはならないのでしょう。この回の最後の一文からもそれを感じました。ブログランキング・にほんブログ村へ 

朝日新聞連載小説『春に散る』沢木耕太郎第62回     
『心』 姜尚中

 この回でもいわば行きずりの他人との会話が書かれています。
 作者は、会話の場面を丁寧に描き、それが小説の要所要所に出てきます。会話の場面から、ストーリーが発展することもありました。

 姜尚中の『心』は、Eメールのやりとりが作品の軸になっていました。このスタイルをとることによって、重い問題が楽に伝わってくると感じました。『心』の内容が、直の会話のスタイルだったら、もっと重々しく混迷の世界に入る部分が多くなったのではないか、と思います。
 会話と、Eメール、それぞれが小説のスタイルとしても、魅力になっています。

 沢木耕太郎は、コミュニケーションの在り方を考える立場からも、会話を取り上げていると思います。作者が取り上げる会話は、話し手が意識しなければ、事務的に終わってしまうような場合です。主人公は、不動産屋の女性事務員のことを次のようにとらえています。ここにも、作者の思いが表れています。

たぶん、それはこの女性が本来持っている相手のことをよく知りたいという素朴な好奇心によるものだろう。 その明るい好奇心が心地よく会話をリードし、つなげていってくれる。

こういう作者のとらえ方が、大変に気に入りました。ブログランキング・にほんブログ村へ

朝日新聞連載小説『春に散る』沢木耕太郎第61回  
 『オモニ』 姜尚中

広岡はいつになく饒舌になっているのに驚いていた。
 40年ぶりの故国に戻ったというのに、両親のことや故郷のことのことは、今までの回で何も出てきません。この回ではじめて、親のことと兄弟のことに話がおよびました。

 
何十年ぶりに自分の生まれた国に戻った人の気持ちとして、今読んでいる『オモニ』の帰国の場面が浮かびました。主人公が置かれている事情も時代も異なります。共通するのは、長いこと戻らなかった故国に帰ったということだけです。それにしても、故国と故郷についての思いは、なぜこんなに違うのでしょうか。そして、私には「オモニ」の感じ方よりは、「広岡」の気持ちを近いものと感じるのはなぜなのでしょうか。ブログランキング・にほんブログ村へ 

朝日新聞連載小説『それから』夏目漱石第43回
手紙は古風な状箱の中にあった。
 「代助」は、兄嫁の趣味を知っていて、手紙を開けてみなくとも誰から来たものであるのかが分かってしまいます。その人の個性は、使う物の中に表れることを細かく観察し、普段から人の趣味がよく見えてしまうのでしょう。これは、主人公のことというよりも、作者の感じ方が表れているような気がします。

坂を上って伝通院の横へ出ると、細く高い烟突が寺と寺の間から、汚い烟を、雲の多い空に吐いていた。
 情景を描いていますが、その時の主人公の気持ちとつながっていると感じます。
 現代のコンクリートで造られた建物に囲まれた街中でも、四季の変化を感じます。人の気持ちと天候や景色とのつながりは、簡単には変化しないのでしょう。
 そして、それを文章で表現できるというのは、すごいことだと感じます。
 私の勝手な感じ方ですが、このような表現に当時の日本の社会の様子も表されているような気がします。
 江戸時代からの町並みの中に、近代工業の工場が建っている。工場は盛んに操業している。しかし、そこから吐き出される烟は汚いものであるし、そんな町並みをおおう空は曇り空である。明治の社会が、そこに暮らす人々にとって、暮らしやすいものでなかったことを感じます。ブログランキング・にほんブログ村へ

朝日新聞連載小説『春に散る』沢木耕太郎第60回
 他の人に話すことで、自分の思いが整理できたという経験がよくあります。結論がすぐに出ないような問題をひとりでいくら時間をかけても、考えは先に進まないものだと言っても言い過ぎではないでしょう。
 ブログに読後感想を書くのも同じです。感想を書くことで、読んだことが整理できます。
 「広岡」は、不動産屋の女性事務員に話をすることで、自分の過去やこれからのことを思い起こしているのでしょう。それは、小説のしかけとしても魅力的だと感じます。
  

朝日新聞連載小説『春に散る』沢木耕太郎第59回
「強かったか、弱かったか……そう、中途半端に強かった。」
 そう言っていますが、「広岡」は、プロのボクサーとして、世界チャンピオンを狙うことができるほどの実力を持っていたことが分かります。
 プロボクサーとしては、「中途半端」だったにしても、相当の戦績を残したボクサーでした。そして、やり残している何かをやるために、これから行動するのだろうと感じます。

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