新聞連載小説『ひこばえ』重松清・作 川上和生・画 第26回2018/6/27 朝日新聞

 同じ年齢で、学生時代から付き合いが続いていて、現在住んでいる所も共通の三人だが、それぞれの境遇が違う。佐山は一人息子を亡くし、紺野は未婚で子供がいない。洋一郎は結婚して子供が二人いてもうすぐ孫ができる。
 こういう家庭環境の違いがあっても、友達付き合いが続くだろうか。紺野は、洋一郎の孫のことに話題を合わせようとしているが、どこかに無理がある。今までは、ともかくとして、これからは三人がこの関係を維持するのは難しいと思う。

 成人した子供をもつ現代の父親の気持ちがよく伝わって来る。親子の関係もスマホ次第ということだ。 
 SNS抜きでは親子関係も成り立たないという風潮に馴染めない気もするが、手紙や電話での親子のやり取りと、SNSでのやり取りは本質的には変わらないと思う。

新聞連載小説『ひこばえ』重松清・作 川上和生・画 第24 25回2018/6/25 26 朝日新聞

 悲しいことがあっても、一日経てば、たいていは悲しさは弱まる。めったにない悲しいことがあっても、一年が経てば、そのことを忘れている時間が長くなる。一生に一度と思える悲しみに圧し潰されそうになっても、十年が経てば、その悲しみは薄れる。時間の力には勝てない。悲しさだけでなく、喜びにもこれが当てはまる。

 もし、私が佐山の立場だったら、次のように考えると思う。
 「よしお基金」に賛同してくれた人たち、その中でも芳雄の友人たちに、いつまでも「よしお基金」の活動に、時間や資金を割いてもらうことが正しいことなのか。どこかの時点で、亡き我が子の思い出と「よしお基金」の活動から離れてくれる方が、若い友人たちには必要なのではないか。芳雄もそれを望むのではないか。

 紺野には話さない佐山からの相談とは、なにか?もし、「よしお基金」の活動を終了、あるいは縮小することであれば、紺野に言わない理由を思いつかない。

新聞連載小説『ひこばえ』重松清・作 川上和生・画 第23回2018/6/24 朝日新聞

 私の近所で目立つことの推移。
①老夫婦二人だけの家。
②老夫婦の夫が死に、高齢女性だけの家。
③一人暮らしの高齢女性が死ぬか、一人住まいができなくなって空家となった家。
④夫婦(六十歳以上)と、未婚の子(四十歳以上)が暮らす家。
 この小説の背景と設定はドキュメンタリーだ。

新聞連載小説『ひこばえ』重松清・作 川上和生・画 第22回2018/6/23 朝日新聞

 佐山夫妻の活動は、いつまでも発展し続けるものではないだろう。「よしお基金」を起ち上げた動機とその意義については誰にも不服はない。そうであっても、賛同する人々は、佐山夫妻となんらかの個人的なつながりのある人々らしいし、基金の原資は夫妻が出資したものであろう。その状態が六年も続いたことが稀なことだと思う。
 この活動は、ほどなく終えるか、或いは今とは形を変えて継続するか、のいずれかであろう。その時には、佐山夫妻はまた一人息子の死と向き合うことになると感じる。

 独身の紺野の選択、一人息子を亡くした佐山夫妻の今後、そして、もう一つ興味深いテーマが示されている。
 洋一郎は、五十五歳になって離別していた父と再会した。当然、父は高齢になっている。この高齢の父は、なんらかの介護を必要としているのではないか?

新聞連載小説『ひこばえ』重松清・作 川上和生・画 第21回2018/6/22 朝日新聞

 両親の介護は、いずれは終わる。紺野の場合は、彼が一人になったときには、恐らくは七十歳を超えているだろう。

 紺野と話している洋一郎は、すでに父と再会していたのだろうか?

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