朝日新聞連載小説『国宝』吉田修一・作 束妹・画第328回2017/12/3

 今から二十年もまえ、山陰の芝居小屋で私が初めて見た二人の少年たちは、それぞれの仕方で必死に歌舞伎に食らいつき、今やその歌舞伎に取り憑(つ)かれてしまった、と。

 
素敵な誉め言葉だ。
 この高い評価を受けるまでの「二人の少年たち」の十六年は、凄まじい。
喜久雄
①襲名後、鶴若から苛め抜かれる。
②映画出演で極限まで追いつめられる。
③俊介の復活後は、スキャンダルで悪役にされる。
④鷺娘のパリ公演で大好評を得るが、辻村の件で窮地に陥る。
⑤娘の綾乃から徹底的に恨まれる。

俊介
①父の代役をできなかったことで、評判を落とす。
②家を出て、苦しい生活を送る。
③父から戻ることを許されなかった上に、長男を失い、荒みきった生活を送る。

 こういう辛さの極限が、二人を、芸の高みへ導いたというのであろうか。

朝日新聞連載小説『国宝』吉田修一・作 束妹・画第327回2017/12/2

 観客の前に立つ三代目半二郎に欠けているものなどない、というほどの文章だ。その容貌の美しさだけでなく、台詞、仕草、全てが観客を魅了して止まない。
 ここまでの舞台の三代目は、正に芸の神髄を極めた歌舞伎役者と言える。

朝日新聞連載小説『国宝』吉田修一・作 束妹・画第326回2017/12/1

 第十三章 Sagi Musumeが終わった。十二章に続いて波乱の章だった。

その一

 喜久雄は、どう見ても得にならない辻村の頼みを聞いた。その理由は、苦しい時に辻村に世話になったからだった。
 自分の人気や評判と世話になった人の顔を立てることを、秤にかけて、世話になったことに報いる方を選んだのだ。

 こういう二者択一でいけば、親の仇と、世話になったことのどちらを選ぶだろうか。どんなに世話になった人でも、親の仇とわかれば、仇を討つことを選ぶのが義理だと思うが‥‥

その二

 名優は、自分の素質を最大限に伸ばすことを求められると思う。同時に、自分の素質にはないものを獲得しなければならないと思う。
 喜久雄の素質は、女形としての美しさだったではないか。舞台裏での喜久雄の美しさは、光君としての舞台上でも存分に発揮されるのだろうか?

朝日新聞連載小説『国宝』吉田修一・作 束妹・画第325回2017/11/30

その一

 いきなり事実に基づくことが出てきた。

略)その脚本は、昭和二十六年に初演された舟橋聖一脚色、谷崎潤一郎監修によります戯曲を元にした壮大な一大絵巻(略)

 脚本『源氏物語』は、事実に基づいたものといえる。
 昭和の演劇史に沿いながら物語が展開していることを感じる。

その二

「おめえ、大したもんだよ。自分が世話になってきた親分さんの顔、ちゃんと立てたんだってな?(略)俺はな、そういう奴を買うんだよ。世のなか、自分の損得でしか動かねえ奴ばっかりだ」(324回)

「うちの娘婿がやったことを咎(とが)められる奴(やつ)が、この世界にいるんですかね? あいつを咎めるってことは、自分たちを咎めることだ。自分たちの芸を汚すことだぜ。役者が立派なふりしてどうすんですかい? いいですか。立派な人間じゃねえからこそ立派ってこともあるんだよ」(325回)

 
あまりにも、タイミングよく千五郎が出て来たので、都合良すぎないか、と思った。が、千五郎の言い分には筋が通っていた。
 そして、この感覚は、以前に弁天が言っていたことに通じる。

「(略)唯一、王様を笑えんのが芸人やで。それが王様になってどないすんねん」(287回)


 
千五郎と弁天が言ったことの底にある精神は、「芸人」に限らないと思う。

↑このページのトップヘ