本屋のとなりは写真館

新聞連載小説『ひこばえ』重松清・作 川上和生・画 の感想と、読んだ本の感想を更新しています。

朝日新聞連載小説『春に散る』沢木耕太郎第38回
 作者沢木耕太郎自身の思いでもあると思いたいくらいです。
 その商店街を買い物袋を手にした女性や学校帰りの高校生たちが歩いている。
 これはロサンゼルスにはない風景だな、と広岡は思った。ロサンゼルスにはというより、アメリカにはない風景であり、もしかしたら他のどんな国にもない風景なのかもしれない。駅前の狭い通りにさまざまな小さな商店が密集し、そこだけで生活に必要なほとんどすべてが揃ってしまう。
 ストーリー展開には関係の薄い場面でしょう。でも、私も同じ気持ちをもちました。

 商店街を知っていて、そのよさを懐かしむことのできるのが私たちの世代です。だからこそ、買い手である私に今できることは、商店街、個人商店で買い物をする、という行動です。
 商店街がなくなって、私の街では高齢者の買い物の困難が問題になっています。現実に、私が入院している間は、我が家でも買い物に不便を感じていました。私も車の運転を自由にできなくなる時期が来ます。その時には、今まで便利に使っていたスーパーでの買い物が不便この上ないものになります。
 政治や、小売業の制度の欠陥もありますが、消費者である私たちにも原因があります。アルバイト店員の多い店を信用しない、ということより、同じ商品を安く買えることを優先させてきました。
 商店街を残す、ということは、もう難しいかもしれません。でも、安く買えることが一番という考えから、物の値段には、家から商店までの距離と、売っている人はどういう人なのかが、含まれるという考えに改めることも必要だと思います。

朝日新聞連載小説『それから』第27回
 「代助」の兄の言うことはいちいち常識に沿ったものでした。
 友人に貸すための金を出すつもりはない、前の勤め先を飛び出してきたような友人の面倒を見るつもりもない。こういう「兄」の考えは、世間的には正しいとされる意見です。
 一方、「代助」の方は、「平岡」になにか恩を受けたのでも、強い同情心をもっているのでもないようです。ひょっとすると、「平岡」のことよりも、妻の「三千代」のことの方が心配で、気をもんでいるのでしょうか。それは、今後分かってくると思います。
 元々、「代助」は、義理人情で動く性格ではないですし、「兄」の言っていることがもっともだと分かっています。
 今回の彼は、資産家の一員でありながら、友人の頼みに応えようとしても、それがちっともうまくいかないという困った状況に追い込まれています。

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朝日新聞連載小説『春に散る』第37回
 「広岡」と、今はジムの会長をしているという女性は次のように会話します。
「お嬢さんはないわね。いくつになったと思ってるの」
「でも、やっぱり……」
「そういえば、広岡君って、私の名前を呼んだこと、一度もなかったわね。」
「お嬢さんは、お嬢さんですから。」
 過去の二人がどんな事情の関係だったか分かるだけでなく、「広岡」がどんな気持ちと態度でこの女性に接していたか想像できます。そして、この女性が、そういう「広岡」の態度に飽き足らない思いを持っていたのではないかと予想できます。

 「お嬢さん」という言い方を、あまりしなくなったと思います。
 辞書を見ると、「お嬢様」の項で、①相手や主家の娘の尊敬語 ②未婚の女性に呼びかける語。 ③苦労を知らずに育った女 とありました。以前は、①が多くつかわれていた意味でしょう。この言葉だけでなく、尊敬語全般をつかう機会が減っているのだと思います。上下関係といわれていた関係を意識しなくなって、尊敬語もつかわれなくなってきています。尊敬語はつかわれる場面がなければ、どんどん忘れ去られていくと思います。
 「お嬢さん」が通じなくなってきたら、こういう場面ではなんと呼べばよいのでしょうか。

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朝日新聞連載小説『それから』第26回
 友人の妻から申し込まれた借金について、「代助」と兄のやりとりが書かれています。
 金銭がからむと、兄弟の間柄とはいえ、打算と駆け引きが始まりました。「代助」は、自分自身のための借金ではないのですが、兄の出方を探り、兄から金を出させるための策略を考えています。「代助」は、実生活のそういう画策を最も嫌う性質だったはずなのに、いろいろと考えざるをえなかったようです。

 今の世の中でも、金の貸し借りが人間関係を壊す例はいくらでもあります。最も親しい者同士が、金の貸し借りをきっかけとして、争う例にも事欠きません。親しく、仲がよいからこそ、こじれると泥沼にはまるのでしょう。
 金銭は、非常に便利なシステムですが、便利さの裏には、とんでもない害となる面もあることを常に考えます。お金は、元来は、物やサービスと交換するシステムですから、貸し借りや蓄財に使う場合にはそれなりの注意と知識が必要なのだと思います。

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朝日新聞連載小説『それから』第25回
 実社会で活躍する人と言っても、「代助」の兄のことですから、一般の勤め人とは大違いでしょう。しかし、経済が発展していっている国で、実業の世界を生き抜いている人のものの考え方としては、一般の会社員や商社員と共通する部分もあると思います。
 「代助」の兄は、多くの会合に出て、夜は仕事上の付き合いをして、家にいる時間が短いという毎日です。話すことといえば、新聞に出ているようなことばかりで、文芸にはまるで興味がありません。そして、そういう生活に慣れきっている様子です。

 これは、少し事情を変えると、昭和の日本の会社員の姿と重なります。国の経済が右肩上がりになっている時のビジネスマンの姿は、時代が異なっても似てくるのでしょうか。
 最近のビジネスマンがどんな様子かは、私にはよく分かりません。働くこと以外の時間がない、というのは似ていますが、平成の働く人たちは、明治から昭和にかけてのころよりも、より過酷な状況に追い込まれているような気がしますが、どうでしょうか。

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朝日新聞連載小説『春に散る』第36回
 「黒いスーツ姿の女性」と「広岡」の関係がだんだんとはっきりとしてきました。そして、それが、会話で表現されています。
女性はいくらかからかうような口調で言った。
 表情や動作ではなく、会話とその口調を書くことで、いろいろなことが説明できることが分かります。電話だと、口調は、なかなか伝わらないと思います。同様に、電子メールは、文章によるニュアンスを伝えるには、手紙とは別のものになるような気がします。
 この小説から、対面しての会話が、いろいろなことを伝えることに気づかされてきました。さらに、同じ言葉を口にしても、口調で伝わるものが違ってくることを考えさせられます。
 通信機器に使ってのコミュニケーションが便利さを提供していますが、同時に対面しての会話とその会話に含まれる口調の役割を忘れつつあると思いました。
 

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朝日新聞連載小説『春に散る』第35回
 私が、誰かと久しぶりに会ったことがあるだろうかと思い出してみました。同窓会の類はほとんど行かないし、生まれ育った土地から遠くへ引っ越したということもないので、ほとんどそういうことはありません。
 珍しく出席した同じ職場のOB会に行き、30年ぶりくらいに会う人たちと話したことがありました。その折りもみんなそれなりに年を取った、人によって年の取り方には違いある、などと感じたくらいでその会が特別に楽しかった思い出はありません。いわゆる昔話をすることに興味を持てないからなのだと思いました。どうして、思い出話を楽しめないのかというと、自分でもその理由が分かりません。

 「広岡」は、試合後の会場で、「黒いスーツ姿の女性」と眼を合わせました。「広岡」の方からは、何も言わないのにその女性は、彼のことに気づきました。40年ぶりと言うと、この二人がほぼ同じ年齢として、10代で会っていても50歳代になっています。見ただけで、気づき会える年齢の限界に近いような気がしましたし、二人の交流はかなり緊密なものだったことが分かります。

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 家族が買い、本棚に以前からあったのが、気になっていたので、読み始めました。上巻の半ばまでおもしろく読めました。
 ある時、目次の書き方が変なのに気づき、よく見ると、文庫の3巻本でした。我が家には、上下しかありません。近所の大型書店に行きましたが、この作品は置かれていませんでした。ないとなると悔しいので、ネットで注文して手にいれました。
 そのころから、なんとなく読みづらくなってきました。その最大の原因は、「吉里吉里語」の発音表記です。発音すればおもしろいのですが、漢字へのルビになっているので、老眼鏡が必要な私には負担です。
 そのうちに、登場人物の名前や行動の誇張表現をだんだんに楽しめなくなりました。

 地方の独立という設定そのものには興味があり、作者の考え抜かれた主張も見えるのですが、肝心のユーモアの部分を楽しめなくなると、この小説自体を読み進めることができなくなりました。
 新しくなった中巻を添えて、本棚に戻します。

朝日新聞連載小説『それから』第24回
 今までの回から、「代助」は旧時代の武士の生き方と考え方を嫌っていることが分かります。古い時代の考え方を嫌っているのと同様に、明治時代という新時代の実社会での生き方にも、興味を持てないことが分かりました。
 また、「代助」は、英語を理解して、英国や外国の文物に触れる機会が多かったことも分かりました。
 この回では、その「代助」が英国人が主催する園遊会で、その会や英国人と話し合うことに興味を持てないことが描かれていました。
 日本の古い時代の考え方も、日本の今の時代の考え方も、外国の文明も、そのいずれにも飽き足らない思いをもっている「代助」の姿が浮かび上がります。
 彼は、自分が強く興味をもてることをどの方向に見つけていくのでしょうか。 

 話題は変わりますが、106年前の日本人の英語に対する態度が出てきましたが、現代とあまり変わらないような気がしました。学校での英語教育を、会話中心にするというのが、昨今の流れだと思いますが、あまり変化は見られないような気がします。私は、英語圏の人が身近にいる時期もありましたが、今は英語を生で聞く機会は全くありません。こういう環境では、耳と口で英語を、というよりは、英単語を一つでも覚えて、簡単な英文を読めるという昔ながらの方法の方が役に立つような気がします。それを、実行するのは難しいのですが。

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朝日新聞連載小説『春に散る』第34回
 チャンピオンが挑戦者をノックアウトしました。あの女性のうなずきがきっかけになったと読めます。この回では、そのことには触れられていません。
 
 文章は、書かれていることだけを読むのではおもしろくないのです。小説は筋の展開だけを追うのではおもしろくないのです。書かれていないこと、ストーリーの伏線になること、それらを読み取るところにおもしろさがあるのでしょう。だから、新聞連載小説の1回分についてだけでも、読み手の数だけ読み取り方が出るものなのです。だから、読書感想も読者の数だけあるはずだと思います。

 「広岡」が日本に帰ってきた目的は、ボクシングの世界でこの「黒いスーツ姿の女性」がしている役割と、重なるもののような気がします。

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朝日新聞連載小説『春に散る』第33回
 「黒いスーツ姿の女性」、リクールトスーツを着る年齢ではないとすると、何か儀式的なことの参加者というイメージが浮かびます。ところが、前回から登場したこの女性は、ボクシングのリングサイドにいるのです。
 そういえば、先日の世紀の一戦では、いかにも富裕層といったドレス姿の女性がリングサイドの席に多くいました。この「黒いスーツ姿の女性」は、ドレスを着飾った女性たちのような雰囲気とは、全く違う様子です。試合に集中し、それだけではなく、戦っているチャンピオンが最も頼りにしているような存在なのです。
 チャンピオンは、第6ラウンドの開始と同時に次のような行動を取りました。
リングサイドに座っている黒いスーツ姿の女性の方に眼をやった。何かの許可を求めるような視線だった。女性は、それを受けて、軽くうなずいた。
 これは、この後、試合の流れが大きく変わるに違いないと思いました。

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朝日新聞連載小説『それから』第23回

 「代助」は、自分のことを次のように振り返っています。
三、四年前(ぜん)、平生(へいぜい)の自分が如何(いか)にして夢に入(い)るかという問題を解決しようと試みた事があった。
そのことを、追求して眠られない自分を、
つくづく自分は愚物(ぐぶつ)であると考えた。
とあります。

 根拠はなにもないのですが、私は主人公のこういう心理に、作者自身がよく反映されていると思います。漱石は、人間の意識と無意識の境目が、気になってしかたがなかったのではないでしょうか。さらに、解決しようのない問題から離れられない自分に対する意識が、はっきりとあるところにも漱石自身が反映されていると思います。

 私は、若いころは、他からは褒められたいという気持ちを持っていました。それは、褒められることがうれしいというよりは、褒められている自分を見たいという意識です。つまり、人に認められるようなことをしている自分を、自分で見ていたいのです。そして、この二つのことを、意識していたか、無意識だったかというと、未だによく分かりません。

 生と死、理想と現実、心理と行動、意識と無意識、常にこういう境目に興味を持ち、それを描ききる作品が時代を超えて、読み継がれるのだと思いました。

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朝日新聞連載小説『春に散る』第32回
 この回で、「広岡」が日本に帰ってきた目的の一部が出てきたような気がしました。「広岡」は、どんな対戦か、知らず、ボクシングの試合を観戦します。その試合は次のように描かれていました。
長身のチャンピオンは、サウスポー、左利きのアウトボクサーらしく足を使い、距離を取って戦おうとしているが、がっしりとした体格の挑戦者は体を低くして接近戦に持ち込もうとしている。

 私は、ボクシングに特別な興味はありません。でも、先日のパッキャオ対メイウエザーの試合をテレビで見るくらいの興味はあります。ボクシングは、格闘技の中でも、身体能力はもちろんですが、高度な技術が要求されるスポーツだとこの世紀の一戦を見て改めて思いました。それだけに、トレナー・コーチの役割は重要なのでしょう。ここで描かれている試合も、典型的なスタイルのボクサー二人の体力と技術がぶつかり合う対戦のようです。
 そして、ある女性のリングサイドからのアドバイスが当たるのです。

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朝日新聞連載小説『春に散る』第31回
 この回でも、前回に続いて、通りすがりの人と言葉を交わした場面が出てきました。
 毎日の生活は、このような短い言葉のやりとりで、人と人との関係が成り立っていると思えてきます。
 
 私の入院経験では、看護師さんとの会話が人と話す機会になりました。入院生活も慣れてくると、だんだんに要領がつかめてきましたが、始めの内は、うまくいきませんでした。
 「今朝の体温は?」と聞かれたときに、「大丈夫です。」「平熱です。」「36度8分です。」のどれがよいか、どれでもよいようで、違いがありました。平熱が続いているときは、1番目でも2番目でも問題ありません。でも、発熱の後や看護師さんが記録をしようとしているときは、3番目でないと、聞き返されてしまいます。 

 ささいな会話をていねいに描いて、ストーリーを組み立てている所をおもしろいと感じました。

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新聞連載小説『春に散る』第30回
 会話を文章にするのは、難しいと思います。話された言葉を正確に書いても、それは速記録であって、会話を文章にしたものではないのです。だから、プロの作家でも会話を表現するというのは、苦労すると思います。
 この回では、主人公が訪れた後楽園ホールの窓口の女性とモギリの若者と主人公との会話でほとんどを占めていました。そして、その会話で、その場の雰囲気と主人公の気持ち、さらにはこれからのストーリーの展開までも描かれていました。

 携帯とスマホのメールは便利です。電話のように、相手の都合に関係なく呼び出すことがありません。それでいながら、急ぐ時には電話と同じようにすぐに返事、返信ができます。また、電話とは違って読み返すことができます。
 でも、質問と返答を何回も繰り返す場合は、メールよりも電話の方がより速い場合があります。
 顔を合わせての会話は、電話よりも質問と返答の速度が高まります。また、電話とメールでのやりとりは、用件以外の事柄を伝えるには不向きです。対面の会話は、用件以外のことを、互いの表情と動作によってたくさん伝えます。この対面の会話の特徴を、作者は存分に発揮させています。
 私は、対面の会話を実際の生活で、もっともっと大切にしなければならないと思いました。

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