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新聞連載小説『ひこばえ』重松清・作 川上和生・画 の感想と、読んだ本の感想を更新しています。

朝日新聞連載小説『国宝』吉田修一・作 束妹・画第239回2017/9/2

 褒める、叱るなどのレベルではなかった!
 
 「稀代の立女形」小野川万菊と、素性を隠している花井半弥との共演が始まっていた!

 俊介の芸は、表にいた時をはるかに超えているということだ。今の俊介は芸の上で、今の喜久雄を超えているということでもあろう。

朝日新聞連載小説『国宝』吉田修一・作 束妹・画第238回2017/9/1

その一
 本文の前の文章から、喜久雄が、「歌舞伎への前向きな姿勢」を取り戻し、何らかの新しい行動に出ることは、確実になった。

その二
 俊介は、自分が発見されたことをまだ知らない。それどころか、素性を隠したままこの見世物のような舞台に出続ける気でいる。

その三
予想 俊介が家を出てから
①とりあえず、春江と相談して知る人のいない土地に身を隠した。金を持っていない俊介は、春江の稼ぎで遊び暮らす。しかし、御曹司の生活に馴染んだ俊介は、身を隠していても贅沢な生活を止められず、たちまち春江の稼ぎだけでは暮らしていけなくなる。その先は、賭け事と借金のお決まりのコースだった。
②地元のヤクザの取り立てに困った俊介は、辻村に泣きつく。辻村は、裏のやり取りで俊介と春江を救う。しかし、いい顔を見せていたのは、最初にうちだけで、やがて俊介と春江を働かせ始める。その仕事が、見世物のような舞台に立つことだった。
③俊介は、どんな舞台であっても舞台に立つことに張り合いに感じるようになる。しかし、金の面だけでなく、辻村に弱みを握られていて、再び表舞台に立つことができるとは夢にも思えない。春江は、ともすれば、死んでしまおうとする俊介を必死で励ますだけで精一杯だった。

予想 万菊の反応
①俊介の芸を褒める。褒めたうえで、丹波屋の現状と、自分の身の不始末は俊介の芸で償うしかないことを諭す。
②俊介の芸の未熟な所を厳しく叱る。叱ったうえで、もう一度自分の所で修行し直すように命じる。

 私には、こんな想像しかできない。作者の創造した物語を、次回から直ぐに味わえるのだろうか。

朝日新聞連載小説『国宝』吉田修一・作 束妹・画第237回2017/8/31

 万菊の言葉が印象に残る。

「そう……、丹波屋の半弥さん、やっぱり死ねなかったのねぇ」

 姿を消した俊介は、誰から見ても出奔するだけでなく、生きていられないと思われていたのだ。
 実の父、当時の半二郎からは芸の未熟さをあからさまに言われたも同然だった。その上、懸命に喜久雄を助けて自分も舞台を勤めたのに、誰からもそれを認められるどころか、陰口ばかりをたたかれていた。これでは生きていられないと思われて仕方がなかったのだ。
 ここで、大きな疑問が湧く。
 白虎(二代目半二郎)の言葉からは、喜久雄の芸が俊介よりも勝っているということはうかがえない。喜久雄が俊介よりも、上だとすれば舞台に立つことの熱意であろう。少なくとも女形としての才能では優劣はつかないと描かれていると思う。今となっては、白虎本人に聞きただすことはできないが、代役に喜久雄を立てた理由があったはずだ。
 梅木と竹野の頼みを聞いた万菊が、あるいは、二代目半二郎の気持ちを察しているのかもしれない。

 竹野の企画は、実現しそうな気がする。もし、そうなると、喜久雄は「完全な悪役」になるが、それもまた興味を誘う。
 さらに、俊介が舞台に復活するとなると、幸子がどう動くかが焦点の一つとなるように思う。以前の幸子なら、俊介の復活を心から喜び、同時に喜久雄への心配りもできたはずだ。だが、今の幸子は丹波屋の女将というよりも、新宗教の信者になっているのではないか。

朝日新聞連載小説『国宝』吉田修一・作 束妹・画第236回2017/8/30

 小野川万菊は、名優として描かれてきた。今回でも、「稀代の立女形」と最大級の形容がされている。
 さらに、今まで物語の転換に大きく関わることがないのに、随所に顔を出している。95回感想 95回感想その2で触れたが、万菊の舞台を観た喜久雄と俊介について、語り手が謎の言葉を残している。また、梅木社長が、白虎亡き後の喜久雄を鶴若ではなく、万菊に預けるつもりだったことも印象に残っている。そして、今回は竹野と一緒の場面が描かれた。その竹野は、俊介の発見者であり、俊介の今後を握る最大の登場人物であろう。
 万菊は、自分の芸を継承させる役者を、求めなければならない気持ちになっているのではあるまいか。

 万菊と同様に、気になる登場人物がいる。それは、清田誠監督だ。清田監督は、徳次を映画の主役に抜擢したというよりも、歌舞伎の世界に戻すきっかけを作っていた。さらに、『太陽のカラヴァッジョ』を発表する以前から世界的な巨匠として描かれている。『太陽のカラヴァッジョ』が受賞したので、映画監督としての評価は、ますます揺るがぬものになっている。その監督の撮影現場での行動は、狙った演技を引き出すために、喜久雄をまるで策略に陥れたように描かれたままだ。
 清田監督が喜久雄の心を傷つけただけの登場人物で終わるようには思えない。
 喜久雄自身は、気づいていないが、『太陽のカラヴァッジョ』の喜久雄の演技は、評価されて当然の価値があり、監督の真の狙いはこれから明らかになるように思う。

朝日新聞連載小説『国宝』吉田修一・作 束妹・画第235回2017/8/29

 穏やかで気持ちのよい三人の会話だ。
 三人を取り巻く客観的な条件からは、先の明るさは見えてこない。だが、互いを思いやる者同士がいて、互いに心の内を素直に言葉にしている。
 幸福感とは、夢が叶った時や願っていた条件が満たされた時だけでなく、こういう場合にこそ持てるものだと思う。

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