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朝日新聞連載小説『国宝』『ディス・イズ・ザ・ディ』の毎回ごとの感想と、読んだ本の感想を更新しています。

朝日新聞夕刊連載小説・津村記久子作・内巻敦子画『ディス・イズ・ザ・ディ 最終節に向かう22人』第27回2017/7/14 第五話 篠村兄弟の恩寵⑤ 第5話了

あらすじ 
 靖は一人ではあるが、嶺田さんにメールをしたりして、試合前の時間をのんびりと楽しんでいる。試合は、リードされていた奈良が後半得点して、3-2で伊勢志摩に勝利した。奈良FCは、プレーオフに行けることになった。そして、伊勢志摩ユナイテッドの窓井はこの日の得点で、得点王になった。
 移籍前のチームである奈良のサポーターの前で、お辞儀をする窓井を見ながら、靖は、改めて窓井をかっこいいと感じた。
 選手たちの挨拶が終わった後、靖は、昭仁の姿を捜す。昭仁とは、会う約束もしていなかったので、捜すのをあきらめようとした靖の目に、兄を待っている昭仁の姿が入ってきた。

感想
 チームを応援する兄と、一選手を応援する弟の両者が対決する最終節だった。兄の応援するチームが勝ち、弟の応援するチームは敗れはしたが、応援している選手は得点王になった。
 実生活では、助け合ってきた兄弟が、兄の転勤で別れる日が近い。兄の靖は、弟の昭仁のことを心配していたが、この最終節で互いのわだかまりが解消した。
 心配する方は、相手のことを思っているようで、実は自身に不安があるからなのだ、と感じる。これは、兄弟の場合でも親子の場合でも当てはまるであろう。
 第1話から第5話まで、現代を普通に生きる人々が描かれている。そして、その普通に生活している人々の悩みが、緩やかに解消されていく様子が描かれていて、読んでいてほっとする。
 ただ、その悩みや不安の解消が、全てサッカー観戦だというのは、サッカー観戦に興味のない私にはなんとも腑に落ちない感じがしてきた。

朝日新聞連載小説『国宝』吉田修一・作 束妹・画第241回2017/9/4

その一
 三友本社と竹野の話はすっかりまとまっている。俊介を見つけ、その芸を万菊に見せたことなどの事実は、喜久雄には伝わっていない。
 竹野が考えた「失意のまま見世物小屋の芸人にまで落ちた元丹波屋の若旦那がもし見事に舞台に復活」(237回)を、テレビで特集するという構想は進んでいるのであろう。

その二
 ここのところ、徳次の行動がどうも引っかかる。
①『太陽のカラヴァッジョ』の撮影で喜久雄が受けた扱いを、徳次は知らない。
②市駒、綾乃、喜久雄の所に来た徳次の目的が語られていない。喜久雄の気持ちが回復したことを読者に伝える役目だけだったのか?
③俊介発見が喜久雄に伝わった場面(今回)で、徳次の行動が妙に詳しく語られている。俊介を非難しているのも気になる。


 俊介が舞台に復活するための筋書きは、万菊の力もあって、既にでき上がっていると思う。そして、歌舞伎への意欲を取り戻した喜久雄には、「三代目半二郎の名跡を奪った喜久雄を完全な悪役にする」(237回)という筋書きが待っていると思う。
 
 センセーショナルな事件ほど、最も関係の深い人にさえ真実が伝わらない。報道機関や周囲の人々は、事実や当事者の心情に関わりなく、よりセンセーショナルな方向へと、世間の傍観者を誘導しようとする。それが世の中の常であると感じる。

朝日新聞連載小説『国宝』吉田修一・作 束妹・画第240回2017/9/3

その一
 見世物小屋の酔った客から鳴りやまぬ拍手を受けている俊介。
 『太陽のカラヴァッジョ』の演技で、世界から高い評価を受けた喜久雄。

その二
その俊介の目は、万菊ではなく、その先にいる誰かを見ているようでありました。

 俊介が見ている誰かは、亡き白虎であると思う。

その三
「……今の舞台、しっかり見せてもらいましたよ。……あなた、歌舞伎が憎くて憎くて仕方ないんでしょ」

 
万菊のこの言葉は、俊介の心情を見事に見抜いていると思う。

「いや、もう大丈夫。考えてみいな。俊ぼんと一緒に必死で稽古してたころ、まさか自分が三代目半二郎を継ぐどころか、歌舞伎座の舞台に立てるなんて思うてもなかったやろ。でも、稽古すればするほど歌舞伎のことを好きになって。ほんま今思うたら、呆れるくらい無欲やわ。でも今な、それとおんなじ気持ちやねん。」(235回)

 市駒と徳次に向かって言った喜久雄のこの言葉が、喜久雄の今の心情だと思う。

その四 
 父の敵討ちに失敗して故郷を追われた喜久雄、丹波屋の御曹司として喜久雄と出会った俊介。
 その二人が、『二人道成寺』で大人気を得た。二代目半二郎の事故で、二人の運命が別れた。 
 今、見世物小屋で舞台に立つ俊介は、歌舞伎を憎んでいる。
 舞台に立つ意欲を失っていた喜久雄は、今再び、歌舞伎を好きで好きでたまらなくなっている。

朝日新聞連載小説『国宝』吉田修一・作 束妹・画第239回2017/9/2

 褒める、叱るなどのレベルではなかった!
 
 「稀代の立女形」小野川万菊と、素性を隠している花井半弥との共演が始まっていた!

 俊介の芸は、表にいた時をはるかに超えているということだ。今の俊介は芸の上で、今の喜久雄を超えているということでもあろう。

朝日新聞連載小説『国宝』吉田修一・作 束妹・画第238回2017/9/1

その一
 本文の前の文章から、喜久雄が、「歌舞伎への前向きな姿勢」を取り戻し、何らかの新しい行動に出ることは、確実になった。

その二
 俊介は、自分が発見されたことをまだ知らない。それどころか、素性を隠したままこの見世物のような舞台に出続ける気でいる。

その三
予想 俊介が家を出てから
①とりあえず、春江と相談して知る人のいない土地に身を隠した。金を持っていない俊介は、春江の稼ぎで遊び暮らす。しかし、御曹司の生活に馴染んだ俊介は、身を隠していても贅沢な生活を止められず、たちまち春江の稼ぎだけでは暮らしていけなくなる。その先は、賭け事と借金のお決まりのコースだった。
②地元のヤクザの取り立てに困った俊介は、辻村に泣きつく。辻村は、裏のやり取りで俊介と春江を救う。しかし、いい顔を見せていたのは、最初にうちだけで、やがて俊介と春江を働かせ始める。その仕事が、見世物のような舞台に立つことだった。
③俊介は、どんな舞台であっても舞台に立つことに張り合いに感じるようになる。しかし、金の面だけでなく、辻村に弱みを握られていて、再び表舞台に立つことができるとは夢にも思えない。春江は、ともすれば、死んでしまおうとする俊介を必死で励ますだけで精一杯だった。

予想 万菊の反応
①俊介の芸を褒める。褒めたうえで、丹波屋の現状と、自分の身の不始末は俊介の芸で償うしかないことを諭す。
②俊介の芸の未熟な所を厳しく叱る。叱ったうえで、もう一度自分の所で修行し直すように命じる。

 私には、こんな想像しかできない。作者の創造した物語を、次回から直ぐに味わえるのだろうか。

朝日新聞連載小説『国宝』吉田修一・作 束妹・画第237回2017/8/31

 万菊の言葉が印象に残る。

「そう……、丹波屋の半弥さん、やっぱり死ねなかったのねぇ」

 姿を消した俊介は、誰から見ても出奔するだけでなく、生きていられないと思われていたのだ。
 実の父、当時の半二郎からは芸の未熟さをあからさまに言われたも同然だった。その上、懸命に喜久雄を助けて自分も舞台を勤めたのに、誰からもそれを認められるどころか、陰口ばかりをたたかれていた。これでは生きていられないと思われて仕方がなかったのだ。
 ここで、大きな疑問が湧く。
 白虎(二代目半二郎)の言葉からは、喜久雄の芸が俊介よりも勝っているということはうかがえない。喜久雄が俊介よりも、上だとすれば舞台に立つことの熱意であろう。少なくとも女形としての才能では優劣はつかないと描かれていると思う。今となっては、白虎本人に聞きただすことはできないが、代役に喜久雄を立てた理由があったはずだ。
 梅木と竹野の頼みを聞いた万菊が、あるいは、二代目半二郎の気持ちを察しているのかもしれない。

 竹野の企画は、実現しそうな気がする。もし、そうなると、喜久雄は「完全な悪役」になるが、それもまた興味を誘う。
 さらに、俊介が舞台に復活するとなると、幸子がどう動くかが焦点の一つとなるように思う。以前の幸子なら、俊介の復活を心から喜び、同時に喜久雄への心配りもできたはずだ。だが、今の幸子は丹波屋の女将というよりも、新宗教の信者になっているのではないか。

朝日新聞連載小説『国宝』吉田修一・作 束妹・画第236回2017/8/30

 小野川万菊は、名優として描かれてきた。今回でも、「稀代の立女形」と最大級の形容がされている。
 さらに、今まで物語の転換に大きく関わることがないのに、随所に顔を出している。95回感想 95回感想その2で触れたが、万菊の舞台を観た喜久雄と俊介について、語り手が謎の言葉を残している。また、梅木社長が、白虎亡き後の喜久雄を鶴若ではなく、万菊に預けるつもりだったことも印象に残っている。そして、今回は竹野と一緒の場面が描かれた。その竹野は、俊介の発見者であり、俊介の今後を握る最大の登場人物であろう。
 万菊は、自分の芸を継承させる役者を、求めなければならない気持ちになっているのではあるまいか。

 万菊と同様に、気になる登場人物がいる。それは、清田誠監督だ。清田監督は、徳次を映画の主役に抜擢したというよりも、歌舞伎の世界に戻すきっかけを作っていた。さらに、『太陽のカラヴァッジョ』を発表する以前から世界的な巨匠として描かれている。『太陽のカラヴァッジョ』が受賞したので、映画監督としての評価は、ますます揺るがぬものになっている。その監督の撮影現場での行動は、狙った演技を引き出すために、喜久雄をまるで策略に陥れたように描かれたままだ。
 清田監督が喜久雄の心を傷つけただけの登場人物で終わるようには思えない。
 喜久雄自身は、気づいていないが、『太陽のカラヴァッジョ』の喜久雄の演技は、評価されて当然の価値があり、監督の真の狙いはこれから明らかになるように思う。

朝日新聞連載小説『国宝』吉田修一・作 束妹・画第235回2017/8/29

 穏やかで気持ちのよい三人の会話だ。
 三人を取り巻く客観的な条件からは、先の明るさは見えてこない。だが、互いを思いやる者同士がいて、互いに心の内を素直に言葉にしている。
 幸福感とは、夢が叶った時や願っていた条件が満たされた時だけでなく、こういう場合にこそ持てるものだと思う。

朝日新聞連載小説『国宝』吉田修一・作 束妹・画第234回2017/8/28

 徳次は、『太陽のカラヴァッジョ』の撮影現場で、喜久雄が一番ひどい目に遭った時のことを知らないと思う。過去に遡るが、辻村の正体も知らないし、白虎が最期に「俊ぼん」と叫んだことも知らない。
 徳次の年齢は、三十歳になるかならないかだ。その年齢にしては、大部屋の役者なのか、喜久雄の付き人なのかはっきりしない。役者として、伸びていく風もないし、マネジャーとして有能というのでもない。
 それなのに、喜久雄は徳次を信じているし、傍から放そうとはしない。喜久雄だけでなく、市駒も、綾乃も、以前の春江もマツも、徳次を大切にしていた。それどころか、才能も金もない徳次のファンが芸妓の中にもいるという。
 要するに、徳次の魅力は、人柄なのだ。口は悪いし、乱暴なのに、周囲の人を大切にするし、世話になった人を裏切らない。それだけなのだ。
 理知では割り切れない人間の魅力が、徳次という人物を通して描かれていると感じる。

朝日新聞連載小説『国宝』吉田修一・作 束妹・画第233回2017/8/27

 歌舞伎役者が、妻に求めるものは、元気な頃の幸子のような女性であろう。幸子が白虎にやったような世話を、市駒は喜久雄に対してできないであろう。喜久雄の方も、市駒に歌舞伎役者の家を仕切ってもらおうとは考えていないと思う。
 だからこそ、進むべき道を見失っている今の喜久雄にとって、安心していられる所が市駒と綾乃のいる家だと感じる。
 ここはくつろいでいられる家ではあるが、ここの生活から喜久雄の新しい道が開けることもないだろう。

 徳次が、親子水入らずの所へわざわざ来るからには、喜久雄に何か重要な知らせを持って来たはずだ。

朝日新聞連載小説『国宝』吉田修一・作 束妹・画第232回2017/8/5

 市駒がいなければ、喜久雄は塞ぎこんだまま、役者としても潰れていただろう。娘の綾乃がいなければ、市駒の所にいても、もっと長い間閉じこもっていただろう。
 長崎にいた頃の喜久雄は、春江がいなければ、もっと荒んだ気持ちだったろう。
 権五郎とマツも、白虎と幸子の両夫婦も妻がいなければ、夫は成り立っていかなかっただろう。
 最近私が出あった小説や映画やドラマでは、こういう互いを無条件で受け入れ合う男と女の関係を見たことがない。小説やドラマよりも、現実の生活ではもっと見聞きしなくなった。不思議と言えば、不思議なことだ。

 それにしても、喜久雄はかなり長い間、市駒の所にいるようだ。市駒の所にいて、綾乃の相手をしているということは、舞台には立っていないのだろう。
 俊介が見つかり、俊介は再び表に出るのか、そして、喜久雄にどんな動きを起こさせるか?また、期待が膨らむ。

 金沢のクラブで、地元の名士から踊れと言われて、喜久雄はその名士を殴りそうになり、徳次に止められた。(207、208回)
 その騒動の後、喜久雄は、俊介ならあの場で踊るふりでもして、なんなく乗り切ったのではないか、と言っていた。喜久雄は、自分は三代目を継いだところで「一本の木」だが、俊介は生まれた時から丹波屋を背負っているので、「山」だと考えていた。(209回)
 
 喜久雄は、今までに美しい娘や遊女役を演じることはできた。しかし、狂女や化け猫を見事に演じることができるであろうか?
 もしも、今の俊介が『太陽のカラヴァッジョ』で歌舞伎の女形だった兵士を演じろと言われたら、どうであったろうか?喜久雄とは、違う反応をするように思う。
 その辺りに、温泉街の舞台に姿を現した俊介と東京の舞台への意欲を失っている喜久雄の役者としての違いが出て来るように感じる。

 それにしても、俊介登場の段取りは圧巻のおもしろさだ。228回感想で触れたが、丹波屋の状況はこれ以上悪くなりようがなかったのである。
 仮に出奔中の俊介が莫大な借金を背負わされていたとしても、幸子も喜久雄もそれを肩代わりできる状況にはない。ある意味、俊介が迷惑をかける気遣いはないのだろう。

朝日新聞連載小説『国宝』吉田修一・作 束妹・画第231回2017/8/25

 俊介の再登場が、直截に書かれた。

 竹野は、俊介の素顔を知っている。それを、ダメ押しする「俊ちゃん」の声。
 化け猫の正体が俊介であったことは、伏線に調和する。物語の伏線に調和しないのは、次の表現だ。

竹野の体にブルブルッと武者震いが起こったのはそのときで、たった今、自分がここで見つけたものが、とてつもないものであることを肌で感じたのでございます。

 これはテレビの素人番組に出すような下等なもんじゃない。

 
私は、竹野を今までの歌舞伎を変える興行主、プロデューサーになっていくであろう、と予想していた。そして、竹野は喜久雄を革新的な歌舞伎の主役として育て上げていくだろう、と思わせられていた。
 竹野が、眼をつけたのは、喜久雄、三代目半二郎ではなかった。

朝日新聞連載小説『国宝』吉田修一・作 束妹・画第230回2017/8/24

 凄い。
 この舞台、化け猫の演技に引き込まれた。

 これだけの迫力ある表現には、いくつかの要素がある。
①独特の語り。
(略)見るからにおどろおどろしく化け猫へと変身したのでございます。
②擬音語の効果。
テケテン、テケテン、テケテン。
③ここに辿り着き、次を期待させる筋立て。
 化け猫を演じているのは誰か、を予想させる筋の運びが、読者を魅了する。

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