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新聞連載小説『ひこばえ』重松清・作 川上和生・画 の感想と、読んだ本の感想を更新しています。

新聞連載小説『ひこばえ』重松清・作 川上和生・画 第157回2018/11/9 朝日新聞

 和泉台ハイツに住むようになってからの洋一郎の父、石井信也は、周囲の人に強い印象、しかもいい印象を与えていたように感じる。それは、大家さんや和泉台文庫の田辺さんが、洋一郎に話してくれたことからわかる。
 サイジョウさんの反応も、仕事上の対応以上の感じがする。

新聞連載小説『ひこばえ』重松 清・作 川上和生・画 朝日新聞 第六章 カロリーヌおじいちゃん あらすじ 

 父が借りていた『原爆句集』を返却するために、洋一郎は、和泉台団地にある「まちの小さな図書館」和泉台文庫を訪ねた。その図書館では、ボランティアの司書をやっている田辺さん母子(母、麻美・娘、陽菜)が洋一郎と大家(川端)さんを迎えた。
 田辺さんは、父、石井信也がこの図書館では、カロリーヌおじいちゃんと呼ばれていたこと、それは、父が、和泉台文庫で、『カロリーヌとおともだち』という童話を見つけ、涙を流して懐かしがり、何度もその童話を読んでいたことからつけられたあだなであることを、話してくれた。
 カロリーヌシリーズの童話と聞いて、洋一郎にある記憶が蘇った。カロリーヌの童話の本は、幼い頃の私と姉に、母が買ってくれたものだった。そして、私よりも幼かった姉が、カロリーヌの本に夢中になった。
 童話の本を和泉台文庫に来るたびに読み、イベントの一つである朗読劇にも、頼まれて、父は出演していた。だから、和泉台文庫に来ていた父には、いいおじいさんのイメージしかなかった。
 そのイメージに耐えられなくなった洋一郎は、田辺さんに、父と私──そして母や姉の関係を説明し、「ひどい父親だったんですよ」と言わずにいられなかった。

 洋一郎は、姉に、父がカロリーヌの本を懐かしがり何度も読んでいたことを伝えた。姉は、感激するどころか、全く興味がないと言い切った。さらに、洋一郎が、携帯電話のアドレス帳第四章あらすじやカレンダーのこと(カレンダーに、母と姉と洋一郎の誕生日が書き込まれていた)を話すと、無言で電話を切ってしまった。

 洋一郎は、妻(夏子)に父が死んだこと、遺骨のことを話した。夏子は、何か面倒なことに巻き込まれないかを心配し、遺骨を引き取ることについては反対した。
 洋一郎は一人で、幼かった姉と自分がカロリーヌの本を読み、そこに母も父もいる光景を思い出し、懐かしいなあ、とつぶやく。

新聞連載小説『ひこばえ』重松清・作 川上和生・画 第156回2018/11/8 朝日新聞

 ガラケーは、度々出て来ていたので、着信があるだろうと思っていた。着信があるとすれば、それは父の知人からで、その知人から父の生前についての何かが得られるだろうとも予想していた。だが、自分史の件とは意外だった。
 意外ではあるが、父の読書好きからすると、それも不自然ではない。さらに、自分史を書くための資料のようなものが出て来るとすると、父の生前の行動と心情がより浮かび上がってくるだろう。

新聞連載小説『ひこばえ』重松清・作 川上和生・画 第155回2018/11/7 朝日新聞

老後の「勝ち組」──相撲に譬えるなら、少なくとも九勝六敗は確保している。

 老後にも「勝ち組」と「負け組」があるのだ。いや、老後だからこそ、勝ち、負けがはっきりするのだ。

七勝八敗──負け越しの人生を送っているように見えてしまうのだ。

 いやな表現だ。現実を突き付けられた気がする。ついつい自分のことを考えてしまう。私は、もしも「勝ち組」と「負け組」に分けるとしたら、どちらだろう?そんな二分はできないと言うのは簡単だ。でも、他者が私の今までの人生を判定するなら、「全敗とは言わないが、負け組でしょう」と言うに違いない。

 「負け組」に見える後藤さんが、「勝ち組」の部屋に入る、それはうまくいかないだろう。

新聞連載小説『ひこばえ』重松清・作 川上和生・画 第154回2018/11/6 朝日新聞

 後藤さんが入居する部屋から富士山を眺めるのを、洋一郎は楽しみにしていた。(第五章)その後藤さんが、七章になって姿を現した。後藤さんには、新しい自分の部屋から富士山が眺められることを喜ぶ気持ちの余裕はなさそうだ。
 第五章で出て来た遠くに見える富士山のことは、後藤さんという登場人物を導きだすものだったのだ。 
 その後藤さんが、この七章で現れたのは、彼が、亡き父のことに間接的につながっていくのだろう。

 孫の誕生は、亡き父の遺骨の前での洋一郎の言動につながった。父が図書館から借りていた『原爆句集』は、司書さんを通して父の晩年の行動を明らかにした。
 小説の中の小さなできごとがそれぞれに関連してくる。

新聞連載小説『ひこばえ』重松清・作 川上和生・画 第153回2018/10/5 朝日新聞

 これは、後藤さんの先が思いやられる。本人には悪意はないが、ハーヴェスト多摩のような所で、入所者の現役の頃のことや、先住の入居者と自分の年齢のことを、このように話すのは、周囲の入居者に最悪の印象を与えると思う。
 これでは、施設長として洋一郎も何か手を打たねばならないのではないか。

新聞連載小説『ひこばえ』重松清・作 川上和生・画 第152回2018/11/5 朝日新聞

 「介護」という言葉を、今の意味で使うようになったのは十数年前からだと思う。「介護サービス付き高齢者向け住宅」という施設・住居が一般的になったのは、私にとって、ここ数年のことだ。「サ高住」なる略語を知ったのは、つい最近だ。
 おおざっぱに言って、昭和の時代では「高齢者の増加」「介護にかかわる様々な悩みと苦労」「認知症への対応」などが深刻な社会問題になることはなかった。老人にかかわるこれらのことがなかったのではない。全人口に占める高齢者の数だけの違いでなく、これらの問題へ、当時の社会は当時の社会なりの対応策をもっていたのだと思う。
 
 後藤さんがこれからの暮らしに、不安にもって当然だ。
 販売のためのパンフレットやモデル見学でなく、実際に何年も何十年も介護付き高齢者向け住宅に住むのが快適なのか、そうでないのか、現実の社会ではまだ答えは出ていないのだ。一人暮らしや家族との同居をせずに、老人ホームに入るのが、「老老介護」や「子どもが親の介護のために職を失う」よりはましだというだけは、はっきりしている。
 ドキュメンタリーテレビ番組で私が観たかぎりでは、高級サ高住に実際住んでいる人々は、そこの施設に満足し、快適に暮らしているようだったが、なかには不満げな人もいたし、暗く寂しい表情を浮かべる人もいた。

新聞連載小説『ひこばえ』重松清・作 川上和生・画 第151回2018/11/4 朝日新聞

 私は高層マンションと聞くと、それが普通のものであれ、高齢者向きであれ、自分には縁のない住居だと感じてしまう。介護付き高齢者施設に縁がないわけでなく、今後の状況によっては私にとっても有料老人ホームは選択肢の一つだ。でも、入居一時金が七千万円もする施設には入れるわけがない。
 後藤さん本人が、現在は古くなったごく普通の家か、あるいは和泉台団地のような団地に住んでいるとしたら、ハーヴェスト多摩は今までの経験にない暮らしの場だ。旅行のときのホテルや、治療のための入院の病院なら、最新の施設設備のある方がいい。しかし、そこで死ぬまで暮らすとなると、今まで暮らし慣れた環境に近い方がいい、と感じてしまう。
 後藤さんは、単に老人ホーム入居に気が進まないだけでなく、ハーヴェスト多摩が立派過ぎることに「おどおどした様子」を示しているのではあるまいか?

新聞連載小説『ひこばえ』重松清・作 川上和生・画 第150回2018/11/2 朝日新聞

 本多くんは「元気なうちに姥(うば)捨てにされちゃったんですかねえ」と苦笑した。

 現実は、介護される方もする方も、悩んでいる。ハーヴェスト多摩よりも、施設設備の劣った(費用の安い)介護付き有料老人ホームであっても、介護付き老人施設に入居できる人は恵まれているといえる。
 そうでありながら、高齢者施設に入るということは、本多くんの上の言葉のような面をもつと思う。
 洋一郎の父は、経済的な理由から介護付き老人ホームには到底入ることができなかったであろう。その代わり、死ぬまでそれまでの一人暮らしを続けることができた。家族とは全くの絶縁状態だったが、大家(川端久子)さんや住職(道明和尚)さんや小さな図書館の司書(田辺麻美)さんとの交流があった。
 和泉台ハイツの父と、ハーヴェスト多摩の後藤さん、この二人の違いが見えてきた。


 自宅で死を迎えることが最善とは簡単にはいえない。しかし、今の時代、今までの暮らしを続けながら死を迎えることができないのはなぜか。
 この疑問の答えは、高齢者問題の範疇にとどまらない要素を含むと思う。
 『ひこばえ』は、現代の終の棲家や介護、更に墓の維持などの問題を描き、作者の主張が展開される小説かと思っていたが、それよりももっと大きな視点をもっているようだ。

新聞連載小説『ひこばえ』重松清・作 川上和生・画 第回2018/11/1 朝日新聞

 後藤さんは入居一時金を息子が出したという人で、羨まれるような状況の人だった。感想114回
 その後藤さんは、楽で恵まれた環境で晩年を過ごすことができるというのに、うれしそうではない。
 この後藤さんの気持ちが、わかる。
 眺めがよくて、最新の設備を備えた居室、提供される栄養バランスのよい食事とさまざまなサービス、しかもそれらにかかる費用を心配する必要がない経済的な余裕がある。
 だが、根本的な何かが足りないと感じる。

新聞連載小説『ひこばえ』重松清・作 川上和生・画 第148回2018/10/31 朝日新聞

 ハーヴェスト多摩は、最晩年の理想の住まいだと感じる。私には、手の届かない金額が必要だ。それなのに、今回の様子を読むと、羨ましい気持ちになれない。
 どんな住居にいようが、おじいちゃん・おばあちゃんと孫の関係はこうなるだろうと思う。要するに、一緒に暮らしていない同士が、たまに会うと互いに疲れてしまうのだ。孫と祖父母がそうだということは、親子もそうなのだ。
 たまに会うと、親子が互いに疲れるということは、なんだか味気ない社会だ。これでは、洋一郎と二人の子どもとの将来の関係と、洋一郎と実の父の関係と、どちらが幸福なのか、わからなくなる。
 この両方を比べるのは、極端ではあるが。

新聞連載小説『ひこばえ』重松清・作 川上和生・画 第147回2018/10/30 朝日新聞

 幼い洋一郎と姉がカロリーヌの物語を読んでいる。
 洋一郎は、そこに母とそして父もいたことをかろうじて思い出した。洋一郎と違って、姉の宏子にはこの場面の思い出は鮮明なのではないか?次の二か所の表現が思い出される。

第140回感想

 姉は昔、よく私に言っていた。
 「洋ちゃんはずるいよ」
 なにが──?
 「あのひとのこと、消したよね。すごいと思う、皮肉抜きでうらやましい」(第7回)

 
 姉は、父にまつわる記憶をすべて「嫌なことと」として塗り固めている。(第145回)

 
ギャンブルにのめり込み家族や親戚に金の迷惑をかける父と、家にいる時は穏やかで子煩悩な父がいた、と感じる。

新聞連載小説『ひこばえ』重松清・作 川上和生・画 第146回2018/10/29 朝日新聞

 これからの時代では、墓の維持や仏壇を持つことは無理だと思っている。それなのに、夏子のような言われ方をすると、それでいいのかと思ってしまう。
 洋一郎の姉と妻の考え方は似ている。現代の事情に合致しているし、現実的だ。古いものとなった人情を切り捨てている。

 過去の慣習や倫理観、親子の情や人情にとらわれるべきではないと思うのだが、どこかにそれだけでいいのか、という気持ちが湧いてくる。

新聞連載小説『ひこばえ』重松清・作 川上和生・画 第145回2018/10/28 朝日新聞

 姉は、あまりにも頑なだ。この一方的な攻撃にはなにか隠されていると思う。
 
 憎しみと嫌悪も、死者に対しては和らぐものなのではないか。死を受け容れるとは、そういう面もあると思う。

新聞連載小説『ひこばえ』重松清・作 川上和生・画 第144回2018/10/27 朝日新聞

 姉の言っていることは、もっともだ。だが、共感ができない。
 今まで、母についてのことを洋一郎は語っていない。母については、姉がもっぱら代弁している。理屈でいくと、母についてのことは姉の意見が妥当だ。だが、人の心情は理屈ではないし、時間の経過で変わる部分もある。
 姉はあまりにも頑なだと感じる。

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