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新聞連載小説『ひこばえ』重松清・作 川上和生・画 の感想と、読んだ本の感想を更新しています。

新聞連載小説『ひこばえ』重松清・作 川上和生・画 第231回2019/1/25 朝日新聞

 嫌われ者という存在は、人が集団で暮らす際には必ず出て来るものだ。その嫌われ者を受け容れるか、排斥するか、あるいは排斥だけでなく攻撃するかは、嫌われ者以外の周囲の大勢の人たちだ。
 今のところは、『すこやか館』の住人は、後藤さんを避けているだけのようだが、これが進めばあからさまに避けたり、無視するようになるだろう。また、高齢者ばかりの特殊な集団だから小中学生のようにいじめへ発展することも十分に考えられる。そうなると、ことは後藤さんの問題だけでなくなり、『すこやか館』全体の安定が保てないことになると思う。

新聞連載小説『ひこばえ』重松清・作 川上和生・画 第230回2019/1/25 朝日新聞

 後藤さんに、施設長を騙して、その場を切り抜けようという悪意は感じられない。だとすると、それまでの生活習慣や性格の問題ではなくて、老化に伴う記憶や自己をコントロールする能力が欠けているような気がする。人との普段の会話や、最近のことも息子についての過去のことも覚えているのに、一週間前の約束が守れない。これは、病的なものを感じる。

 洋一郎の父は、晩年にそれまでと違う性格が出て来たようだ。これは、人に迷惑をかけることと逆ではあるが、やはり、老化に伴う変化なのかもしれない。
 後藤さんの場合は、ある年齢から、今のように周囲の人々にとっては、迷惑になる行動を取り出したのではないか。

新聞連載小説『ひこばえ』重松清・作 川上和生・画 第229回2019/1/23 朝日新聞

 我が子のことを悩む親は多い。いや、程度の差こそあれ、子のことを悩まない親はいない。そして、最近は、我が親のことを悩む子が話題になる。子が自分の親のことを心配したり、悩んだりすることは昔からあったと思う。それが、一般化したのは、高齢化社会の影響が大きいと思う。
 洋一郎は、実の父が死んだことによって、自分の父のことを悩まなければならなくなった。後藤さんの自慢の子は、これから晩年を迎える父のことを大いに悩んだのだろう。洋一郎にとっても、後藤さんの息子にとっても、どんな親であっても親は親なのだ。

新聞連載小説『ひこばえ』重松清・作 川上和生・画 第228回2019/1/22 朝日新聞

 入居者の内の一人の問題だし、当人が暴れたり、危険な行為をするわけでもない。しかし、これだけ多くのスタッフから不満が出されると、施設長である洋一郎が自ら対処しなければならない問題だ。
 実の父の遺骨のことも、新入居者の後藤さんのことも、結局は洋一郎がなんとかしなければならない。そのためには、父と後藤さんのそれぞれの過去を調べ、事実をつかむことを避けては通れないと思う。

新聞連載小説『ひこばえ』重松清・作 川上和生・画 第227回2019/1/21 朝日新聞

 後藤さんについて出されていた施設の入居者とスタッフからの不満を思い出してみる。
①ゴミの出し方を守れない。
②介護の仕事をいかにも割に合わない職業のように言う。
③施設の入居者に対して自分を必要以上に卑下する。
④酒に酔うととめどなく息子の自慢をしてしまう。
 更に、自分の言葉と行動が周囲の入居者の迷惑になっていることや、施設のスタッフに不快感を持たせていることをまったく自覚していない。

新聞連載小説『ひこばえ』重松清・作 川上和生・画 第226回2019/1/20 朝日新聞

 航太の話していることと洋一郎の考えていることがようやくつながってきた。
 航太の場合は、教師を続ければ、生徒の年齢は変わらないが、自分の年齢は増していく。それは、自分の年齢が、生徒の年齢から遠ざかっていくのを実感するということだ。
 洋一郎は、施設長を続ければ、自分が入居者の年齢に近づくことになる。それは、入居者の姿に、自分の近い将来を実感するということだ。
 航太も洋一郎も、自分の老いていく姿を具体的に見ざるをえない仕事に就いているということなのだろう。

新聞連載小説『ひこばえ』重松清・作 川上和生・画 第225回2019/1/19 朝日新聞

 第一・二章で登場した佐山のことが、ここで取り上げられた。
 この小説は、佐山夫妻のように、それぞれの登場人物が章をまたがって取り上げられ、関連をもってくる。第九章と今の章では、洋一郎の父のことと後藤さんのことが並行して描かれている。いずれは、父と後藤さんは、直接的でなくてもつながってくるのであろう。
 航太の言っていることと、洋一郎の考えのつながりがわからない。
 航太はなぜ祖父の法要に参加すると突然言い出したのか、224回の航太の言い分だけでははっきりしない。また、洋一郎は航太が四十九日の法要に出たいと言ったのを聞いてどう思っているのか。ただ驚いただけなのか、それとも内心ではうれしいのか、そこもはっきりしない。

新聞連載小説『ひこばえ』重松清・作 川上和生・画 第224回2019/1/18 朝日新聞

 自分が親になって、親のありがたみを改めて知る、ということはよくいわれる。航太の場合は、これとは違うようだ。
 航太は、結婚もしていなければ子どもができたのでもない。また、親や先生に感謝するというのも少し違う。自分よりも若い世代を見ることによって、自分が若かったときの先生や親の存在を改めて感じるというのだ。
 航太の視点は、若い自分と若い自分を育てている先生や親の両者を、客観的に見ようとしているようだ。
 これは、祖父と父と自分の三代のつながりを、客観的に考えてみたい、ということにつながると感じる。

新聞連載小説『ひこばえ』重松清・作 川上和生・画 第223回2019/1/17 朝日新聞

 ふたつのことを感じた。
 ひとつ目は、結婚、離婚、再婚は、本人同士が決めることと思っていたが、本人だけの問題というほど単純ではないということ。
 ふたつ目は、自分の前の世代のことを実感するのは、前の世代の死によってが大きいと思っていたが、自分の次の世代の誕生も契機になるということ。

 超高齢化が、社会のあらゆる面で、問題となり、その解決策が必死に探られているが、それよりも、少子化の方が根源的な問題だという気がしてきた。平成生まれ以降の世代は、肉親の死を直視することも少なければ、それ以上に新しい命の誕生に触れる機会も少なくなるのだろう。

新聞連載小説『ひこばえ』重松清・作 川上和生・画 第222回2019/9/17 朝日新聞

 真知子さんは、珍しいイベントに参加するみたいに、洋一郎の父の死後のことにかかわっていた。彼女には、仕事上の打算とひとりがてんさを感じる。でも、その打算とひとりがてんが、洋一郎にはできなかった父についての事実を暴き出しそうだ。
 洋一郎の妻の夏子が法事に出ると言い出したのには、読者として驚いた。真知子さんと同年代の航太が、四十九日の法事に出たいという気持ちを持ったことにもっと驚いた。航太は、川端さんとも真知子さんとも違う感覚で、父(航太にとって祖父)の死をどう受け止めようとしているか、興味が増す。

新聞連載小説『ひこばえ』重松清・作 川上和生・画 第221回2019/1/15 朝日新聞

 新たな命には、過去の命が受け継がれている。これは、事実だ。
 遼星くんには、洋一郎の実の父のどこかが受け継がれている。皮肉な見方をするなら、石井信也の困った面が、洋一郎の子どもにも、孫にも、遺伝しているかもしれないのだ。

 先祖からの命の連鎖を今の人が忘れているわけではない。命の連鎖をどのような行為で表していくかが、今の社会では混乱しているのだと思う。
 その意味で、川端さんは、昔ながらのやり方でそれを表そうとしている。洋一郎の妻、夏子は、川端さんや神田さんとは、違う感覚で、四十九日の法要に参列しようとしている、と感じる。

新聞連載小説『ひこばえ』重松清・作 川上和生・画 第220回2019/1/14 朝日新聞

 現実の今の社会では、葬儀と法要は、どんどん簡略になるし、そのうちなくなるだろうと思っていた。 
 でも、そうでもないという気がしてきた。
 葬儀と法要は、両極化するのではないか。葬式もしなければ初七日や一周忌などは言葉さえ知らないという人と、形を変えながらも葬式を行い、初七日や年忌にも近親者が集まり僧侶に経をあげてもらうという人とに分かれていくと思う。仏壇と墓もそうなるだろう。
 つまり、宗教上というよりは慣習として、葬儀や墓に関する私たちの行動は受け継がれていくと思う。
 私自身は、後者だ。親が死んだ際は、家族葬とはいえ葬式をして、初七日から毎週僧侶に経をあげてもらった。それが、家族の気持ちでもあったし、なによりも、自分の気持ちとして、その方が楽だったからだ。これが、すべてやらないとなると、その方が心理的な抵抗があったと思う。

 洋一郎もそうなのかもしれない。
 そして、この小説のおもしろいところは、故人にとって他人である川端さんたちが、父の死に関しての習慣をどんどんと実行して、息子である洋一郎がそれにしかたなく従っていくことだ。

新聞連載小説『ひこばえ』重松清・作 川上和生・画 第219回2019/1/13 朝日新聞

 洋一郎は、真知子さんと神田さんに、何度も会おうとは思っていなかった。また、二人の行動に感謝することもなかった。それなのに、親密度は増している。洋一郎自身は意識していないのだが、父のことをこのままにはできないという思いが強いと感じる。
 西条真知子さんからも神田さんからも、父の悪い面が出て来た。それでも、父のことを切り捨てることができない。これは、洋一郎にも、神田さんが言うように、「どんな親だろうと‥‥親は、親だ」という感覚が心の底にあるのだろうか。

新聞連載小説『ひこばえ』重松清・作 川上和生・画 第218回2019/1/12 朝日新聞

「(略)友だちってお互いのことを知りたいと思うし、相手の人生がダメになりそうだったら、止めるでしょ、叱るでしょ、このままじゃいけないぞって言うんじゃないんですか。ふつーは‥‥」

 真知子さんではない人が、居酒屋ではない所で言ったのなら、立派な意見だと感じる。でも、こういう設定で出て来ると、誰でも言いそうで、しかも浅い考えだと感じる。
 本当は、こういう考えは妥当なのか、そうではないのか。
 改めて思った。こんな風な付き合い方を前提とするなら、友だちなんてできない。

新聞連載小説『ひこばえ』重松清・作 川上和生・画 第217回2019/1/11 朝日新聞

 人と交流する場合に、相手から迷惑をまったくかけられないということはない。
 親切、好意、利益、称賛、尊敬、相手に、そういうものだけを求めて、他の人と人間関係をつくりたい人がいたとしたら、その当人ほど、嫌な人はいないと思う。
 相手の嫌な面を許容し、それを上回るよい面を見つけることが、人間関係をつくることにつながると思う。
 理屈でいうのは、簡単だが、それを実行するのは難しい。
 神田さんは、ノブさんに何度も借金を踏み倒されたと思う。それなのに、そういう金にだらしのないところを上回るよいところを、ノブさんに見つけていたのだろう、と感じる。

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