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新聞連載小説『ひこばえ』重松清・作 川上和生・画 の感想と、読んだ本の感想を更新しています。

新聞連載小説『ひこばえ』重松清・作 川上和生・画 第104回2018/9/16 朝日新聞
 
 主人公洋一郎の人物像が今まではどうにもイメージできなかった。今回の「なんだか、ひどく疲れてしまった。」という部分から洋一郎の人柄が伝わってくるように感じる。
 
 川端さんは、深みのある人物だと思う。初対面の洋一郎に向かって、川端さんは、まるで次のように諭しているかのようだ。
 「子どもの時以来会うことのなかったお父さんのことを、じっくりと考えてごらんなさい。そして、亡くなったお父さんの気持ちを思いやってみることが、あなたがこれから生きていく上で大切なことですよ。」
 川端さんの「部屋を見てほしい」という依頼は、見てすぐわかるような何かがのこされていたのでなくて、亡くなった老人(石井信也)の息子に、その部屋の片づけを時間をかけてじっくりとさせることだったのだろう。
 こういう発想をする川端さんにますます驚く。

新聞連載小説『ひこばえ』重松清・作 川上和生・画 第103回2018/9/15 朝日新聞

 がらんとした和室の中にあるがらんとした押し入れは、私にとっての父──顔すら思い浮かべられない父の胸のうちそのものだった。

 洋一郎の行動と気持ちには相反するものがある。
①父と過ごした思い出がわずかだ。
②父が家を出て行ってから父のことを気にしたことがほとんどない。
③父と離れ離れになっていた四十年間に父の消息を知ろうとしたことがない。
④父が死んだと聞いても悲しみも感慨もわかない。
⑤父の遺骨を引き取る気になれない。

⑥こいのぼりを飾ってくれたこと、いっしょにタバコ屋に行ったこと、このことは細部まで覚えている。
⑦姉が父のことを悪く言うときに同調しない。
⑧父が死ぬ前に暮らした部屋を非常に細かく見ている。

 ①~⑤は、実の父に無関心であり、父を拒否する行動と心情だと思う。一方、⑥~⑧は、父のことを知りたい、父の実像に迫りたいという行動と心情なのではないか。そして、上に引用した表現には、「父の胸のうち」を知りたいという洋一郎の気持ちが表れていると感じる。

新聞連載小説『ひこばえ』重松清・作 川上和生・画 第102回2018/9/14 朝日新聞

 洋一郎の実の父がどうゆう人であったかは、描かれたようでいて詳しくは書かれていない。洋一郎の姉がたびたび父のことを悪く言っているが、どんな最低なことを家族にしたのかは具体的には出てきていない。
 洋一郎が、父が死ぬまでの十年間を過ごしたアパートの部屋を見る限りは、ギャンブルをやっていた様子はないし、部屋代を滞納したこともない。父は、ギャンブルは止め、さらに、金にだらしがないという性癖も変えたと見るしかない。
 松尾あつゆきの句集については、図書館の本ということであれば、最近読み始めたのか。このような句集を読み始めた時期はわからなくても、死ぬ間際の父が、原爆句集に共感する心境になっていたのは確かなのだと思う。
 洋一郎が、図書館に本を返却にいけば、父の最近の読書傾向がわかるかもしれない。

 親が死に、子の手元には遺骨や遺品が残る。丁寧に遺骨を墓に収め、遺品を整理しても、親から伝わるもの、気質や体質はなくなることなく、色濃く子に遺伝する。それは、子が親を拒否して、親の遺骨さえ引き取らなくても、同じだ。
 洋一郎にも姉宏子にも父の気質や体質は受け継がれているのだと思う。

新聞連載小説『ひこばえ』重松清・作 川上和生・画 第101回2018/9/13 朝日新聞

 これは珍しいことだと思う。独り暮らしの男性が几帳面に日常の家事をこなしている。
 洋一郎の父は、こういう生活の態度をどこで身に付けたのだろうか。
 父の暮らしぶりよりももっと珍しいことがある。それは、川端(大家)さんだ。アパートの大家というだけなのに、死んだ借家人の火葬や遺骨の面倒をみるだけでも良心的で珍しい人だ。さらに、死んだ人の部屋を遺族に見せるために、冷蔵庫の中を整理したり洗濯までしている。こんな例は、現実の社会では聞いたことがない。

 ギャンブル好きでお金にだらしなく、職を転々として、身内にさんざん迷惑をかけてきた挙句、遺骨すら引き取ってもらえなかったひとが、こんなふうに最晩年を送っていたというのが、どうにもピンとこない。

 主人公のこの思いは、読者の思いでもある。
 死んだ父の枕元の句集が、その謎をとくのであろうか?

新聞連載小説『ひこばえ』重松清・作 川上和生・画 第100回2018/9/12 朝日新聞

 洋一郎の父は、七十歳を過ぎても働いていた。年金(99回)もあるようだが、今の稼ぎが生活の主なものだったろう。休日には、好きな映画をDVDで楽しみ、近所を散歩し、電車で外出もしていたようだ。持っていた本やCDからは若い頃から好みが変わっていないことも想像できる。ということは、洋一郎の思い出の中の父は、ビートルズを聴くような人だったことになる。
 和泉台ハイツ205号室からは、平凡で、つましく、貧しいながら静かに暮らしていた老人の暮らししか見えてこない。若い頃に妻に愛想をつかされ、親類からも嫌われ、孤独に過ごした老人の荒んだ様子は見えてこない。


 洋一郎が、心の底で何を期待しているかが、窺える。

 川端(大家)さんは、死んだ洋一郎の父がこういう暮らしをしていたことだけを見せたかったのであろうか?

 洋一郎は『ハーヴェスト多摩』の施設長なので、高齢者の住まいと暮らしについては熟知している。しかし、洋一郎が知っているのは、家族もいて知人も多い、経済力のある高齢者であろう。
 死んだ実の父は、孤独で経済的にも恵まれない高齢者だ。洋一郎は、自分が管理する施設の入所者と、高齢者向きとは思えないアパートに住んでいた父を比べて考えるであろうか?

 洋一郎は、家族の中で「父親」としての存在感を見いだせないでいる。洋一郎は、義父に「父親」を感じることができなかったようだ。では、死んだ実の父に「父親」を感じることができるであろうか?
 洋一郎は、こいのぼりをかざってくれた父を覚えている。その思い出序章 あらすじの中では、父は子(洋一郎)にとって存在感のある父、すなわち「父親」であったのではないか。
 死んだ父の今まで知らなかった姿が浮かび上がってくれば、洋一郎は自身の思い出の父こそ、「父親」という存在であったことに思い至るのであろうか?

新聞連載小説『ひこばえ』重松清・作 川上和生・画 第99回2018/9/11 朝日新聞

 洋一郎の心情がだんだんに明らかになる。

 父が暮らした部屋を細部まで観察し、その部屋の家具の配置やのこされている生活用品から、父の暮らしと父の思いを再現しようとしている。それは、まるである種の捜査のようであり、プロファイリングのようでもある。
 洋一郎には、姉を介して頼まれたことをいやいやながらだが、やろうという感じがあった。だが、父の部屋を見ている洋一郎に、それを義務でやっている感じやサッサと済ませようという感じはまったくなくなっている。
 
 むしろ、生きていた時の父の暮らし方や思いをなんとか再現しようという気持ちが感じられる。

新聞連載小説『ひこばえ』重松清・作 川上和生・画 第98回2018/9/9 朝日新聞

 暮らしの様子がわかる部屋の中だ。高齢の男性の独り住まいとしては、きちんとしている方だと思う。新聞の購読や喫煙の習慣は、いかにも年齢にふさわしい。
 大家の川端さんが、部屋を見てほしいと言うのには何か理由があると予想する。川端さんは、遺品を処分して部屋を空けてください、とは一言も言っていない。また、亡くなった石井信也が姉と洋一郎を置いて出て行ったことと、その後四十年以上一度も会っていない事情も知っている。その上で部屋を見てほしいと言うからには、205号室には別れたままの子どもに関係するものが何かのこされているように思う。

新聞連載小説『ひこばえ』重松清・作 川上和生・画 第97回2018/9/8 朝日新聞

 洋一郎と川端久子(大家)さんは、共通の仕事だと思う。高齢になった人がそこで人生を終える住居の施設長であり、大家である。
 だから、洋一郎は晩年を過ごす多くの人々の日常を見知っている。そして、洋一郎が見知っている有料老人ホームでの暮らしと、父が暮らしていたアパートとの違いに戸惑う気持ちがはたらいているのではないかと思う。
 洋一郎が単に仕事というだけでなく精一杯工夫している老人ホーム、そこの住人は格差社会の高い方に位置する高齢者なのだろう。一方、川端久子さんが、借り手のことを思いやって管理しているアパートに住む高齢者は、今の社会の底辺に近い位置の高齢者なのだろう。

 遺品というのは、不思議なものだ。言葉や写真以上に、亡くなった人の日常をイメージさせる。
 意図しなくても、人間は自分が使った物をのこさざるをえない。それだけに、身の回りの日常品に気を配りたい。私には遺産と呼べるようなものはないが、少なくとも処分に困る遺品はなるべく少なくしておこうと思っている。

新聞連載小説『ひこばえ』重松清・作 川上和生・画 第96回2018/9/8 朝日新聞

 洋一郎は和和泉台ハイツを見て、そこで父が晩年を過ごしたことに強い違和感を感じている。

「‥‥‥このアパート、お年寄りには似合わない気がしますけど。(略)」

 ところが、川端さんはそんな洋一郎の考えに、柔らかく、だがはっきりと反論している。

「でも、お年寄りだからといって、萱葺き屋根の古民家に住まなきゃいけないわけでもないでしょう?」

 私は、何回もの入院の経験から、治療の成果は医師の治療と薬剤だけで決まるのではないと感じている。病室の造りや雰囲気、そして看護師さんや栄養士さんやお掃除の方も含めて、その病院のスタッフの方々の仕事の仕方が入院患者にとっては重要だった。
 同様に、終の棲家についても、入居費の高い有料老人ホームのいかにも老人向きの高層建物が快適さにつながるとは思えない。
 高齢であっても現役で働いている人や老境の生活を楽しむ人がどのような住居に住めば快適なのか、川端さんの言葉には考えさせられる。
 もちろん、世代の違う家族と一緒にある程度の広さのある家に住むのがよいであろう。しかし、それは今の世の中では実現は難しい。

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新聞連載小説『ひこばえ』重松清・作 川上和生・画 第95回2018/9/6 朝日新聞

 洋一郎が、父について聞かされてきたのは、「お金にだらしがなくて、身内にも迷惑をかける人」が一番多かったと思う。それだけに、父が家賃を遅れるとことなく払っていたと聞いて、「ほっとした」のだ。洋一郎のこの感覚は責められるようなことではない。
 父が家族(母や子)に迷惑をかけるだけで辛いことはこの上ない。さらに、家族だけでなく親類や他人にさえ迷惑をかけたとなると、子の立場としては、どれほど辛く肩身の狭いことか想像ができる。
 父がまじめに働き、しかもお金にもきちんとしていた、と聞かされたのは、川端さんからがはじめてのことだったろう。

このブログをご訪問いただいている皆様、私の住む地域では、今回の地震で震度5を経験しました。
地震直後から昨日9/7 20:00頃までは停電でした。
被害は、私の近隣では目立つものは、停電によるもの以外にはないと思います。
私自身の家もCDを入れている棚が倒れただけで、物が散乱するようなことはありませんでした。
詳しい経験談は、同時更新のブログ「書斎は犬と同居」で近いうちに更新します。
新聞は全く遅れなく届いていましたので、今日から『ひこばえ』の感想を更新します。

私の所から車で数時間の距離の甚大な被害を受けられた方々にお見舞い申し上げます。
また、北海道の災害をご心配、ご支援いただいている方々にお礼申し上げます。

新聞連載小説『ひこばえ』重松清・作 川上和生・画 第94回2018/9/5 朝日新聞

 私の子どもの頃は、七十歳を過ぎると、長生きの部類に入った。八十歳を超えると、長生きですねえ、と間違いなく言われた。九十歳を超えると、無条件におめでたいこととして驚かれた。
 だから、六十の人が十年経って七十になることはあったが、七十の人が十年経って八十になる確率はそれほど高くなかった。
 大家の川端さんの感覚は、この辺の事情を指しているのだと思う。

 今は高齢化社会になっているが、まだ高齢化社会以前の人口増加が当たり前だった時代の感覚も残っている。六十や六十五で引退という感覚、子の年齢が七十を過ぎれば親は他界しているという感覚、七十になれば生い先は短いという感覚、それはもはや通用しない。
 でも、生物としてのヒトの肉体は老いを排除できないし、今までの社会で身に付いた人間の寿命の感覚を急には変えられない。

 川端久子さんという人は、おおらかな人だ。こういう風に物事をとらえる人がいることは救いになる。洋一郎は、そして、洋一郎の父はよい人に巡り会ったと感じる。

新聞連載小説『ひこばえ』重松清・作 川上和生・画 第93回2018/9/4 朝日新聞

 老人向けのアパートではないのに、借りる人が老人ばかりになる。このことは、私の身近ではまだ経験がない。そう感じたが、いやまてよ、と思い直した。
 アパートではないが、私たち夫婦のように戸建て住宅、しかも庭付きに住んでいるのは、圧倒的に老人夫婦と老人の一人住まいが多い。そして、古くなった公営アパートもその傾向が強いと聞く。

 一人息子を亡くした佐山夫妻第二章 あらすじのように、若者や子どもを見たくないと思えば、老人ホームに入らなくても、このような共同住宅や古い家の多い地域に住めばいいことになる。
 逆に、いろいろな年代の人と交流したいと思うと、住む地域や住居を選ばなければならない時代になった。

 川端さんのおおまかな来歴がわかった。現在の川端さんの家族はどうなって、誰と暮らしているのだろうか?

新聞連載小説『ひこばえ』重松清・作 川上和生・画 第92回2018/9/3 朝日新聞

 私の住む市にも高齢者の優待パスがある。私は、今年はじめてそれを申請した。はじめて手にすると非常に得をした気分になった。だが、実際に使ってみると、それは決して老人を優遇するための制度ではなかった。
 公共交通機関の優待パスを使うのは、暇な時間を潰す場合が多い。働いていて通勤に使うという人もいるであろうが、多くは、趣味や遊びのために使っていると思う。優待パスがなければ、交通機関を使わないか、使う回数を減らすことのできる外出だと思う。医療機関を受診する場合もあるが、これも必要以上に医療機関に行く人もいると聞く。
 料金を安くしたり、税金を投入しても、それに見合う収益があるからこういう制度が維持できるということだ。
 有料老人ホームにしても、それが企業として成り立つから、増え続けているのだ。
 経済力のない高齢者は、これからはどんどん切り捨てられていくのではないか。

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