朝日新聞連載小説『それから』 平成27年4月3日分  学校へ行くのでもなく、職を探すのでもなく、自宅中心にただ時間を過ごす若い世代のことが、新しい現象として注目されています。そういう人たちのことを、「モラトリアム人間」と呼ぶこともあるようです。  主人公「大助」の家の書生である「門野」は、現代の見方なら「引きこもり」に近い生活を送っていた若者ということになるかもしれません。ただし、「門野」は、現代の何もしていないように見える引きこもりの人に比べると、自分のことをよくしゃべります。  この小説の時代は、不景気だったとあります。世の中、不景気になると、ただ怠けているように見える若者が出てくるのでしょうか。  それとも、好景気で、学校を卒業した若者が、ほぼ全員たちまち職に就いてしまう社会の方が、珍しいのでしょうか。 読んでいただきありがとうございます。 『それから』は、明治時代の連載と同じ分量で、現代も連載されているようです。 ストーリーの展開は、はでではありませんが、毎回の切れ目は鮮やかだと思います。 クリックしてもらえればうれしいです。にほんブログ村 本ブログ 読書日記へ

朝日新聞連載小説『春に散る』沢木耕太郎4月2日分  その場に似つかわしくない服装や行動をする人はいつも他人の目を惹きます。  レンタカーを自分で運転した方がよっぽど安く行ける長距離の目的地に「客の男」は、タクシーで向かっているのです。  タクシーのドライバーにそのわけを尋ねられて、「客の男」は、答えます。  「医者に運転を止められているんだ。」  医者に運転を止められるというと、身体的に障害がある、発作が起こるような病気がある、精神的な障害がある、などが考えられます。タクシードライバーが尋ねているところから、身体や精神状態にはっきりと分かるような障害があるようには見えません。 読んでいただきありがとうございます。 毎日連載への毎日感想です。続くかどうか、自信がありませんが、やってみています。 クリックしてもらえればさらにうれしいです。 にほんブログ村 本ブログ 読書日記へ

朝日新聞連載小説『春に散る』4月1日分  道を進みながらその途中途中で物語も進むというスタイルの映画があります。こういうスタイルの映画、ロードムービーが好きです。   『春に散る』の第1回は、次のように、  アメリカの国道1号線、ルート1は、 と道路の説明から始まります。  挿絵(中田春彌画)からも明るく広大な風景の中を貫く1本の道がイメージできます。  ところが、このルート1を走って行くのは、 いま、そのルート1のマイアミからキーウェストに向かう車線に一台のタクシーが走っている。 とあります。  長距離トラックでも、スポーツカーでもなく、ビジネスライクなセダンでさえなく「タクシー」なのです。 読んでいただきありがとうございます。 クリックしてもらえればさらにうれしいです。 にほんブログ村 本ブログ 読書日記へ

朝日新聞連載小説『それから』 平成27年4月2日分  「損得を考えてから」ということは、人間が行動を起こす動機の大部分を占めていると思います。  私などは、損はいやだといつも思っています。それどころか、遠い先にある得を取ろうと行動するのは難しく、すぐ目の前にある得はあせって取ろうとすることが多いのです。  『それから』の「大助」は、次のように言っています。 「今の人間が、得にならないと思ってあんな騒動をやるもんかね。ありゃ方便だよ。」  「学校騒動」の原因をこんな風にとらえている「大助」は、『それから』の中で、今後どんなものの見方を見せてくれるでしょうか。  「損得ずくで行動する」とそのための「方便」は、人間の行動の特徴だとつくづく思います。「損得で言っているのではありません。」というのが、代表的な「方便」なので、なかなかやっかいです。  また、損をしてでも正しいことをしている、ように見えて、実は裏にあるより大きな得を狙う人もいます。人間の行動には、どこまでいっても損得ずくがなくなりはしないようです。 にほんブログ村 本ブログ 読書日記へ   続きを読む

朝日新聞連載小説『それから』 平成27年4月1日分    新聞は以前から購読していますが、連載小説を読んだことはありません。今の健康状態は、ものを読むには適していますが、他のことをするには制約があります。これも、与えられた機会です。連載小説が、今月から新しく始まるので、楽しんでみます。    『それから』を、私が読んでから、驚くなかれ50年近く経っていました。冒頭部分はほとんど記憶にありません。  こんなにも色彩と音が描かれ、さらに細やかな映像が浮かんでくる冒頭部分だったのは驚きでした。 彼は胸に手を当てたまま、この鼓動の下(もと)に、暖かい紅(くれない)の血潮の緩(ゆる)く流れる様を想像して見た。これが命であると考えた。自分は今流れる命を掌(てのひら)で抑(おさ)えているんだと考えた。それから、この掌に応(こた)える、時計の針に似た響(ひび)きは、自分を死に誘(いざな)う警鐘のようなものであると考えた。  今更一読者が言ってみても何の発見でもない、と言われるでしょうが、すごい文章力だと言うしかありません。  命というものを、どうやって感じ取るか。  そして、命というものが、限りあるものだということを、どうやって言葉で表すか。  言葉で表すだけでなく、そこには、真実が描かれていると思いました。 にほんブログ村 本ブログ 読書日記へ

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