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新聞連載小説『ひこばえ』重松清・作 川上和生・画 の感想と、読んだ本の感想を更新しています。

新聞連載小説『ひこばえ』重松清・作 川上和生・画 第263回2019/2/27 朝日新聞

 父と自分の幼いころを思い出してからの洋一郎の気持ちは、それまでと違って、すっきりしたものを感じる。また、航太の祖父への気持ちも肯定できる。
 ただし、遺骨のことをどうするかについては、気持ちや思い出だけでは解決しないであろう。また、航太が祖父に関心をもつことだけでは、片手落ちだ。航太は祖母のこともより関心をもたざるをえないはずだし、それは、祖父と祖母のことにつながると思う。


 ストーリーの方は、真知子さんからの情報と、後藤さんの息子からの返事に移りそうだ。


 親が死んだら、子は、葬儀をして、法要をして、墓を守る、という行動がある。
 死んだ親を、子は折にふれ思い出して、親と自分のことを思ってみるという心情がある。
 この二面は、昔は表裏一体のものであった。ところが、今はこの二面が別々のものになってしまったと思う。
 葬儀や法要や墓は、どんどん変化し、変化するどころがなくなってしまいそうだ。
 だからといって、死んだ親を思うことをもしなくなると、とんでもなく大切なものを失う気がする。

新聞連載小説『ひこばえ』重松清・作 川上和生・画 第262回2019/2/26 朝日新聞

 洋一郎が父とのことを思い出したのは、息子の航太が子どもの頃のことを覚えていたのがきっかけだった。航太と自分のことを思い出して、それに連なるかのように、自分と父のことを思い出した。
 思い出の中の父は、こっけいでたくましかった。それを、思い出した途端、洋一郎は涙を止めることができなくなった。
 その洋一郎の動揺を、妻は察してくれた。
 法要の会場では、神田さんの趣旨がよくわからない話を、航太が真剣に聴き、その話に泣きそうにさえなった。神田さんの話の内容はともかくとして、航太が祖父、いや親父の親父である石井信也に関心をもったことは確かだ。
 さらに、洋一郎は姉と、とりわけ母の気持ちを思っている。
 こういう一連のできごとから、洋一郎の父の死に対する心情が大きく変わった。
 主人公のこのような心情の変化が、今回で伝わってくる。洋一郎が、姉のように父の死を切り捨てなかったのは、洋一郎にとっても洋一郎の家族にとっても価値のあることになるだろうと感じる。

 長生きすることが無条件でめでたいことだった。それが、長生きすることが無条件で不幸なことになりそうな気配だ。
 先行する高齢者マークの車が少しでも怪しい動きをすると警戒する。銀行のATMでお年寄りが時間がかかっていると、別の場所に行こうかと思う。混んでいるスーパーで老人がワゴンを押していると除けて通る。どの場合も、自分よりも高齢らしい人の場合であれば、こう思うのだ。私も高齢者なのに、そうなのだから、私よりも若い人はなおさらだと思う。
 では、子どもや若い人なら無条件で受け容れて関心を示すか、というと、そうではなくなっていると思う。人口比で、多数を占める高齢者を厄介者扱いする心情は、人全般への関心を失わせているのかもしれない。

 高齢者の健康を研究している専門家が、ペットを連れた散歩を薦めてこう言っていた。「高齢の男性が散歩していても、誰も声をかけないが、犬を連れていると声をかけてくれる人は多い。」
 私は、散歩の途中で毎日これを経験している。見知らぬ人が笑顔を向けてくる。初めて会った人があいさつしてくれる。私が連れている犬の方へ。

新聞連載小説『ひこばえ』重松清・作 川上和生・画 第261回2019/2/25

 神田さんの話が、「孫」と「息子の息子」の違いからずれってしまった。
 話がずれて返ってホッとした。神田さんが前回のまま説教じみたことを言い続けたら、ますますこの場がうそくさくなるところだったと感じる。
 しかし、今度は航太が奇妙な反応をしだした。孤独な老人の心情と高校生の心理を重ね合わせるのは理解できるが、それで涙を流しそうになるほど感激するというのは、どういうことか?

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