新聞連載小説『ひこばえ』重松清・作 川上和生・画 第225回2019/1/19 朝日新聞

 第一・二章で登場した佐山のことが、ここで取り上げられた。
 この小説は、佐山夫妻のように、それぞれの登場人物が章をまたがって取り上げられ、関連をもってくる。第九章と今の章では、洋一郎の父のことと後藤さんのことが並行して描かれている。いずれは、父と後藤さんは、直接的でなくてもつながってくるのであろう。
 航太の言っていることと、洋一郎の考えのつながりがわからない。
 航太はなぜ祖父の法要に参加すると突然言い出したのか、224回の航太の言い分だけでははっきりしない。また、洋一郎は航太が四十九日の法要に出たいと言ったのを聞いてどう思っているのか。ただ驚いただけなのか、それとも内心ではうれしいのか、そこもはっきりしない。

新聞連載小説『ひこばえ』重松清・作 川上和生・画 第224回2019/1/18 朝日新聞

 自分が親になって、親のありがたみを改めて知る、ということはよくいわれる。航太の場合は、これとは違うようだ。
 航太は、結婚もしていなければ子どもができたのでもない。また、親や先生に感謝するというのも少し違う。自分よりも若い世代を見ることによって、自分が若かったときの先生や親の存在を改めて感じるというのだ。
 航太の視点は、若い自分と若い自分を育てている先生や親の両者を、客観的に見ようとしているようだ。
 これは、祖父と父と自分の三代のつながりを、客観的に考えてみたい、ということにつながると感じる。

新聞連載小説『ひこばえ』重松清・作 川上和生・画 第223回2019/1/17 朝日新聞

 ふたつのことを感じた。
 ひとつ目は、結婚、離婚、再婚は、本人同士が決めることと思っていたが、本人だけの問題というほど単純ではないということ。
 ふたつ目は、自分の前の世代のことを実感するのは、前の世代の死によってが大きいと思っていたが、自分の次の世代の誕生も契機になるということ。

 超高齢化が、社会のあらゆる面で、問題となり、その解決策が必死に探られているが、それよりも、少子化の方が根源的な問題だという気がしてきた。平成生まれ以降の世代は、肉親の死を直視することも少なければ、それ以上に新しい命の誕生に触れる機会も少なくなるのだろう。

新聞連載小説『ひこばえ』重松清・作 川上和生・画 第222回2019/9/17 朝日新聞

 真知子さんは、珍しいイベントに参加するみたいに、洋一郎の父の死後のことにかかわっていた。彼女には、仕事上の打算とひとりがてんさを感じる。でも、その打算とひとりがてんが、洋一郎にはできなかった父についての事実を暴き出しそうだ。
 洋一郎の妻の夏子が法事に出ると言い出したのには、読者として驚いた。真知子さんと同年代の航太が、四十九日の法事に出たいという気持ちを持ったことにもっと驚いた。航太は、川端さんとも真知子さんとも違う感覚で、父(航太にとって祖父)の死をどう受け止めようとしているか、興味が増す。

新聞連載小説『ひこばえ』重松清・作 川上和生・画 第221回2019/1/15 朝日新聞

 新たな命には、過去の命が受け継がれている。これは、事実だ。
 遼星くんには、洋一郎の実の父のどこかが受け継がれている。皮肉な見方をするなら、石井信也の困った面が、洋一郎の子どもにも、孫にも、遺伝しているかもしれないのだ。

 先祖からの命の連鎖を今の人が忘れているわけではない。命の連鎖をどのような行為で表していくかが、今の社会では混乱しているのだと思う。
 その意味で、川端さんは、昔ながらのやり方でそれを表そうとしている。洋一郎の妻、夏子は、川端さんや神田さんとは、違う感覚で、四十九日の法要に参列しようとしている、と感じる。

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