本屋のとなりは写真館

朝日新聞連載小説『国宝』『ディス・イズ・ザ・ディ』の毎回ごとの感想と、読んだ本の感想を更新しています。

朝日新聞連載小説『国宝』吉田修一・作 束妹・画第216回2017/8/10

 さすがの喜久雄も、我慢の限界を超えるのではないか。
 舞台を離れた日常でも女ぽっいのではないか、と疑われることを喜久雄は極端に嫌っていた。赤城洋子とのやり取りでもそれが出ていた。演技についての清田監督の折檻には耐えても、役を離れた所で、女ぽっさを揶揄されれば、喜久雄は感情を爆発させると思う。

 予想
①清田監督の喜久雄への折檻は、喜久雄以外の出演陣からより深い演技を引き出すためだった。
②感情を爆発させた喜久雄の刺青と啖呵に、周囲は怖れをなす。

朝日新聞連載小説『国宝』吉田修一・作 束妹・画第215回2017/8/9
 
 喜久雄の心情を次のように想像してみた。
 白虎が亡くなってからは、自分の芸は自分で磨かなければならないと思う。その気持ちから、どんな端役であっても、全力で役を勤めた。さらに、舞台裏から大御所の芸を盗もうと一心に他の役者の芸を研究した。
 また、丹波屋を守り、丹波屋の芸の伝統をいつかは俊介に引き継ごうという意識を持っていた。
 だが、東京の舞台ではその端役にすらつけてもらえずに、地方公演に回される。しかも、その地方公演すらままならない状況になる。
 肝心の歌舞伎の舞台に立てない。たまに声がかかると、苦手な営業のような仕事だ。引き受けた白虎の借金を返済する目途は全く立たない。白虎と半二郎の名跡を守ることなど夢のまた夢だ。
 人気のある頃に遊んだ仲間の荒風と洋子の惨状も目の当たりにした。
 そんな自分を守り、支えてくれるのは、徳次と弁天だけだ。
 だが、やはり不平不満をもらすことはない。気乗りはしないが、この映画の役には、後がない覚悟で臨む。

 喜久雄は、俊介のような御曹司ではない。追い詰められれば追い詰められるほど本領を発揮する。そして、窮地に立つ喜久雄を救う人物も現れる。
 清田監督の喜久雄起用の意図、異様な出演陣、過酷なロケ地で、何かが起こるに違いない。

朝日新聞連載小説『国宝』吉田修一・作 束妹・画第214回2017/8/8

 『太陽のカラヴァッジョ』という映画に喜久雄が出演を決めたことが、先ず語られている。この語り振りからは、清田監督から歌舞伎役者の芸を貶されても、喜久雄が映画出演を断念することはないだろう。さらに、予想すると、『太陽のカラヴァッジョ』での喜久雄の演技が中途半端な評価で終わることもない気がする。
 喜久雄は、この映画で今までにないような演技を見せると思う。

 荒風の引退と、赤城洋子の自殺未遂には人気商売の非情さが示されている。相撲取りにしろ女優にしろ実力をつけて、人気を得ないことには話にならない。人気があっても、力が落ちれば、たちまちその世界からはじき出される。また、人気が上がったからといって、それが本人の幸福に結びつくとは限らない。むしろ、人気という化け物のために個人の幸福を犠牲にしなければならないことが多い。
 喜久雄は、この二つの出来事を通して、人気商売の非情さ、歌舞伎役者として人気を得ることの表と裏をつくづくと感じたのかもしれない。
 どちらにしても、現状の歌舞伎でいい役がつくのを待って、芸の上達に励むだけでは先が望めないと感じはじめていると思う。

 今後のストーリーへの設定が細かくなされていると思うのだが、その方向性が私にはまだ見えてこない。それに、章の題「伽羅枕」に関連するものも見えてこない。

朝日新聞連載小説『国宝』吉田修一・作 束妹・画第213回2017/8/7
 
 赤城洋子が死んだと思っていたら、命は助かっていた。
 物語が大きく発展する要素が少しずつ姿を現す。前に予想したこと(206回感想) のほんの一部も当たっているかもしれない。
①喜久雄に歌舞伎以外の活動の話が出てきた。
②赤城洋子のことに関わって、辻村の名が出てきた。
③喜久雄が歌を口ずさむ場面が出てきた。

 喜久雄の八方塞がりの現状を救う登場人物として、今は徳次と弁天が物語の舞台に立っている。しかし、この二人だけではどうしようもないであろう。
 徳次と弁天が動くと、どうしても春江を思い浮かべてしまう。いきなり、俊介の再登場までいかなくても、春江が何かを引き出すのかもしれない。
 また、辻村が赤城洋子を救うとなれば、喜久雄は辻村に近づかざるを得ない。辻村が、喜久雄のために何かをすれば、その見返りを必ず求めるはずだ。赤城洋子を助けた見返りを、辻村に要求されれば、喜久雄は歌舞伎以外の舞台に立たざるを得なくなるだろう。
 辻村や春江だけでなく、物語を転換させる人物も現れるだろう。
 喜久雄の現状を打破する出来事は、歌舞伎の現状を打破する出来事にもつながるのかもしれない。
 先の展開に、期待が膨らむ。

朝日新聞連載小説『国宝』吉田修一・作 束妹・画第212回2017/8/6

 徳次が考えていたことは、喜久雄に映画出演をどうやって納得させるかだった。
 今までに何回も喜久雄が映画出演に魅力を感じていないことは出てきていた。しかし、それほど歌舞伎に魅せられているというのは、やはり特別なことだと思う。舞台役者であろうが、歌舞伎役者であろうが、映画出演に全く興味を示さない役者は、相当な変わり者といえるのではないか。

 喜久雄がいい役に付けないだけでなく、歌舞伎自体の人気の凋落。喜久雄の映画出演の可能性。赤城洋子の自殺。これらが、どう結びついていくのか、全く先が読めない。

朝日新聞連載小説『国宝』吉田修一・作 束妹・画第211回2017/8/5

 弁天からの電話を切りますと、すぐにでも喜久雄に知らせたい思いを抑え、徳次はしばし自分なりに考えるのでございます。

 これは、今まで出てきたことのない徳次だ。徳次が「自分なりに考える」なんて、驚いた。
 さあ、どんなことを考えるのか、予想のつけようがない。
 語り手は、当時の歌舞伎人気の凋落ぶりを語っている。また、喜久雄には、今では映画界から声もかからぬようになっていることも語っている。
 そうなると、歌舞伎役者としての人気を借りて、映画出演するのではだめだということだろう。また、生え抜きの映画俳優のような演技をするのもだめだろう。
 当時の歌舞伎界の実情を反映するような役回り、歌舞伎役者としては異例の生い立ちを持つ喜久雄の現実を反映するような役回り、そのようなことを、徳次は考えるのかもしれない。
 でも、そのようなことを考えて、清田誠監督に提案するのは、あまりに徳次らしくない。
 さあ、どういう展開になるか、さっぱり分からなくなってきた。

朝日新聞連載小説『国宝』吉田修一・作 束妹・画第210回2017/8/4

 喜久雄の新たな舞台は、テレビだと予想していたら、そこに一枚弁天が加わるという仕掛けがあった。
 実におもしろい。

 持ち芸をとことんテレビ向きにして人気者となった西洋花菱は、それでもまだ芸人の伝統につながるものを持っている。それが、弁天になると、持ち芸を中断し、芸人としてのネタを捨てることで、テレビの人気者となった。
 こういう時代の風潮を、実際に見聞きしているだけに、なるほどと思わせられる。
 
 弁天と徳次が北海道から逃げ帰ったエピソードが、ここでまた頭をもたげた。ということは、清田誠という映画監督が重要な人物になるのか?
 このまま、いけば喜久雄が再び映画出演ということになりそうだ。だが、電話を受けたのが徳次だというところがひっかかる。ここにも何か仕掛けがあるのか?
 先が楽しみ。

朝日新聞連載小説『国宝』吉田修一・作 束妹・画第209回2017/8/3

 一人の役者だけの芸の上達が名優になる道ではないところが、歌舞伎の特徴なのだろう。歌舞伎に留まらず、古典芸能全般にいえることだと思う。伝統を守ることができなければ、歌舞伎役者としては認められない。しかし、伝統を継承するだけでもいけない。常にそういうせめぎ合いの中で、伝統を継承しつつ新しいものを創り上げる役者が名優と評されるのであろう。
 喜久雄は、いつの間にかそこに気づいていた。俊介が「山」で、自分は「一本の木」だと考えられるところが、すごいと思う。
 悔しい思い辛い経験を散々することによって、主人公が物事の本質をつかんでいく様子が鮮やかに描かれていると感じる。
 
 弁天は一端の芸人になっているようだ。弁天は、営業を紹介するだけでなく、もっと他のことをも、喜久雄と徳次にもたらすのかもしれない。

朝日新聞連載小説『国宝』吉田修一・作 束妹・画第208回2017/8/2

 痛快だ。
 
「(略)鶴若にしろ、さっきの社長にしろ、我慢できんのやったら、俺がいつでもどついたるし、殺したるわ。(略)」

 
徳次のこの言葉が、実行されても何かが解決することはない。だが、徳次のこの思いは、なんとも痛快だ。
 徳次が口先だけで言っているのではないことは、今までの徳次の人生を振り返れば分かることだ。
 喜久雄については、彼の人柄の根っこにあるものが次々に描かれている。
 徳次については、まだまだその人間性が見えてきていない。徳次が一貫してもっているのは、喜久雄を守ろうとする心根だ。そのほかは、何があるのだろう?
 徳次が本当にやりたいことは、何なのか?徳次には好きな女はいないのか?



 208回を一度読んだときは気づかなかった。読み返してみて、次の文は、今後重要になると思った。

 歪(ゆが)んだ丹波屋の家紋が、なぜか白虎の顔に重なり、なぜか俊介の顔に重なり、思わず立ち上がった喜久雄、(略)


それでも、万菊や吾妻千五郎など、江戸歌舞伎の名優たちと同じ舞台に立てると思えば、どんな端役でも誰よりもその役を研究し、稽古に励んできたのでございます。

 
喜久雄は、初舞台を踏む前、役者になれるかなれないかも分からぬうちから、白虎(当時の半二郎)の厳しい稽古に耐えてきた。耐えるどころか、何かに憑かれたように、一人で稽古を続けることもあった。
 花井東一郎になる前の稽古と、不遇な今の研究と稽古が、三代目半二郎としての芸に磨きをかけていると、感じる。

朝日新聞連載小説『国宝』吉田修一・作 束妹・画第207回2017/8/1

 不平不満を漏らすことはないが、喧嘩をすることは辞さない。喜久雄は、竹野とつかみ合いになって以来喧嘩をしていない。
 
 今のところ、「伽羅枕」に結びつくような要素を発見できない。

 いずれにしても、早く先を読みたい。

朝日新聞連載小説『国宝』吉田修一・作 束妹・画第206回2017/7/31

 主人公のこういう状況は、どうやって転換されるのか?
①喜久雄に歌舞伎以外の活躍の場がもたらされる。
 ・テレビドラマへの出演で人気が高まる。・地方のイベントでの踊りと歌がテレビで取り上げられる。
②鶴若以外の歌舞伎の名優が救いの手を差し伸べる。
 ・万菊の相手役に指名される。・今まで登場していない歌舞伎の大御所から声がかかる。
③喜久雄の周囲が激変する。
 ・春江が現れる。・春江と俊介が現れる。・辻村が画策して、興行会社を動かす。

 主人公の今の状況を変える人物は誰か?
①テレビ会社の社長になっている梅木や、芸人の裏事情に詳しそうな弁天とその師匠、それに三友にいるはずの竹野など、テレビに関連しそうな人物。
②俊介、春江、幸子など、喜久雄の運命を変え得る人物。
③万菊やまだ登場していない歌舞伎の大御所。
④娘の綾乃、マツ、春江の母、徳次、喜久雄にゆかりのある人物が何かのきっかけになる。

 私に思いつくのは、これぐらいしかない。しかし、全く思いもつかない人物と出来事が物語を動かすのであろう。

朝日新聞連載小説『国宝』吉田修一・作 束妹・画第205回2017/7/30 

 そうか、これだけの扱いをされても、喜久雄は不平不満を漏らさない。が、自分の惨めな姿は徳次にさえ見せたくないと思うのが、喜久雄なのだ。
 その喜久雄の本心を知りながら、言葉には出さない徳次だった。主従関係というより親友の関係だと感じる。久しぶりに、「友情」という言葉を連想した。

 
 この喜久雄のファンや贔屓(ひいき)に対する照れからの無愛想、いくら白虎や幸子から咎(とが)められても、生来のものでどうにもならないのでございます。(185回)

 語り手がこう語っていただけに、喜久雄の辛さが伝わってくる。

朝日新聞連載小説『国宝』吉田修一・作 束妹・画第204回2017/7/29 

 昔話だが、私が三十歳台だった頃は、職場全員参加の宴会が年に何回もあった。ホテルが会場の時もあった。そのホテルで芸人や歌手の舞台を観たこともあった。芸を観るのではなく、宴会を盛り上げるためだった。そういう舞台は、盛り上がりの割には、どこか貧しく悲しい雰囲気が漂っていた。
 
 喜久雄は、無名の役者ではなく、一時は時代の寵児ともてはやされた人気役者だ。しかも、まだ若い。それだけに、徳次の怒りがよく分かる。
 この状況でも、喜久雄は不平不満を漏らさないのか?

朝日新聞連載小説『国宝』吉田修一・作 束妹・画第203回2017/7/28 

 気が合って、昔よく一緒に遊んだ友達がリストラされて、故郷に帰ることになった。私ならその友人の引っ越しを手伝いに行くだろうか。閑であれば、手伝いに行くかもしれない。だが、自分の仕事の合間を見つけてまで、手伝いには行かないだろう。ましてや、その友人の母親からの挨拶などはなるべく早く切り上げてくれと思うだろう。

 梅木社長は、鶴若に問われて、喜久雄の魅力を次のように言っていた。

「(略)この喜久雄が不平不満を漏らすところをまだ一度も見たことがない。(略)」(182回)

 散々に鶴若から苛められながら、万菊から何か盗もうと劇場に通う喜久雄が、上の言葉と重なる。

 私は、不平不満をしょっちゅう漏らす。また、不平不満を漏らさない人に会ったことがないような気がする。

↑このページのトップヘ