私の周囲は、私がいつ死んでもおかしくないと思っている。
私の死は望まれているわけではないが、だんだん落ちてくる体力、深刻になる症状から、そう考えてもおかしくない。
私もそれに甘えてそう思うことが多い。
だから、死ぬことが日常なのだ。

一日の節目〃〃に、「生きている」と思う。

10時に寝て、12時、3時、4時に目が覚める。
今は、3時、電気をつけて、パソコンに向かう。

目も耳もこれだけ落ちるとボンヤリとでも見え聞こえると、今日も生きている、
また一日がはじまる。
ありがたい、と同時に、つらいと思う。

「ねこ」には、それがない。

覚えていられなくなった。
午前中訪問看護、午後は予定なし、前夜kから言われたことが、今朝は忘れている。
体調が特に悪かった数日はすっかり記憶から消えている。

くるまいすを4輪から6輪にした。
6輪は長所がいっぱいあるが、トイレをひとりでとなると、今までよりもう1段階しなきゃならないことが増える。

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