本屋のとなりは写真館

朝日新聞連載小説『国宝』『ディス・イズ・ザ・ディ』の毎回ごとの感想と、読んだ本の感想を更新しています。

『母 -オモニ-』姜尚中

澱みのない、張りのある大きな声は、日の当たる「成功者」としてのテソンの勢いを表しているようだった

 「姜尚中」の叔父「テソン」が登場した。
 頭の良い人で、太平洋戦争前は日本軍の憲兵となった。当時の憲兵という地位は、朝鮮から日本に来た人々の中の出世頭だった。「テソン」は、憲兵になることが経済力と権力を手に入れる近道だと気づき、その地位を手に入れた。 
 当時は日本人にとっても、憲兵になるのは難関だったはずだが、それを見事に乗り越えたのだ。そして、目論見通り、金と力を手に入れた。
 しかし、戦争の終結で、その全てを失い、命からがら故国に戻った。
 今度は、故国である朝鮮で、弁護士となり、大成功した。 
 目まぐるしく社会情勢が変化する中で、次の時代に最も脚光を浴びる職業を選び、その職に就くことができる能力と才覚を持った人物だった。
 「テソン」の兄であり、「姜尚中」の父である人物の実直さと比べると、兄弟とは思えないほどの「成功者」だった。
 その「テソン」の成功の果てが次のようなものだった。

父が亡くなる1年ほど前から交通事故で小さな病院に入院していたテソンは、父の死後数ヶ月の後、誰からも看取られず、淋しくその生涯を閉じたのである。

 経済力と権力で多くの人から羨まれることと、その人の人格が尊敬されることとは一致しない。
 そして、社会的な地位は、その肩書きを失えば、たちまち霧散する。

 金と地位の空しさを、分かっているつもりでいるが、世の中に出れば、職種や地位が気になり、競争心を持ってしまう。
 仕事を辞めてからも、あの人の方が年金が高い、あの人の方が若く見える、あの人の方が介護してくれる家族が多い、などなど、気にするのを止めるのは難しい。

朝日新聞連載小説『春に散る』沢木耕太郎第101回2015/7/12

荒んだ心を持て余す

 生きていれば、上のような気持ちになることはある。こういう場合にどうするかは人によって違う。酒で紛らす、犯罪を犯してしまう、弱い者をいじめる、猛烈に何かに打ち込む、など様々だ。
 そして、何をして「荒んだ心」を解消するかで、その人の人生が変わると思う。
 「広岡」がやった方法は個性的だった。無気力で投げやりになるのでもなく、犯罪や弱い者いじめでもない。彼がやったことは正しい事とは言えない。だが、当時の「広岡」は正しい事をしていると思っていたし、この行為に拍手をする人もいただろうと感じた、

朝日新聞連載小説『それから』夏目漱石第71回2015/7/10

 「令嬢」は、美しく慎み深い物腰の人だった。一方、彼女の会話からは、「代助」の興味を引きそうなことは全く出て来なかった。
 外見は美しいが、内面は目につくようなことのない若い女性として描かれていた。
 「代助」にとっては、好きでも嫌いでもない存在の女性のようだ。「令嬢」にとっては、この縁談は条件のよいものだろうが、それにしては態度が冷淡すぎる。
 当時の見合いとも言える会食では、女性の方がこういう受け身一辺倒の態度を取るのは珍しいことではないのかもしれない。

朝日新聞連載小説『春に散る』沢木耕太郎第100回2015/7/11

 野球選手を諦めるしかなかった「広岡」の事情が明らかになった。
 ボクサーを諦めた事情と共通するものがあるように思う。
 スポーツの世界で栄冠を手に入れるためには、実力だけではだめだと言うことか。実力にプラスして次の要素がいるのであろう。
 ・その競技と競技者の健康面までを熟知した指導者(コーチ)。
 ・競技者の生活をあらゆる面で支え、応援してくれる家族や支援者。
 ・勝負の運。
 これらが、「広岡」には欠けていたのかもしれない。

 野球への夢を断たれ、ボクシングを始める経緯がこれから書かれていくだろう。

朝日新聞連載小説『春に散る』沢木耕太郎第99回2015/7/10

 「広岡」は、40年ぶりの日本なのに、実家や故郷を訪ねないどころか懐かしむことさえなかった。その理由が分かってきた。
 野球選手として、プロのボクサーとして、夢が叶わなかった「広岡」だったが、不運はそれだけではなかった。幸福とは言えない生い立ちだったことが明かされた。
 人と関わりを持ちたくないという今までの彼の気持ちを理解できる。このような生い立ちと、その後の不運を考えると、生きる意欲をなくしても不思議ではない。
 だが、「広岡」が、夢に破れたことを悔やみ、不運を嘆いてばかりいる男とは思えない。

NHK総合TV『まれ』2015/7/9放送

 「まれ」の父親役の大泉洋に感心した。真っ青なパンツに紅白の縞模様のシャツ。今時漫才コンビの衣装でも使いそうにない。それが、似合っている。ダサさとフィット感、そして衣装が語るキャラクター。大泉洋にしか似合いそうもなかった。スタイリストも大したものだ。

 先週の放送だったと思うが、彼の演技にも感心した。「まれ」の父が激怒して大声をあげる場面があった。父は本気で怒って大声を出したのに、側にいた登場人物たちには何の影響も与えないのだ。「まれ」の父の大声は完全に無視された。
 激怒の仕草でありながら、他の登場人物たちは歯牙にもかけない。こういう演技は一流の喜劇役者の工夫の賜だろう。大泉洋は、そういう演技をサラリとやってしまう。いや、元来彼は工夫なぞしないのであろう。

朝日新聞連載小説『それから』夏目漱石第70回2015/7/9

 ついに「佐川の令嬢」と会わなければならなくなった。
 この令嬢の容姿が描写されている。

代助はその時、女の腰から下の比較的に細く長いことを発見した。

 スッキリとしたスタイルで、脚が綺麗だということか。

令嬢は黒い鳶色の大きな眼を有していた。

 スタイルの良さにプラスして、透き通るような肌、大きな瞳の顔が華やかだったということだろう。

 大変に美しい容姿の持ち主として描かれている。
 会うことを避けていたわりに、「代助」の観察は細かい。細かく観察しているが、美しさに心を動かされた風はなかった。

朝日新聞連載小説『春に散る』沢木耕太郎第98回2015/7/9

 勝負事には勝ちと負けがある。勝ちと負けしかない。

 アメリカで、世界チャンピオンへ近づいていたが、突然の病のせいでボクシングを諦めた。
 日本チャンピオンを目前にして、理不尽な判定のために、敗者となった。
 県大会の優勝を目前に、味方の援護がなかったために、敗戦投手となった。
 作者は、主人公のこの経歴を、どう描いていくのだろうか。力がありながら、運に恵まれなかった敗者なのか。それとも、この巡り合わせは何かが不足したせいか。

 過去を思い出させるのに、電車内の場面から書くなんて、なんてうまいんだ。

朝日新聞連載小説『それから』夏目漱石第69回2015/7/8

 その業界にしか通じない言葉遣いがある。今は、若い世代だけの言葉遣いもある。
 家族の会話の雰囲気も、家族毎に違いがあるようだ。時代と階層が違うと言いながら、「代助」と兄の会話は悠長なものだ。
 現代の庶民の兄弟ならば、兄が怒鳴り込んでもおかしくないような事情なのに、兄の方は穏やかに話している。しかし、兄に直々に乗り込まれては、「代助」はいよいよ逃げ場を失った。それに、彼は所持金を無くしているのだから、逃げようにも逃げられない。

 写真についての件などは、漱石の分析好きと論理で物事を見ずにはいられない性癖が表れていると思う。深刻な問題についてだけでなく、些末なことをも分析しないではいられないようだ。実生活で、漱石と一緒に暮らすのは大変だったろうと、思わせられる。

朝日新聞連載小説『春に散る』沢木耕太郎第97回2015/7/8

 挿絵画家中田春彌は、事前に1回ずつの小説を読んで、挿絵を構想するのだろうか。それとも、作品の最後まで読み終わって、1回ごとに配置を考えるのだろうか。どちらにしても、1枚を仕上げるまでにそれほど余裕はなさそうな気がする。
 今回の挿絵にはちょっと意表を突かれた。そして、小説を読むために役に立った。

朝日新聞連載小説『それから』夏目漱石第68回2015/7/7

その時三千代は長い睫毛を二、三度打ち合わせた。

 睫毛がはっきりと見えるほど二人の間隔は狭かったということだ。
 「代助」は、「三千代」と別れてからいつになく高揚している。「三千代」のためにやれることをやったと言う思いからだろう。
 だが、この事で彼は旅費を失った。所持金が無くなり、旅行に出かけることのできなくなったのを、まるで見透かしたように兄が現れた。

 旅には出るのは不可能になったが。「代助」はなんとなく満足しているようだ。
 一方、「三千代」の方はそうはいかないと思う。「代助」のことを、困った時には返済を求めずに援助してくれる人として、単純に感謝する気持ちにはなれないだろう。

朝日新聞連載小説『春に散る』沢木耕太郎第96回2015/7/7

 これはいくら何でもやり過ぎだろう。若い女性の親切心だからと、大目に見たい所だが、「佳菜子」の押しかけは普通ではない。

 子猫の描写が滑らかだ。ただし、「広岡」がこんな事を続けていると、今の日本ではご近所からクレームがつきかねない。それは考え過ぎだろうが、猫を飼っている身としてはついつい余計な心配をする。

朝日新聞連載小説『それから』夏目漱石第67回2015/7/6

 「代助」が行動を起こした。実家の圧力から逃げるための旅行に出ようとしている。
 彼が実際に動きを見せるのは、珍しいことだ。
 ところが、旅の出発の前に、別の行動を起こした。「三千代」に会いに行ったのだ。今まで何遍も彼女の家の側を通っているのに、実現させなかったことだ。
 何かをするのに、やたら時間がかかる人物だ。それをじれったいと感じる方が変なのか。現代人は思ったことを何でもすぐに行動で示すが、その方が妙なことなのかもしれない。

 「三千代」は、物静かな性格に見えるが、時折ドッキとさせるような動作をする。生活費にさえ困っていることを、指輪をはめていない手で表す所に、それを感じる。

代助は憐れな心持ちがした。

 これは、彼にしては強い感情だ。次の行動にこのことは反映されて行くであろう。

朝日新聞連載小説『それから』夏目漱石第66回2015/7/3

 「代助」はいよいよはっきりした態度を示さなくてはならなくなった。今までのように父や兄の話を、のらりくらりとやり過ごすことが難しくなった。
 それはそうだろう、という気がする。一生独身で働きもせずに、父の財産で暮らすことを許してもらえないのは当然だ。
 だから、「代助」も正面から自分の考えを言い張ることはできなくなって来た。そして、彼が考えたことは、そういう状況から一時的に逃げだそうと言うことのようだ。

また三千代の引力も恐れた。

 好きな女性に会いたいという欲求からも逃げようとしている。
 自分に都合が悪いことの全てから逃げることで、済むものだろうか。

朝日新聞連載小説『春に散る』沢木耕太郎第95回2015/7/6

子猫といい、佳菜子といい、進藤といい、小さな関わりが生まれてしまう。

 「広岡」が「関わり」を絶つ生活をしてきたのは、なぜなのか。
 ボクサーを諦めても、アメリカにいても、周囲の人と「関わり」を持とうとすればできたはずだ。むしろ、親しい人を作らないでいる方が難しかっただろう。
 徐々に重くなる心臓病と、その病気ゆえに希望を捨てなければならなかったことが、「広岡」を、人と関わりたくないという気持ちにさせたのだろうか。

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