本屋のとなりは写真館

朝日新聞連載小説『国宝』『ディス・イズ・ザ・ディ』の毎回ごとの感想と、読んだ本の感想を更新しています。

朝日新聞連載小説『春に散る』沢木耕太郎第108回2015/7/20

 「佐瀬」にはまだ会っていない。だが、農村地帯で、農業をやっていないというのはただ事ではない。どうも今までの様子では、「佐瀬」は、かなり肩身の狭い暮らしをしているのではないか。
 そういう意味では、都会の味気ない人間関係は、うまくいっていない場合には気楽な面もある。人間関係が濃い場所では、失敗者の烙印がつくとかなり辛い思いをしなければならないだろう。

朝日新聞連載小説『春に散る』沢木耕太郎第107回2015/7/19

 私の住んでいる地域から車なら気軽に行ける所に知り合いの農家がある。そこに行くと、とにかく新鮮で安心な米と野菜を分けてもらえるので、よく行く。
 そこは、山間部でも、交通の便の悪い地域でもない。ただ、農村地帯なので、人は少ないというだけで、都市部から隔絶されたという雰囲気はない。
 ただし、人付き合いはまるで違う。そこに住む方は、お互いにその地域の全戸の事を知っている。もちろん、詳しい家族構成も頭に入っている。それどころか、その地域の人の事は、何代か前に遡ることもできるようだ。
 私は、何十年と変わらないお隣さんの家族構成すら詳しくは知らない。
 今の日本では、人口で比べるならば、私のような都市部の人間関係が多数派だろう。しかし、面積で比べるならば、農村、漁村などのような人間関係をもつ地域の方が多いのではないか。少なくとも、北海道では互いの事は知りたくなくても分かってしまうような人口構成になっている地域の方が、面積は圧倒的に広い。

「あんたさんは借金取りかな」

 「佐瀬」の所に借金取りが頻繁に来ることが、その地域では知れ渡っているのか。

朝日新聞連載小説『春に散る』沢木耕太郎第106回2015/7/18

 「広岡」と一緒に短い列車の旅をした気分だ。
 車窓からの風景を描くだけでなく、そこに住む人の暮らしを考える。車内の乗客の様子を眺め、駅弁を食べ、そこから移りゆく風景へとまた戻って行く。
 こういう文章表現を味わうのは、『春に散る』を読む楽しみの一つだ。

さてどうしよう。

 「広岡」に何が起こるか、楽しみだ。

朝日新聞連載小説『それから』夏目漱石第75回2015/7/17

 「三千代」は結婚前も、結婚後も「代助」を好きだったことが、彼女の何気ない行動や言葉から伝わって来る。
 そして、「代助」は、「三千代」への「平岡」の態度に、嫌悪感を強めていることが分かる。

朝日新聞連載小説『春に散る』沢木耕太郎第105回2015/7/17

それは何にも代えがたい日本という国の豊かさのようにも思える。
 
 私もそう思う。テレビや新聞で、外国の映像を毎日のように見る。しかし、日本ほど、森の木々と水田とそれを支える川や湖の風景が、人々の生活の身近にある所はないようだ。自然の恵みを受けつつ、人間の工夫を重ねていく所に日本の特徴があると思う。
 経済力や工業力は、常に変動し、日本はその面では外国に抜かれることが多くなった。一方、自然と結びついた人の暮らしは、そう簡単に変化するものではない。地形や自然環境は、人工的に破壊しない限りはごくわずかな変化で、そこに存在し続ける。
 現在も、水に恵まれ、山林に恵まれ、水田の続く光景を容易に見ることができる。そして、その光景は美しい。
 しかし、農業は後継者が不足し、日本中であえいでいる。さらに、日本人が米を食べる割合は減るばかりだ。林業を中心とする地域は人口の減少どころか、地域そのものが消滅する所もあると聞く。
 それはなぜなのか。日本人が、「心の豊かさ」を失っているからだという議論もある。それだけではないと感じる。
 「国の豊かさ」とは、経済力や工業力やましてや軍事力などではない。「日本という国の豊かさ」は、水田の美しさに表れてくるような「豊かさ」なのだ、という考えが広まらない限り、「日本という国の豊かさ」は消えていくと感じる。
 
 「佐瀬」は、「広岡」が思っているような暮らしをしていないような気がする。現実の農村の生活は、苦労が多いのではないか。

朝日新聞連載小説『それから』夏目漱石第74回2015/7/16

 ここまで『それから』を読んで、「代助」が自分では全く働かないで平気なことに、反感を持ち続けていた。しかし、ここ数回で気持ちが変化した。
 必死で働かなくては生計が成り立たないようでは、「代助」のように感じ、考えることはできないと思うようになった。感性を磨き、洋書を読み、人間の心理を考察するような生活は、資産と時間に十分な余裕がなければ、成立しないのであろう。「代助」のような境遇が与えられて、はじめて「代助」のように思索できるのだと感じる。

 赤坂の女の件は、現代ではそれほど驚くようなことではない。しかし、100年前にこういう女性の心理に目を付けた作者の先見性は驚くべき事だ。

朝日新聞連載小説『春に散る』沢木耕太郎第104回2015/7/16

 駅弁。「広岡」が選んだのは、車海老と秋刀魚の弁当だった。きっと売れ筋の名物弁当ではないだろう。
 彼が思っているように、シーズンでなくても秋刀魚を食べることができる。今は、ほとんどの食材がそうなっている。これは、便利だが、食が豊かになったとは言えない。産地で旬の物を食べるのが本当の豊かさだろう。

 車内の初老の男性グループ。いろいろな場所で、老人の男性グループをよく見かけるようになった。私もその年齢だ。私は、一緒に行動する仲間がいないので、グループで動くことはない。
 「すでにそれぞれの仕事をリタイアーし、老後の人生を楽しむ」の中に私も含まれる。だが、そういう人たちを見かけても、好意を持てない。なぜそうなのか、自分でもよく分からないが、老人の男性グループが他の年代の人よりも楽しそうにしているのは、何かぞっとしない。

 「広岡」は、こういうグループの人たちと自分との違いを感じていた。

朝日新聞連載小説『それから』夏目漱石第73回2015/7/15

 「代助」は、「父」に共感することも同意することもできない。そして、「父」よりも自分の方が理屈にかなっていると確信している。
 ところが、理屈で「父」を説き伏せることは不可能だと、結論づけている。
 「代助」は、「父」が勧めることに従うことはできない。従わないだけでなく、話し合って妥協点を見つけることさえもできない。そう考えると、「父」との「絶縁」しか残された道はない。
 そして、その「絶縁」を避けようという気持ちはそれほど強くないようだ。
 親子の「絶縁」は、「苦痛」ではないが、そうすると、経済的な援助がなくなる。これは、「代助」には是非とも避けたいことだ。
 要するに、親の口出しはいらないが、親の金は欲しい、ということだろう。

 こういう親子間の軋轢は、現代にも無数にあると感じた。
 明治、大正、昭和、平成、時代が進むに連れて、顕在化する親子の関係を、既に描いているということなのだろうか。

朝日新聞連載小説『春に散る』沢木耕太郎第103回2015/7/15

停車している車両はどれもカラフルだった。

 国鉄の時代を知っているだけに、最近の列車のカラフルなのには驚かされることがある。鉄道が物流の大動脈と呼ばれて、石炭や木材、そして溢れる人々を運んでいた時代があった。その頃は、車両の色は全国どれも似たような色で、蒸気機関車は他の色になりようがなかった。地味な色で、快適さやサービスを売りにしなかった時期に、鉄道は花形の存在だった。
 今は、様々に宣伝され、車両はカラフルに塗られている。しかし、イベントが終わると、大部分の地方線は乗客が減り、ついには廃線になっていく。マニアやファンや観光客に支えられて、美しい風景の一部になることは、鉄道にとって悪いことではないが、鉄道が本来の役割を終えたことも意味すると思う。

 この作品で何度目かの移動の場面になった。車窓風景や列車にまつわる事で、作者は何を取り上げていくのだろうか、楽しみだ。

朝日新聞連載小説『それから』夏目漱石第72回2015/7/14

梅子は佐川の令嬢を大変に大人しそうないい子だと賞めた。

 実際に会って、父と兄と兄嫁と「代助」がこの令嬢を観察した。そして、上のような人物評にまとまった。「代助」もこの意見に同意した。欠点はないが、特段の長所もないということだ。
 元々結婚する気のない「代助」だが、この令嬢に難癖を付けるような所もなかったのだろう。
 こういう女性と「代助」が結婚するようなことはあるのだろうか。


朝日新聞連載小説『春に散る』沢木耕太郎第102回2015/7/14

そして、うんざりしたように続けた。

 今から50年以上前の駅のプラットホームは、通勤時間でない限りはガランとした所だった。特に乗降客の少ない駅で、列車が出た後はすぐに誰もいなくなった。
 そして、そこは挿絵にあるように平面で他に逃げ場のない空間だった。通りや家々の密集している所と違って、まるでリングのようだ。
 相手の男は、自分に最も有利な場所を選んだ。そして、冷静だった。


若い男は何も言わず、さっと振り向くと、近くの階段を駆け昇って消えてしまった。

 軽やかなパンチ。それも一発だけ。見事な去り際。
 この事が、「広岡」にボクシングを始めさせたのであろう。

『母 -オモニ-』姜尚中

澱みのない、張りのある大きな声は、日の当たる「成功者」としてのテソンの勢いを表しているようだった

 「姜尚中」の叔父「テソン」が登場した。
 頭の良い人で、太平洋戦争前は日本軍の憲兵となった。当時の憲兵という地位は、朝鮮から日本に来た人々の中の出世頭だった。「テソン」は、憲兵になることが経済力と権力を手に入れる近道だと気づき、その地位を手に入れた。 
 当時は日本人にとっても、憲兵になるのは難関だったはずだが、それを見事に乗り越えたのだ。そして、目論見通り、金と力を手に入れた。
 しかし、戦争の終結で、その全てを失い、命からがら故国に戻った。
 今度は、故国である朝鮮で、弁護士となり、大成功した。 
 目まぐるしく社会情勢が変化する中で、次の時代に最も脚光を浴びる職業を選び、その職に就くことができる能力と才覚を持った人物だった。
 「テソン」の兄であり、「姜尚中」の父である人物の実直さと比べると、兄弟とは思えないほどの「成功者」だった。
 その「テソン」の成功の果てが次のようなものだった。

父が亡くなる1年ほど前から交通事故で小さな病院に入院していたテソンは、父の死後数ヶ月の後、誰からも看取られず、淋しくその生涯を閉じたのである。

 経済力と権力で多くの人から羨まれることと、その人の人格が尊敬されることとは一致しない。
 そして、社会的な地位は、その肩書きを失えば、たちまち霧散する。

 金と地位の空しさを、分かっているつもりでいるが、世の中に出れば、職種や地位が気になり、競争心を持ってしまう。
 仕事を辞めてからも、あの人の方が年金が高い、あの人の方が若く見える、あの人の方が介護してくれる家族が多い、などなど、気にするのを止めるのは難しい。

朝日新聞連載小説『春に散る』沢木耕太郎第101回2015/7/12

荒んだ心を持て余す

 生きていれば、上のような気持ちになることはある。こういう場合にどうするかは人によって違う。酒で紛らす、犯罪を犯してしまう、弱い者をいじめる、猛烈に何かに打ち込む、など様々だ。
 そして、何をして「荒んだ心」を解消するかで、その人の人生が変わると思う。
 「広岡」がやった方法は個性的だった。無気力で投げやりになるのでもなく、犯罪や弱い者いじめでもない。彼がやったことは正しい事とは言えない。だが、当時の「広岡」は正しい事をしていると思っていたし、この行為に拍手をする人もいただろうと感じた、

朝日新聞連載小説『それから』夏目漱石第71回2015/7/10

 「令嬢」は、美しく慎み深い物腰の人だった。一方、彼女の会話からは、「代助」の興味を引きそうなことは全く出て来なかった。
 外見は美しいが、内面は目につくようなことのない若い女性として描かれていた。
 「代助」にとっては、好きでも嫌いでもない存在の女性のようだ。「令嬢」にとっては、この縁談は条件のよいものだろうが、それにしては態度が冷淡すぎる。
 当時の見合いとも言える会食では、女性の方がこういう受け身一辺倒の態度を取るのは珍しいことではないのかもしれない。

朝日新聞連載小説『春に散る』沢木耕太郎第100回2015/7/11

 野球選手を諦めるしかなかった「広岡」の事情が明らかになった。
 ボクサーを諦めた事情と共通するものがあるように思う。
 スポーツの世界で栄冠を手に入れるためには、実力だけではだめだと言うことか。実力にプラスして次の要素がいるのであろう。
 ・その競技と競技者の健康面までを熟知した指導者(コーチ)。
 ・競技者の生活をあらゆる面で支え、応援してくれる家族や支援者。
 ・勝負の運。
 これらが、「広岡」には欠けていたのかもしれない。

 野球への夢を断たれ、ボクシングを始める経緯がこれから書かれていくだろう。

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