本屋のとなりは写真館

新聞連載小説『ひこばえ』重松清・作 川上和生・画 の感想と、読んだ本の感想を更新しています。

朝日新聞連載小説『春に散る』沢木耕太郎第173回2015/9/25

 広岡は、聞かれていることに答えていない、と思っていたらその通りだった。
 真田が聞きたいことは、なぜボクシングをやろうと思ったかの理由だ。広岡が言いづらかったのはまさにそのことだった。
 前回の私の文で、「話の流れで、そのことも正直に言うかもしれない。」と書いたが、今日の回では、「正直」という言葉をそのまま真田から言われたような気分だ。

正直の反対は嘘をつくことではありません。

話というのは、省略することができるんです。省略することは、嘘をつくことと同じではありません。すべてを話すのではなく、必要なことを話せばいいんです。

 自分が質問する時は、答える人に対して、肝心のことだけを早く答えてくれよ、と思う。ところが、質問される側になった場合に、いっぱい話したが肝心のことを答えていなかったと、後で気づくことがよくある。
 省略するところは省略して、必要なことだけを話すようにこれからは気をつけよう。

朝日新聞連載小説『門』夏目漱石第4回2015/9/24

 明治時代の休日の宗助の感覚は、私の昭和時代の感覚に極めて近い。

彼の生活はこれほどの余裕にする誇りを感ずるほどに、日曜以外の出入には、落ち付いていられないものであった。

 宗助は、今でいう公務員であるらしい。大きな組織の一員として働く者の余裕のなさが、明治時代から始まっていたことが理解できる。混み合う電車での出退勤、定時の就業時間、毎日曜の休日、そして組織の歯車として働かされている感覚。これらが、日本が近代国家への道を進みはじめた明治時代から、昭和まで続いていたのであろう。
 では、現代はどうなのか。非正規の雇用、シフト制の就業時間、不定期の休日、そしていつ解雇されるかわからないという不安感。明治から昭和まで続いた庶民の労働感覚とは、異なる過酷さがあると感じる。

 

朝日新聞連載小説『春に散る』沢木耕太郎第172回2015/9/24

「どうしてボクシングをやろうと思ったんですか」

 喧嘩を売った相手にあまりにも見事に殴られたから、とは言いづらいだろう。でも、話の流れで、そのことも正直に言うかもしれない。
 
 ところで、最近の日本でのボクシングの人気はどうなのか。人気が高いとは言えないようだ。テレビでの取り上げられ方を見ていると、話題性のあるファイティングタイプの新人ボクサーでも出てこない限りは、人気が戻りそうもない。
 この小説も、元ボクサーではなくて、元野球選手の物語だったら、もっと広い読者の興味をひくだろう。
 でも、きっとその設定では出てこない味があるはずだ。 

朝日新聞連載小説『門』夏目漱石第3回2015/9/22

 その人についてのデータが細かく書かれているからといって、その人物像が伝わるものではない。

「厭?」と女学生流に念を押した御米が、

 この回の御米と小六の会話には、声の調子と動作とどこを見ながら話しているかが描かれている。
 こういう複合した情報の表現が、文章上の人物を生き生きとさせる。

 言葉だけを取り出しても、見たことだけに頼っても、物事の本質をつかむことはできない。五感を使って、いろいろな観点からとらえることが、人の気持ちを理解することにつながると思う。
 そのためには、小説を読むことも役に立つ。

朝日新聞連載小説『春に散る』沢木耕太郎第171回2015/9/22

 登場人物の中で特に気になっていた人が、ついに現れた。挿絵の中から、微かな笑みを浮かべている。

深追いするな。他人を深追いしていいのはリングの上だけだ。

本は頭、映画は心

 こう語ったという真拳ジムの会長だ。


朝日新聞スポーツ記事・山中、9度目の防衛・2015/9/22

 8回終了の判定で、わずかな差だが、リードを奪われていた。WBAでは連続防衛を果たしたモレノ(挑戦者)は守りの巧みさと、確実にポイントを稼ぐのがスタイル。ジャブの応酬で、(チャンピオン山中が)やや不利だった。
 ただ分かれ目はそこだった。前のめりになったのは挑戦者。落ち着いていたのは、追う側の王者だった。

 
 プロボクシングがいかに強靭な肉体と、頭脳明晰さを求める競技であるかが、この実際の世界戦の記事からも分かる。
 記事の中の、山中とモレノのコメントもいい。
 

朝日新聞連載小説『門』夏目漱石第2回2015/9/22

 一言二言の会話から夫婦の関係が伝わってくる気がする。
 住んでいる家についての描写から、宗助夫婦が置かれている状況を察することができる。
 経済的に豊かでないだけでなく、宗助は今の職業や彼を取り巻く人々に満足していないように思う。妻に対する感覚と、住んでいる家についての感じ方にずいぶんと開きがあるように感じた。

朝日新聞連載小説『春に散る』沢木耕太郎第170回2015/9/22

 経験のないことをするのは、どんなことでも緊張する。初めてやろうとしているそのことはもちろんだが、やるまでの手順とそのために会わねばならない人との話など、そのどれもで、予想外のことにぶつかる。
 そこには、戸惑いも失敗もあるだろう。だが、それ以上にワクワクする気持ちと新鮮さがある。
 若い広岡と共に、次は何がはじまるのかとワクワクさせられる。

 

朝日新聞連載小説『門』夏目漱石第1回2015/9/21

 同じ二人でも、恋人同士と夫婦の会話ではどこか違う。
 どこが違うのか。そして、それはなぜなのか。

「おい、好い天気だな」と話し掛けた。細君は、
「ええ」といったなりであった。

 仲の良い夫婦でも、そうではない夫婦でも日常の会話はする。上の会話のような意味のなさそうな言葉のやり取りも、仲のよい夫婦の場合はどこか違っている。
 愛し合っている夫婦は、互いの気持ちを察し、穏やかに言葉を交わし合うのだろう。
 でも、そんな分かり切ったことだけではないのかもしれない。
 

朝日新聞連載小説『春に散る』沢木耕太郎第169回2015/9/21

 ボクシングに近づいていくストーリーがおもしろい。今までで一番展開に引きつけられる。

 窓の外からのぞき込んでいた広岡は、そのボクサーの動きから眼を離せなくなった。
 そして、思った。美しいな、と。

 ボクシングは、競技としての格闘技の中で、最も血なまぐさいと思う。
 プロボクシングは、ルールとレフリーとグローブがあるだけで、あとは生身の人間の一対一の闘いだ。ショーの要素をもった新しい格闘技がブームになった時期もあった。しかし、結局はボクシングのスタイルを超えるものは誕生しなかった。
 ボクシングには、究極の何かがあるのだろう。倒すか倒されるかと、「美しいな、」と思わせるものが。

朝日新聞連載小説『春に散る』沢木耕太郎第168回2015/9/20

 野球ができなくなったが、ボクシングならできるかもしれない。プロボクサーになれれば、それで食っていけるかもしれない。日本チャンピオンになれれば、金も相当稼げるかもしれない。世界チャンピオンになれれば、金もどっさり入り、有名になれるはずだ。
 プロボクサーを目指す人は、気持ちのどこかでそう思うだろう。
 だが、当時の「広岡」は、こうは考えなかったと思う。ただ、自分をあっけなく倒したボクシングに、抑えようのない興味を感じ、住む所を与えられかもしれないと思って真拳ジムを訪ねただけだろう。
 だから、「広岡」の行動は、行き当たりばったりで、計画性もなく、事前の調査も足りないものといえる。
 「広岡」の行動に、次のような助言は間違ってはいない。
 もし、ボクシングを目指すなら、もっとよく調べて、複数の人に相談してから決めるべきだ。
 でも、こういう助言が役に立つかというと、大きな疑問だ。

 夢の実現を目指して、一つのことに長い年月をかける場合でも、それぞれの場面では目の前のことに精いっぱいに取り組むだけだと感じる。
 人生は、方針と計画の通りに進むわけはない。

朝日新聞連載小説『春に散る』沢木耕太郎第167回2015/9/19

「星」の部屋を出て、ウィスキーの酔いを醒ますために歩き始める。

40年前にもこの辺を歩いたことを思い出す。

40年前の出来事を次々に思い出す。

 前回から回想の場面になっている。

夜、広岡は水道橋に行き、最も安い席のチケットを買って会場に入った。

 回想の場面だが、視点は作者だ。複雑な設定だが、すんなりと入ってくる。
 そして、ボクシングというスポーツの真髄が簡潔に書き表されている。

観客がそうした戦いの中で決定的な一発が当たるかどうかの瞬間を息を呑んで見守っていること。

 ボクシング観戦の要までもが、きっちりと表現されている。


 部屋の柱を殴る。一冊のボクシングの雑誌を舐めるように見入る。立ち見の席で試合を見つづける。そして、「真田拳闘倶楽部」の広告に眼を留める。
 その時々の「広岡」の気持ちと細かなことは何も書かれていないのに、孤独で目的をなくしていた若者の心と姿が浮かび上がってくる。

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いつの間にこんなに伸びたのだろう。
ナスタチウムは、去年から庭に植えてみた。
性質が分からないので、どのくらい大きくなるかもつかめない。
去年は鉢植えがつるをどんどん伸ばすので、垂れ下がるようにした方がよいのかと思ったが、そうでもないらしい。
今年は、地面に植えてそのままにしていた。
なかなか花も咲かなかった。
ところが、暑さが去ったころからこんなになった。
これでも一度刈り込んだのだが。
チェリーセージと場所を取り合っている。

朝日新聞連載小説『春に散る』沢木耕太郎第166回2015/9/18

 肩を壊していたのに、ボクシング選手として活躍したことに疑問をもたなかったが、そういうことだったのか。
 スポーツの種目によって使う筋肉に違いがあるということは聞いていた。それにしても「広岡」がボクシングを始めるまでの経過はいかにも彼らしい。けんかの相手(ボクサー)から、ジムを勧められたというのなら平凡だが、「広岡」は自分で考え、自分で試している。
 この時に、「広岡」を殴った相手は、「星」のようだが、次回には分かるだろう。

そして、最後に、部屋が微かに揺れるようなパンチを叩き込んでみた。

 いかに安普請の建物であろうと、拳を痛めることもなく、こんなパンチを叩き込めるなんて、やはり只者ではなかった。



朝日新聞連載小説『春に散る』沢木耕太郎第165回2015/9/17

 「星」は、一緒に住もうという話には乗らなかった。「佐瀬」と「藤原」も「広岡」の所へ進んで来る気配は感じられない。
 ジム仲間の3人は、「広岡」がいくら金持ちになっても、その金を当てにして世話になろうという気持ちは持たないと思う。
 そして、「広岡」の方は、他の人に強引に自分の考えを押し付けることはしないだろう。ジムのコーチ役を引き受けなかったように、決して自分から他の領分へ出しゃばることはしない。
 「広岡」には、他の人を深追いしない、そして、自分の役割が済んだと思うと、自ら身を引く姿勢を感じる。


広岡は相手を殴るどころか、体に触れることもできなかった。

 ここがボクシング観戦の魅力でもあるが、それを分かるようになるにはそれなりの経験がいる。
 

朝日新聞連載小説『春に散る』沢木耕太郎第164回2015/9/16

 昔の仲間が困っていて、助けてほしいと思っている。だが、その気持ちを素直に言葉にすることができない。こちらは、相手のその気持ちが分かってしまう。そんな時どうするか。「広岡」のように、相手の気持ちの中までは深入りしないという選択もある。

もしかしたら、言葉とは裏腹の、異なる思いがあるのかもしれなかった。だがそれを斟酌しすぎるのはやめようと広岡は思った。

 一方では、相手の言葉の裏を読み取り、積極的に助ける選択もある。その方が、困った状況に具体的な手を差し伸べることになる。そういう場合もあるだろう。 
 

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