本屋のとなりは写真館

新聞連載小説『ひこばえ』重松清・作 川上和生・画 の感想と、読んだ本の感想を更新しています。

な朝日新聞連載小説『門』夏目漱石第12回2015/10/7

 遺産の邸を売り払うことは宗助にとって本意ではなかったろう。だが、家に戻って、家を継ぐ事情にはなかったし、その気もなかったようだ。
 家というものに対する意識がここに表れていると思う。土地と邸は、家父長が継ぐ制度の時代であったのに、家の制度についての意識はずいぶんと現代に近いと感じた。そうしなければならない事情といいながら、土地と邸を金に換えて、整理するところは現代と変わらない。
 一家族が所有する土地家屋を基盤として、そこにさまざまにきまりとしきたりが付随して、家の制度ができ、現代でもその名残がある。
 個人よりも家に重い価値を置く時代から、個人の方に重きを置く考え方への変化がこの頃から既に始まったのであろうか。

朝日新聞連載小説『春に散る』沢木耕太郎第185回2015/10/7

 ヘミングウェイの小説についての私の感想は4人の誰とも違っていた。
 ただし、自分では4人の感想と少しずつ重なる部分があったと思う。
 星が言ったように、一瞬の判断でつかんだ戦法で大金を得たという所には、勝者と敗者の区別を単純にはつけられない世界がありそうだ。そして、そこにボクシングの特質があると思う。

朝日新聞連載小説『門』夏目漱石第11回2015/10/6

彼のような過去を有っている人とは思えないほどに、沈んでいる如く

 どんな過去があろうと、今の生活は今の時間の中で過ぎていく。だが、現在の自分から過去を完全に切り離すこともできない。

 日本の近代の夫婦の暮らし方の要素を抜き出すと、宗助と御米の暮らしに近いものになると思う。そして、そういう暮らしの実態を描いている文学を、私は今までに読んだ記憶がない。

朝日新聞連載小説『春に散る』沢木耕太郎第184回2015/10/6

 プロボクサーを目指しているのだから、藤原のように、ボクシングをして稼ぐことができる金に注目するのは、当然だ。よりよい状態で生活するために大金を得たいと思うことは、ボクシングでの努力の動機になるはずだ。
 だが、金銭があれば、それだけで幸せとは限らない。ボクサーとしてのプライドがなければ、苦しい練習と試合を乗り切れないだろう。佐瀬が考えたように、金を稼ぐのはいいが、その稼ぎ方が問題だ。ボクサーとしてのプライドを捨てたジャックに、後悔はなかったが、幸せもなかっただろうと私は感じた。

朝日新聞連載小説『春に散る』沢木耕太郎第183回2015/10/5

「いつだ?」
広岡と常にスパーリングをしている藤原が不思議そうに訊ねた。


 回想の場面が続いている。説明が多くなるが、要所要所に会話表現が入る。
 ここでは、「いつだ?」が入ることによって、その時の藤原の表情と広岡の思いが感じ取れる。その言葉そのものは、日常交わされるものでも、一言によって、過去が現在になる。
 また、ある一言が、何気ない一場面を長く記憶に残すこともあると思う。


ある意味で、星は自分の恩人なのだ

 決して楽しい思い出ではないので、こう思う人と、そうは思わない人がいる。人との出会いを、広岡のようにとらえる人が好きだ。


朝日新聞連載小説『春に散る』沢木耕太郎第182回2015/10/5

 自分の理想に近いボクサーや、その所属ジムのスポンサーになるというのは、現実にあると思う。しかし、ボクシングの経験がないのに、ジムを作り、そこで選手を育てることを本業としてではなくやるというのは、空想の領域だと感じる。

 人は年を取るにつれて空想をしなくなるようだ。しかし、空想をしなくなったら、それは生命力が下降してきた証拠だと思う。
 この頃、私は自分にとって現実に起こりそうなことは考えるが、現実には起こりそうもないことを考えることが少なくなった。想像するだけでなく、空想することをやってみたいと思う。

 広岡にきれいなパンチをあびせた男は、やはり星だった。作者は、読者にそれを上手にほのめかしていた。
 

朝日新聞連載小説『春に散る』沢木耕太郎第181回2015/10/3

 応募してきた若者を、採用するかどうかは、履歴の書類や実技テストやペーパーテストや面接などを総合的に評価して決める。これは、プロスポーツの場合でも共通する部分があるだろう。
 私が、就職のときはこうだったし、その後に採用する側に回ったときも同様だった。
 
 だが、真田会長の場合は違っていた。その決定は、広岡に次のような思いをもたせた。

自分という存在そのものを認めてくれているように思えた。

 そして、その決定は広岡に次のように感動を与えた。

体の奥底から強烈な喜びが湧き起こって来た。

 私は、合格した時に、上のような喜びを感じたことはないし、合格を認めた応募者にこのような感動を与えたこともないだろう。
 分析し、総合し、数値化した人物評価の限界だからだと思う。


 

朝日新聞連載小説『門』夏目漱石第10回2015/10/2

 切実な頼み事をしたのに、相手は返事を先延ばしする。または、引き受けたとも断るともはっきりとした返事をしない。こういう場合は、たいていは断るつもりなのだ。宗助は、そのことをわかっているのだろう。

 家族のことを描きながら、必ず世の中の動きにも触れられている。宗助は、一見家族のことにも、外の社会のことにも、冷淡に見える。しかし、その両方へ眼を向けていることも確かだ。

朝日新聞連載小説『春に散る』沢木耕太郎第180回2015/10/2

人間というものは本質的に無限に自由でいて無限に孤独なものなんだ


ボクサーは、リングの上で相手よりさらに自由であるために、日夜、必死にトレーニングを積んでいる


 野球ができなくなり、ボクシングならなんとかなるかもしれないと考えて、やって来た若者は、ヘミングウェイの小説をつまらないと言った。その若者が言ったある言葉が、真田にこんなことを言わせたのだ。

 この設定だから、この言葉がより伝わってきた。
 

朝日新聞連載小説『門』夏目漱石第9回2015/10/1

 平穏そうな宗助の家族に、そうともいえない面が見えた。
 今は子供のない夫婦だが、そこには何か事情がありそうだ。また、寄宿舎にいる弟には、学費の心配がありそうだ。
 何も心配事のない人などはいないと思う。それは、家族でも同じだ。一人の場合と違って、家族の場合の方が、順調なことも心配なことも共有されて、感じ方が増幅されると感じる。
 子供についての宗助の一言は、御米の様子を変えた。小六の頼み事についての宗助の態度は、小六を苛立たせたようだ。

朝日新聞連載小説『春に散る』沢木耕太郎第179回2015/10/1

 最後の大逆転についての広岡の感想は、私も同じように感じていた。
 でも、広岡が言った「自由」は思いつかなかった。

ボクサーは勝つも負けるも自分で選ぶ自由がある

 これはおもしろい見方だ。チーム競技以外で一対一の対戦をする競技にはこういう要素がある。特にボクシングでは、勝つか負けるかは、自分の力と意志だけで決まるといえるのではないか。

朝日新聞連載小説『門』夏目漱石第8回2015/9/30

 伊藤公暗殺事件は、当時としては大事件であったはずだ。漱石は、取材をしたり解説をする立場にはなかったろうが、これほどの大事件なので、無関心でいられるはずがない。

 宗助は、この事件に関心はもっているが、興奮する様子も自分なりの意見をもつこともない。それどころか、まるで歴史上のことのように、客観的にとらえている。
 いくら小説の中の人物とはいえ、同時代の大事件にこれほど冷淡な態度をとれるのは特別なことだと思う。
 ここには、口ではいろいろに言っても、国の指導者のことは所詮は他人事だという庶民の感覚が描かれていると思う。
 それと、同時に新聞報道されている事は、事件の真相の一部に過ぎないことを、宗助は知っていると思う。
 そして、宗助のこういう態度は、作者のものであるのだろう。

朝日新聞連載小説『春に散る』沢木耕太郎第178回2015/9/30

 私の感想と、広岡の感じたことは真逆のものだった。


そこで広岡が言い淀むと、真田が試すような口調で訊ねた。

 今回の広岡は訊ねられたことに非常に明確に答えている。真田の話をすぐに理解したのだろう。
 三度読んだということは、三度考えた、いや三度以上考えたということでもあると思う。


 私は、『老人と海』を何度か読んだ。映画も数度観た。20歳代と60歳代では、その感想が全く違っていたことを思い出した。

朝日新聞連載小説『門』夏目漱石第7回2015/9/29

 宗助の日曜の夕方の気分がよくわかる。
 次の休日には、あれをしようと思いながら、いざ当日になると、なかなかそれを実行できなかったことが、私にもよくあった。そして、そのことはなんとなく怠惰の証拠のように思えて、自分で認めたくなかった。そんな気持ちも含めて、終わろうとしている日曜日の気分になった。

 この夫婦と弟の様子からは、平凡で穏やかな日常が感じられる。

朝日新聞連載小説『春に散る』沢木耕太郎第177回2015/9/29

 前回の私の予想は外れた。

こうしてジャックは試合に負けることによってめでたく五万ドルの賭けに勝つことになるのだ。

 試合の途中で、相手を倒せる戦略を見つけ、それを実行して勝つ。しかも、その戦略は、自分に大きなダメージを与えた相手のやり口に学んだものだった。
 実力が拮抗した者同士のボクシングの試合は、カウンターパンチのように、勝敗が紙一重で決まる。そこに、醍醐味もある。
 ジャックのやったことは、賭け金のための八百長と反則を抜きにすれば、ボクシングの最高の戦い方と共通していると、私は感じた。
 もう一つ思ったことがある。ジャックは、反則負けだ。しかし、ジャックのうちでは、相手の反則負けを見事に封じて、掛け金を手に入れたのだから、勝者になる。
 勝負には、表面的な勝敗と、内実の勝敗があると感じた。

 広岡は、どんな感想を書くのだろうか。

 

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