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新聞連載小説『ひこばえ』重松清・作 川上和生・画 の感想と、読んだ本の感想を更新しています。

朝日新聞連載小説『国宝』吉田修一・作 束妹・画第291回2017/10/26

 古書店なら働くといっても、忙しいことはあるまい。店番でもしながら芸能に関する書籍を、俊介は読み漁ったか。それとも、芸能専門書のしかも古書店となると、その方面に相当詳しい人が出入りするはずなので、古典芸能を知り尽くしている人物に、俊介は出会ったか。
 
 一方、春江の方は予想通り、俊介を養っていた。喜久雄も父が死んでからは、春江のヒモのようなことをしていた。
 今評判の歌舞伎の半弥と新派の半二郎、その二人がそれぞれ短い間とはいえ、春江のヒモだったことになる。

朝日新聞連載小説『国宝』吉田修一・作 束妹・画第290回2017/10/25 

 発見された俊介と春江がどうやって暮らしていたか、明らかになるのを楽しみしていたのが、9月1日第238回感想だから、ずいぶんと待たされた思いだ。身を隠している間の二人の物語は、予想の一部は当たっていた。ここから、旅回りの一座で舞台に上がるまでには、まだ何かがあるのだろう。松野という男も登場しそうだ。
 そして、今になって、このことが語られるのは、理由があるに違いない。それは、歌舞伎と新派で人気を争っている今の喜久雄と俊介の今後に、これから語られる出奔中の二人の物語が、大きな影響を与えることになるのだろう。

朝日新聞連載小説『国宝』吉田修一・作 束妹・画第289回2017/10/24

 深い霧がゆっくりと晴れるように、春江の気持ちがみえてくる。
 それと同時に、家を出た俊介の気持ちもわかってくる。喜久雄への憎しみや父への恨みは、今回まででは感じられない。
 それならば、なぜに家を出たか。
 父のこと、母のこと、家のこと、喜久雄のこと、それらをじっくりと考えたなら、すべてを捨てて家を出ることなどできなかったであろう。「本物の役者になりたい。」「全部自分でやってみたい」そんなことだけだったから、親を捨て、友の女を奪って、姿を隠すことができのだろう。

朝日新聞連載小説『国宝』吉田修一・作 束妹・画第288回2017/10/23

その一
 春江は、男の我がままと弱さをすべて受け入れる女なのだろうか。少なくとも、自分本位の行動や、男に甘えることをしないのは確かだ。
 俊介と二人きりでいながら、喜久雄も一緒にいるような春江の感覚とは何を意味するのだろうか。


その二
俊ぼんがどんくらい春ちゃんに甘えとったか、簡単に想像つくわ。

「俺な、なるべく全部自分でやってみたいねん」

 この相反することが、どう結びつくのか。

「いや、ほんまやで。万が一でも俺がお偉いさんなんかになってもうたら、それこそ『天下の弁天、万引きで逮捕』とか『天下の弁天、痴漢の現行犯』とかな、一番みっともない姿晒(さら)して、この世界から堂々と干されたるわ」

「弁ちゃん、ほんま変わってへんわ」

「いや、ほんまやて。唯一、王様を笑えんのが芸人やで。それが王様になってどないすんねん」
 
 人気が出て、多くの観客を喜ばせるのが、芸人だと思っていた。確かに、真の芸人には観客を魅了する芸とともに、弁天が言っている面がある。
 喜久雄と俊介に「唯一、王様を笑えんのが芸人やで」という意識があるとは思えない。


(略)悔しいやら情けないやらで、「ここでこうせなんやったら、俺、一生、後悔するわ」と先に呟きまして、不貞腐れている喜久雄に掴み掛かりますと、そんな気持ちなら役者なんかやめてしまえと、顔だろうが体だろうが容赦なく殴りつけたのでございます。(280回)

 この時の徳次は、実に真っ当な考えと行動を見せている。
 歌舞伎のためなら一人の女性を犠牲にしても仕方がないと思っていた喜久雄は、自分の誤りに気付いたようだ。だが、そこから喜久雄が、今までの考えをすっかり変えたとはまだ思えない。
 
 弁天と徳次は、喜久雄と俊介以上に、独りで生きていかなければならない辛さと下積みの苦労を味わっている。

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