本屋のとなりは写真館

朝日新聞連載小説『国宝』『ディス・イズ・ザ・ディ』の毎回ごとの感想と、読んだ本の感想を更新しています。

2015年04月

朝日新聞連載小説『春に散る』第24回
 「広岡」がアメリカでの手術を断った理由が分かってきました。
 それは、「日本に帰ろうと思うんです。」という気持ちからでした。でも、その日本に帰りたいという思いは、懐かしさと故郷恋しさだけではないようです。

どうして日本に帰らなければならないのか自分でもよくわからなかった。だが、日本にも何かの心残りを残しているように感じられる。それが何なのかまったくわからないままに何かをし残しているという感じがしてならない。

なかなか複雑な心境です。それを巧妙に表しています。好きな表現です。

朝日新聞連載小説『それから』第18回
 「代助」は普段は何をしているのでしょうか。
 今までの回から分かることは次のようなことです。本を読む、芝居を見に行く、絵を見に行く、家で特に何もせずに過ごす、そして日常の雑事は婆さんと書生にさせています。
 一方、友人の「平岡」は、新しい就職先と住まいを探して、忙しそうです。

 私も現在は仕事はなく、病み上がりだからと家事もろくにしていません。でも、使用人はいないので、できる用事は自分でやらなければなりません。
 「代助」の時代と違うのは、テレビ・インターネットがあるので、それらの前で過ごすとけっこう忙しいことになっています。 

朝日新聞連載小説 『春に散る』第23回
 主人公に、何か重大なことが起こっているのだろうという予想は当たりました。若い頃の心臓発作後の治療に更に本格的な手術による治療が必要なことを、医師から告げられていたのです。
 「広岡」は、その手術を受けることを断っています。

胸骨を二つに割って胸を開けるという手術をする前に、何かしておかなければならないことがあるような気がしてならなかった。

 「広岡」の心境がこのように書かれていました。

 私は数ヶ月前に、開腹による手術を勧められて、それを受けました。手術はうまくいって現在は体力の回復に努めています。
 リスクを伴うような手術を受けるかどうかを決断する前は、その手術を受けることが必要かどうか、そして可能かどうかを、診断してもらうまでの検査に長い時間がかかりました。そして、その検査の間の入院中は、精神的な動揺がありました。むしろ、手術を決断して、実際の手術と予後の治療のための入院中の方が、気持ちは楽なくらいでした。                              

 主人公の手術を決断する前の気持ちに共感できました。

朝日新聞連載小説 『それから』第17回
 「代助」の祖父と父と伯父は、侍として生きた経験のある人物であったことが書かれていました。明治時代を生きている「代助」が、彼の祖父や父や伯父とは全く異なる考え方と感覚を持っていたことは、想像できます。それにしても、この父子の隔たりは非常に大きいと思います。

 昭和に生まれた私は、江戸時代の人と明治時代の人との間に大きな違いを感じますが、それは現代でも当てはまるのかもしれません。
 私の祖父は、明治の生まれです。祖父は、亡くなっていますが、平成の人から見ると、祖父や父と、私との間にはとてつもなく大きな違いを感じているようです。
 例えば、「家」というものについての考え方にしても、大きな隔たりがあります。明治大正の時代には、家土地は長男一人が継ぐもので、分割して相続するなどということは考えられませんでした。その家土地を基盤として、三世代の家族が一緒に生活するのはごく普通の姿でした。
 それが、私の時代、昭和になると、逆の方向になりました。家土地は分割して継がれ、親子孫三代どころか、親子二代が一緒に生活する暮らし方は完全に少数派になりました。
 現代も、祖父と父の時代と、私の時代の隔たりは相当に大きいと自覚した方が正しいと思います。

 「代助」が、今後父との隔たりをどうしていくのか、これは現代の問題でもあります。

朝日新聞連載小説『春に散る』第22回
 「広岡」は、40年間日本に帰っていなかったのでした。
 ここまでの回では書かれていませんが、この回を読んで次のようなことを想像しました。
 日本で、アマチュアボクサーとして抜群の強さを顕していた「広岡」は、プロのボクサーとして世界チャンピオンになる夢を叶えようと、十代の後半にアメリカに渡った。アメリカでの厳しい環境に耐えて、彼は次第に認められるようになりつつあった。しかし、教えてもらいたかったトレナーからは、「チャンピオン中のチャンピオンになる才能はない。」と言われ、教えてもらうことを断られた。けれど、彼は諦めずに練習を重ね、チャンピオンへの階段を昇っていった。そんな二十代前半の彼を、心臓発作が襲った。ボクサーとしての夢を断れた彼であったが、援助してくれる人がいて、実業の世界で仕事を始めた。二十代後半からビジネスマンとして、アメリカで無我夢中で働き、実業の世界で生計を立てられるようになった。その間、彼は、故国日本を思い出すことも、帰ることもなく、現在に至っている。その「広岡」も六十歳を間近にしていたのだ。
 このような想像が湧きました。この小説は読者の想像力を搔き立てる力をもっています。
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朝日新聞連載小説 『それから』第16回
 「代助」の縁談候補は、父の命の恩人と言ってもよい人の縁につながる女性でした。
 時代は、明治ですが、「代助」の父が若い頃に起こした事件は、侍の時代のことだったのです。若い頃のこととは言え、そういう体験をもった人が明治を生きていたことは驚きです。

 私自身は、第二次大戦にまつわる体験の記憶はありません。
 しかし、若い頃の日常生活で次のようなことは珍しいことではありませんでした。蒸気機関車で通学する、北海道なのに学校の体育館には一切の暖房がない、家の飲料水は井戸水、トイレは水洗ではない、などいくらでもあげられます。
 こういうことは、平成生まれの人々にとっては、前の時代の驚くべきことなのでしょう。
 人は、若い頃の体験から一生抜け出せないのかもしれません。

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朝日新聞連載小説 『春に散る』第21回
 今回で、多くのことが分かりました。「広岡」は、ボクサーとして成功する夢を断たれ、落胆している人だと思っていました。そうではなくて、実業の世界で生きる道を見つけたようです。
 そう言えば、タクシーで遠距離を来たことや泊まるホテルや持ち物には、経済的な余裕さえ見えていたのでした。
 だが、次の文章から彼の身に新たに迫っている不安があるのではないか、と思います。


一度でいいからキューバを見てみたかった。もう自分の残り時間は少ないのかもしれない。

                                              

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朝日新聞連載小説 『それから』第15回

 どうやら「大助」に、縁談があるようです。しかも、縁談の相手は「大助」にとって何かつながりのある女性のようです。


候補者の姓は知っている。けれども名は知らない。年齢、容貌、教育、性質に至っては全く知らない。何故その女が候補者に立ったという因縁になるとまたよく知っている。


 漱石の文章にしては回りくどい書き方です。複雑なことをズバッと簡潔に書き表すかと思えば、このように念入りに書く場合もある、ということに気づきました。これは、この女性と「大助n」の今後に何かある、と予想できます。
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朝日新聞連載小説 『それから』第14回

 男と女は、ものの見方、そしてものの言い方が違うと思います。私は、年々そう思うことが多くなりました。
 例えば、妻と私が、これから先の夫婦の生活を考える場合にも違いが出ます。妻は、現在のいろいろな条件から出発して、先の生活設計をするスタイルです。私は、先の生活がこうなればよい、という所から考え始めます。お互いが与えられている条件は同じなので、結論はそんなには違いません。でも、出発点と、途中経過は違ってきます。


 この小説に「大助」が対等に話すことができる女性が始めて登場しました。それが、兄嫁の「梅子」です。
 親友と父親に、現在の生活について非難めいたことを言われても、全く応えなかった「大助」ですが、「梅子」には、散々言われて、弁解することもできません。
 「大助」の弱点は、女性なのでしょうか。その辺のことが、これから分かってくると思います。

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朝日新聞連載小説 『春に散る』第20回

 「広岡」がキーウェストに来た理由が分かりました。
 「広岡」は、コーチしてもらいたかったトレーナーの「ペドロ・サンチェス」に、指導を断られました。それは、現役ボクサーとしてチャンピオンを目指していた「広岡」を落胆させた出来事であったことが想像できます。
 ただし、当時の「広岡」には、望みをかけたトレーナーがもう一人いたのでした。そのトレーナーがキューバにいることを、「広岡」は知っていましたし、なんとかコーチをしてもらいたいと願い続けていたようです。
 しかし、心臓発作で倒れた「広岡」は、チャンピオンになることも、キューバのトレーナーに教えてもらうことも、ボクシングを続けることさえも諦めるしかなかったのでしょう。
 その彼が、一度も会ったことさえないトレーナーがいるという「キューバを見てみたい」と思い立ったことが書かれていました。


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朝日新聞連載小説 『春に散る』第19回

 「広岡」は、旅先で2日目の朝を迎えました。観光名所と言ってもここでは、灯台くらいしかないようです。その灯台の階段を「広岡」は昇って行きます。

 どんな観光地でも名所という場所には、何か独特の雰囲気があります。そこは由来と歴史のある場所です。そして、由来と歴史だけでなく、いつも人目にさらされている場所です。
 観光客が多いときは、賑やかで華やかで、取り澄ました場所になります。観光客がいなくなると、急に雰囲気を変え、ホッとした古びた様子を取り戻すようです。
 私は、どちらかと言うと、人の少なくなったそういう場所が好きです。寂れていると言えば、そうですが、寂れた雰囲気もまたいいものです。

 「広岡」は、その灯台の階段で、誰にも会いませんでした。少し前まで大勢いた観光客は、一斉にそこを離れたようです。きっと、彼は人のいない灯台の最上階からメキシコ湾を見渡すことになるのでしょう。


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朝日新聞連載小説 『春に散る』第18回

 「広岡」が倒れた原因は心臓発作でした。もう少しで手遅れになりそうな心臓発作だったことが描かれています。
 心臓に深刻な病気があるということは、ボクサーを続けることはできません。ボクサーを続けるどころか、車の運転さえ危険だとされたようです。

 重い病気を発見されたということは、二つの意味をもつと思います。手遅れにならない内に発見され、治療に入ることができて、幸運だったという面があります。一方、そのような病気にかかった場合は、長い期間、あるいはその後生きている限りは、その病気と付き合っていかなければならないという面もあります。
 軽い風邪であっても、その後の身体にはなんらかの影響が残るのではないでしょうか。それが、重症の病気の場合は、それがきっかけで生活がガラリと変わることがあります。
 そして、人は生きている限り病気から逃れることはできないのです。




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朝日新聞連載小説 『春に散る』 第17回

 倒れて身動きできないでいた「広岡」は、部屋のクリーニングに来た女性に偶然発見されました。
 
 偶然ということをあまり信じていませんでした。偶然に助かったというような経験がなかったせいだと思います。
 ところが、実際に今回の私の病気は偶然に見つかったのです。大腸の検診をしてもらいに受診した病院で、今までの検診ではやらなかった腹部のエコー検査で、すい臓に異常が見つかったのでした。
 これは、かかりつけの医師からも、よく発見されたと言われるほど、偶然性の高いことのようです。

 これだけでなく、今までを振り返って見ると、偶然に起こったことで助かったということはたくさんあるように思えてきました。意図しないできごとで、振り返って見ると、良い方向に進んでいたということはあるものです。逆に、望んで、計画を練って進めたことが、予測と違って悪い方向だったということも少なくありませんでした。
 思うようにならないから、おもしろいとも言えます。

朝日新聞連載小説 『それから』第13回

 「大助」と、彼の父親との話は言い争いにさえなりません。お互いの言葉がぶつかり合わないのです。
 父である「長井」は、誠実と熱心が生きていく上で大切だと「大助」に説教します。
 「大助」も、誠実と熱心の大切さは認めています。
 ただ「長井」にとっての誠実と熱心は、どの時代でもどんな場合でも変わらないものとしてとらえられています。
 「大助」にとっての「誠実と熱心」は、次のようなものです。

自分の有する性質というよりはむしろ精神の交換作用である。


これでは、言葉は同じでも、議論はかみ合いません。

 さて、私も「誠実と熱心」の「熱心」について考えてみました。
 「仕事に熱心に取り組む」というときに、「仕事」の内容が問題になります。自分がやりたかった仕事であり、やりがいを感じる場合があります。一方、金を得るための仕事であり、ノルマとしてやる場合があります。
 前者は価値のある「熱心」であり、後者は「熱心」というよりは、忍耐というべきです。 だからと言って、「大助」のように考えることもできません。
 生計を立てるために仕事に就き、その仕事に就いたからには、手を抜かずに続ける「熱心」は、現代でも価値があると思います。

 私が「長井」の立場かと言うと、そうではありません。どちらに近いかと問われれば、「大助」に近いことを感じます。


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