朝日新聞連載小説 『それから』 夏目漱石 第十回 4月14日分
今回で、「大助」の家庭のことが明らかになりました。
「大助」が、働かなくても困らない環境にいることも分かりました。
では、「大助」が、資産家の一族の人だから、世の中の平凡な悩み事に煩わされないのか、というとそうではないようです。
会(たま)に兄と弟(おとと)が顔を合わせると、ただ浮世話(うきよばなし)をする。(略)陳腐に慣れ抜いた様子である。
「大助」の兄弟は、事業に関わっていますが、経済的なことや教育の程度は共通のものです。だが、兄弟の様子は、上のように書かれています。資産家であっても、世間一般のことに、大いに興味を持っているということです。
もう一つ気になったことがありました。前回の感想で、江戸から明治への時代の変化を、『それから』に感じました。それに関連のありそうなことが、この回に出てきました。
「大助」の兄の嫁は、
(略)天保調と明治の現代調を、容赦なく継ぎ合わせたような一種の人物である。
と、されています。
そして、「大助」は、親族の中で、この兄嫁のことを、唯一好ましく思っているようです。
明治の新しい風物を取り入れて生活していても、感覚と精神が過去のままの人は、「陳腐」とされています。「明治の現代調」を、無理矢理にでも、好みや感覚に取り入れていく人は、「大助」にとって、好ましい存在なのだと感じました。
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2015年04月
精神の状態を表す文章 『それから』 夏目漱石
朝日新聞連載小説 『それから』 夏目漱石 第九回 4月13日分
江戸時代の文学の中で、人間の精神の状態がどのように表されているかについてはよく分かりません。でも、私の乏しい知識の中では、昭和以降の小説の中でのものと大きく違うだろうと思っています。
彼の神経はかように陳腐な秘密を嗅(か)いで嬉しがるように退屈を感じてはいなかった。
「大助」の精神の状態の表現です。こういう文章は、現代でも目にします。文体を少し変えると現代の文章との違いは見つけられないと思います。というよりも、このような見方と書き表し方を超えることができていないのでしょう。
不運で不幸なことの続いた友人が打ち明けたことを、「かように陳腐な秘密」と表現しています。仕事上での苦しい人間関係と、親が子を失ったこととを、このように言い切っています。
これは、漱石の視点と考えてよいと思います。
江戸時代の武士が大事と考えていたものは、主従の関係のようです。また、庶民が大事と考えたのは、親子の関係と言われています。
政治も文化も大きく変わったのが、江戸から明治です。政治と文化の大変化は、人の精神へも影響を与えたのでしょう。
今までにさんざん言われてきたことでしょうが、漱石の視点は、江戸時代とは大きく違い、平成の現代とはあまり違っていないと感じました。
今も、「かように陳腐な秘密を嗅(か)いで嬉しがる」、言い換えれば、スキャンダルを暴く本がたくさん出ていることと比べても、漱石の思想の新しさを感じます。
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1パーセントのチャンスをものにするのは 『春に散る』第13回 沢木耕太郎
朝日新聞連載小説 『春に散る』第13回
「ミラーの試合を録画で何十回も見て (略) ミラーのディフェンスに穴が空くのは、そのときだけです。」
「ナカニシ」のこのコメントのニュアンスは、間に合わせの通訳のせいで、観客にもテレビ観戦の大多数の人々にも伝わりません。「広岡」にはよく伝わります。
相手がいくら優勢でも、可能性はどこかにあるはずと信じて、無闇に挑戦するのとは違っていました。相手のことを録画で研究して、一か所だけの自分の勝機について知っていたのです。
「ナカニシ」のこの言葉について、「広岡」は次のように思っています。
(略) ナカニシの勝ち方には、かつての自分には考えもつかないような思考の柔軟性があった。
優勢な対戦者を倒すには、厳しい練習となにがなんでも勝つという強い気持ちをもつことだと、思ってしまいます。
でも、「広岡」は、そうは考えていません。わずかな勝機をものにするのは、「思考の柔軟性」だと考えていました。
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99パーセント負ける 『春に散る』 沢木耕太郎
朝日新聞連載小説 『春に散る』第12回 沢木耕太郎
大逆転で勝利した「ナカニシ」は、インタビューに次のように答えます。
……九十九パーセント負けると思っていたけど、百パーセントじゃない。その一パーセントに何が起こるかわからないのがボクシングだ、と自分に言い聞かせていました。
私は、99パーセント負けると思ったら、なんとかみじめじゃないような負け方を求めるだろうと思いました。
スポーツだけではなく、勝敗がつくゲームをする場合に、自分の負けのパーセントが高いときは、それをひっくり返そうと強く思ったことがありません。
慎重で堅実だといえば、それも当てはまります。
挑戦しようという気持ちに欠けるといえば、それもおおいに当てはまります。
でも、この回を読み、これからの時間の中では、残り1パーセントの勝ち、可能性を求める心をもつのも悪くない、と思います。
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1秒に満たない 『春に散る』 沢木耕太郎
朝日新聞連載小説 『春に散る』 第11回 4月11日分
劣勢一方だった「ナカニシ」が逆転勝利しました。
そのパンチを鼻と額の中心で受けたナカニシの頭が、ガクッと背後にのけぞるのを見て取ると、さらにこれが最後の一発だというような凄まじい右のフックをボディーに叩(たた)き込んだ。いや、叩き込もうとした。
この直後のカウンターパンチが大逆転を生んだのです。
圧倒的に優勢だった「ミラー」の瞬間の動きを見事に描いています。そして、「ミラー」自身も観客の誰もが予想しなかった動きを「ボディーに叩(たた)き込んだ。いや、叩き込もうとした。」と表現しています。
しびれる表現です。
現実の世界では、瞬間をまるで長い時間のように感じることは、特別な場合にしかできないでしょう。しかし、言葉の世界では、時間をこのように操ることができるのです。
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ボクシング観戦の心理 『春に散る』
どこか泥臭い
テレビで観た映画 『ブロンコ・ビリー』 監督クリント・イーストウッド
私が観たクリント・イーストウッドは、どの映画でもいつも同じ顔をしていると感じます。役柄によって表情や雰囲気が変わるということがありません。ウェスタンの賞金稼ぎも大都会の刑事も、見終わって残る印象はクリント・イーストウッドを観たというものです。
高倉健にも同じようなことを感じます。それだけ圧倒的な個性の持ち主なのでしょう。また、それで多くの人に愛され続けるのですから、スターとはいえ、人間にはとてつもない個性があるものです。
この『ブロンコ・ビリー』に、私はあまり感動しませんでした。ストーリーは、なんとなくボンヤリしたものでした。時代背景と主人公の行動は、チグハグな所を感じました。
ところが、主人公をリーダーとして信頼している今にもつぶれそうなサーカスの冴えないメンバーが魅力的なのです。そして時代遅れで、どこか間の抜けた所があるサーカスのスターを演じるクリント・イーストウッドに、温かさが感じられるのです。
彼は、どの作品でもスーパーマン的な存在です。そして、完全無欠なスーパーマンではなく、どこか泥臭さを感じさせる面を持ったヒーローだと思います。
同情すべきことなのに 『それから』 夏目漱石
理想 『それから』 夏目漱石
朝日新聞連載小説 『それから』 第七回 4月9日分
「大助」の考えが次のように出てきました。
いわゆる処世上の経験ほど愚(ぐ)なものはない
麵麭(パン)に関係した経験は、切実かもしれないが、要するに劣等だよ。麵麭(パン)を離れた贅沢な経験をしなくちゃ人間の甲斐(かい)はない。
私は最近こういうものの言い方を聞いたことがありませんでした。
人間は、物質面だけを求めて生きているわけではなく、心の豊かさがなければ生きている意味はない、というような考え方はなんとなく頭の中にはあります。でも、「大助」のように、それを実行に移しているわけではありません。
私の今の生活が、理想と美を求めることを何よりも大切とする考え方から遠ざかってしまったのでしょうか。
平成の今、大助のような人がいたらどう思われるでしょうか。時代が違うというだけでしょうか。
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親しい友だちが離れる理由 『それから』 夏目漱石
朝日新聞連載小説 『それから』 第六回 4月8日分
「大助」と「平岡」の関係は、次のようなものでした。
殊に学校を卒業して後、一年間というものは、殆(ほと)んど兄弟のように親しく往来した。
だが、「平岡」が職に就き、結婚してからは手紙のやりとりもだんだんに減ってきたとあります。
平岡の一身上に急激な変化のあったのは争うべからざる事実である。
以前の「大助」と「平岡」は、学校生活を共にして、しかも性格や行動の特徴も互いによくあったのでしょう。それが、距離的に時間的に離れてしまい、環境もずいぶんと変わってしまっています。そうすると、考え方も互いに変化してくることが描かれています。
友だちとして親しくなる要素として、お互いの性格や行動の仕方によると思いがちです。でも、その前にお互いが共有する時間や距離が近いということが土台になるのでしょう。
現実の生活でも、親しかった者同士なのに互いの考えが分からなくなってしまう場合が珍しくありません。そこには、共に過ごす時間と距離が離れてしまったことがいちばんの原因なのでしょう。
私のような年代の夫婦間と親子間でも、これはよく話題になります。例え、同じ家に住んでいても、共に過ごす時間の中身がなければ、それはもう取り返しのつかないことになるはずです。
感想がとんでもない方向に向かいましたが、人と人が疎遠になる様子を改めて示された感じです。
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