本屋のとなりは写真館

朝日新聞連載小説『国宝』『ディス・イズ・ザ・ディ』の毎回ごとの感想と、読んだ本の感想を更新しています。

2015年05月

『病床六尺』 正岡子規
 子規は、次のように書いています。
 病気が重くなってくると、いろいろな問題が起こる。「死生」の問題は大問題だが、いったんあきらめてしまえば解決されてしまう。それよりも、大きな問題は病人の家族の問題だ。家族がどのように看護してくれるかが、病人の苦痛を和らげるか、またはより苦しい思いをしなければならないかを決める。
 
 これは、現代の病人にも当てはまる気持ちです。現代は、病気が重いときは、入院ということになりますが、その場合には、医師の診断と治療が中心になります。けれど、実際の入院生活を経験すると、看護師のはたらきが、入院患者の生活の質を決めることが多いのです。
 手術後の痛みに苦しめられた際には、お医者さんの処置が頼りです。でも、痛みが来そうなことを伝え、痛み止めが効いてきたことを伝える相手は看護師さんです。ただ、麻酔の薬に頼るだけではありませんでした。痛みの箇所と度合いを伝え、それを理解してもらう看護師さんの仕事が、患者の気持ちを楽にしました。

 子規の時代は、一家の主の看病はその家の女性がするのが当然だったと思われます。そのことは、現代とは違いますが、介抱、看病が病人にとっての「大問題」だというのは、よく分かります。

 そして、現代で入院をしている場合にも家族の看護ということは、病人にとって大きな要素になると思います。 
 それは、現代の日本のように、高齢者が多く、家庭の人数が減っている時代には、より深刻な問題になっていることを、実際に経験しました。今は、病人の看病や高齢者の介護は、看病や介護される方だけでなく、看病や介護する方にとっても大問題なのです。

朝日新聞連載小説『春に散る』沢木耕太郎第45回
 たまに昔の写真を見ると、若い頃は、現在よりも生き生きした外見だったことが分かります。個人の中でだけ比べると、若い頃の方が少なくともツルンとしています。おかしな気負いや恥ずかしい服装やポーズもありますが、それでも、現在よりは見栄えはしていました。
 目指していることも、現在よりは生きのよいものでした。ただし、それほど価値があると思えない夢や目標であったことも確かです。 

 「広岡」は、チャンピオンになることができずに、日本に戻ってきました。「広岡」とともに、ボクシングに励んだ仲間の一人は、傷害事件を起こして刑務所に入っていることが分かりました。
 年を取ると、現実に押し流されたことが分かります。
 でも、それは、負の面だけなのでしょうか。

朝日新聞連載小説『それから』夏目漱石第32回
 退職してからは、酒を飲むのも家が多くなりました。この頃は酒を飲んで話をする機会は本当に減りました。今は、家で飲むこともしません。
 若い頃は、議論というのに当てはまるかどうか分かりませんが、自分から進んで友人や同僚と飲みに行きました。今は、それを懐かしいとも思いません。
 当時は、そういう場があってよかったのだと思います。理由はよく分かりませんが、自分が年を取っていく過程と、仕事を続けるための精神状態をつくるためには、気の合う仲間と酒を飲むことは役に立ったと思います。

 昭和の頃の宴会は、本音を出し合うコミュニケーションの場になったという意見もあります。職場の人間関係の不平不満を吐き出すことによって、それを解消する場になったという意見もあります。
 でも、今振り返って見ると、果たしてそうだったか、と疑問に思います。ある時期からは、職場の同僚との宴会はぐっと減りましたが、それを続けていれば、昔通りの人間関係をつくることができたでしょうか。そんなことはないと思います。
 家族も、学校も、職場も、昔の方が人と人との結びつきがあったというのは、当てはまらない気がします。社会の中で、家族も学校も会社も、それ自体が変化したのですから、それを構成する人と人の関係が変わるのは当然なのだと思います。
 
 今の若い人たちは、一人か少人数で、カラオケボックスに行ってカラオケをするのがおもしろいのでしょう。私は、それをしても、すぐに飽きてしまいます。若い頃の私は、スナックに仲間と一緒に行き、酔っぱらいながら話をするのがおもしろかったのです。今の若い人は、そんなことに興味をもたないでしょう。それだけの違いなのです。

 
 議論の上では、「平岡」は「代助」を言い負かしているようです。そして、「平岡」は、自身を敗者だとしています。
そうしながら、「三千代」の目から見ると、「平岡」は機嫌良く、得意になっているのです。
 「平岡」は、「代助」のことを、次のように決めつけています。
君はただ考えている。考えているだけだから、頭の中の世界と、頭の外の世界を別々に建立して生きている。
 このように、言いながら、「代助」と話すことを、楽しんでいるようです。

朝日新聞連載小説『春に散る』沢木耕太郎第44回
「あいつらの住所、どうしたらわかりますかね。」
 主人公の一言です。今までは出てこなかったことです。過去のボクサー仲間についても、その後の彼らについてどう思っていたかも。
 こういう一言が出るということは、主人公の帰国と彼らの動向に、何か関係あるのでしょうか。
 小説の展開として見ても、あまりに突然の一言です。

ラジオNHK第一 大相撲中継
 テレビで相撲の中継を見ることはほとんどありません。ラジオだと聞くことがあります。
 先日、カーラジオで、偶然に白鵬と逸ノ城戦を聞きました。立ち会う寸前まで、落ち着いて、白鵬の優勢を解説者と伝えていたアナウンサーが、一瞬間、何も言いません。その代わりに場内の大歓声だけが聞こえました。
 ラジオの中継がおもしろかったので、テレビの相撲中継を見てみましたが、すぐに興味を失いました。
 なぜ、ラジオの方がよいか、よく分かりませんが、ラジオ中継とテレビ中継には、映像のあるなしだけでなく、何か根本的な違いがあるようです。
 
 今日の白鵬戦の中継が終わりました。両者立って、数秒の内、白鵬の勝ちを言ったアナウンサーが「白鵬強い。」の一言を叫んでいます。
 そして、今は、臥牙丸の初金星を興奮した声で伝えています。更に、臥牙丸が、インタビューに答える息づかいが聞こえています。

病床六尺 正岡子規
 毎朝、テレビで国際ニュースを見ます。新聞を読みます。インターネットも使います。
 それなのに、世界への関心が広がっているかというとなんともいえません。世界への関心どころか、国内の出来事と地域の出来事に敏感になって、それについて物事を考えているかというと、それも怪しいものです。
 この頃は、広く物事を見るよりは、自分の興味のあることにしか目がいかなくなっています。

 子規の時代は、テレビはおろかラジオもありません。世の中の動きを知るには、新聞と書籍、そして見舞いに来る友人などとの話しかなかったようです。
 
 『病床六尺』には、身の周りのことや絵画や書籍のこと以外に次のようなことが取り上げられています。
 靖国神社の庭園の造りについて。近眼の人の不幸について。女に酒をのまない人が多いことについて。教師として真面目に働いても、家族を養うことができない経済の仕組みについて。今度大学を卒業した者の何人かが米国などの会社に入ることについて。
 そして、ただ珍しいこととして取り上げているだけでなく、子規自身の意見が述べられています。
 世の中の動きについて、関心を持ち、自分の考えを持つということは、情報をたくさん得られるということに比例しないのだと感じました。

朝日新聞連載小説『春に散る』沢木耕太郎第43回
 退職しても、仕事をしていた頃の人たちと交流することを大切にしている人もいます。学生時代の同級、同窓の関係を大切にしている人もいます。幼なじみとのつながりを切らないようにしている人もいます。
 私は、そのどれもあまり大切にしてはいません。

 「広岡」は、ボクシングを続ける続けないに関わらず、日本にいたならば、このジムと当時の仲間との関係はいやでも続いていたと思われます。
 「広岡」は、現役のボクサーを諦めたのに、日本に帰らなかっただけでなく、日本の知り合いと連絡さえ取っていないようです。何か事情があるのでしょうが、それと同時に過去の人間関係を引きずらないという「広岡」の性格を感じます。
 でも、今後の展開は、過去のつながりが出てくることでしょう。それも、継続していたものではない、つながりです。

朝日新聞連載小説『それから』夏目漱石第31回
 この回の「代助」が自己についての考えるところを読み、私自身のことで、次のようなことを思いました。

 自分のことを価値のある人間だと思ってきました。そして、自分のよい所を他人から認められるように努力をしてきました。それは、20歳代の頃も現在も変わりはしません。
 ただし、若い頃に比べると、そういう気持ちにも変化はあります。
 自分の価値を、世の中の人と比べて特殊なものであるとか、格段に優れているというようには思わなくなりました。
 また、他人から認められたいということも少なくなりました。
 自分でそのように考えたというよりは、それが現実だったというのが正確なのでしょう。
 私がこんな風に考えるようになったのは、中年以降でした。
 
 「代助」は、人生経験を積んだ結果でなくて、「彼自身に特有な思索と観察の力によって」、小説の中の現在の境地に辿り着いています。
 そこに、社会的な地位と知識としての理想論だけを身につけているような人を、見抜く眼を感じます。

薬のいらない体は酵素がつくる!』 鶴見隆史
 自分で、選んだ本でも、勧められた本でもありません。妻が、私の病後の食事のために、食品栄養素の本を選ぶときに、何かの参考になるだろうとついでに買った本でした。私は読もうと思っていませんでした。
 退院後は、自分でも食事に気をつけていたことは確かです。
 入院中の食事の特徴は、徹底して魚中心でした。それまでも、年齢や治療を続けていた生活習慣病の治療のためを考えて、食事の内容は変えてきていました。でも、生野菜を毎食摂ることはあっても、毎日魚を食べるということはしませんでした。回数からいうと、魚よりも肉が多く なっていました。ですから、最初のうちは慣れないというよりも驚いてしまいました。病院の食事は、毎日魚が出て、肉は週に1、2回だったのです。そして、そういう献立をだんだんと自然に感じられるようになりました。
 退院後も、それに近い食事内容が続いています。献立と、調理は妻なので、私は大きなことは言えませんが、入院中の食事内容を忘れないことと、入院中に受けた栄養士さんの栄養指導を守るようにしています。

 そんな気分から、この本も手にとってみたのです。さて、この本でなるほどと思ったことがいくつかありました。
 現在の食事は、揚げ物と脂身の多い肉は食べないので、脂質は、ずいぶんと少なくなっています。そうすると、さすがに脂質が不足するようです。そういうときに、青魚以外にはナッツ類やオリーブオイルが脂質を摂るには適しているらしいことが分かりました。
 生野菜はドレッシングは使っていないので、オリーブオイルを少量かけることと、無塩のアーモンドを量を決めて食べることをやってみています。

 こういう献立は、健康第一というよりも、今までと違うおいしさを感じるようにしています。

 話題は変わりますが、この本のようにお手軽に読めて、読者の疑問に対する答えだけが書かれている体裁になっている本が、よく買われるということは、よい風潮ではないと思います。読者のひとりとして反省しなければならないと思います。
 今回の私のような食事についての疑問は、個別の事情に基づいたものですし、著者もそれについては個別に指導助言するようなケースだと思います。
 不特定多数の人々をまとめて健康にするような方法が、1冊の本にすべて書かれていることなどありえないと私は思います。 

朝日新聞連載小説『それから』夏目漱石第30回
 「平岡」は、自分が失敗していないのに仕事を失っていました。また、最近我が子を亡くしています。その上、学歴と意欲があるのに、次の就職先は思うように見つかっていません。
 「代助」は、そんな「平岡」がいらついた態度で自分を迎えたことを、「気の毒になった」と思っています。しかし、反面では、周囲へ当たり散らす友人の態度を「甚だ不愉快に響いた」とも感じています。

 思うように収入の口が見つからず、その上に家庭内には問題を抱えている。確かに、困難な状態です。またこういう状況は、今日もそれほど珍しいことではありません。
 このような状況にある人にどんなことを感じるか、むずかしいところです。
 この回まででは、私は、「平岡」は苦しいのだろうとは理解できますが、同情するという気持ちは湧いてきませんでした。これは、「代助」の気持ちと重なるような気がしました。

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病床六尺 正岡子規
 病気の苦しみが表現されています。
ここに病人あり。体痛みかつ弱りて身動き殆ど出来ず。頭脳乱れやすく、目うるめきて書籍新聞など読むに由なし。まして筆を執つてものを書く事は到底出来得べくもあらず。

もうかうなると駄目である。絶叫。号泣。ますます絶叫する、ますます号泣する。

 
三十八、三十九は、苦しみと救いのない病状が短く綴られています。
 どこかに救いを見つける。あるいは、心の内を綴ることによって苦痛を減ずることができる。そういうものは見つかりません。
 宗教も、病苦を味わった人からの言葉も子規の苦しさを救いません。麻酔剤も効かなくなり、死ぬ方がましであるが、殺してくれる者もいないとまで書かれています。
 だが、なにか分かりませんが、決然としたものを感じます。四十二に次のような部分がありました。
あきらめるよりほかはないのである。

けだしそれはやはりあきらめのつかぬのであらう。笑へ。笑へ。健康なる人は笑へ。病気を知らぬ人は笑へ。

 
私の病気は、検診の中で見つかったので、苦痛はおろか自覚症状が全くありませんでした。発見された病気の治療のための手術こそ、消化器系の手術では最も難しいもののひとつ、と主治医から言われましたが、子規のような苦痛は皆無でした。
 でも、ここの「あきらめ」ということは、少し理解できます。だが、「笑へ。」の心境は、よく分からない境地です。  泣き悲しむ、嘆き恨む、絶望して自棄になる、ということとは異なる、何か、決然としたものだけを感じます。

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朝日新聞連載小説『春に散る』沢木耕太郎第42回
 気になっていましたが、40年ぶりなのに、なぜ「令子」が「広岡」のことを分かったのか、について書かれています。私の予想は外れて、この回では、「広岡」の髪型のせいだという「令子」の言葉が再び書かれていました。
 日本では、最近見なくなった髪型だが、アメリカで日系の床屋さんに刈ってもらっていた、という話をおもしろいと思いました。集団で海外へ移住をした日本人の社会では、移民当時の日本の風習がそのまま残るということを聞いたことがあります。髪型には、はやりすたりがあるので、こういうことも実際にあるのだろう、と思わされました。

 「広岡」のように、海外で40年も暮らして、全く日本に帰ってきていないと、自分の身についている日本のいろいろなことは、当時のままなのでしょう。言葉遣いにしても、服装の流行などについても、40年の開きというのは相当なものだと思いました。

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『病床六尺』 正岡子規
 この作品(日誌)の三十四で、「水難救済会」のことが書かれています。当時の団体のことで、詳しいことは分かりませんが、子規の文章からすると、難破船の救助のための民間組織のようです。
 そして、当時の「赤十字」には会員が多く集まっているが、日常的には「水難救済会」の方がよほど役に立っているとして、「赤十字」の活動よりも、「水難救済会」の活動に加わるべきだ、という意見を述べています。
 病床から動くことのできない子規の関心としては、ずいぶんとかけ離れたもののように思えます。しかし、子規の関心は、絵画のことや書籍のことや枕辺のことだけではありません。当時として知りうる範囲で、社会の動きについても、関心を持ち、このように意見を述べています。

 私は入院の当初は、考えることのほとんどが、自分の病気のことでした。特に、治療方針が決まるまでの検査のための入院中は、どんな診断が下るのだろうか、とそればかりが頭の中を巡っていました。ですから、身体的には、それほど負担のない検査が続いても、精神的には辛い時期でした。
 ただ、本を読む習慣と、ラジオを聴く習慣はあったので、それで気を紛らすことはできました。テレビも見ましたが、病院の消灯時間後は、イヤフォンで聴くラジオが頼りでした。ラジオを聴きながら、病気のことばかり考えてもしょうがないと思い始めました。
 そして、治療が終わって退院できたらあれをしよう、というようなことを考えたり、ラジオでニュースなどにも関心をもつようにしました。
 これは、入院中の精神状態をよくするために、役に立ったと思います。

 自宅で、治る見込みを持てない病の床にあった子規が、このような関心を持っていたのは、強い精神力の賜だと思いました。

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朝日新聞連載小説『それから』夏目漱石第29回
 「代助」は、兄と兄嫁が話したことを、珍しく楽しげに受け取っています。それは、自分のことを、「のらくらしているけれども実際偉い」と言っていると、甥の口を通して聞いたからでした。

 人から褒められるというのは、気持ちのよいものです。特に親しい人からであれば、尚更でしょう。親兄弟間では、褒めるということはめったにないことです。また、めったにないだけでなく、心で思っていてもなかなか面と向かって口に出して言えないものです。
 兄と兄嫁が話していたことを、本人たちからではなく甥の口を通して聞く、という設定がうまいところです。

 これが、褒めるのではなく悪口であれば、全く逆の効果になります。私の経験からいうと、この逆の場合の方が世の中で多く見かけます。他人が、自分の悪口を言っていたと、第三者から聞く、これほど不愉快なものはそうはありません。

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朝日新聞連載小説『春に散る』沢木耕太郎第41回
 「令子」は、「広岡」のことが分かった理由を、髪型が変わっていなかったから、と言いました。

 私は、40年前の知り合いと、人混みの中で出会ったら、その人を見抜くことはできないでしょう。相手も、そうだと思います。クラス会のように、昔一緒にいたことのある人たちに会うということが分かっているのではなく、偶然の出会いであれば、たいていは互いを認め会えないでしょう。
 でも、相手に対して、何か特別な感情を持っていた過去があるときは、また別だと思います。「令子」は、「広岡」の髪型のせいだと言っていますが、それだけではないでしよう。

 それにしても、私自身のことを考えてみると、40年ぶりといっても、私が20歳代後半の頃になります。私は今もそれほど変わっていないと思っていましたが、髪型も変わり、見た目はすっかりと別人になっ ていることでしょう。
「ああ、あ。」

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