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新聞連載小説『ひこばえ』重松清・作 川上和生・画 の感想と、読んだ本の感想を更新しています。

2015年06月

朝日新聞連載小説『それから』夏目漱石第58回2015/6/23

 この回の「代助」の結論を読んでも感心するようなところは、私にはない。結論そのものよりは、そこに至までの過程がおおげさでおもしろくないと感じるのだ。
 これは、文章表現の時代性に影響されていると思う。私にとっては、明治大正期の文学は中途半端に古いものなのだ。
従って自己全体の活動を挙げて、これを方便の具に使用するものは、自ら自己存在の目的を破壊したもの同然である。
 例えば、上のような文章を今の若い読者は、どのように読むのであろうか。
 
 連載のスタイルでこの名作を今掲載する意図に疑問をもつ。まさか、元々朝日新聞に連載された作品だからというような理由ではないと思うが。

朝日新聞連載小説『それから』夏目漱石第57回2015/6/22

けれども、顧みて自分を見ると、自分は人間中で、尤も歯痒がらせるように拵えられていた。
 私にとって、「代助」はまさにこの通りだと思ってしまう。豊かな才能があり、富裕な家に生まれて30歳にして働きもせずに一軒家を構えている。
 だが、羨ましい存在とも感じられない。「代助」が人間について考えていることも社会について分析していることも、明解で独特だと思う。だが、そこからどう行動していこうという進路が見えて来ない。その意味では、「代助」の行動そのものだ。だから、読者として「代助」の思考と行動を歯がゆく感じるし、親しみも湧かない。

 この回の「代助」が自身について感じていることは、漱石の苦しみの一部でもあるのだろう。
彼の頭は、彼の肉体と同じく確かであった。ただ始終論理に苦しめられていたのは事実である。
 漱石は、「代助」と違って、肉体の病にも苦しんでいたことが知られている。

朝日新聞連載小説『春に散る』沢木耕太郎第81回2015/6/22

 ボクサーとしての希望が叶わなかった「広岡」だが、今はアメリカの実業の世界でそれなりの地位にいる。現に日本に帰ってきても生活に困る様子はない。更に、ボクサーを諦めた理由は病気によるものだ。普通なら刑務所に収監されている昔なじみに対して、同情と意識しなくても優越感をもつはずだと思う。ところが、「広岡」からはそのような感じを受けない。
 もしも、「たいへんだな」の言葉を呑み込まなければ、「藤原」の方がそれを感じたかもしれない。

 日本に帰ってからの主人公に、命に関わるような病気に罹っている様子が出てこないが、そのことは今後どうなっていくのだろうか。

朝日新聞連載小説『春に散る』沢木耕太郎第80回2015/6/21

「広岡」は、「藤原」を世界チャンピオンになれるボクサーであったと、今でも思っている。「藤原」は、ジムの会長が一番世界チャンピオンに近いのは「広岡」であると思い続けていたことを、話した。
 互いに、なぜそうならなかったのか、という問いを投げかけ合っているようだ。今はその答えが見つかってもどうにもならない境遇にいる二人だが、問いかけないではいられない気持ちが伝わって来た。

朝日新聞連載小説『春に散る』沢木耕太郎第79回2015/6/20

 刑務所にいると、時間の経過が世間とずれることになる。日本にいなかった「広岡」と刑務所にいる「藤原」、この二人には日本の社会の時間の経過があてはまらない。
 小説の巧妙な仕組みだ。

朝日新聞連載小説『春に散る』沢木耕太郎第78回2015/6/19

 刑務所に着くまでの時間の長さが感じられる。それと同時に「広岡」が日本にいなかった年月の長さが間接的に描かれていると感じた。
 日本にいなかった40年間は、日本の発展が経済面を優先したものであったことも、込められているのであろう。

朝日新聞連載小説『それから』夏目漱石第56回2015/6/19

 「三千代」への「代助」の気持ちが強くなっていく過程が描かれている。自分の気持ちが明らかになってくるにつれて、彼女が「平岡」の妻であったことを重く感じてしまう「代助」の気持ちが伝わってくる。
三千代はやはり離れがたい黒い影を引きずって歩いている女であった。
 この文にも、それが表れている。巧緻な表現だが、明治時代のものだという感じもした。

 「代助」は、帰り際の「三千代」に次のように話し、行動している。
貴方という文字をことさらに重くかつ緩く響かせた。

セルの上へ男の羽織を着せようとした。
 こういう言葉と行動には、どうも「代助」の恩着せがましさと煮え切らない態度を感じてしまう。それも作者の意図なのか。

朝日新聞連載小説『春に散る』沢木耕太郎第77回2015/6/18

 「広岡」はタクシーの運転手と会話している。このような場面はこの小説の特徴だ。
 一人で住んでいて近所に家族も知り合いもいない。そういう人には話し相手もいない。話す相手というと、お店の店員やタクシーの運転手しかいないということになる。そういう見方をすると、主人公は話し相手を求めている人ということになる。だが、「広岡」には、話し相手を求めているという気配は少しもない。むしろ、タクシーの運転手の方から話しかけている感じすらする。
 見ず知らずの人が話しかけたくなる存在というのはどういう人なのだろうか。

朝日新聞連載小説『春に散る』沢木耕太郎第76回2015/6/17

 大変に気に入った文がこの回にあった。
 列車の進行に沿って姿を変える富士山、その変化につれて気持ちが変わる様子が描かれている。そういう思いの変化に導き出された次の文がよかった。
どんなものでも、遠くから見ているときの方が美しく見えるからだろうか。どんなに恋い焦がれているものでも、近づいてはいけないということだろうか、と。

朝日新聞連載小説『それから』夏目漱石第55回

 「代助」と「三千代」の会話はかみ合わない部分があるようだ。誰に対しても、相手の出方を予想できてしまう「代助」が彼女に対してはそれができていない。
 百合の花についての二人の感じ方の違いは、過去についての二人の感じ方の違いがあるような気がした。

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