本屋のとなりは写真館

朝日新聞連載小説『国宝』『ディス・イズ・ザ・ディ』の毎回ごとの感想と、読んだ本の感想を更新しています。

2015年06月

朝日新聞連載小説『春に散る』沢木耕太郎第78回2015/6/19

 刑務所に着くまでの時間の長さが感じられる。それと同時に「広岡」が日本にいなかった年月の長さが間接的に描かれていると感じた。
 日本にいなかった40年間は、日本の発展が経済面を優先したものであったことも、込められているのであろう。

朝日新聞連載小説『それから』夏目漱石第56回2015/6/19

 「三千代」への「代助」の気持ちが強くなっていく過程が描かれている。自分の気持ちが明らかになってくるにつれて、彼女が「平岡」の妻であったことを重く感じてしまう「代助」の気持ちが伝わってくる。
三千代はやはり離れがたい黒い影を引きずって歩いている女であった。
 この文にも、それが表れている。巧緻な表現だが、明治時代のものだという感じもした。

 「代助」は、帰り際の「三千代」に次のように話し、行動している。
貴方という文字をことさらに重くかつ緩く響かせた。

セルの上へ男の羽織を着せようとした。
 こういう言葉と行動には、どうも「代助」の恩着せがましさと煮え切らない態度を感じてしまう。それも作者の意図なのか。

朝日新聞連載小説『春に散る』沢木耕太郎第77回2015/6/18

 「広岡」はタクシーの運転手と会話している。このような場面はこの小説の特徴だ。
 一人で住んでいて近所に家族も知り合いもいない。そういう人には話し相手もいない。話す相手というと、お店の店員やタクシーの運転手しかいないということになる。そういう見方をすると、主人公は話し相手を求めている人ということになる。だが、「広岡」には、話し相手を求めているという気配は少しもない。むしろ、タクシーの運転手の方から話しかけている感じすらする。
 見ず知らずの人が話しかけたくなる存在というのはどういう人なのだろうか。

朝日新聞連載小説『春に散る』沢木耕太郎第76回2015/6/17

 大変に気に入った文がこの回にあった。
 列車の進行に沿って姿を変える富士山、その変化につれて気持ちが変わる様子が描かれている。そういう思いの変化に導き出された次の文がよかった。
どんなものでも、遠くから見ているときの方が美しく見えるからだろうか。どんなに恋い焦がれているものでも、近づいてはいけないということだろうか、と。

朝日新聞連載小説『それから』夏目漱石第55回

 「代助」と「三千代」の会話はかみ合わない部分があるようだ。誰に対しても、相手の出方を予想できてしまう「代助」が彼女に対してはそれができていない。
 百合の花についての二人の感じ方の違いは、過去についての二人の感じ方の違いがあるような気がした。

朝日新聞連載小説『それから』夏目漱石第54回

「代助」は、「三千代」の前ではごく平凡な男の感覚になってしまうように描かれている。自分の使ったコップを「三千代」が使おうとすることに戸惑う。婆さんがいないと、自分ではコップの場所が分からずあたふたしている。
 一方「三千代」は、ずいぶんと奔放な行動を見せている。鈴蘭の漬けてあった鉢の水を飲むところなどは、読者としてもびっくりさせられる。
 コップを置いて部屋を出て行く、などの部分に、この小説の設定が細やかであることを感じる。

朝日新聞連載小説『それから』夏目漱石第53回

 珍しく冷静さを失った「代助」の姿があった。しかし、その状態を冷静に自覚している所はやはり彼らしさを失っていない。

朝日新聞連載小説『それから』夏目漱石第52回
 不快な蟻の動きが書かれている。ここからは、「三千代」に対して「代助」が行動を起こすことへの暗い予感が感じられる。
 「平岡」に対しての「代助」の気持ちの変化が書かれている。
 ここからは、「代助」「三千代」「平岡」の関係が困った方向に進んでいく予兆が感じられる。
 その上、「代助」は、父から迫られていることへの返事も解決法もなんら準備していないようだ。

朝日新聞連載小説『それから』夏目漱石第51回
 「代助」は、昼寝のために花の香りを準備している。その上、どの花の香りでもよいというのではなく、その時の気分に合わせたものを選んでいる。擬宝珠の葉と葉の縞模様の成長具合を毎日見ている。その葉の色が気分にぴったりすることもあれば、ぴったりと来ないこともある。
 家の庭にも擬宝珠(ギボウシと呼んでいる)があって成長の速い植物だが、「代助」のような見方をしたことはない。
 また、「代助」は次のように考えている。
 現代(明治時代)日本の不安は、「人と人との間に信仰がない原因から起こる野蛮程度の現象」である。
 私は、「信仰」という語を「人と人」につかうのを見たことがなかった。今の言葉でいうと、「信頼」に近いのか、でも違うようだ。「親和」が近いのかもしれないが、「親和」という語も一般的ではない。それよりは、「協調」や「協力」という意味合いと考え方が近いようだ。
 
 これらには、「代助」の感覚の繊細さと論理性が大いに表れている。

 私は、このように描かれる感覚にも論理にも感心する。だが、この主人公を好きにはならない。こんな感覚はやっかいだなと思う。

 鈴蘭の香りは淡いものではないのにと思って、もう一度読み直してみると、北海道から運ばれ、さらに大きな鉢の水に茎ごと漬けられた状態であった。それならば、香りも淡いものであろう。

朝日新聞連載小説『春に散る』沢木耕太郎第75回
 「広岡」が具体的な予定や計画を持っていない、ことがだんだんに分かってきました。
 「心残り」と向き合うために行動しようとしているのだと思います。
 「藤原次郎」に会いに行くこともそういうことなのでしょう。過去を見つめ直す「広岡」に、相変わらず「佳菜子」の行動が絡んできます。

朝日新聞連載小説『春に散る』沢木耕太郎第74回

その言葉のやり取りのうちに、広岡は佳菜子の賢さだけでなく、他人の傷つきやすいところに踏み込むのを恐れる気持ちが強いらしいことも感じた。

 沢木耕太郎の作品を読んだこともなく、名前も知りませんでした。購読している新聞の連載だったから読み始めただけでした。読み継いでよかったと思います。上の引用のような感性が好きです。「らしい」のつかい方にも作者の心配りを感じます。ブログランキング・にほんブログ村へ

朝日新聞連載小説『春に散る』沢木耕太郎第73回
 「ありがとう」という言葉を大切にする作者の心を感じました。

 イチゴの表現に感心しました。日常の食べ物についての「広岡」のとらえ方は、作者の見方そのものだと思います。スーパーで普通に売っているイチゴの表現を気持ちよく読めました。ブログランキング・にほんブログ村へ

朝日新聞連載小説『春に散る』沢木耕太郎第72回
 文章表現というのはおもしろいものです。
 主人公がアパート住まいを始めた様子は簡単に描かれています。だが、「佳菜子」が「広岡」の部屋にやってきた場面は詳しく描かれています。それによって、「広岡」がアパート住まいを始めた様子が浮かんできます。ブログランキング・にほんブログ村へ

朝日新聞連載小説『春に散る』沢木耕太郎第71回
 先が見えてきました。
 主人公が日本に戻ってきた理由が感じられます。

心が残っていること、心を残していることが何もない。
 「心残り」という言葉をこうとらえている所が新鮮でした。

これから何をしたらいいのか。
 「広岡」は相変わらずこう感じています。でも、私は「広岡」が日本に帰ってきた理由と気持ちが、この回で分かってきました。ブログランキング・にほんブログ村へ

朝日新聞連載小説『春に散る』沢木耕太郎第70回
 「広岡」が何をするつもりなのか、なかなか先が見えてきません。それによって、読者の期待がふくらみます。

 蕎麦の味の表現がよい感じでした。

 「佳菜子」をさりげなく「土井佳菜子」と書いていて、重要な登場人物になっていくことが予想できます。ブログランキング・にほんブログ村へ

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