本屋のとなりは写真館

朝日新聞連載小説『国宝』『ディス・イズ・ザ・ディ』の毎回ごとの感想と、読んだ本の感想を更新しています。

2015年10月

朝日新聞連載小説『門』夏目漱石第20回2015/10/21

 御米はずいぶんと淡白な性格だと感じた。
 明治時代であっても、夫の財産にはもっと関心があっても当然だろう。ましてや、小六の学資のことは、夫婦の家計に響くことになりそうなのに、夫を問い詰めるようなことを、御米は一切しない。
 宗助は、遺産のことを諦めるにしても、御米のようにさっぱりとはしていない。どこか、未練がましい。
 だが、この夫婦は苦労や心配を抱えても、互いを責めることなく、ますます寄り添っていくことはよく伝わってくる。

朝日新聞連載小説『春に散る』沢木耕太郎第199回2015/10/22

広岡には、この部屋にいても、特にしなければならないことはなかった。

 引退後の生活は、これに尽きるなあ。趣味とか引退後の人とのつながりとかいうが、それは「しなければならないこと」にはならない。「しなければならないこと」とは、それをしないと生活費を稼げない仕事のことだ。仕事場でなく自分の部屋にいても、職に就いているときは、いつも仕事のことが頭のどこかにある。逆に、自分や家族を養うための「しなければならないこと」があり続ける人は、引退した人とはいえない。
 現役の間は、稼ぐためにあくせくすることから逃れたいと思い続ける。引退後は、やりがいのあることを見つけようといつも思う。そういうものなのだろう。
 そして、引退後は、「特にしなければならないことはなかった」という生活をするのは、幸せだと思う。

朝日新聞連載小説『春に散る』沢木耕太郎第198回2015/10/21

テーブルの上に置いてある携帯電話が振動している音が聞こえた。

 広岡の生活ぶりは、興味深い。
 ベランダに来るネコの様子がよく見えるのは、ベランダに余計な物を置いていないからだ。昼間だし、広さもある部屋なのに、携帯電話をバイブにしている。
 映画の描写で、一人暮らしの中年女性の部屋のベランダの床がビールの空き缶で埋まっているのを見た。どこでも携帯電話の呼び出し音を鳴らし、大きな声で応答しているのは老年の男が多い。
 自分の部屋を掃除、整頓する。隣室などに電話やテレビの音で迷惑をかけない。
 これらは、マナーの問題というよりは、日常生活の能力だ。広岡は、自立して暮らす能力が高いと感じる。

 現実の社会では、広岡のような能力を持たない人を、多く見る。金がないのは困るが、こういう日常生活の技術に欠けるのも困りものだ。
 広岡のように暮らしたいと思う。


何か暗い影のような過去があるのだろうか…。

 佳菜子の過去については、以前の回(143・148)でも気になっていた。 

朝日新聞連載小説『門』夏目漱石第19回2015/10/20

 宗助が継ぐべき遺産は、実際に受け取った額の何倍もあったであろう。また、小六の学資についても潤沢と言えないまでも卒業までの額はあったに違いない。
 全て、叔父夫婦の身勝手な処置のせいで、正当な遺産を食いつぶされたといってよい。
 だが、叔父夫婦のことばかりも責められない。宗助には、父の考えに背いた過去があるようだ。当時は、父の方針に真っ向から背くことは、家業と一家の財産を継ぐことの拒否になったのであろう。
 そういう、経緯があったとしても、父の没後に実家に戻り、財産の処分を、全て宗助自身が行うことは可能だったようだ。
 宗助が、自分で財産の整理を行うとすると、今の役所勤めを続けるのは無理であったろう。そうなると、職を失うことになる。職を失っても宗助夫婦と小六の生計が成り立つほどの金額があったかというと、借金もあったということから怪しくなる。
 そう考えてくると、叔父を強く責める立場にない宗助の姿が浮かび上がってくる。

朝日新聞連載小説『春に散る』沢木耕太郎第197回2015/10/20

 広岡はやはりこまめに自炊していた。
 男の一人暮らしで、自炊を本格的にやるというのは珍しい。広岡は、今や完全に仕事をしていない引退した男だ。その広岡が、家事をこなし、食事を調理する際には喜びさえ感じている気配を感じる。そういう境遇にある男の暮らし方として、広岡の自炊に興味を感じる。
 一般的には、老いた男の一人暮らしは、飯は外だし、掃除洗濯などはごくたまにしかしないとなるだろう。だが、それでは、あまりに情けない。しっかりと取り組んでみると、家事は奥が深くおもしろい。

 味をつける前の肉や魚をネコの餌とするところなぞは、私と同じ感覚を感じる。私も、ネコにもイヌにもペットフードが最高の餌だとは未だに思えない。だいたいが、ネコにやる食べ物のことを、ゴハンというのさえ、抵抗がある。餌という明確な語があるのだから、それでよいと思っている。
 ただし、家のネコは、療法食のペットフードだし、それを注文した動物病院からは、「○○ちゃんのお食事が届きましよ。」と電話がかかってくる。それを、あえて「餌を受け取りに行きます。」などとは言わない。


 

朝日新聞連載小説『春に散る』沢木耕太郎第196回2015/10/19

昼食後、広岡は食器を片付け、洗い物を済ますと

 ご飯を自分で作っているということだ。しかも昼食だから、朝、晩も自炊しているのだろう。
 一人暮らしで、欠かせないものは、家事の能力だ。今は炊事・洗濯・掃除も便利な用品がたくさんある。それだけに知識と技術が必要だ。
 私は、病後は家にいる時間が長くなったので、ご飯作りを手伝ってみた。やってみて初めて、気づいたことがある。毎日のご飯の準備は、今まで考えていた「料理」とはちょっと違っていた。
 「料理」のイメージは、何を作るかを決めて、材料をそろえるという手順が一般的だ。でも、毎日の食事は、食材として何があったかから始まることが多い。食材を買いに行くにしても、毎日のことだから、売っているもののなかで、何が新鮮で安いかで決めることが多い。
 それに、毎食を作る上で一番大変なのは、後片付けだと分かった。
 広岡は、それをきちんとこなしているようだ。


ラジオを聞いたり、本を読んだりするだけで充分に満足な時間を過ごすことができていた

 この感じよくわかるなあ。部屋を整頓し、自炊し、ラジオに本、これでネコの世話をすれば暇どころか、忙しいくらいだ。


朝日新聞連載小説『春に散る』沢木耕太郎第195回2015/10/18

 そうなんだよなあ。
 思いがけないことで、自分の歳を自覚させられるんだよなあ。
 広岡は、若い頃と髪型が変わらない。体型も変わらない。どう見ても、アメリカ帰りで裕福なかっこいい男だ。
 だが…
 年齢はそれなりの変化をもたらしているに違いない。若々しい身体をもっていても、老人とは思えない精神をもっていても、それは、若い身体でも青年の精神でもないのだ。
 ただ、親しい人のイメージだけは、歳を取らない。それに、自分でもつ自身のイメージもなかなか歳を取らない。ある時、それに気づくのだ。

 ショーウインドーに映った姿が自分だとわかって驚く。最近撮られた写真の自分の姿が信じられない。誰しもが経験することだろうが、ショックなできごとだ。


 昔の仲間の元ボクサーの現実を突きつけられ、自分が老いたことを突きつけられ、どうなるのだろうか。普通なら落ち込んで、意気消沈して、また日本を去るところだが。

朝日新聞連載小説『春に散る』沢木耕太郎第194回2015/10/17

 3人のことに注目してきたが、広岡自身は経済的に不安がないというだけで、その他の事情は昔の仲間と変わらない。

自分は自分で心臓の発作という爆弾を抱えて戸惑っている。

 今後の人生をアメリカにするのか、日本に戻って来るのかもはっきりしていない。アメリカで暮らすにしても、孤立していることに変わりはない。
 そういえば、日本に戻るという考えはここまでの広岡の言動からは全く出てきていない。

それらの困難は老いの必然と受容すべきものなのか。それとも克服すべきもの、抗すべきものとして存在しているものだろうか…。

 「それらの困難は老いの必然」、これは事実だ。家族に恵まれていても、老いていくと「孤立」に近づく。長生きをすると、
親しい人と自分の能力を「喪失」する。どんなに準備しても、加齢による「病苦」に無縁ということもあり得ない。そして、それらを避ける道はないので、「受容」するしかない。だが、「受容」するとは、諦めてしまうことではないと思っている。


 女将の言ったことにのって、この店に広岡が長くいるとは思えないのだが…。
 

朝日新聞連載小説『門』夏目漱石第18回2015/10/16

 どうしようもない事情だ。叔父はとんでもない人だ。だが、全くの悪意や詐欺まがいの行動とも言い切れない。恐らく、叔母の言うように、叔父の金回りがよければ、小六の学資は続いていたのかもしれない。
 小六自身は、父が亡くなるまでの生活を考えると、自分の生活費と学費について心配しなかったのは無理もない。
 とにかく、叔父が亡くなってしまっては、打つ手なしということだ。

朝日新聞連載小説『春に散る』沢木耕太郎第193回2015/10/16

 意外にあっさりと女将の話が続いた。
 どうも女将の話の方が事実をとらえているようだ。真琴の店と家の立ち退きを、星が求められていたことからも、真琴の商売が順調だった気配はない。金銭的に困っていた理由は、星の行動にあるらしい。

 藤原、佐瀬、星、3人ともが幸福といえないボクサー引退後の生活を送っているようだ。幸せといえないどころか、このままだと、生活費にも困る孤独な老人になるしかない。
 金もなく家族もなく気持ちも荒んでいる3人の元ボクサーのことを知った広岡は、これからどうするのだろうか。元ボクサーのための老人ホームを作っても、星はそういう場所を喜ぶとは思えない。他の2人も安易に広岡の好意に甘えるとも思えない。

朝日新聞連載小説『門』夏目漱石第17回2015/10/15

 迂闊と言えば、迂闊な話だ。父の遺産の正確な価値も、その内のどれほどが弟の学資に回されるのかも知らないでいたとは。


 だが、これに近いことは現代でもよくあると思う。親の遺産の処分を滞りなくできる方が珍しいのかもしれない。それは、遺産配分には、利害関係が複雑に絡み合い、手続きが非常に煩雑であることが一因であろう。
 そして、最大の理由は、一生の内で親の遺産相続にかかわるのは、両親の場合があったとしても、二度しかないからであろう。
 遺産に関係したことだけでなく、人は重要な経済上の問題を棚上げして暮らすことがある。目の前の生活費を捻出することに追われていると、我が子の将来の教育費を考慮できなくなる。また、老後の貯えが大切なのはよく知っているが、そのためにどれ程の額が必要かを計算しようとしない。たとえ老後のために必要な金額を算定したとしても、そのために今欲しいものを我慢することができない。
 これは、人の欲望に負けやすい傾向と見ることができるが、今の大量消費社会の根本的な構造でもあると思う。国民の大多数が、将来に備えて、現在の消費行動を極限まで抑えたら、少なくとも国の経済が発展し続けることはないと思う。

朝日新聞連載小説『春に散る』沢木耕太郎第192回2015/10/15

 女将が、一度終わりにすると言った話を、また蒸し返すことはないだろう。広岡が、女将に頼んでその話の続きをねだるとも思えない。この後、星と真琴の事情はどう描かれるのだろうか。
 料理は後一品のはず。


 挿絵のような姿の女将、気の利いた肴、何よりも星の事情をも知っていそうな女将の話。この小料理屋で長い時間、酒を飲み続けてしまう。
 それでは、現実の世界の話になってしまう。広岡は、そうはしないはず。

朝日新聞連載小説『門』夏目漱石第16回2015/10/14

 宗助は、叔父の存在に助けられている面が多々ある。だが、その叔父によって、宗助の父からの遺産は間違いなく減っている。また、人間関係と精神面からは、叔父叔母の言動はありがたいものではなかったようだ。
 明治時代の、親類による相互扶助の様子と、その人間関係の煩わしさが描かれている。
 
 私の祖父母は、家父長制の概念をまだしっかりともっていた。私の父母は、親類づきあいを日常的に行っていた。
 時代が進むにつれて、親類関係が希薄になり、今やほとんど消滅しかけている。叔父叔母、甥姪の関係だから何かあった際には、助け合うなどということはなくなった。同時に、叔父叔母から干渉がましいことを言われて悩むなどということもなくなった。
 家族関係と親類関係が希薄になれば、思うままに行動できる範囲が広まり、人間関係の煩わしさも減る。それと同時に困ったときに助け合う範囲が狭まり、孤独になる場合が増える、と思う。

を朝日新聞連載小説『春に散る』沢木耕太郎第191回2015/10/14

 しおりの女将は、真琴からいろいろと相談を受けていた。真琴が亡くなった経緯もよく知っていた。真琴は、しおりを先輩として信頼していたことが分かる。
 星と真琴のことも、しおりはよく知っているのかもしれない。星は真琴とのことを、詳しくは広岡に話さなかったが、しおりの口からそれが明かされるかもしれない。

 酒の進み具合と、料理の食べ方、そして話の節目、それらを見計らって、次の皿が出される。
 

朝日新聞連載小説『門』夏目漱石第15回2015/10/12
 
 嫌な人だと感じさせるのは何気ない態度や一言なのだろう。宗助の叔父のちょっとした態度、叔母の一言、これが宗助にどんな印象を与えたかがよく想像できる。
 これは、現代の実生活でも同じだ。

 宗助と御米の会話からは、夫婦の間の思いが伝わってくる。二人は互いのことを気にかけていて、互いが日常言っていたことを話題にする。だが、相手が何となく気まずそうにしていることを、しつこく問いただすようなことはしない。
 現代の妻なら、夫が継ぐ遺産は夫婦の経済に直結することだから御米ようにあっさりとはいかないだろうなあ。

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