2015年10月

朝日新聞連載小説『春に散る』沢木耕太郎第190回2015/10/12

 女将の口ぶりからは、真琴という女性が亡くなったことを知っているとも、まだ知らないとも、わからない。
 星は、他の二人よりも広岡にとって関わりが深そうだ。そういえば、星は、会長のお嬢さんに対しても、他の三人と違った態度をとっていたようだ。
 プロ・デビューし、四人が躍進を続けた、その後のことがこれから語られるのかもしれない。
 

朝日新聞連載小説『春に散る』沢木耕太郎第188回2015/10/10

 この回の広岡に軽く失望した。
 あまりにもこの小料理屋「しおり」の風景になじんでいるところに。
 キーウェストのレストランバーで酒を注文した広岡はどこへ行ったのか。若い女性と行ったレストランで、ワインを注文している広岡は本物の雰囲気を醸していたのに。


 和服の女将、狭い店内、「薄手の細長いグラス」のビール、平成もこんなに経っているのに、「しおり」はいまだに、私にとっての聖地だ。

朝日新聞連載小説『門』夏目漱石第14回2015/10/9

夫婦は世の中の日の目を見ないものが、寒さに堪えかねて、抱き合って暖を取るような具合に御互同志を頼りとして暮らしていた。

夫婦がこんな風に淋しく睦まじく暮らして

 私には、不思議な様子に見える。こういう状況が長く続くと、互いの仲はだんだんと離れて、ついには対立をする夫婦になるのではないか。
 だが、「淋しく睦まじく」という様子と心象が分からないわけでもない。

 夫婦とは、社会構造の一単位という面をもつ。だから世間の影響を受けるし、その時代に求められる人間関係の常識や法に規制されざるを得ない。一方では、世間の常識から隔絶された小さな世界を形作る面もあると思う。

朝日新聞連載小説『春に散る』沢木耕太郎第187回2015/10/9

四人は、ジムに入って一年後にプロ・デビューすると、全員が快進撃を続けた。

 
四人それぞれが夢中でボクシングに打ち込み、勝利を得ることで強い喜びを感じたと想像できる。また、四人はプロ選手としてのスタートはほぼ同じだから、試合前の緊張と試合後の勝利を互いに自分のことのように感じたに違いない。
 会長の真田は、自分のボクシング理論が形になっていくのだから四人に勝る喜びと期待を膨らませたことが想像できる。


真田の言う「頭脳の明晰さは」は果たしてボクサーにとってどうしても必要なものだったのだろうか…。

 広岡のこの疑問の答えは、まだ分からない。
 真田は、考えることが「頭脳の明晰さ」だ、と言ったはずだ。ボクサーにとって、考えることは、必要なことなのか、それとも違うのか、答えは出るのだろうか。

朝日新聞連載小説『門』夏目漱石第13回2015/10/8

 叔父にいいようにされたということだ。
 遺産の始末がうまくいかないことがあるのは、この時代も現代も同じだ。遺産の整理にかかりっきりになると、自分の仕事ができなくなる。他人任せにすると、任せた人の好きなようにされる。
 忠君の時代も、家父長制の時代も、同時に自己の利益追求は存在したということだろう。
 

朝日新聞連載小説『春に散る』沢木耕太郎第186回2015/10/8

 やられた。

 身体能力の判定は既にされていた。

 4人それぞれの感想のおもしろさに引きずられて、そちらに気を取られていた。

 作者の手玉に取られた。見事に。

な朝日新聞連載小説『門』夏目漱石第12回2015/10/7

 遺産の邸を売り払うことは宗助にとって本意ではなかったろう。だが、家に戻って、家を継ぐ事情にはなかったし、その気もなかったようだ。
 家というものに対する意識がここに表れていると思う。土地と邸は、家父長が継ぐ制度の時代であったのに、家の制度についての意識はずいぶんと現代に近いと感じた。そうしなければならない事情といいながら、土地と邸を金に換えて、整理するところは現代と変わらない。
 一家族が所有する土地家屋を基盤として、そこにさまざまにきまりとしきたりが付随して、家の制度ができ、現代でもその名残がある。
 個人よりも家に重い価値を置く時代から、個人の方に重きを置く考え方への変化がこの頃から既に始まったのであろうか。

朝日新聞連載小説『春に散る』沢木耕太郎第185回2015/10/7

 ヘミングウェイの小説についての私の感想は4人の誰とも違っていた。
 ただし、自分では4人の感想と少しずつ重なる部分があったと思う。
 星が言ったように、一瞬の判断でつかんだ戦法で大金を得たという所には、勝者と敗者の区別を単純にはつけられない世界がありそうだ。そして、そこにボクシングの特質があると思う。

朝日新聞連載小説『門』夏目漱石第11回2015/10/6

彼のような過去を有っている人とは思えないほどに、沈んでいる如く

 どんな過去があろうと、今の生活は今の時間の中で過ぎていく。だが、現在の自分から過去を完全に切り離すこともできない。

 日本の近代の夫婦の暮らし方の要素を抜き出すと、宗助と御米の暮らしに近いものになると思う。そして、そういう暮らしの実態を描いている文学を、私は今までに読んだ記憶がない。

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