本屋のとなりは写真館

朝日新聞連載小説『国宝』『ディス・イズ・ザ・ディ』の毎回ごとの感想と、読んだ本の感想を更新しています。

2015年11月

朝日新聞連載小説『門』夏目漱石第44回2015/11/27

そのうち、障子だけがただ薄白く宗助の眼に映るように、部屋の中が暮れて来た。彼はそれでも凝として動かずにいた。

 こういう時間は毎日どこかである。この部分で、宗助の心理を表しているのではあるまい。また、小説の展開の伏線を表しているとも感じない。ただ、日常にこのような時間と空間が存在することを文章にしていると思う。
 近代以降の生活の中には、このような場面が毎日のようにあると思う。昭和時代の人は、このような時間をテレビの前で過ごすようになった。平成時代の人は、また違う過ごし方をしているのだろう。
 どちらにしても、人は一日の中で、何もすることのない短い時間をもつということに気づかされる。日常生活というものは、こういう時間の積み重ねでもあるのだ。

朝日新聞連載小説『春に散る』沢木耕太郎第234回2015/11/27

二人が親しくなったのには、他の兵士には話せない、アメリカでの生活とボクシングという共通の話題が存在したということもあったらしい。

 真田については、ボクシング経験はないが熱烈な愛好家で、それが高じてジムを開くまでになったという印象をもっていたが、そうではなかった。また、トレナーの白石についいては、元プロボクサーの頑固一徹な人という印象だったが、これも違った。
 そうなると、今の広岡と、真田会長と白石トレナーとは、ボクシング以外にアメリカでの生活という共通点をもつことになる。
 関係がなさそうに見える人物同士が、思いもかけない共通点をもち、本人も意識していないその共通点でつながるというところにドラマを感じる。

朝日新聞連載小説『門』夏目漱石第43回2015/11/26

 珍しく宗助が積極的に他人にかかわろうとしている。それも、抱一の屏風が話題に出たからだ。抱一の屏風は、値打ちものだったのかもしれない。そして、道具屋はそれを宗助からの買値よりもよほど高く坂井に売ったのかもしれない。
 でも、それを知ってもどうにもならないだろう。また、坂井と宗助の関係が、それによってもっと発展するとも思えない。
 だが、御米以外とはほとんど交渉をもたない宗助にとっては、坂井の存在は日常を逸脱しているとも感じる。

朝日新聞連載小説『春に散る』沢木耕太郎第233回2015/11/26

 過去の仲間と共に住むという話が具体化するのに、令子に相談することもないと不思議に思っていたら、和菓子の思い出が、真田や令子のことにつながった。
 真田は、広岡にボクサーとして大きな期待をかけていたことが改めてわかる。

広岡が四人の合宿生の中で最も理想のボクサーに近い存在だったからかもしれない。

 ずいぶんと慎重な表現だ。広岡こそ真田にとっての理想のボクサーだった、と表現してもいいような場面なのに。
真田の理想のボクサーとは、詳しくいうとどんなボクサーなのか、そして広岡には欠けていたものは何なのか、知りたくなる。

朝日新聞連載小説『門』夏目漱石第42回2015/11/25

 やはりこの作者の力は、とてつもない。
 泥棒がきっかけになることは少ないが、縁の遠かった隣人とふとしたことから何回か話すようになることは、現代の日常生活でも体験する。そして、その際の夫婦の会話はまさにこの通りのようになる。
 日常での家族の会話にしても、小事件がきっかけの近所づきあいにしても、ここまで描くことができるとは驚きだ。

朝日新聞連載小説『春に散る』沢木耕太郎第232回2015/11/25

 コーヒーを淹れる方法や豆の種類は随分と多種に渡って出回っている。その一方、煎茶を専門に扱う店はそれほど増えはしない。
 その煎茶よりも抹茶を飲む機会は減るし、自宅で点てることも滅多にない。抹茶の香りの良さと味の深みは定評があるのに、なぜだろう。本格的な茶道にのっとった飲み方が知れ渡っているからかもしれない。
 私は、茶道の作法など全く知らないし、覚えたいとも思わない。だが、この回を読んで、抹茶を作法などはなしで、自宅でもっと味わいたいと改めて思った。

 広岡のこの思い出はどこにつながるのだろうか。大きなテーブルに結びつくものになるとも思えないのだが。

朝日新聞連載小説『門』夏目漱石第41回2015/11/24

 賃金が高いだの安いだの言ってみても、物価によってその価値がたちまち変わるのだ。昭和の後半からは、日本では物価は大きな変動をしていないので、そんな当たり前のことを忘れがちになる。
 そして、庶民には自分の暮らしにすぐに影響の出る金のこと、日常生活上の経済のことは大問題なのだ。話題に事欠いていた御米と小六も、この話題では話が通じ合う。

 学費を出してもらうことも見込みが全くないわけでなく、かといって、確実な当てもない小六は、まさに宙ぶらりんな状態だ。世の中は物価が上がり、裕福ではない兄の家にいては居心地のよいはずがない。
 何かと心配と不平の多い小六と、金にこだわりがなくそのうちなんとかなるだろうという様子の宗助、この兄弟の対比がおもしろい。
 

朝日新聞連載小説『春に散る』沢木耕太郎第231回2015/11/24

あの白い家の広い空間で、テーブルのないまま二、三カ月も過ごすのは無理だった。

 老人ホームをいくつか見たことがある。食事をしたり、レクレーションをするような広い場所が必ずある。その空間には、三、四人用のテーブルがいくつも置かれ、グループごとの配置になっていた。
 普通の戸建ての家では、居間にはソファーが置かれ、そのソファーはテレビを中心に配置されている。
 大きなホテルのロビーでは、ソファーが対面しているコーナーもあるが、その真ん中には低いソファーテーブルが置かれているだけだ。
 大きなテーブルを挟んで、そこに住む人が集まり、時間を過ごすような所はなかなかない。だが、テーブルがあった場合の便利さと、安心感は格別のものだと思っている。だいたいテーブルなしでは、新聞を広げ、連載小説の感想を書く場所などどこにあるというのか。

朝日新聞連載小説『門』夏目漱石第40回2015/11/23

仕方がないからなるべく食事中に話をして、責めて手持ち無沙汰な隙間だけでも補おうと力めた。

 一緒に住んでいる家族間でもこういうことはある。御米の場合は小姑に対してであるが、親子でも珍しいことではない。だいたいが、大人になった者同士が、肉親だからといって、そんなに話題があるわけはない。そう割り切った方がよいと思う。
 それにしても、作者は、こういう女性の心持がどうしてこんなによくわかるのだろうか、不思議だ。妻のこういう気持ちに気づくまでには、私は相当の年月を要した。

朝日新聞連載小説『春に散る』沢木耕太郎第230回2015/11/23

佳菜子は、あっさりと提案を撤回した。

 広岡は、佳菜子を信頼している。また、彼女以外にはいろいろなことを相談できる相手がいないということもあるだろう。
 昔の仲間と暮らすという計画を具体化させながら、会長のお嬢さんであった令子に何も相談しないのは少々不自然な気もする。だが、令子に細かなことを相談するのは、気が引けるという気持ちがあるのだろう。
 佳菜子には相談はするが、どんなことでも甘えるということを、広岡はしない。一方、佳菜子の方は広岡のためならなんでも手伝いたいようだが、それを押し付けてはこない。
 佳菜子と広岡の関係には、ほどよい距離を感じる。

朝日新聞連載小説『春に散る』沢木耕太郎第229回2015/11/22

傷をつけても、焦がしても、まったく気にならないような無骨なものがほしかった。

 物が溢れている今なのに、欲しいと思っても、ない物がある。実用一点張りで、品質のよい物がなかなかない。広岡が探しているテーブルもそうだが、木製で座ると背筋が伸びるような装飾のない椅子、組むと天井の高さ近くまである背の高い本棚、予算の範囲内で見つけるのは難しかった。
 家具以外では、2列座席で大きな物を積めて、乗り降りが楽で、四輪駆動のミニバンが欲しかったが、国産車ではついに見つからなかった。

携帯電話に電話をするのが好きではなかった。

 ますます広岡に親しさを感じる。でも、こういうことばかり言っているのは、世間でいうめんどくさい男なのかもしれない。それとも、60歳以上の年代的な好みなのかも…。

朝日新聞連載小説『門』夏目漱石第39回2015/11/20

こんな生活状態に甘んじて一生を送る兄夫婦が如何にも憫然に見えた。

 その兄夫婦を頼りにするしかないのに、そこには小六の考えはいかないようだ。資産家の家に生まれ、裕福な生活を経験するとこういう考えをもつのだろう。
 障子張りを手伝うだけでも、金の心配のないときと、金の心配ばかりせねばならないときとではこんなに違うものなのだ。

朝日新聞連載小説『春に散る』沢木耕太郎第228回2015/11/21

 氷見はやはり只者ではない。興味本位や詮索好きとは違って、気に入らない注文主からの仕事はしないという職人気質を感じる。
 氷見は、元ボクサーの老人ホームを気に入ったのだと思う。

「そいつは、なんだかおもしろそうだな」

 広岡の準備は着々と進むが、仲間はそれを喜ぶだろうか。白い家にすんなりと入ったとしても、広岡が準備した家具を使いやすいと思うだろうか。

朝日新聞連載小説『春に散る』沢木耕太郎第回2015/11/20

 今は、六月の初めのようだ。桜が咲くのは三月中旬だとすると、あと九か月だ。広岡は、それまで生きていられるかどうかを危ぶんでいる。本当にそんなに短い期間しか彼には残されていないのだろうか。


「ファン」

 ファンというのは、不思議なものだ。人気が高まれば、ファンが増える。いったんファンが増えだすと、それは加速度的に増える。
 一方で、限られたファンをもつ人気者もいる。極論すると、一人の選手に一人だけのファンという場合もあるだろう。そして、限られた数のファンの方が、長い期間ファンであり続けることが多いような気がする。
 莫大な数のファンがいても、その選手の成績が下がったり、現役を引退すると、たちまち数が減るのが普通だろう。
 だが、最初から数は少ないが、熱狂的なファンをもつ選手の場合は、成績が下がっても、現役を引退しても数はあまり変わらないこともあるだろう。
 広岡の場合は、限られてはいるが、根強いファンをもつ選手だったと感じる。


 

朝日新聞連載小説『門』夏目漱石第38回2015/11/19

「あの坂井という人はよっぽど気楽な人だね。金があるとああ緩くり出来るもんかな」

 坂井という人は、金を持ち、賑やか家族に囲まれ、趣味も随分とハイカラだ。世間的には、羨まれるにふさわしい暮らし向きだ。
 明治時代には、国を挙げて金や物を得て、先進国に追いつくことを目標にしていた。
 それは、昭和・平成時代も大きくは変わっていない。
 宗助は、坂井の暮らし向きを目の当たりにしてどう感じているのだろうか?
 それほど羨ましく思っていないようだが、かといって嫌ってもいないようだ。

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