本屋のとなりは写真館

新聞連載小説『ひこばえ』重松清・作 川上和生・画 の感想と、読んだ本の感想を更新しています。

2015年11月

朝日新聞連載小説『春に散る』沢木耕太郎第229回2015/11/22

傷をつけても、焦がしても、まったく気にならないような無骨なものがほしかった。

 物が溢れている今なのに、欲しいと思っても、ない物がある。実用一点張りで、品質のよい物がなかなかない。広岡が探しているテーブルもそうだが、木製で座ると背筋が伸びるような装飾のない椅子、組むと天井の高さ近くまである背の高い本棚、予算の範囲内で見つけるのは難しかった。
 家具以外では、2列座席で大きな物を積めて、乗り降りが楽で、四輪駆動のミニバンが欲しかったが、国産車ではついに見つからなかった。

携帯電話に電話をするのが好きではなかった。

 ますます広岡に親しさを感じる。でも、こういうことばかり言っているのは、世間でいうめんどくさい男なのかもしれない。それとも、60歳以上の年代的な好みなのかも…。

朝日新聞連載小説『門』夏目漱石第39回2015/11/20

こんな生活状態に甘んじて一生を送る兄夫婦が如何にも憫然に見えた。

 その兄夫婦を頼りにするしかないのに、そこには小六の考えはいかないようだ。資産家の家に生まれ、裕福な生活を経験するとこういう考えをもつのだろう。
 障子張りを手伝うだけでも、金の心配のないときと、金の心配ばかりせねばならないときとではこんなに違うものなのだ。

朝日新聞連載小説『春に散る』沢木耕太郎第228回2015/11/21

 氷見はやはり只者ではない。興味本位や詮索好きとは違って、気に入らない注文主からの仕事はしないという職人気質を感じる。
 氷見は、元ボクサーの老人ホームを気に入ったのだと思う。

「そいつは、なんだかおもしろそうだな」

 広岡の準備は着々と進むが、仲間はそれを喜ぶだろうか。白い家にすんなりと入ったとしても、広岡が準備した家具を使いやすいと思うだろうか。

朝日新聞連載小説『春に散る』沢木耕太郎第回2015/11/20

 今は、六月の初めのようだ。桜が咲くのは三月中旬だとすると、あと九か月だ。広岡は、それまで生きていられるかどうかを危ぶんでいる。本当にそんなに短い期間しか彼には残されていないのだろうか。


「ファン」

 ファンというのは、不思議なものだ。人気が高まれば、ファンが増える。いったんファンが増えだすと、それは加速度的に増える。
 一方で、限られたファンをもつ人気者もいる。極論すると、一人の選手に一人だけのファンという場合もあるだろう。そして、限られた数のファンの方が、長い期間ファンであり続けることが多いような気がする。
 莫大な数のファンがいても、その選手の成績が下がったり、現役を引退すると、たちまち数が減るのが普通だろう。
 だが、最初から数は少ないが、熱狂的なファンをもつ選手の場合は、成績が下がっても、現役を引退しても数はあまり変わらないこともあるだろう。
 広岡の場合は、限られてはいるが、根強いファンをもつ選手だったと感じる。


 

朝日新聞連載小説『門』夏目漱石第38回2015/11/19

「あの坂井という人はよっぽど気楽な人だね。金があるとああ緩くり出来るもんかな」

 坂井という人は、金を持ち、賑やか家族に囲まれ、趣味も随分とハイカラだ。世間的には、羨まれるにふさわしい暮らし向きだ。
 明治時代には、国を挙げて金や物を得て、先進国に追いつくことを目標にしていた。
 それは、昭和・平成時代も大きくは変わっていない。
 宗助は、坂井の暮らし向きを目の当たりにしてどう感じているのだろうか?
 それほど羨ましく思っていないようだが、かといって嫌ってもいないようだ。

朝日新聞連載小説『春に散る』沢木耕太郎第226回2015/11/19

 昔の仲間のために、頼まれもしないことをするだろうか。
 広岡は、世間一般の考え方では括れない生き方をしてきたし、今もそうしている。だが、その広岡でも、「仲間のため」だけに、ここまでやろうとするだろうか。
 そこに疑問を持つ大工の氷見に職人としての真っ当さを感じる。 
 

朝日新聞連載小説『門』夏目漱石第37回2015/11/18

 『それから』を読んでいた間は、主人公に日常の生活を感じなかった。生活費の心配も、住む家の手配も、食事の準備もいらなかった。
 『門』は、主人公の生活を感じる。日々の暮らしの中では、隣家に入った泥棒のことが大事件だ。これをきっかけに夫婦の会話も弾む。
 昭和・平成時代の私の生活もこれと大差ない。

朝日新聞連載小説『春に散る』沢木耕太郎第225回2015/11/18

「あんた、なんだって老人ホームを始める気になったんだい。」

 私の町では、老人ホームや高齢者向けマンションが増えている。理由ははっきりしている。需要があるからだ。だが、需要があって始めた商売でも、採算が合わなければ続かない。
 広岡は、採算は度外視しているのだが。 

朝日新聞連載小説『門』夏目漱石第36回2015/11/17

 御米が不安に思った通り、夕べの物音は、泥棒の仕業であったらしい。
 宗助と御米の生活にとっては、大家の所へ入ったらしい泥棒のことが大事件であろう。

 私たちの生活にとって外の出来事は不思議なものだと思わせられる。
 宗助にとっての伊藤博文の暗殺事件は、新聞上のことでしかなかった。だが、隣家に入った泥棒のことには、心底驚く。
 これは、現代の私たちにとっても同じだ。世界的に報道されることに驚かされるが、もっと動揺させられるのは身近で起こる些末なことである。どんなに生々しく詳細に報道されても、人間の感覚は、距離的に遠い所で起き、自分に直接の関連のないことについては、ぼんやりとしかとらえられないようだ。

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