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新聞連載小説『ひこばえ』重松清・作 川上和生・画 の感想と、読んだ本の感想を更新しています。

2015年12月

朝日新聞連載小説『春に散る』沢木耕太郎第260回2015/12/24

 感謝の気持ちと幸福を感じることに相関関係があるという心理学の説を聞いた。感謝の気持ちを持っている度合いの高い人が、幸福感を感じる度合いが最も高いという実験結果がある、ということだった。才能や、財産や、学歴や、家族構成よりも、感謝の気持ちを持っているかどうかの方が、その人の幸福感に影響するということだ。
 納得のいく話だ。
 
 心の問題ではあるが、感謝の気持ちを常に持ちなさいと諭されても、わかりました、としか答えようがない。
 精神論だけでなく、「ありがとう」と「ごめんなさい」を言う習慣を身につけなさい、と言われれば、行動化できる。

「きちんと礼を言う。きちんと謝る」

 この言葉は、私自身のためにあると思う。

朝日新聞連載小説『門』夏目漱石第59回2015/12/3

 宗助は、日々の暮らしに追い立てられて、家と職場の他にはほとんどどこへも行かない。また、新聞を読むが、世間の動きに強い興味を持っているとも見えない。
 だが、それは見かけだけのようだ。織屋の外見や言葉づかいを子細に観察し、その商売の様子、さらにはその暮らしぶりに非常に興味を持っている。それは、この織屋の男から当時の社会構造を洞察しているのではないかと思う。

宗助はつくづくこの織屋の容貌やら態度やら言葉使いやらを観察して、一種気の毒な思いをなした。

 ただ、おもしろがって終わるのではない。また、感情的に同情しているわけでもないのだろう。「一種気の毒な思い」には、宗助がなにかを見通しているように感じられる。

朝日新聞連載小説『春に散る』沢木耕太郎第259回2015/12/23

 この八つの言葉の大切さは、私も身に沁みている。
 それなのに、真田会長のように年下の人たちに教えたことはない。なぜなんだろう。当たり前のことすぎると思ったのだろうか。それとも、こんなことを言うと説教じみた話になると思ったからだろうか。
 その両方があったと思うが、ひょっとすると、この八つの言葉を、常に口にするだけでは、集団生活は円滑にいかないと考えていたからかもしれない。
 言葉だけではなく、気持ちの問題だと今でも考える。だが、若いころよりは今の方が、この八つの言葉の効用が信じられる。逆説でいえば、どんなに仲間を大切に思っていても、この言葉を口にしなければ、集団生活は円滑にいかないことが、経験上よく分かるようになった。

「おはよう、おやすみ。いただきます、ごちそうさま。行ってきます、だたいま。ありがとう、ごめんなさい。この八つの言葉が言えれば、集団生活は円滑にいきます。これだけは常に口にしてください」

 書き写して、気がついた。八つの言葉は、二つずつのセットになっていたのだ。特に、ありがとう と ごめんなさい をこうやって、「、」と「。」で表わされると、その意味合いがよくわかる。作者の細かい表現にまた感心した。

朝日新聞連載小説『門』夏目漱石第58回2015/12/22

 明治時代の東京での給料取りの生活と意識が、現代と共通することの多さに驚かされる。
 しかし、当時の東京以外、特に農山村、漁村地域の人々の生活と意識は、現代とは相当に違う。そのことが、
反物行商の男を通して描かれている。
 現代の大都市以外の地域の人の生活と意識は、交通網やマスコミの発達によって、大都市の住民とそれほどかけ離れていない。
 だが、大都市の経済事情と、地方の経済事情は、現代でも格差は大きい。国内であっても、地域によって、職業によって、生活と意識が違うことを、見落としてはならないと思う。

朝日新聞連載小説『春に散る』沢木耕太郎第258回2015/12/22

 かつて広岡たち四人は、毎朝、ロードワークのためにジムから多摩川に架かるこの橋まで走ってきていた。

 思い出は、美しく懐かしい。この時の四人と今の四人の隔たりは大きい。
 だが、過去の四人は輝かしくて、今の四人はくすんでいるのだろうか。
 過去の四人は、チャンピオンを目指して、ひたむきに生きていた。今の四人は、目指すものがなく、惰性で生きているのだろうか。
 若さは素晴らしく、老いは悲しい。そうだとも言えるし、そう単純なものではないとも言える。
 ひとつだけはっきりとしているのは、広岡と藤原はこれから始まる生活に期待し、若いころと変わらぬ気持ちを持っていることだ。

朝日新聞連載小説『春に散る』沢木耕太郎第257回2015/12/21

「広岡さん以外は」

 普段は余分なことは言わない佳菜子が「小さな声で付け加えた。」これは、佳菜子が不満に思っているのではないと感じる。逆に、広岡の気持ちの表れとして受け取っていると思う。

 相手をどう呼ぶかに、人の気持ちが表れる。さらに、呼ばれた人の気持ちへも大きな影響を与える。それに気づく人でありたい。


「やっぱり、土井さんかい」

 この一言が気にかかる。

 

朝日新聞連載小説『春に散る』沢木耕太郎第256回2015/12/20

 楽しいことがある。やっていてうれしい気持ちになれる。これがいい。
 広岡も藤原も佳菜子も、進藤でさえ、うれしそうだ。
 コロッケを買う藤原は、やりたいと思うことをやれる気持ちを味わっていると思う。
 これがいい。
 

朝日新聞連載小説『春に散る』沢木耕太郎第255回2015/12/19

 言葉は、おもしろい。そして、人と人をつなぐ力を持つ。

 四十年以上前に言われた「ガキ」の一言を思い出して、藤原は腹を立てた。

「いえ、すごくさっぱりした気持ちのいい奴だからって」

 藤原の出所祝いには、これが一番だ。広岡本人から同じことを言われるよりも、藤原にとっては、うれしかったに違いない。

朝日新聞連載小説『門』夏目漱石第57回2015/12/18

宗助は自分と関係のない大きな世間の活動に否応なく捲き込まれて、やむをえず年を越さなければならない人の如くに感じた。

 この感覚に共感する。
 古くからある世間の行事や慣習にはどうも積極的に取り組むことができない。古くからの行事だけでなく、新しい行事やイベント、たとえばクリスマスなどにも、全くおもしろみを感じない。世間が一斉にやる行事だけでなく、個人的な行事、たとえば自分や家族の誕生日なども、私にとってはあまり重大事ではない。
 これは、世間的に大きな顔では言いづらい個人の嗜好だ。
 別に、お正月が嫌いだとか、行事の意味を認めないというわけではない。一年の終わりと始まりは、気分を変えたり、いろいろなことに切れ目をつけるにはよい時期だと思う。そういう気持ちは私にもあるし、宗助と同じように、それなりに年越しのためにすることをすると、正月には気分も改まる。
 だが、年末だから大掃除をどうしてもしなければならないとか、元日だから初詣に行こうという気にはなれない。
 要するに、世間の行事に熱心には取り組まないのだ。
 だから、宗助のような感じ方をする人を知るとなんとなくホッとする。なぜなら、世間では、すべき行事は盛大におもしろおかしくやろうというのが、当たり前とされていると思うからだ。

朝日新聞連載小説『春に散る』沢木耕太郎第254回2015/12/18

 広岡が望み、そのために動いていたことが、実現に近づいている。
 若いころの夢の実現に近づくときとは違う喜びを、感じていると思う。具体的には老人ホームを作り、そこに初の入居者が来たということだから、バラ色の夢というわけにはいかない。だが、それが、広岡の夢であることは確かだ。

 少年には少年の望みがあり、青年には青年の望みがある。老年にも望み、夢があり、それを実現させることは生きる喜びになる。少年や青年の望みには、その個人の発達段階と生育環境と時代性に影響された特徴があるだろう。
 老年の望みには、少年や青年にはない特徴があると思う。それは、広岡の置かれている状態によく表れていると感じる。
 

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