2016年01月

朝日新聞連載小説『春に散る』沢木耕太郎第297回2016/1/31

 この四人の結びつきは固い。同時にこの四人はバラバラだ。ボクシングと年齢と孤独が共通している。一方、これからしようと思うことは、それぞれに違う。何よりも、ボクサーとしての現役を去ってからの経験は、それぞれに交わる所はない。
 
 広岡は、何を思って墓参りを言い出したのだろうか。真田会長に対する思いは、それぞれが違うように感じるのだが。

 また、佳菜子は、広岡に何を感じ取っているのだろうか。

朝日新聞連載小説『春に散る』沢木耕太郎第296回2016/1/30

「これから何をしたらいいんだろうな……」

 その通りだと頷いてしまう。
 目指していたこと、目指していたこととは違うがしなければならなかったこと、それらのことから離れて、もつ思いが、まさにこれだ。
 もっとも、こう思えるのは、

住むところができたから

なのだ。だから、こう思える人は、恵まれていると言える。

 佐瀬には、目的があった。目的である野菜作りの知識と経験を持っていた。
 ある年齢を過ぎると未経験のことをはじめても成果は上がらないと、私は思う。

朝日新聞連載小説『春に散る』沢木耕太郎第295回2016/1/29

その言葉が、世界チャンピオンになれなかった佐瀬が必死に考え出した自分の人生に対する了解の仕方であり、同時に他の三人への思いやりの言葉でもある

 佐瀬の考え方に私も共感できる。
 人はそれぞれが、「自分の人生に対する了解の仕方」を見つけたくなるものだ。そして、それはそれぞれが自分で見つける他はない。
 広岡は、佐瀬の気持ちがよく分かっている。だが、同じ気持ちではないと思う。「チャンプの家」を決定づける発言は、広岡ではなくて、星が言っている。

朝日新聞連載小説『春に散る』沢木耕太郎第294回2016/1/28

 名前によって、この家の特徴が明らかになるだろう。そして、それは四人のこれからの暮らし方を方向付けるものになると思う。
 気になり始めた。広岡は、自分の状況と意志を、いつみんなに伝えるのか、それとも……

朝日新聞連載小説『春に散る』沢木耕太郎第293回2016/1/27

 この四人は、それぞれが独りでいるよりも、一緒の方がずっと楽しいと感じている。広岡は、そのために自分の資産の一部を提供さえしている。
 しかし、一緒に暮らせば全てがよくなるとは思えない。共同生活には、どんなにやり方を工夫しても、そのデメリットもある。
 広岡は、藤原の行動を心配しなければならなかった。こういうことは、これからも起こるだろう。仲間と一緒に暮らす生きがいと安心感は、仲間の欠点を受け容れなければならない煩わしさと表裏のものだと感じる。

朝日新聞連載小説『門』夏目漱石第80回2016/1/26

 日本国内では飽き足らず、活躍の場を海外に求める人はいつの時代にもいる。
 坂井の弟の場合は、事業を起こし金儲けをすることだけが目的のようだ。しかも、先ず渡った所は満州であった。当時の事情を十分に承知してはいないが、当時の国策とそれに煽られた風潮にのった行動のように感じられる。

朝日新聞連載小説『春に散る』沢木耕太郎第292回2016/1/26

 広岡という人物は、この小説の主人公として楽しみな存在だ。他の三人の関係も架空のこととしておもしろい。佳菜子の存在は、ストーリーの展開上なくてはならない。
 一方で、小説の中で描かれている独り暮らしの男の老人が置かれている状況は、現実味を帯びる。
 現実に四人の男の老人が、共同生活をするとなれば、金銭や食事だけでなく、いろいろと不便や不都合が生じるのは明らかだ。それを、なんとか解決できるとすれば、若い人の存在が欠かせないと思う。

朝日新聞連載小説『春に散る』沢木耕太郎第79回2016/1/25

 女中のことが出てくると、この作品が百五年前のものであったことを思い出す。書生のことも同じだ。
 女中という職種は、昭和時代にもあった。しかし、それは下級官吏が雇えるようなものではなかった。書生は言葉だけが残っていたが、世間一般では馴染みの薄いものになっていた。
 百五年という年月は、倫理観だけでなく、職種や産業など社会的な構造を大きく変化させていた。そして、変化したものと、変化しないものの双方がこの小説には描かれている。

 小六にとって、この書生のことは悪い話ではなさそうだ。

朝日新聞連載小説『春に散る』沢木耕太郎第291回2016/1/25

 これで金と飯の目途が立った。なんといっても、暮らしていくにはこの二つをまずは解決しなければならない。


 私は家族がいて、定職があった。だから、金と飯はなんとかなっていた。なんとか自分の力でやっていたと思っていた。
 仕事を辞めてみて、改めて次のことを思い知らされた。
 私の給料は、確かに、生活必需品になり食費になっていた。だが、家計をやり繰りし食事を作っていたのは、私ではなかった。私は、間接的に金と飯を稼いでいただけだった。だから、時間があるようになっても、家計費をどう支払えばよいか、飯をどう作ればよいか、全くわからない。
 仕事がなくなって時間はあるのだから、生活費の始末と、自分の飯は自分で作れ、と言われたら……

朝日新聞連載小説『春に散る』沢木耕太郎第290回2016/1/24

 広岡の金を他の三人は羨まなかった。これも、四人の特徴だ。互いに互いの地位や財力を羨んだりけなすようでは、長い間の共同生活が続くはずがない。また、若いころは共同生活ができたとしても、年数を経て、再び一緒に住むことなぞできるはずがない。
 そう考えると、この四人のような関係を持ち続けるというのは滅多に実現できることでないし、想像することすら難しいと感じる。

 新しい客のことが心配だ。この四人の欠点?は、腕に覚えがあるのと理不尽を見逃せないことだから。

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