2016年01月

朝日新聞連載小説『春に散る』沢木耕太郎第289回2016/1/23

 広岡の金銭についての能力は高い。アメリカのホテル業で成功したのだから当然だ。
 持ち物は増やさないし、部屋は絶対に乱雑にしないし、全ての物についての好みは徹底している。
 見方を変えると、こういう人と折り合っていける人は多くはないはずだ。

 藤原は貯えも年金もない。星は貯えだけがある。佐瀬は年金だけがある。この三人は広岡の金をどう思うだろうか。

 世の中の老人の金銭事情が典型的に描かれている。藤原のような場合はいくつになっても働かなければならない。星のような場合は貯えを食いつぶしていくしかない。佐瀬のような場合は年金に頼るしかない。貯えも年金もあるとか、広岡のように貯えも収入もあるというのは、ほんの一握りの人だ。
 働けなくなったら、家族や子供が面倒を見てくれて、恩給が生活に困らないほど出るというのは、もう過去のことだ。

朝日新聞連載小説『門』夏目漱石第78回2016/1/22

 宗助と坂井は、あらゆる点で逆の人物として描かれているように見えた。住まいが崖の上と下であるところからもそれがわかる。しかし、崖の上下ではあるが、二軒の家は目と鼻の先であり地続きである。
 この回ではじめて、世の煩わしさを避けたいと思う坂井の一面が描かれる。一方の宗助は根っからの人嫌いではなかった。

 世間的には成功して金を得た人物と、世間から見捨てられて貧乏な人物とは、大違いのように見えて紙一重の面があると思わせられる。
 これは、一人の人間の生き方に止まらないことなのかもしれない。例えば、国家の発展と衰退も紙一重のものなのだと、漱石は看破しているような気がする。

朝日新聞連載小説『春に散る』沢木耕太郎第288回2016/1/22

 おもしろい方式だ。
 一般的には、金を出す人が、必要と思う物を買い与える方法だろう。または、合宿生のリーダーがまとめて買う方法だろう。
 「カステラ」方式は、それぞれのわがままが出る可能性がある。また、同じものが重ねて買われることもあると思う。
 反面、共同で使う物と金に、それぞれが責任を感じるだろう。
 規則通りにしなければならず、生活必需品は一方的に与えられる生活とは、逆の生活であったと思う。

 家も家具も広岡が自分の金で用意した。家賃と光熱費は広岡が払う。だが、日々共同で使う物は、共同の金で賄おうというのだ。
 暮らしにどうしても必要な金をどうするかは、どんな共同生活にとっても生命線になると思う。たとえ、それが家族間であっても。

朝日新聞連載小説『門』夏目漱石第77回2016/1/21

 明治の東京は、現代とは違った意味で盛んに発展しつつある都市であったろう。宗助が住む借家は、そのように変化し賑やかになっていく東京の中で見捨てられた一隅のようだ。宗助夫婦と小六には、希望も発展も見えて来ない。
 だが、煩わしさもあくせくしたところもない。世間体ばかりを気にかけて背伸びをしている様子はない。親兄弟、親戚に気を遣う心配もない。金儲けや出世のために動き回ったり、いらいらすることもない。
 愛する人と静かに時を過ごしているだけの生活だ。それだけになんでもないような会話に笑いが出るのだと感じる。


 家の束縛から逃れ、個人の心情に従って愛する人と結婚する。
 金儲けや出世を考えずに個人の生活を大切にする。
 旧来の習わしや為政者にとって都合のよい道徳から逃れた生活は、明るく希望に満ちたものに描かれることが多い。しかし、漱石はそうは描いていない。
 漱石の見方が正しかったかどうかは、百五年後の今、答が出てきていると思う。

朝日新聞連載小説『春に散る』沢木耕太郎第287回2016/1/21

あのジムの合宿所での五年間について、あの頃と言っただけで通じる相手がまだいるということはすごく幸せなことなんだよ

 こういう風に思ったことはなかった。でも、その通りだ。
 こう語る星と女房の年月は、夫婦にとって幸せなものだったと感じる。だが、それは過ぎた年月の一面でもある。
広岡が立ち寄った小料理屋の女将の目には、星は女房を辛い目に遭わせた元ボクサーの男と映っていた。それは、女将の誤解ではなくて、星夫婦の別の一面であったと思う。


果たして、自分はその時間を取り戻したいと思っているのだろうか……。

 読者として、広岡のこの思いがよくわかる。彼が昔を取り戻したいだけなら、もっと違う行動を取ったと思う。

朝日新聞連載小説『門』夏目漱石第76回2016/1/20

事に乏しい一小家族の大晦日は、それで終わりを告げた。

 明治時代の家族の大晦日としては、簡素で寂しいものなのだろう。

 現代の家族はどうだろうと考えさせられる。今は、多くの家庭に、車もあり、テレビもあり、手軽で豊富な料理も揃っている。外に出れば、一晩中賑わう場所もある。
 だが、そういう環境の中で、家族はバラバラにテレビやパソコンやスマホに向いていることが多い。有名な神社にも車で楽に行けるが、苦労しないで行けただけに感動は薄い。
 そして、一家族の人数は減り、独りで大晦日を過ごす人の数は増え続けている。
 宗助一家は、静かながら家族で大晦日を過ごし、年中行事を味わっている。現代では、無くなっていく暮らしだと思う。

朝日新聞連載小説『春に散る』沢木耕太郎第286回2016/1/20

 食べ物の好み、揃えたい家具、丁寧な言葉遣い、広岡の好みははっきりしている。というよりは、偏っていると言うべきか。とにかく簡素、実用性と機能性の重視、素材を生かした物、そして、丁寧に作られたものを好んでいることを感じる。

 今多くの人に好まれるものは、同じ性能・機能であればとにかく安い物、見た目のよい物、壊れないよりは軽くて小さい物、言葉は刺激的で短く、だと思う。そうなると、広岡の好みは、時代に逆行しているとも言える。


 星がようやく思っていたことを言い始めたようだ。

朝日新聞連載小説『門』夏目漱石第75回2016/1/19

 個人の感情と恋愛を貫いた二人の暮らしは暗く寂しい。
 世間の習わし通りに生きて金を持っている者の暮らしは明るく賑やかだ。
 そう描かれているのだが、作者がどちらの位置に立っているのかははっきりしている。

朝日新聞連載小説『春に散る』沢木耕太郎第285回2016/1/19

 昔をなぞるということもあるが、この四人の昔の共同生活には、「ボクシングの神様」が導いたとしか言いようがないものがある。
 運命的と言えるが、それよりは、四人の個性のバランスが絶妙なのだと思う。そして、昔の合宿所生活によって、もともとの四人の個性がより強固に結び付いたと感じる。

 家族でも職場でもこういう強固なつながりが出来上がることはある。まったく逆の場合も多いが。

朝日新聞連載小説『春に散る』沢木耕太郎第284回2016/1/18

 昔の四人がいたような合宿所は、他のジムにもあったであろう。だが、この四人のような関係は他にはないだろう。その理由は、まずは真田会長の方針が他に類を見ないものだったからだ。もう一つは、四人の個性が絶妙に調和したのだと思う。
 この回のそれぞれの会話を読めば、それが手に取るようにわかる。私はこれに似た場面を思い出せるが、こんなに会話がうまくかみ合うのは、見たことも聞いたこともない。

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