本屋のとなりは写真館

朝日新聞連載小説『国宝』『ディス・イズ・ザ・ディ』の毎回ごとの感想と、読んだ本の感想を更新しています。

2016年01月

朝日新聞連載小説『門』夏目漱石第76回2016/1/20

事に乏しい一小家族の大晦日は、それで終わりを告げた。

 明治時代の家族の大晦日としては、簡素で寂しいものなのだろう。

 現代の家族はどうだろうと考えさせられる。今は、多くの家庭に、車もあり、テレビもあり、手軽で豊富な料理も揃っている。外に出れば、一晩中賑わう場所もある。
 だが、そういう環境の中で、家族はバラバラにテレビやパソコンやスマホに向いていることが多い。有名な神社にも車で楽に行けるが、苦労しないで行けただけに感動は薄い。
 そして、一家族の人数は減り、独りで大晦日を過ごす人の数は増え続けている。
 宗助一家は、静かながら家族で大晦日を過ごし、年中行事を味わっている。現代では、無くなっていく暮らしだと思う。

朝日新聞連載小説『春に散る』沢木耕太郎第286回2016/1/20

 食べ物の好み、揃えたい家具、丁寧な言葉遣い、広岡の好みははっきりしている。というよりは、偏っていると言うべきか。とにかく簡素、実用性と機能性の重視、素材を生かした物、そして、丁寧に作られたものを好んでいることを感じる。

 今多くの人に好まれるものは、同じ性能・機能であればとにかく安い物、見た目のよい物、壊れないよりは軽くて小さい物、言葉は刺激的で短く、だと思う。そうなると、広岡の好みは、時代に逆行しているとも言える。


 星がようやく思っていたことを言い始めたようだ。

朝日新聞連載小説『門』夏目漱石第75回2016/1/19

 個人の感情と恋愛を貫いた二人の暮らしは暗く寂しい。
 世間の習わし通りに生きて金を持っている者の暮らしは明るく賑やかだ。
 そう描かれているのだが、作者がどちらの位置に立っているのかははっきりしている。

朝日新聞連載小説『春に散る』沢木耕太郎第285回2016/1/19

 昔をなぞるということもあるが、この四人の昔の共同生活には、「ボクシングの神様」が導いたとしか言いようがないものがある。
 運命的と言えるが、それよりは、四人の個性のバランスが絶妙なのだと思う。そして、昔の合宿所生活によって、もともとの四人の個性がより強固に結び付いたと感じる。

 家族でも職場でもこういう強固なつながりが出来上がることはある。まったく逆の場合も多いが。

朝日新聞連載小説『春に散る』沢木耕太郎第284回2016/1/18

 昔の四人がいたような合宿所は、他のジムにもあったであろう。だが、この四人のような関係は他にはないだろう。その理由は、まずは真田会長の方針が他に類を見ないものだったからだ。もう一つは、四人の個性が絶妙に調和したのだと思う。
 この回のそれぞれの会話を読めば、それが手に取るようにわかる。私はこれに似た場面を思い出せるが、こんなに会話がうまくかみ合うのは、見たことも聞いたこともない。

朝日新聞連載小説『春に散る』沢木耕太郎第283回2016/1/17

二人とも佳菜子に心理的な負担をかけましとしているのが広岡にはよくわかった

 チャンプを佳菜子が連れて来たので、過去の四人が今の四人へと進み始めた。
 佳菜子を入れて五人で出かけることで、再び共同生活に足を踏み入れた四人が、さらに進もうとしている。
 その意味で、世代の違う新しい人の存在と、みんなで面倒をみるネコは、共同生活にとってなくてはならぬものだと思う。

朝日新聞連載小説『春に散る』沢木耕太郎第282回2016/1/16

 どんな家でどんなメンバーでも、共同生活をするのならなんらかのルールを作ることから始めると思っていた。

かつてジムの会長であった真田が合宿所においてまったく規則を設けなかったように

 こんなことは聞いたことがない。スポーツのための合宿所イコール規則と師弟・上下関係が通り相場なのに。現代のマンションだって、かなり細かなルールがあると聞くのに。

日が経つにつれてそれぞれに少しずつ生活のペースを掴むようになっているようだった

 さりげなく書かれているが、これは新しい提案だ。たとえ、家族だけの生活でも、帰宅が遅い場合やフロの使い方には、ルールが作られ、それを守ることが共同生活に必要だと考えられている。ところが、この男たちは、それをしていないのだ。


 サブタイトルの「新しい人」に期待が膨らむ。

朝日新聞連載小説『門』夏目漱石第74回2016/1/15

 宗助と御米の「凡てが生死の戦いであった」を詳しく描いているのが『それから』だと思う。
 学生の同棲も、不倫も、その当事者だからといって、現代では社会から排斥することはなくなった。
 そこは、明治時代とは明らかに違っている。しかし、安井と宗助と御米のような男女関係にある人を、現代の社会全体が、認めて受け入れているとは思えない。このような男女関係をなんとなく黙認している、あるいは事後承諾しているのが、現代社会の風潮だと感じる。
 そして、現代でも御米のように行動する女性への拒否感や批判は存在すると思う。
 家と結婚についての実際の事象は明治と平成では大きく変わった。しかし、人々の感覚と考え方はそれほど大きくは変わっていないようにも思う。
 105年ぶりの連載は、このようなことをも考えさせてくれる。

朝日新聞連載小説『春に散る』沢木耕太郎第281回2016/1/15

自分たちにとっていつの日か帰るべきところ、帰るべき家だったような気がしてきた。

 私はいつも何かを成し遂げようとして生きて来た気がする。「夢」と称する将来への希望の実現を目指すことはよいことだと疑わなかった。広岡も、他の仲間もそうだったと思う。

 広岡の夢が叶い、チャンピオンになっていたらどうだったろうか。仲間の誰かがチャンピオンになっていたらどうだったろうか。チャンピオンの栄光の座は長続きはしない。チャンピオンになったからといっても老後の生活が保障されはしない。
 四人の誰かがチャンピオンになっていたら、また再会した時に今のようにすぐに昔の気分になれなかったような気がする。いずれにしても、この四人の男たちの「帰るべきところ」は、この家、つまり四人の共同生活だったと私も思う。


何かが始まるような、しかし、何かが終わるような、期待と不安がないまぜになった不思議なときめきと共に。

 ネコが現れなかったら、星を誘うことができなかったかもしれない。四人の笑いは、ネコ、チャンプがいたからだ。
 あまりにも昔のまま、あまりにも昔のよきものだけにみんなが浸っている。過去は過去、それが現在へと続くはずがない。「帰るべきところ」には違いないが、過去がそのままよみがえりはしない。
 私も明るさと暗さのないまぜになった「不思議なときめき」を今後の展開に感じる。

朝日新聞連載小説『門』夏目漱石第73回2016/1/14

 この回を読むと、御米が安井の本当の妹のような気がしてくる。
 『それから』との関連でいうと、どうなるのだろうか。
  『それから』と『門』は、連作であるが、続編ではない。しかし、関連する要素は多い。これも不思議だ。二つの作品が相互に折り重なっているようだ。

朝日新聞連載小説『春に散る』沢木耕太郎第280回2016/1/14

 ネコを飼うかどうかを決めたのも、その名前を決めるのもほとんど三人だけで話し合っている。広岡は、口数少ない。でも、みんなで話し合っているのは間違いない。
 一軒の家の住人たちが、非常に重大な事を決めなければならない時も、こういう普段の事を決める時も話し合いの本質は変わらない。普段の小さな事の積み重ねが、重大な事の共同での決定につながるのだと思う。

 四人の男たちと佳菜子が声を上げて笑っている。
 みんなで笑えるなんて、素晴らしい。

 チャンプの絵、いいなあ。

朝日新聞連載小説『門』夏目漱石第72回2016/1/13

宗助は極めて短いその時の談話を、一々思い浮かべるたびに、その一々が、殆ど無着色といっていいほどに、平淡であった事を認めた。そうして、かく透明な声が、二人の未来を、どうしてああ真赤に、塗り付けたかを不思議に思った。今では赤い色が日を経て昔の鮮かさを失っていた。互を焚き焦がした燄は、自然と変色して黒くなっていた。二人の生活はかようにして暗い中に沈んでいた。

・どうして宗助と御米の談話だとすぐにわかるのか。
・談話を「無着色」とはどこから出てくる発想なのか。だが、この形容で「平淡」の味が伝わる。
・具体的な事も感情表現もないのに、二人の恋心が伝わる。
・どんなに詳しく説明されるよりも、恋愛の後結婚してどうなったかが、わかる。
 事実の詳細な描写も心情表現も情景描写もほとんどない。比喩的な表現だけだ。それなのに、二人の出会いと恋、そして、その後の二人の生活が読み手に伝わる。
 漱石の手にかかると、文章が不思議な力を発揮する。

朝日新聞連載小説『春に散る』沢木耕太郎第279回2016/1/13

 ネコを飼うかどうかは、どんな住居のどんな住人にとっても大問題だ。共同生活であればなおさらだ。
 住人みんながネコを嫌いでないとしても、その好きさには程度がある。ネコは糞もするし、オシッコはかなりの悪臭だ。病気でなくてもよく吐く。ネコの毛は衣服に付く。家具で爪とぎをする。
 ネコをかわいいという人は多いが、ネコの吐いたものを平気で始末できる人はそれほど多くはない。

 佐瀬が積極的にネコを飼おうと言っている。広岡は、もちろんネコの世話ができる。藤原は口ではまぜっかえすが、こういう男は意外に世話もできると思う。星は、世話はしないかもしれないが、かと言ってネコを邪魔にしたりはしないだろう。

朝日新聞連載小説『門』夏目漱石第71回2016/1/12

 安井は、御米と一緒に住んでいることを隠そうとしていた。しかし、狭い家だし、宗助が来るたびに御米を隠すのは無理がある。そこで、「妹」ということにして、宗助に紹介したのだと思う。
 御米は、そのことはよく心得ているのだから、嘘をついているぎこちなさを見せてもおかしくない。ところが、宗助は、御米にうわべをよそおうような気配などを感じなかった。それどころか、「落ち着いた女」とさえ感じている。
 御米は、宗助が感じた性格を元々持った女性なのであろう。

朝日新聞連載小説『春に散る』沢木耕太郎第278回2016/1/12

 藤原はわがままな面も出しているが、肝心な所で人の気持ちを和ませる一言を言っている。周囲の細かいことを覚えていて、口は悪いが人当たりがよい。
 佐瀬は、優しい。星の気持ちを察して、星のメンツをつぶさないようにうまく接している。ネコにも優しい。
 佳菜子は、人の気持ちを深く感じ取れる。それに、ネコの言葉まで理解できる。

 

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