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新聞連載小説『ひこばえ』重松清・作 川上和生・画 の感想と、読んだ本の感想を更新しています。

2016年02月

朝日新聞連載小説『春に散る』沢木耕太郎第320回2016/2/24

 黒木翔吾を軸に新たな展開がありそうだ。
 佳菜子の物語を期待しているのに、なかなかそちらへはいかない。
 前回から、広岡がみんなの中に入らずにいる設定はなんのためだろうか。
 つい挿絵の彼の気分にさせられる。挿絵の「‥‥‥」になんだか笑わせられる。

朝日新聞連載小説『春に散る』沢木耕太郎第319回2016/2/23

 なんだか楽しい「白い家」の朝だ。若い二人と老人たち三人が話している。広岡だけが、部屋でそれを聞いている。
 
 たとえ、二人だけでも人が集まって暮らすとはどういうことなのかを考えさせられた。
 朝目覚めて一人だったら誰かと話すことはない。朝のコーヒーをいれるのも飲むのも一人だ。それを気楽とするか、味気ないとするか。
 誰かと暮らしているなら目覚めて顔を合わせれば話をする。朝のコーヒーもみんなのためにいれ、集まって飲むこともある。一人じゃないということは嫌でも話をしなければならないし、みんなのためにコーヒーもいれなければならない。なによりも、みんなが寝ているのに一人だけ大きな音を立てたりできないし、起きるにも他の人に気を遣う。それを楽しいとするか、煩わしいとするか。
 当たり前のことながら、一人暮らしと共同生活はえらく違う。
 共同生活でありながらあいさつもしなければ話もしない。分担して家事をすることも他の人に気を遣うこともしない。これは、共同生活とは言えない。

朝日新聞連載小説『門』夏目漱石第94回2016/2/17

 心の救いを求めて、座禅の修行に来たのに、身を入れて座る努力もせずに時間を過ごす宗助が描かれている。
 宗助の行動と気持ちは、山寺へ来る前と何の変化もないように見える。表面的にはそうなのだが、本当にこの寺に来たことは無駄なことなのだろうか。

日は懊悩と困憊の裡に傾いた。

 僧と修験者と飯を食い話をし、村の中をうろつき、あとは何もせずに過ごした一日だった。それなのに、宗助は、今まで以上に悩みもだえ、悩むことでくたくたに疲れ切っている。これは、なぜなのか。
 

朝日新聞連載小説『門』夏目漱石第93回2016/2/16

 座禅がうまくいかないと自覚した宗助は、書物を助けにしてみようとする。しかし、それも宜道によって止められた。
 
彼はただありのままの彼として宜道の前に立ったのである。しかも平生の自分より遥かに無力無能な赤子であると、更に自分を認めざるを得なくなった。

 座禅を一日続けようという気力も体力もない。かと言って、寺にいることを止めようともしない。ただ、自分の「無力無能」を認めることはできた。
 悩みを克服するには、己の無力無能を認めることは必要なことかもしれない。
 

朝日新聞連載小説『門』夏目漱石第92回2016/2/12

彼は悟りという美名に欺かれて、彼の平生に似合わぬ冒険を試みようと企てたのである。そうして、もしこの冒険に成功すれば、今の不安な不定な弱々しい自分を救う事が出来はしまいかと、果敢ない望みを抱いたのである

 これから宗助は座禅を始めようとしている。その場面で、宗助の企てが成功しないことが、表現されている。それは、作者の視点からの表現であるが、同時に、宗助も自覚したのであろう。
 宗助は、山寺を逃げ出すことはしなかったが、座禅を早々に止めて、サッサと寝てしまった。

朝日新聞連載小説『春に散る』沢木耕太郎第318回2016/2/22

 シェアハウスを舞台にした映画とテレビドラマを何作か観た。どの作も、テーマは、そこで共同生活をする人同士の関わり方に行きつく。
 広岡たち四人は、このシェアハウスにいるが、部屋は共有していない。しかし、食事は分担して作ったものを一緒に食べている。特殊なのは、家賃がいらないことと、過去に四人で共同生活をした経験があることだ。
 この四人の中に、共同生活の経験のなさそうな「新しい人」が加わることができるのだろうか。できたとしても、そうやすやすとはいかないと思う。

朝日新聞連載小説『春に散る』沢木耕太郎第317回2016/2/21

 どんな住まいに住むのか、は重要なことだ。それ以上に、住宅という器にどんな人と住むかは、人生を左右するほどのことだと思う。
 
 「白い家」は、しっかりと作られた家で、広さも十分にある。そして、一部屋一部屋はホテルなみに備品を整えてある。だが、一軒の家の中であることは変わりはない。この家に住むということは、個室があったとしても、この一軒の家の中の空気も音も共有することになる。「白い家」に住む人同士が、互いの動向を知られたくないと思えば、そこに住むことは大変な苦痛になるだろう。
 広岡のように感じることができれば、一軒家での共同生活が心地よいものになると思う。

朝日新聞連載小説『春に散る』沢木耕太郎第316回2016/2/20

その思いがけない展開に、広岡たち四人は、なんとなく顔を見合わせて、息をついたり、苦笑したりした。

 夕方から飲みに出かけた五人の一日がようやく終わろうとしている。厄介事に巻き込まれ、それに仲間で取り組んで、なんとか片付けた。四人の男たちのやり終えた安堵と快い疲労が、伝わってくる。
 挿絵の時計も効果的にそれを示している。


 藤原と星と佐瀬がそれぞれの考えを言い、広岡がそれを括って結論を出す。この物事の決め方をちょっと変えてしまったのが、佳菜子だった。広岡は、自分が送ってでも彼女を帰そうと思っていたのではないか。

朝日新聞連載小説『春に散る』沢木耕太郎第315回2016/2/19

 藤原は、若者を諭す口調になっている。星は、まだ追及の手を緩めない。佐瀬は、細かに若者の世話をしだした。そして、広岡が要所を締める。
 この四人の組み合わせの妙は挿絵にもよく描かれている。でも、この絵で一番目立っているのは、テーブルだ。あんなのは、なかなか手に入るものじゃない。

 
 ストーリーの中心と細部のつじつまが合わないと、小説を楽しむことはできない。老人の広岡が、プロのライセンスを取得した若者を倒したのは、虚構の世界と言えども普通は無理がある。
 だが、この作品ではそこを納得させる設定がなされていたと思う。
 広岡は、かろうじて若者のパンチを避けた。そして、一発のクロスカウンターで若者を倒した。
 広岡が軽いパンチでも当てられていたら、倒れなくても、そのダメージは深刻だったはずだ。また、クロスのチャンスは、たった一度きりで、それをつかんだのだ。広岡には、二発目三発目のパンチは無理だ。
 広岡がキーウェストで偶然見たテレビの試合では、圧倒的に強い相手に逆転した日本人ボクサーが登場していた。彼は、その試合の中で、たった一度きりの一瞬のチャンスをつかんで勝者になった。あの試合の流れが、今の広岡のクロスに重なってくる。


 若者がプロのライセンスを持っているとなると、所属ジムとコーチはどうなっているのだろうか。

朝日新聞連載小説『春に散る』沢木耕太郎第314回2016/2/18

 星は、パンチが鋭いが、言葉も鋭い。星が問い詰めるように発した言葉から、若者が事情を話し始めた。
 そして、星が肝心のことを訊いた。

「おまえ、本当にプロなのか?」

 プロだとすると、今回の暴力沙汰は徹底して隠すか、広岡が一方的に暴力を振るったと嘘をつかなければならないだろう。それよりも、チンピラ風と一緒だったというだけでもまずいのではないか。
 プロを目指している段階だとするなら、今回路上で殴り合ったことが、表沙汰にならなければ、なんとかやり直しが効くのではないか。

 四人の行動と言葉が、ここでも見事にかみ合っている。

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