本屋のとなりは写真館

朝日新聞連載小説『国宝』『ディス・イズ・ザ・ディ』の毎回ごとの感想と、読んだ本の感想を更新しています。

2016年03月

朝日新聞連載小説『春に散る』沢木耕太郎第343回2016/3/18

広岡は、他の三人の気分がいくらか昂揚しているのに気がついていた

 三人はチャンプの家での共同生活で、それぞれが居場所を見つけた。それぞれが、外へ出て自分のしたいことをしている。三人がバラバラに暮らしていたときに比べれば、住まいは快適だし、話し相手はいるし、充実した日々を送っている。
 しかし、快適で充実した生活と、昂揚することもある生活とは違うのだろう。


かつて自分たちが若い時に命を燃やした場所の匂いのようなものを感じたのだ。

 よい表現だ。「命を燃やした場所」という表し方が好きだ。
 年を取ると、命を燃やすことは無理だ。しかし、その匂いのようなものを感じ続けることはできると感じる。

 働くことに喜びも生きがいも見い出せない。労働は、賃金を得ることが第一義だ。そして、賃金を得なければ生きていけない。どんなにいやでも食うために働き、俸給をもらわねばならない。

 夏目漱石は、近代以降の俸給生活者、サラリーマンの姿を描いている。
 食うために職に就いて毎日勤めに出るのだから、サラリーマンの楽しみは勤めから家に帰る時と、休日だけになる。次の休日の幸福のために、毎日苦しくとも我慢して勤めに出る。混み合う電車で。

 このような見方をしない、あるいはしてはいけないという小説はたくさんある。仕事に意義を感じ、働けることが幸福だという小説の主人公も多い。
 それが、幻想だからこそ、何遍でも描かれるのだろうか。
 現実の世の中は、様々な人々がいる。全てのサラリーマンが、「宗助」のようだとは言わない。
 しかし、俸給を得て労働することの本質と実態は、『門』で、作者が描いているものだと感じる。

朝日新聞連載小説『春に散る』沢木耕太郎第342回2016/3/17

 今回も佐瀬に注目した。佐瀬の言葉だけを抜き出してみた。

「登ってこい」

「どうだ。苦しいだろ」
翔吾は佐瀬の言葉に素直にうなずいた。

佐瀬も言葉を添えるように言った。
「うまいぞ」

 
佐瀬の言葉は優しい。そして、いつも励ましを含んでいる。

 佐瀬の言葉を抜き出して、気づいた。今まで翔吾に一番辛辣なことを言っていた星がこんなことを言っている。

「そうだな、そこで二キロ、この走りができるようになったらまた訪ねて来い」

朝日新聞連載小説『春に散る』沢木耕太郎第341回2016/3/16

 佐瀬に注目した。
 佐瀬の現在の生活の中心は、野菜作りだ。そして、野菜を作る面積を広げ、収穫も増えているだろう。これは、彼が得意とすることだし、チャンプの家でやりたかったことであった。
 
 佐瀬が訪ねてきた広岡に言った言葉があった。

死んでいないだけではないか。

今の佐瀬は、野菜作りで仲間の役に立っていることで生きる実感を味わっているだろうか。独りで暮らしていた頃に比べると、今の共同生活の方にずっと生きがいを感じているだろう。だが、やりたいことを思う存分できているかと言うと、どうもそんな感じはしない。
 藤原と星の問いに答える佐瀬に、何かを感じる。

朝日新聞連載小説『春に散る』沢木耕太郎第340回2016/3/15

 優れたプレイヤーと、優れたコーチ・トレナーはなかなか一致しない。その両方ができるのは、極めて少数の人だ。
 会長だった真田は、プロボクサーの経験はないので、完全にコーチ・トレナー、あるいはボクシングの理論家であった。
 広岡は、チャンピオンにこそなれなかったが、優れたプレイヤーだった。そして、広岡は、コーチ・トレナーの経験がない。だからこそ、現会長の令子にトレナー役を依頼された際に断っていた。彼は、優れたボクサーイコール優れたコーチ・トレナーではないことを、よく知っているのだろう。

だが、‥‥

広岡は少し迷ったが、どこかで翔吾の走りを見てみたいという思いもあり、

朝日新聞連載小説『春に散る』沢木耕太郎第339回2016/3/14

 どうしてこの四人なのか。
 もし、元ボクサーのための老人ホームならば、三人でも十人でも、あるいは一人で初めて、だんだんに共同生活者を増やしていくのでもよかった。また、昔の仲間三人に生活の援助をするためだけなら、共同住宅でなくてもよかった。
 だが、チャンプの家は、初めからこの四人でなければ成立しない何かがあるのではないか。

 「教えて‥‥ください」

と言う翔吾に対する藤原、佐瀬、星がそれぞれの役どころにふさわしい発言をしている。広岡は、その様子を黙って見つめている。

朝日新聞連載小説『春に散る』沢木耕太郎第338回2016/3/13

そのとき、広岡の体を戦慄のようなものが走った。

 広岡の心が動いている場面は今までにもあった。
 偶然テレビで観た試合で、逆転勝利した日本人ボクサーを見たとき。ボクサーのための老人ホームを思い描いたとき。自分に向って来る白いTシャツ姿の若者を見ているとき。
 そのどれよりも、強いもののように感じる。

 そして、遥かキューバへ目をやっている広岡の姿を思い出す。

朝日新聞連載小説『春に散る』沢木耕太郎第337回2016/3/12

 四人の男たちの暮らしの様子が見えてきておもしろい。
 佐瀬が野菜を上手に作るのは想像できるが、私は藤原の意見に賛成だ。家庭菜園が流行りのようになっているが、きれいな菜園作りをしている所は意外に少ない。本来は庭である地面で、野菜作りをするのだから、収穫ばかりを求めるやり方は好きじゃない。
 そうは言いながら、野菜の値段という実利面も出てくるのが生活感が感じられてよい。

 翔吾は、ボクシングを続ける目的をつかんだようだ。
 一つ疑問が残る。
 広岡、佐瀬、星のそれぞれの得意のテクニックを、翔吾は自分の目で見ている。だが、藤原のインサイド・アッパーのことはいつ知ったのだ?

 胃腸内科で14日間、さらに消化器科内科で11日間の入院生活を過ごした。毎日が検査であった。
 転院と言っても、症状も治療もないので次の病院へ行くまでに数日間の猶予をもらって、家で片付けと準備をした。転院をすると、検査は同じものでも繰り返す場合があると聞いていたが、私の場合はそうではなかった。消化器科病院での最初の診察で、前病院医師からの手紙と、検査資料を見ていた医師がすぐに「今日から入院」と言った。
 検査も、前病院と同じものもあったが、より高度な機器での検査だった。
 入院中は、ほぼ毎日医師の診察があったが、私から質問することはしなかった。検査結果はどうなのか、治療が必要になったらどうするのか、聞きたいことは山ほどあった。しかし、総合的に判断するのだろうから、検査途中で結論は言えないだろうと思って、一々聞くことはしなかった。。
 入院中にできることは、看護師、検査技師、薬剤師、栄養士などの指示とアドバイスを正確に聞き取り、実行することだと思った。それと、テレビ、ラジオ、本などを楽しむことに専念した。
 自分の病気のことばかりを考えたり、患者同士で病気の話をすることは、益にはならない。それよりは、ベッドにいても退屈をしない時間の過ごし方を工夫することが、長い検査の時期を乗り越えるのに役に立った。

朝日新聞連載小説『春に散る』沢木耕太郎第336回2016/3/11

「これから夕飯の準備をしなければならない」

 もっと、本能を捨てたパンチのことを話したいだろうに。
 もっと、翔吾が納得したかどうかを聞きたいだろうに。
 もっと、翔吾がこれからどうするもりか聞きたいだろうに。
 ごく短い話で切り上げて、広岡は家は入ろうとしている。だが、翔吾とはまだまだ話したいのだ。

「(略)おまえも食べていかないか」

朝日新聞連載小説『春に散る』沢木耕太郎第335回2016/3/10

そういい終るか終わらないうちに、広岡がいきなり

 広岡の言ったことを翔吾が理解したかどうかを確かめないで、動きでそれを示した。翔吾は、きちんと理解していたことを動作で示している。
 教える方と、教わる方の双方が高度な理解力と身体能力を持っていることを感じる。
 
 新聞を前に置いて、思わずジャブを放ったりそれを払う動作をしてしまった。

朝日新聞連載小説『春に散る』沢木耕太郎第334回2016/3/9

 これは‥‥ 戦いではない。
 コーチだ。

「よし、今度は本能を捨ててみろ」
 これは、
右のグラヴで軽く払った。
 この動作をするな、ということか?

 広岡の生き生きとした動きと、それを見つめる星、藤原、佐瀬の熱い視線が伝わってくる。

朝日新聞連載小説『春に散る』沢木耕太郎第333回2016/3/8

 翔吾のことがわかってきた。わかってくると、より訊きたいことが出てくる。それは、バンデージを巻いている今の彼の本心だ。広岡を本気で倒したいと思っているのか?

「仁を倒したいと思ったのか」

 それを、言ってくれた。まってました!星。


 バンデージをしなかったのは、相手にパンチを当てるつもりがないのか?

 倒されるかもしれない広岡が相手の構えに魅せられている。

朝日新聞連載小説『春に散る』沢木耕太郎第332回2016/3/7

 広岡の父は、我が子が幼いときから深くかかわることを避けていた。広岡が野球をすることも、高校、大学へと進学するときも無関心、無干渉だったように見える。広岡は、他に進むべき道を見いだせなかったとはいえ、自ら進んでボクシングを始めた。そして、不正なジャッジによって敗れた経験に苦しめられた。
 翔吾は、その全てが逆の立場にあった。父親との関係、ボクシングを始めた経歴、そして、不正なジャッジの経験。それぞれが逆の立場にありながら、この年の離れた二人には、互いに通じる何かがありそうだ。

朝日新聞連載小説『春に散る』沢木耕太郎第331回2016/3/6

 広岡びいきになっているので、そう感じるのかもしれない。しかし、過去の不正なジャッジによって広岡を敗者にした相手に対して、

彼は彼なりに悩んでおり、そのことの結果として下降に下降を続けていったのかもしれなかった。

と考えるなんて、驚きだ。
 広岡を、行動力の人と受け取っていたが、広く柔軟な思考力をもっている人でもあると感じた。

「おまえとんでもないガキだったんだなあ」
 
 藤原の呆れる気分と全く同じ思いをもつ。

 そろそろ星が何か言うかな。 

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