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新聞連載小説『ひこばえ』重松清・作 川上和生・画 の感想と、読んだ本の感想を更新しています。

2016年03月

朝日新聞連載小説『春に散る』沢木耕太郎第348回2016/3/23

 藤原に注目した。

翔吾が広岡に訊ねると、かわりに藤原が答えた。

 藤原はうれしくなって、広岡を差し置いて答えてしまっている。

「おまえは、俺たちのパンチを身につけたいんだな」

 こういう切り込む発言は、いつもは星がしている。ここでは、藤原が翔吾の気持ちの変化を感じ取って、それを確かめているのであろう。
 藤原は、翔吾を病院へ連れて行った頃から、心情的にこの若者を受け入れている。説教するような口調も彼だけだ。それはこの若者をかわいがっている気持ちの表れでもある。

広岡がつぶやくと、藤原も困惑したようにつぶやいた。
「ボクシング‥‥‥」

 感覚で行動を起こし、好き嫌いと、できることとできないことをはっきりさせるのが藤原の性格だと思う。それだけに彼の「困惑」ぶりが伝わってくる。
 独特のジャブやクロスカウンターを教えてほしいなら、分かる。だが、ボクシングを教えてほしいとなると、どんな目的で、教えてほしいのかをはっきりさせないと返事はできないと思う。藤原はそのことを感覚的につかんでいるのであろう。
 そして、広岡もそこを考えているのではないか。 

朝日新聞連載小説『春に散る』沢木耕太郎第347回2016/3/22

 ストーリーから離れた感想。
 六十歳後半の男だけが、一軒の家で共同生活をするとどうなるだろうか。
 食事作りが困る。掃除や洗濯が十分にされない。買い物に行くのは困らないが、食材や日用品の買い方が分からない。生活必需品などへの支出に無駄が出る。
 一方でできることもある。庭仕事や外周りの作業ができる。電気製品などの家庭用機器の操作ができる。泥棒などの用心はよい。
 この事情は、現在の若い男であれば、かなり違ってくると思う。つまり、今の六十歳台以上の男は、若い頃は家事以外の仕事を求められてきたからこうなったのであろう。
 老人女性の一人暮らしは多いが、老人男性の一人暮らしも増えている。老年の一人暮らしの場合、女性と男性の違いが際立ってくる。一人暮らしだけでなく、男の共同生活でも、若い頃には必要とされなかった能力が必要になる。そのことが、現代日本の老人男性の弱点だと思う。

朝日新聞連載小説『春に散る』沢木耕太郎第346回2016/3/21

 サブタイトルの「庭のリング」と、佐瀬が庭に野菜を作らず、地面をならしていることから、チャンプの家で翔吾へのボクシングのトレーニングが始まりそうだ。
 
翔吾が着替えるのを待っているあいだ、四人はなんとなく言葉少なになってしまった。

 四人が翔吾のトレーニングのことを、話題にしていなかったように思える。それは、ボクシングのトレーニングを自分たちがやることについては、四人に考え方の違いがあるのではないかとも思える。
 また、四人が真田会長からたたき込まれたことは、ランニングともうひとつあったはずだ。
 だから、もしボクシングのトレーニングが始まるにしても、それはかなり風変わりなものになりそうな気がする。

朝日新聞連載小説『春に散る』沢木耕太郎第345回2016/3/20

 翔吾がまた来た。逞しく、素直になっている。チャンプの家の三人は、喜んで迎えている。
 広岡もうれしいだろうが、三人とは少し印象が違う。広岡は、翔吾がはっきりと求めなければ応じることをしない。
 一方、翔吾の方は、特に広岡に、自分の走りを見てもらいたくて来ているように感じる。
 

朝日新聞連載小説『春に散る』沢木耕太郎第344回2016/3/19

 広岡たち四人がチャンプの家で暮らすようになって二カ月が過ぎようとしていた。
 八月も下旬になり(略)

 この作品中で初めて不満を感じた。広岡の病状と、広岡が日本に戻ってからの時間の経過がどうもスッキリしない。
 日本に戻ってからの広岡の病状について、一切出てこないのは不自然過ぎないか。また、翔吾は、チャンプの家に泊まった後も3~4回来ているが、その間隔があいまいではないか。
 この作品はエンタテイメントの要素のあるフィクションだが、現実社会の問題をも描いているだけに、どこかで読者を納得させてほしい。


 佐瀬は、他の二人がいないところで広岡に本心を明かすのかもしれない。

朝日新聞連載小説『春に散る』沢木耕太郎第343回2016/3/18

広岡は、他の三人の気分がいくらか昂揚しているのに気がついていた

 三人はチャンプの家での共同生活で、それぞれが居場所を見つけた。それぞれが、外へ出て自分のしたいことをしている。三人がバラバラに暮らしていたときに比べれば、住まいは快適だし、話し相手はいるし、充実した日々を送っている。
 しかし、快適で充実した生活と、昂揚することもある生活とは違うのだろう。


かつて自分たちが若い時に命を燃やした場所の匂いのようなものを感じたのだ。

 よい表現だ。「命を燃やした場所」という表し方が好きだ。
 年を取ると、命を燃やすことは無理だ。しかし、その匂いのようなものを感じ続けることはできると感じる。

 働くことに喜びも生きがいも見い出せない。労働は、賃金を得ることが第一義だ。そして、賃金を得なければ生きていけない。どんなにいやでも食うために働き、俸給をもらわねばならない。

 夏目漱石は、近代以降の俸給生活者、サラリーマンの姿を描いている。
 食うために職に就いて毎日勤めに出るのだから、サラリーマンの楽しみは勤めから家に帰る時と、休日だけになる。次の休日の幸福のために、毎日苦しくとも我慢して勤めに出る。混み合う電車で。

 このような見方をしない、あるいはしてはいけないという小説はたくさんある。仕事に意義を感じ、働けることが幸福だという小説の主人公も多い。
 それが、幻想だからこそ、何遍でも描かれるのだろうか。
 現実の世の中は、様々な人々がいる。全てのサラリーマンが、「宗助」のようだとは言わない。
 しかし、俸給を得て労働することの本質と実態は、『門』で、作者が描いているものだと感じる。

朝日新聞連載小説『春に散る』沢木耕太郎第342回2016/3/17

 今回も佐瀬に注目した。佐瀬の言葉だけを抜き出してみた。

「登ってこい」

「どうだ。苦しいだろ」
翔吾は佐瀬の言葉に素直にうなずいた。

佐瀬も言葉を添えるように言った。
「うまいぞ」

 
佐瀬の言葉は優しい。そして、いつも励ましを含んでいる。

 佐瀬の言葉を抜き出して、気づいた。今まで翔吾に一番辛辣なことを言っていた星がこんなことを言っている。

「そうだな、そこで二キロ、この走りができるようになったらまた訪ねて来い」

朝日新聞連載小説『春に散る』沢木耕太郎第341回2016/3/16

 佐瀬に注目した。
 佐瀬の現在の生活の中心は、野菜作りだ。そして、野菜を作る面積を広げ、収穫も増えているだろう。これは、彼が得意とすることだし、チャンプの家でやりたかったことであった。
 
 佐瀬が訪ねてきた広岡に言った言葉があった。

死んでいないだけではないか。

今の佐瀬は、野菜作りで仲間の役に立っていることで生きる実感を味わっているだろうか。独りで暮らしていた頃に比べると、今の共同生活の方にずっと生きがいを感じているだろう。だが、やりたいことを思う存分できているかと言うと、どうもそんな感じはしない。
 藤原と星の問いに答える佐瀬に、何かを感じる。

朝日新聞連載小説『春に散る』沢木耕太郎第340回2016/3/15

 優れたプレイヤーと、優れたコーチ・トレナーはなかなか一致しない。その両方ができるのは、極めて少数の人だ。
 会長だった真田は、プロボクサーの経験はないので、完全にコーチ・トレナー、あるいはボクシングの理論家であった。
 広岡は、チャンピオンにこそなれなかったが、優れたプレイヤーだった。そして、広岡は、コーチ・トレナーの経験がない。だからこそ、現会長の令子にトレナー役を依頼された際に断っていた。彼は、優れたボクサーイコール優れたコーチ・トレナーではないことを、よく知っているのだろう。

だが、‥‥

広岡は少し迷ったが、どこかで翔吾の走りを見てみたいという思いもあり、

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