本屋のとなりは写真館

新聞連載小説『ひこばえ』重松清・作 川上和生・画 の感想と、読んだ本の感想を更新しています。

2016年05月

座頭市 監督 北野武

 勝新太郎の座頭市のようなおもしろい映画を創ろうという監督と制作スタッフの思いを感じた。

 過去の座頭市シリーズを超えられなかったのは確かだ。
 だが、新たな要素が加わって成功しているとも感じた。
 それは、北野映画得意の喜劇としての要素だ。いわばショートコントのような場面場面が楽しめた。例えば、ガダルカナル・タカが演じる登場人物が村の若者に剣術を教えるシーン、なんということのない設定と演芸舞台のパクリともいえる殺陣だが、妙におもしろい。笑いの王道を丁寧になぞっているのであろう。

 どんな映画でも、原作脚本の土台がしっかりしていることとスターの人気に寄りかからないことが大切なのだ。

朝日新聞連載小説『春に散る』沢木耕太郎第409回2016/5/25

 セコンドへの観客のヤジは、翔吾にとってなによりのリラックス効果を与えたと思う。

 広岡は、チンピラにからまれた時も今回も老人に対する悪口をおもしろがっている。うまいことを言うとおもしろがる広岡がおもしろい。

 老人への悪口は、概ねは当たっているというべきなのだろう。これまでは、老人を理由もなく敬うことや長寿をむやみに祝うことが過剰だった。どの年代にもその年代特有の欠点があると思う方が当たり前なのだ。

朝日新聞連載小説『吾輩は猫である』夏目漱石第33回2016/5/24

 前回と今回は、連載としてのこの小説の特徴が出ていると思う。以前に読んでいるのだが、この辺りのことは忘れていて、次回を待ち遠しく感じる。
 短編小説とするなら苦紗弥の話は、私小説の雰囲気だ。

朝日新聞連載小説『吾輩は猫である』夏目漱石第32回2016/5/23

 寒月の話は、なんともたわいのない結末だった。
 迷亭の場合は、話のはじめから嘘が見えていたが、寒月の場合は話の前半は真実味があった。
 苦沙弥の話は後半に入っても真実味がある。
 この三人の話をそれぞれ短編小説とするなら、小説創作の方法論の題材になりそうだ。

朝日新聞連載小説『春に散る』沢木耕太郎第408回2016/5/24

 いよいよ試合開始直前だ。
 佐瀬、藤原、星は、自分が戦う気になっているようだ。藤原が熱くなり過ぎなければよいが。


 令子は、ここでも広岡へ気を配っている。広岡をジムの会長と同格に位置付けている。ボクシング界の位置づけとしてそう遇しているのか、それとも彼女の個人としての想いなのか。

朝日新聞連載小説『春に散る』沢木耕太郎第407回2016/5/23

 佳菜子の特別な感覚をどう言えばよいのか迷っていた。
 映画館で映画に集中していない広岡を察し、子猫の気持ちを察し、それ以前に初対面の広岡の人柄を察している。こういう物事を見抜く感覚を彼女が持っていることは、以前から描かれている。

「佳菜子さんは本当のことしか言わないから」

 翔吾のこの言い方がピッタリ当てはまる気がする。佳菜子の感覚は、予知能力などというあやふやなものでなく、先のことであっても事実を感じ取れるのであろう。


 試合直前だから、四人は翔吾の戦いを心配して、そのことだけを考え、準備をしているはずだ。ところが、広岡が次のような行動を取った。

「お疲れさん、いい試合だった」
 控え室にあるモニターでその試合を見ていた広岡が、うなだれたまま放心したように立ち尽くしている挑戦者に声をかけた。


 敗れた挑戦者へのこの上ないねぎらいだ。

龍三と七人の子分たち 監督  北野武

 楽しめなかった。
 役柄とほぼ同年齢の役者の演技に面白みを感じられなかった。
 キャスティングでは、北野武が龍三を演じれば、かなり映画全体の雰囲気が変わったと感じた。
 また、北野映画には、独特のいくつかの仕掛けや小ネタともいえる場面があるが、この映画ではその笑いのポイントに反応できなかった。例えば、数を指で示す場面などは、すぐに裏を読めてしまった。
 現代的な題材とは思うが、老人が活躍するという話はなかなかに難しいものだ。時代はグンと前になるが、長谷川町子の漫画「意地悪ばあさん」のような痛快さを現代化できないものだろうか。

朝日新聞連載小説『春に散る』沢木耕太郎第406回2016/5/22

 チャンプの家の食事の場面によく来ていた佳菜子が、チャンプの家での翔吾のトレーニングが本格的になってからは、来なくなっていたようだ。
 でも、佳菜子も社長の進藤も、翔吾が真拳ジムに移籍した経緯やスパーリングの様子はよく聞いていたことが分かる。そして、かなり力を入れて、翔吾のことを応援していることも分かる。

 広岡の周囲では、昔の仲間、翔吾、真拳ジムの人々、そして佳菜子と、新しい人間関係ができ上っていく。

 翔吾は、佳菜子の特別と言ってよい察知能力を既に知っているようだ。広岡も、佳菜子の言葉を信じると思う。

朝日新聞連載小説『吾輩は猫である』夏目漱石第31回2016/5/20

 寒月の話は、ずいぶんと真に迫って聞こえる。だが、怪談じみていてとても経験談とは思われない。
 迷亭の話との違いはなんだろうか。自分の経験として語っている所は同じだし、知人が登場する所も、場所がらも、そして、話の核心も共通している。
 これは、この話の結末を聞いてみなければ、違いが見えてこないようだ。
 川に飛び込んだ当人が無事であったことだけは、確かなのだが。

朝日新聞連載小説『春に散る』沢木耕太郎第405回2016/5/21

広岡はその部屋に隅に立って、いくらか緊張した面持ちの翔吾を見つめていた。

 広岡の脳裏には、何が思い浮かんでいるのだろうか。
 元ボクサーだけに、これから戦う翔吾に勝たせたいという思いだけだろうか。それとも、日本に戻ってからの予期しなかった出来事のことだろうか。それとも、見る影もなく沈んでいた佐瀬、星、藤原の現在の輝きのことだろうか。

 私は、広岡は自分のことを思っているように感じる。そして、そこには元会長の真田のことがあるように感じる。過去の試合前に真田が広岡を見つめていたように、現在の広岡が翔吾を見つめていることに気付いている、と感じる。

 真拳ジム会長の令子は、翔吾のためというよりは、広岡たち四人のために最大限のことをしたのではないか。自分のジムの元ボクサーというだけでトレナーやセコンドとしての経験のない三人に、セコンドを任せ、その上に真拳ジムのユニフォームまで準備している。

 令子は、広岡のために精いっぱいのことをしている。
 広岡は、翔吾のために精いっぱいのことをした。広岡は、昔の仲間のために精いっぱいのことをした。広岡は、自分のホテルの客のために精いっぱいのことをして、今の財産を得たように思う。

このページのトップヘ