本屋のとなりは写真館

朝日新聞連載小説『国宝』『ディス・イズ・ザ・ディ』の毎回ごとの感想と、読んだ本の感想を更新しています。

2016年05月

朝日新聞連載小説『春に散る』沢木耕太郎第407回2016/5/23

 佳菜子の特別な感覚をどう言えばよいのか迷っていた。
 映画館で映画に集中していない広岡を察し、子猫の気持ちを察し、それ以前に初対面の広岡の人柄を察している。こういう物事を見抜く感覚を彼女が持っていることは、以前から描かれている。

「佳菜子さんは本当のことしか言わないから」

 翔吾のこの言い方がピッタリ当てはまる気がする。佳菜子の感覚は、予知能力などというあやふやなものでなく、先のことであっても事実を感じ取れるのであろう。


 試合直前だから、四人は翔吾の戦いを心配して、そのことだけを考え、準備をしているはずだ。ところが、広岡が次のような行動を取った。

「お疲れさん、いい試合だった」
 控え室にあるモニターでその試合を見ていた広岡が、うなだれたまま放心したように立ち尽くしている挑戦者に声をかけた。


 敗れた挑戦者へのこの上ないねぎらいだ。

龍三と七人の子分たち 監督  北野武

 楽しめなかった。
 役柄とほぼ同年齢の役者の演技に面白みを感じられなかった。
 キャスティングでは、北野武が龍三を演じれば、かなり映画全体の雰囲気が変わったと感じた。
 また、北野映画には、独特のいくつかの仕掛けや小ネタともいえる場面があるが、この映画ではその笑いのポイントに反応できなかった。例えば、数を指で示す場面などは、すぐに裏を読めてしまった。
 現代的な題材とは思うが、老人が活躍するという話はなかなかに難しいものだ。時代はグンと前になるが、長谷川町子の漫画「意地悪ばあさん」のような痛快さを現代化できないものだろうか。

朝日新聞連載小説『春に散る』沢木耕太郎第406回2016/5/22

 チャンプの家の食事の場面によく来ていた佳菜子が、チャンプの家での翔吾のトレーニングが本格的になってからは、来なくなっていたようだ。
 でも、佳菜子も社長の進藤も、翔吾が真拳ジムに移籍した経緯やスパーリングの様子はよく聞いていたことが分かる。そして、かなり力を入れて、翔吾のことを応援していることも分かる。

 広岡の周囲では、昔の仲間、翔吾、真拳ジムの人々、そして佳菜子と、新しい人間関係ができ上っていく。

 翔吾は、佳菜子の特別と言ってよい察知能力を既に知っているようだ。広岡も、佳菜子の言葉を信じると思う。

朝日新聞連載小説『吾輩は猫である』夏目漱石第31回2016/5/20

 寒月の話は、ずいぶんと真に迫って聞こえる。だが、怪談じみていてとても経験談とは思われない。
 迷亭の話との違いはなんだろうか。自分の経験として語っている所は同じだし、知人が登場する所も、場所がらも、そして、話の核心も共通している。
 これは、この話の結末を聞いてみなければ、違いが見えてこないようだ。
 川に飛び込んだ当人が無事であったことだけは、確かなのだが。

朝日新聞連載小説『春に散る』沢木耕太郎第405回2016/5/21

広岡はその部屋に隅に立って、いくらか緊張した面持ちの翔吾を見つめていた。

 広岡の脳裏には、何が思い浮かんでいるのだろうか。
 元ボクサーだけに、これから戦う翔吾に勝たせたいという思いだけだろうか。それとも、日本に戻ってからの予期しなかった出来事のことだろうか。それとも、見る影もなく沈んでいた佐瀬、星、藤原の現在の輝きのことだろうか。

 私は、広岡は自分のことを思っているように感じる。そして、そこには元会長の真田のことがあるように感じる。過去の試合前に真田が広岡を見つめていたように、現在の広岡が翔吾を見つめていることに気付いている、と感じる。

 真拳ジム会長の令子は、翔吾のためというよりは、広岡たち四人のために最大限のことをしたのではないか。自分のジムの元ボクサーというだけでトレナーやセコンドとしての経験のない三人に、セコンドを任せ、その上に真拳ジムのユニフォームまで準備している。

 令子は、広岡のために精いっぱいのことをしている。
 広岡は、翔吾のために精いっぱいのことをした。広岡は、昔の仲間のために精いっぱいのことをした。広岡は、自分のホテルの客のために精いっぱいのことをして、今の財産を得たように思う。

朝日新聞連載小説『春に散る』沢木耕太郎第404回2016/5/20


秋の夕暮れは日が落ちるのが早い。すっかり暗くなった駅前商店街を、広岡たちと翔吾が駅に向かって歩いていた。

 季節が移り変わっていた。翔吾のスパーリングの後味が伝わってくる。それは、広岡の気分でもあろう。


知らなかった、と広岡は思った。

 計画していた昔の仲間との共同生活は、広岡が予期していた以上に順調に進み、さらに佳菜子と翔吾という若い二人が、老人の共同生活に変化さえ加えた。
 しかし、老人の共同生活は、若い頃は一緒にいながら知らなかった互いのことを浮かび上らせることもある。
 星がサーフィンを少年に教えた思い出も、藤原のアッパーの思い出も苦さを含んだものだった。

 ストーリーに関係ないかもしれないが、次のように感じる。
 四人はそれぞれに独りのときの暮らしとは比べものにならないほど充実した暮らしができている。だが、ボクシング以外で若い頃につながりのあった人たち、とりわけ家族とは接点がないことに変わりがない。
 特に広岡は、家族とのつながりが全くない。

 
 家族という関係と無縁に老後を過ごすのは、新しい生き方なのかもしれない。
 現実の世界では、望むと望まざるに関係なく、老後を独りで過ごさねばならない人が増えていることを見るのが多くなっている。

朝日新聞連載小説『春に散る』沢木耕太郎第402回2016/5/19

 大塚に怪我も精神的なダメージもなさそうでよかったと思う。

 大塚と翔吾のスパーリングが注目されていたことが改めて分かった。会長の令子、トレーナーの郡司、何人もの真拳ジムの練習生、そして広岡と藤原と星、佐瀬はセコンドとして付いているようだ。
 こんなに注目されているスパーリングで、相手をノックアウトさせるようなダメージを与えなくてよかった。


「(略)もし先代の会長が君のボクシングを見たら喜んだと思う。(略)」

 大塚という選手は、本物なのだ。
 広岡は、このスパーリングでの翔吾のボクシングを喜んでいるようには感じられない。

朝日新聞連載小説『吾輩は猫である』夏目漱石第30回2016/5/19

 迷亭の話は、なんともあきれた作り話だ。しかし、全ての物語の根本は作り話だということもできよう。
 迷亭のうそを承知していながら、寒月も話を作るようだ。

 猫はうそをつかない。
 なぜか。
 猫は言葉を使わないから。

朝日新聞連載小説『吾輩は猫である』夏目漱石第29回2016/5/18

 「主人」である苦紗弥と美学者の迷亭は、いい加減なことばかりして、なんの役にも立たないことをしていると描かれる。その描かれ方は徹底している。
 これが、作中の登場人物がそう感じているのであれば、この二人に対して、読者に嫌悪感しか持たせないであろう。ところが、なにせそういう見方をしているのは、猫なのである。
 そして、この猫の観察の仕方は、単に皮肉屋や笑いを狙ったものではない。

実は行徳の俎板という語を主人は解さないのであるが、さすが永年教師をして誤魔化しつけているものだから、こんな時には教場の経験を社交上にも応用するのである。

 この観察は、当たっている。そして、これは教師だけではない。特に、様々な専門職をしている人にも当てはまると思う。

朝日新聞連載小説『春に散る』沢木耕太郎第402回2016/5/18

 前回では、翔吾のアッパーが出て劣勢を挽回すればいいのに、と思っていた。

 だが、これはまずい。

 翔吾の判断が誤っていたというよりは、教えた方の失敗だろう。教えるパンチを、どんな場合に使うかを峻別していなかったということではないか。

朝日新聞連載小説『吾輩は猫である』夏目漱石第28回2016/5/17

 教師とその門下生、教師とその友人の学者、三人が三人とも、嘘とその嘘を見破っているようないないような会話が続く。そして、当人たちはどうも自分が一等賢いと思っているようだ。
 「吾輩」は、そんな教養人たちを冷ややかに見つめている。
 これだけ、「吾輩」の視点がはっきりとしてくると、「吾輩」が人間を観察している態度を、表現通りに冷笑しているだけとは受け取れなくなる。嘲笑、冷笑の土台には、人間に対する強い好奇心が働いていそうだ。

朝日新聞連載小説『春に散る』沢木耕太郎第401回2016/5/17

 大塚は、翔吾の力と戦法を見切っている。
 広岡は、翔吾の状態と、さらに大塚の力と大塚が戦いながら考えていることを分析できている。


 スパーリングとはいえ、翔吾が追い込まれた。この状況は、チャンプの家で練習を重ねてきたあの状況と類似ではないか。

映画 ビリギャル 監督 土井裕泰

 泣いた。笑った。ただこういう感じはあまり長く残りはしないとも思った。
 
 この監督のうまい所。
 主人公が塾へ行く前の出来事を、伝聞としてあっさりと片付けた点。塾の先生が、主人公に深々と頭を下げるような演技。主人公と友人たちが遊ぶ場所の描き方。高校教師役、父親役のキャスティング。

 映画の元になった話を含めて、女子高生だから成立するのだろう。その理由を説明できない。しかし、女子高生とその文化?は、現代日本社会ではある地位を確実に占めている。

 主人公を取り巻く人々や学校がデフォルメされた現実で、主人公だけが現実離れしているというパターンをきっちりと踏んでいることが、この映画のおもしろさにつながっていると思う。だから、結末を知っていても観ることができるのだろう。

朝日新聞連載小説『春に散る』沢木耕太郎第400回2016/5/16

 翔吾は、藤田とのスパーリングでは、鍛え直した体力と、佐瀬から学んだことで相手を圧倒できた。しかし、大塚に対しては、主に佐瀬から学んだことだけでは優位には立てないということだろう。
 藤原から学んだことが、大塚とのスパーリングの中で出るか。

朝日新聞連載小説『春に散る』沢木耕太郎第399回2016/5/15

 藤田とのスパーリングでは、翔吾は広岡のクロスはおろか藤原のアッパーも使う必要はなかった。
 大塚とは、そうはいかないだろう。

 星のパンチは、教えた場面すら描かれていないが、どうなるのだろうか。

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