本屋のとなりは写真館

朝日新聞連載小説『国宝』『ディス・イズ・ザ・ディ』の毎回ごとの感想と、読んだ本の感想を更新しています。

2016年06月

朝日新聞連載小説『春に散る』沢木耕太郎第430回2016/6/16

そのひとつひとつにメールで返事を書きながら、もうほとんど自分のことにように思えないほどすべてが遠くなっていることに驚いていた。

 広岡は、アメリカに戻ることもホテル事業に戻ることも、もうないとはっきりと意識したのであろう。彼が、自己の終末を意識して日本に戻ったことは描かれている。しかし、いつ発作が起こってもおかしくないという状態なのか、それとも余命が宣告された状態なのかは、描かれていない。
 どちらにしても、広岡の意識では、ボクシングをやめた後心血を注いだホテル事業にもう未練はないということだ。
 それは、すべてのことから身を引くということではないと思う。今の広岡は、残された時間でやり遂げたいことが徐々に明確になってきたのではないか。


(略)令子が少し声を張り上げるようにして言った。
「とても素敵なお住まいね」

 令子の話は、チャンプの家の誰かについてのものかと予想したが、令子自身と真拳ジムのことかもしれない。

朝日新聞連載小説『春に散る』沢木耕太郎第429回2016/6/15

 次回はどうなるのだろう、という思いで小説を読むことを忘れていた気がする。
 この小説では、いつも「次はどうなるのだろう」と思いながら読んでしまう。そういう読み方ばかりしていると、読みが狭くなるような気もするが、どんな作品でも、根底にはその思いがあって、次の文字を読んでいるのかもしれない。
 先の予想が当たると、なんだかほくそ笑んでしまう。
 予想が外れると、不満を感じる。
 だが、予想通りだと、面白さは浅いものになる。
 予想を超えた展開になると、反感を覚えながらもますます引き込まれる。

 令子がジムでは話しにくいことというのだから直接ボクシングに関わることではないだろう。ウィークデーの午後ということは、その時間帯にチャンプの家にいる(あるいはいない)人のことを考えてのことだと思う。
 広岡本人に関わることか?それなら、むしろ他の場所を選びそうだ。
 他の三人と翔吾に関わることか?それなら、むしろ真拳ジムの方がよさそうだ。
 そうなると、‥‥?
 いずれにしても、広岡だけに伝えたい深刻な話だと予想する。

朝日新聞連載小説『吾輩は猫である』夏目漱石第44回2016/6/9

 寒月の演説は、本当に行われたものと書かれている。苦紗弥と迷亭をだますための架空の話ではなかった。
 苦紗弥と迷亭は、寒月の話す内容の枝葉の部分だけをおもしろがっている。
 私も、寒月の演説の内容で、興味を感ずるとすれば、この二人と変わらない。

 「吾輩」も、寒月の話の内容についてはよいとも悪いともしていない。ただ、聞き手が話の本筋を理解しないのにいろいろと注文をつけることに、批判的だ。

朝日新聞連載小説『吾輩は猫である』夏目漱石第43回2016/6/8

 寒月の話の内容は、真面目なものなのか、それとも迷亭の話のように最初から聞く人を欺こうとするのもなのか、判然としない。
 方程式が出てくる「演説の首脳」の部分は、まったくのでたらめとも思えない。
 しかし、読者としては、苦紗弥、迷亭と同様に正しいともでたらめとも判別はできない。もしも、寒月の話す方程式がその当時の定理を踏まえたものだとしても、力学の説明としてこの例を出すことがふさわしいのであろうか。
 苦紗弥と迷亭の二人が、ギリシャ語も方程式も理解しないで、注文ばかりつけていることは、はっきりとしている。

 なんだか明治時代の小説の中のこれらの人物に同化してしまいそうだ。

朝日新聞連載小説『春に散る』沢木耕太郎第428回2016/6/14

 新しい章が始まっていた。
 前章の「竜」と「車」はわかったが、「曳く」にも意味があると感じる。令子と真拳ジムのために、広岡たちが動くのは容易なことではないのだろう。


 やはり、記事にされてしまったか。令子の言う通り、よい面もあるが、私はチャンプの家を広く知られることに不安を感じる。
 記事で注目を浴びるだけでなく、ライトで人目を一段と引いてしまうのではないか。多くの人々に知られることで影響が出るのは翔吾だけではないと思う。

朝日新聞連載小説『春に散る』沢木耕太郎第427回2016/6/12

 星の提案は、素晴らしかった。もっと体を作るための荷役という仕事を選んだことが、翔吾がチャンプの家に住むことにつながった。そして、翔吾のトレーニングに役立つためだけでなく、チャンプの家での共同生活に落ち着きと変化をもたらしたと思う。
 映画「キッズリターン」で描かれていたが、ボクサーの生活でロードワークとジムワーク以外の時間をどう過ごし、どんな人と付き合うかが難しいのだと思う。その点、昼間の時間を働いて過ごし、しかもそれがより強い体力作りに直結しているのは願ってもないことだ。

 広岡は、カレー作りを翔吾と佳菜子に任せるようになったとあるが、それは夕食作りを覚えさせるねらいだけではないだろう。

 季節は冬に向かうが、翔吾だけでなく、広岡たちも朝のランニングに喜んで出かける様子が目が浮かぶ。

朝日新聞連載小説『春に散る』沢木耕太郎第426回2016/6/11

 一度思い込むとなかなかそこから抜け出せない。
 回りくどく、秘密の暴露があるようなストーリー予想をしたが、そんなありがちな展開は一切なかった。

 令子の思いは、素直で、理解しやすいものだった。


そのとき、広岡は、自分が日本に帰ってきたのはこのためだったかもしれない、と思った。

 若かった広岡が、やけになって立ち直れないでいたときに、ボクシングという進むべき道を示してくれたのは、真田だった。そして、ボクサーとして力をつけていけたのは、真田の指導であり、三人の仲間の存在だった。
 その真田会長の願いが、真拳ジムから世界チャンピオンを出すことだった。
 その願いを達成できないうちは、真拳ジムを閉じることはできない。これが令子の望みであり、広岡たちの望みにもなると思う。
 バラバラだった昔の仲間の生活を立て直し、気持ちを一つにできた今、広岡の進むべき道がはっきりしてきたことを強く感じる。

 広岡のこのような思いに魅力を感じる。損得や理屈を優先せず、自己の感覚に誠実だ。そうでありながら他者のために全力を尽くす面が強く出ている。

朝日新聞連載小説『春に散る』沢木耕太郎第425回2016/6/10

 六番目の犬士など考えすぎだった。名字に由来していただけとは!
 
 今度は、令子についてに、改めて疑問が湧く。
○ 離婚したとはいえ、令子が苦労の多いボクシングジムの運営を引き継いだのはなぜか?
○ 佳菜子と令子は、互いのことをかなり詳しく知っているようだ。二人をつなぐものは何か?

 佳菜子の言う「竜が曳く車」の「車」とは何を指しているのか。
 そこには、広岡も知らなかった何かがあるはずだ。 

 佳菜子については実の父が亡くなったこと、母が再婚したことは分かったが、彼女の過去についてはまだ謎のままだ。
 
 サブタイトル(章の題)は、この小説で重要な内容を表している。以前の章の題「新しい人」の「人」が、翔吾と佳菜子を指していたことが今になって明らかになった。

朝日新聞連載小説『春に散る』沢木耕太郎第424回2016/6/9

 霊感があるというのとも違う。超能力、予知能力があるというのとも違う。
 今までは、感覚がきわめて繊細なのだろうと思っていた。
 でも、里見八犬伝が持ち出されて、ただ五感が細やかで鋭いだけではないと感じる。言葉に対して独特の感受性をもっているし、空想力が豊かだ。佳菜子という人は。
 広岡もそういうところがある。

 佳菜子は、自分を六番目の珠を持つ犬士になぞらえようというのか?

朝日新聞連載小説『春に散る』沢木耕太郎第423回2016/6/8

 佳菜子について思い出してみる。
○子どもの頃、住んでいた所には古い映画のテープ?DVD?がたくさんあった。ということは、新しい映画や他に遊ぶようなものはなかったのか?
○今までレストランや映画館に行ったことがなかった。一緒に外出するような家族も友人もいなかったということか?
○進藤は知り合いの弁護士から頼まれて彼女を雇ったはずだ。(過去の連載を残していないので記憶があいまい)単に雇っているだけでなく、私生活についても何か依頼されているのではないか?

 令子は、佳菜子について広岡のまだ知らない事情を知っているようだ。


広岡もまた、自分が同じように感じていることに気がつき、戸惑った。

 広岡の今までの心境と違う何かが出てきたということか?


 挿絵では、佳菜子だけが正面から描かれている。これの意味するところは?


 里見八犬伝は読んだことがないので、何を意味するか不明。

※「?」だらけの感想になった。

朝日新聞連載小説『吾輩は猫である』夏目漱石第42回2016/6/7

 苦紗弥、迷亭、寒月の会話が、演説練習に伴って続く。
 この場面では、「吾輩」の批評が少ない。不思議なもので、「吾輩」からの批評が少なくなると、この三人の会話への興味が減ってしまう。

主人は無言のまま吾輩の頭を撫でる。この時のみは非常に丁寧な撫で方であった。

 このような猫からの観察がもしなければ、この会話も違ったものに感じるだろう。いかに会話の内容がおもしろそうでも、読者の興味を持続させることはできないように思う。

朝日新聞連載小説『春に散る』沢木耕太郎第422回2016/6/7

「いいんですか?」
翔吾が弾んだような声を上げた。

 翔吾が、うれしいという感情を表したのははじめてだ。トレーニングにはきっちりと来ていてもチャンプの家に長居をするのをためらっているようだった彼が、変われば変わるものだ。
 翔吾がチャンプの家に住むことは、藤原が勧めたからで、その理由もある。佳菜子の理由は何だろう?

 翔吾が広岡に倒されて、チャンプの家に泊まるしかなかったときから、翔吾と佳菜子の二人がチャンプの家に住むことになるかもしれないと感じたことがあった。きっとどこかにそれを予感させるような表現があったのだろう。

 翔吾とチャンプの家がよい方向にどんどん進んでいる。それでも、広岡の翔吾の未来についての悪い予感は消えないのだろうか? 

朝日新聞連載小説『春に散る』沢木耕太郎第421回2016/6/6

 星は、メンタル面の思いもつかないようなトレーニングを言い出すかと思っていた。しかし、そんなことではなく、体力をより強化するという基礎的で最も大切なトレーニングを言い出した。そして、その方法がユニークだった。これは、この四人のボクサー時代の経験であり、共通した考え方でもあるのだろう。
 
 最新のトレーニング方法も取り入れなければならないが、過去のものにも正しいものがある。それは、スポーツのトレーニングに限らない。
 私もパソコンで文章を書くのが当たり前になっている。ところが、手書きで書いてみると、内容も変化する。ブログで文章を更新するにも、先ず手書きで書いてみると、違いを感じる。キーボードだけでなく、ペンで書くのはそれなりの価値があると思う。

 星と広岡の話に聞き入っている祝勝会のメンバーの顔が目に浮かぶようだ。翔吾はもちろんだが、特に佐瀬と藤原はうれしさに満ちた顔をしているだろう。

 令子会長の話から、また新しい人物が登場しそうだ。

朝日新聞連載小説『春に散る』沢木耕太郎第420回2016/6/5

 広岡の予感は外れないと思うので、これも当たっていると思う。ということは、付き合っているとかいないとかに関わらず翔吾の佳菜子への気持ちが強いものになっているということだ。


 藤原の言い方がいい。俺が教えたからとは言わずに、感じたままを言い、そこに気持ちがこもっている。


 星の教える場面が出てこないと思っていたら、まだ教えていなかったのだ。
 星が次に何を言うか、きっと意表を突くものだと感じる。

朝日新聞連載小説『春に散る』沢木耕太郎第419回2016/6/4

――これが翔吾を不幸にすることにはならないだろうか‥‥。

 翔吾にボクシングを教えるようになって、仲間たちもより元気になった。翔吾はみるみる上達し、復帰第一戦を見事にノックアウト勝ちした。しかも、そのパンチは広岡のうなずきに導き出されていた。
 それなのに、広岡の不安は消えない。


私はあなたに二度負けました。

 翔吾の父は、広岡のような強いボクサーではなく、広岡に完敗した。息子翔吾に自分の夢を託したが、ある時期から息子に完全に背を向けられた。
 そして、そんな息子を生き返らせたのは自分ではなく、かつて自分を敗者にした広岡だった。翔吾は、復帰戦に勝利した今も父親をボクサーとしては尊敬していないだろう。
 だが、彼にはジムがあり、家族がある。翔吾が父のジムに所属していなくても、黒木会長の息子が翔吾であることに変わりはない。


いえ、勝ったのは黒木さんです。

 広岡は、昔の仲間からも翔吾からも尊敬され、慕われている。だが、深刻な病をかかえ、子どもも家族もいない。

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