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新聞連載小説『ひこばえ』重松清・作 川上和生・画 の感想と、読んだ本の感想を更新しています。

2016年06月

朝日新聞連載小説『春に散る』沢木耕太郎第434回2016/6/20

 翔吾が、大塚とは戦わないとあっさりとは言わないだろう。

 山越との戦いでは、翔吾は圧倒的に優勢だった。しかし、山越のラッキーパンチとその後の強引な攻めの前に、危機を迎えた。
 大塚とのスパーリングでは、翔吾がスタミナでもパンチ力でも優位に立てるところはなかった。
 もしも、藤原のインサイドアッパーがなければ、大塚に負けていただろうし、山越にも勝てたかどうかわからないと思う。

「危険だぞ」
 
 星は、大塚と戦うことを止めろとは言っていない。
 そして、広岡はまだ何も言っていない。


 「来訪者」は、令子のことなのか?他にもいるのか?

朝日新聞連載小説『春に散る』沢木耕太郎第433回2016/6/19

疑問一
 令子は、大塚のことを広岡にだけかそうでなくとも最初に広岡に相談したと思っていた。しかし、他の人に相談して解決ができないので、広岡の所に来たのだった。令子が、広岡を特に信頼していると思っていたが、そうでもないのかと感じた。

疑問二

「よかった。負ける姿なんて、どちらも見たくないものね。」 

 ジムの会長とはいえ、令子の母性的な面と優しさが出ている。
 だが、広岡たち四人はどう考えても負けた男たちだ。
 この小説は、勝敗をきっちりと描く。勝者だけが取り上げられるのではなく、敗者へも、むしろ敗者の方に焦点が当てられると感じる。


 挿絵では、広岡と令子の実際の年齢相応の表情が描かれた。「お嬢さん」と「広岡君」は、もう過去のことなのだ。

朝日新聞連載小説『春に散る』沢木耕太郎第回2016/6/18

 前回を読んで、令子の話が父の残した家についてのものだと思った。まったく違った。
 令子からの電話の時には、佳菜子についてのことではないかと思った。それも違っていた。真拳ジムでは話しづらいことと電話では言っていたので、てっきりチャンプの家の誰かに関わることだと思ったら、大塚のことだったとは!
 大塚と翔吾の関係については、確か以前に触れられていると思う。星が、翔吾の体格から大塚と階級が重なることを見越していたと思う。
 また、スパーリングの際に大塚を倒した翔吾のアッパーパンチを、藤原と広岡が止ようと叫んだ。それがここにつながってきた。

 伏線ともいうべき筋立てが地下水脈のようになり、それが思いがけぬ場所で湧き出してくる。

 次のこともどこかで、つながり合うのだろうか?
○令子の話に出てきた真田の残した家。
○翔吾の父と話しながら広岡が感じていたこと。「――これが翔吾を不幸にすることにはならないだろうか‥‥。」
○チャンプの家のことが報道された影響。
○星が自分のパンチをまだ教えていないこと。
○ますます重要な登場人物となった佳菜子の謎につつまれたままの来歴。


 広岡は大塚のボクサーとしての能力を認めていたが、肝心の黒木翔吾のことは本心では認めていないのではないかと思っていた。しかし、この二人の能力について広岡のとらえ方がはっきりと表現された。

(略)異なる団体の世界チャンピオンの座に、二人同時に就かせることも夢ではない有望な選手なのだ。

朝日新聞連載小説『春に散る』沢木耕太郎第431回2016/6/17

 挿絵にあるようなペーパーのドリップ式を愛用している。ミルは、電動のありふれたものだ。コーヒーメーカーもいくつか試してみたが、いちばんの欠点は同じ種類のコーヒー豆ならいつも同じような味になることだ。その点ドリップ式は、ちょっとの違いが香りと味の違いになる。自分で飲むのだからいつもベストに近い味を求める必要がない。違いが、はっきり出るのは挽き方の違いだ。電動のミルなので、自分の感覚でしかないところがおもしろい。もちろん挽いた豆の分量と湯の量でも変わる。
 ペーパーのドリップ式でひとつこだわっている。一般的なプラスチックのロートを使っているが、これに二種類あって、完全な円錐形のものの方がよい。


しかし、それはもう比べようもないくらい遠いものとなっていた。

 広岡たち四人が翔吾へ教えていることは、真田と白石が考えた方法であり、昔をなぞっている面がある。しかし、そればかりではないのであろう。回顧ばかりでなく、真田の気持ちを継ぐ方法を、広岡は考えているように思う。

 真田の家が話題になった。空想が広がる。
○真拳ジムの運営を令子一人でやるには限界を感じている。
○真田の残した家は、広岡たち四人が共同生活をしたスペースがそのまま残っているのではないか?
○今まで残し続けてきた家を売り払ったりしないで、亡き父の遺志を継ぐ形で残したいと、令子は思っているのではないか?

朝日新聞連載小説『吾輩は猫である』夏目漱石第45回2016/6/10

 迷亭の話をはじめてまじめに聞いた。東風のドイツ人にドイツ語で話しかけられたエピソードだ。
 他国語を少しかじったことがあるというのが危ない。例えば、英語に興味があるというだけで、それを使ってみようとするのが危ない。
 できなくても使わなくては他国語をものにすることはできないであろう。(私は、他国語をものにしたことはないので、仮定でしか言えないが)
 自分の語学力はまったくの初歩であると自覚していれば、東風が陥ったようなことにはならないであろうが、少しでも通じると、なんとかなると思ってしまう。

 それにしても、苦紗弥は教師だし、寒月はギリシャ語を読む、東風は例え初歩であろうとドイツ語をしゃべる。この三人の語学力は、相当のものと感じる。迷亭の語学力は分からないが、雑学の知識は豊富だ。

朝日新聞連載小説『春に散る』沢木耕太郎第430回2016/6/16

そのひとつひとつにメールで返事を書きながら、もうほとんど自分のことにように思えないほどすべてが遠くなっていることに驚いていた。

 広岡は、アメリカに戻ることもホテル事業に戻ることも、もうないとはっきりと意識したのであろう。彼が、自己の終末を意識して日本に戻ったことは描かれている。しかし、いつ発作が起こってもおかしくないという状態なのか、それとも余命が宣告された状態なのかは、描かれていない。
 どちらにしても、広岡の意識では、ボクシングをやめた後心血を注いだホテル事業にもう未練はないということだ。
 それは、すべてのことから身を引くということではないと思う。今の広岡は、残された時間でやり遂げたいことが徐々に明確になってきたのではないか。


(略)令子が少し声を張り上げるようにして言った。
「とても素敵なお住まいね」

 令子の話は、チャンプの家の誰かについてのものかと予想したが、令子自身と真拳ジムのことかもしれない。

朝日新聞連載小説『春に散る』沢木耕太郎第429回2016/6/15

 次回はどうなるのだろう、という思いで小説を読むことを忘れていた気がする。
 この小説では、いつも「次はどうなるのだろう」と思いながら読んでしまう。そういう読み方ばかりしていると、読みが狭くなるような気もするが、どんな作品でも、根底にはその思いがあって、次の文字を読んでいるのかもしれない。
 先の予想が当たると、なんだかほくそ笑んでしまう。
 予想が外れると、不満を感じる。
 だが、予想通りだと、面白さは浅いものになる。
 予想を超えた展開になると、反感を覚えながらもますます引き込まれる。

 令子がジムでは話しにくいことというのだから直接ボクシングに関わることではないだろう。ウィークデーの午後ということは、その時間帯にチャンプの家にいる(あるいはいない)人のことを考えてのことだと思う。
 広岡本人に関わることか?それなら、むしろ他の場所を選びそうだ。
 他の三人と翔吾に関わることか?それなら、むしろ真拳ジムの方がよさそうだ。
 そうなると、‥‥?
 いずれにしても、広岡だけに伝えたい深刻な話だと予想する。

朝日新聞連載小説『吾輩は猫である』夏目漱石第44回2016/6/9

 寒月の演説は、本当に行われたものと書かれている。苦紗弥と迷亭をだますための架空の話ではなかった。
 苦紗弥と迷亭は、寒月の話す内容の枝葉の部分だけをおもしろがっている。
 私も、寒月の演説の内容で、興味を感ずるとすれば、この二人と変わらない。

 「吾輩」も、寒月の話の内容についてはよいとも悪いともしていない。ただ、聞き手が話の本筋を理解しないのにいろいろと注文をつけることに、批判的だ。

朝日新聞連載小説『吾輩は猫である』夏目漱石第43回2016/6/8

 寒月の話の内容は、真面目なものなのか、それとも迷亭の話のように最初から聞く人を欺こうとするのもなのか、判然としない。
 方程式が出てくる「演説の首脳」の部分は、まったくのでたらめとも思えない。
 しかし、読者としては、苦紗弥、迷亭と同様に正しいともでたらめとも判別はできない。もしも、寒月の話す方程式がその当時の定理を踏まえたものだとしても、力学の説明としてこの例を出すことがふさわしいのであろうか。
 苦紗弥と迷亭の二人が、ギリシャ語も方程式も理解しないで、注文ばかりつけていることは、はっきりとしている。

 なんだか明治時代の小説の中のこれらの人物に同化してしまいそうだ。

朝日新聞連載小説『春に散る』沢木耕太郎第428回2016/6/14

 新しい章が始まっていた。
 前章の「竜」と「車」はわかったが、「曳く」にも意味があると感じる。令子と真拳ジムのために、広岡たちが動くのは容易なことではないのだろう。


 やはり、記事にされてしまったか。令子の言う通り、よい面もあるが、私はチャンプの家を広く知られることに不安を感じる。
 記事で注目を浴びるだけでなく、ライトで人目を一段と引いてしまうのではないか。多くの人々に知られることで影響が出るのは翔吾だけではないと思う。

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