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朝日新聞連載小説『国宝』『ディス・イズ・ザ・ディ』の毎回ごとの感想と、読んだ本の感想を更新しています。

2016年07月

朝日新聞連載小説『春に散る』沢木耕太郎第474回2016/7/31

 前髪の件は今まで出てきた記憶がない。
 髪型については、広岡の髪型が若い頃から変わっていないことが書かれていた。令子は、40年ぶりの広岡を昔と変わらぬ髪型で見分けたとあった。
 そうすると、前髪のことで今まで語られていない思い出が出てくるのか。


(略)四人で後片付けを済ますと、(略)

 久しぶりに四人の共同生活の様子が描かれている。翔吾の世界選手権戦を目の前にしても、四人の生活に大きな変化はないようだ。四人で翔吾のトレーニングをして、四人で家事を分担している。
 四人は、佳菜子の生い立ちについてはわかったはずだ。星と佐瀬の会話はどこへ発展するのか?


 ストーリーは新しい方向に向かうが、前の章の内容で知りたいことが残っていてすっきりしない。
 大塚にどうして逆転勝利できたのかがわからないままだ。
 インサイドアッパーは警戒されていたが、ボディフックは無警戒だったからということだけなのか?それとも、ボディフックを打つ機会を我慢して待っていたのか?広岡が感じた翔吾の成長は、何が理由なのか?
 広岡は、大塚と現在の真拳ジムにどういう態度をとっているのか?翔吾は、真拳ジムの所属のままなのに、チャンプの家だけでトレーニングをしているようだ。次の試合に向けてのスパーリングはどうするのか?
 読者のいろいろな問いに答えていては、話は前に進まないであろう。しかし、これらが置き去りにされたままでは、ストーリーが雑になると感じる。

朝日新聞連載小説『春に散る』沢木耕太郎第473回2016/7/30

 他の人には一切干渉しなかった広岡の変化だ。子どもに取り越し苦労をする親のようだ。こういう気持ちは理解はできるが、その変わりぶりには違和感を感じる。


 予知能力や鋭い感覚を持つというのは、羨ましくもあるが、厄介でもある。佳菜子に劣らず、広岡の感覚の鋭さは何度も描かれている。だから、このデートに不安を抱く。

朝日新聞連載小説『春に散る』沢木耕太郎第472回2016/7/29

あとはもうジタバタせず、訪れた「そのとき」を静かに受け入れようと。

 こう思いたい。
 「そのとき」がいつ来るのかはわからない。だが、ある年齢を超えると完治しない病気があるのが当たり前になる。もしも、完璧な健康体であるとしても、平均寿命には確実に近づいている。
 広岡の年代の男には、現在は元気に過ごしているとしても、「そのとき」は近づいているのだ。
 老年に入り「そのとき」を具体的に意識したときには、上のように思いたいと思う。だが、なかなかそうはならないだろうとも思う。

 日本に戻ったときも、藤原たちと共同生活を始めたときも、広岡の思いは変わらなかったようだ。だから、日本では病院へも行っていなかった。
 ところが、その広岡の気持ちを変えたできごとがあったのだ。

 ――どうやら自分は、翔吾がどのようなボクサーになっていくかを見届けたいと望んでいるらしい‥‥。

 広岡は、他の三人と違って翔吾のトレーニングに積極的に関わることはなかった。翔吾とふたりだけで話した経験といえばチャンプを捜したときくらいのものだ。
 翔吾は、広岡に倒されたときから、彼を特別な存在として感じて、その感覚は日々増していったびょのであろう。
 広岡は、翔吾のボクサーとしての成長を見るうちに、気持ちが変化したのだ。そして、今や翔吾を「その存在のすべてを無条件に受け入れ」ている。
 広岡のこの望みは、生きることへの未練ではない。死に対する恐れでもない。
 死を具体的に意識しても、誰かに信頼され、誰かのために何かのためにすべきことがあるときに、こう思うことができるようになると感じる。

 世界チャンピオンになるのを見届けたいとはいっていないことに注目する。

朝日新聞連載小説『春に散る』沢木耕太郎第471回2016/7/28

 翔吾の、世界戦を前にして、広岡が倒れる。広岡の病状が知られる。
 チャンプの家のみんなは落胆し、翔吾は、戦意を失う。
 しかし、そのままで終わることはなかった。

 こんなストーリーを描く。


 大塚戦の前には、次のようなストーリーを描いた。

 翔吾は、この試合で眼を痛めて、その再発の恐れがあるので、ボクシングを続けることを医師から止められる。
 一時は、落胆する翔吾だが、佳菜子の看病と慰めによって立ち直る。
 佳菜子は、映画作りの勉強のために、広岡が手配してくれたアメリカへと旅立つ。
 翔吾もまたボクシング以外の生きがいを求めて、アメリカへ渡り、広岡のホテルでホテルマンとしての修行を始める。
 大塚は、世界戦に挑戦することとなるが、そのサポートにチャンプの家の四人も加わる。大塚が世界戦に備えたスパーリングの相手は、中西だ。
 その中西へ、広岡はアドバイスし、中西は本来のボクシングを取り戻し、大塚とは違う階級で世界を目指す階段を昇り始める。

 
そうはならなかった。

 今回も予想とは違う方向へ発展するだろう。
 だが、佳菜子が感じた不安、中西の再登場が、いわば読者の予想を混乱させるだけのものとは思えない。

朝日新聞連載小説『吾輩は猫である』夏目漱石第50回2016/6/21

 金田夫人の寒月についての調べはなかなか念が入っている。学者としての仕事ぶりだけでなく、今度は人柄というか、書いたものを見せてほしいと言った。苦紗弥も迷亭もおもしろがって、寒月からの絵はがきを出してくるが、そんなに簡単に見せてもよいものだろうか、疑問に思う。
 人柄や趣味についての良し悪しの基準も、金田夫人と迷亭とは大いに違っているので、ここでも話は食い違う。
 今までは、親しいといいながら苦紗弥と迷亭とは感覚の違う人物に見えていたが、金田夫人のような人が現れると、苦紗弥と迷亭は同じ価値観をもっていることがよくわかる。
 その証拠に、金田夫人が帰ると、二人は夫人に対する不満を相互に吐き出し、おおいに盛り上がっている。

 金田夫人のやり口の下品さや、世間体だけに縛られた感覚の浅薄なことは明らかだ。ところが、そこをいくら攻撃しても、まったく反省がない。
 むしろ、世間体や金の力に重きを置かない人間が、実際の生活では無力であることが描かれている。

朝日新聞連載小説『春に散る』沢木耕太郎第470回2016/7/27

 すごい逆転描写だ。
 実際に観戦していても、テレビ中継を観ていても、何があったかわからないだろう。文章表現でしか味わえない場面だ。

 キッドのキドニーについては、予想できなかった。逆転勝利は、期待し予想できた。
 予想がどうのこうのを超えた迫力だ。


絶望的な状況の中でひとり危険な海に乗り出し、ひとりで航路を見つけ、ひとりで嵐を乗り切ったからだ。

 この表現から、翔吾が、星ではなく広岡に許可を求めた理由がわかる。翔吾は、セコンドの三人の指示だけで動くボクサーではなくなっていたのだ。
 技術は、星から教えられたボディフックだったが、もうそれは翔吾独自のものになっている。
 広岡は直接的には翔吾にボクシングを教えていない。が、翔吾は、広岡から「ボクシング」を学んだのだ。


 大塚のようなスピードとテクニックの完璧なアウトボクシングをするボクサーは、それだけではプロのチャンピオンにはなれないのだ。


 沢木耕太郎のストーリー作りには魅了される。同時に、人間についての洞察にも。
 前回の、広岡が翔吾に感じた感覚は大切だ。

朝日新聞連載小説『春に散る』沢木耕太郎第469回2016/7/26

しかし、広岡には、いまの翔吾が何を欲しているかわからなかった。

 挿絵を見ると、星もセコンドについている。キッドのキドニーを打ちたいなら、わざわぜ広岡に許可を求めないだろう。
 そうすると、広岡が、教えたクロスカウンターか?広岡のクロスカウンターは、「本能を捨てた」動きだ。ということは、相手のパンチをガードせずに打つのではなかったか?

この試合を予想する。
① 翔吾の捨て身のクロスカウンターも大塚には通用せず、翔吾はノックアウト負けする。そして、心配されたケガはなかった。
② 翔吾の狙いすました一発が決まり、大塚がノックダウンし、翔吾が逆転勝利する。だが、狙いすましたクロスカウンターの際に翔吾はケガをする。
 ②の方が、今後の展開が広がる。


そのとき広岡は、自分が他者に対して、その存在のすべてを無条件に受け入れたのは初めてのことだったのではないかと思った。
 

 親兄弟に対して親しみを感じられない広岡が、今までの人生で初めて感じたものだ。
 三人の仲間は大切な存在だが、彼らはそれぞれが自立している存在だ。
 黒木翔吾には、れっきとした親がいる。しかし、広岡は、いつのまにか翔吾を、まるで我が子のように感じている。
 ボクサーとしてだけでなく、「その存在のすべて」という点が印象に残る。

朝日新聞連載小説『吾輩は猫である』夏目漱石第49回2016/6/17

 金田夫人の用向きがはっきりした。
 娘の結婚相手は親が決める。そのためには、どんな方法でもよいから結婚相手の候補になる人物のことを調べ上げる。調べる内容は、寒月の場合のように学者であれば、博士になれるかどうかをなによりも重要視する。なぜ博士がよいかというと、世間体がよく収入もあるからだ。
 苦紗弥と迷亭は、そんな金田夫人のことを快く思ってはいないが、とにかく話の調子を合わせ、なんとか自分たちの話題に引き込もうとするが、それは成功しない。
 苦紗弥は、うわべだけで博士をありがたがることの愚かしさを示そうとするが、金田夫人の方は一向に自分の愚かしさに気づかない。
 
 博士という肩書が大切なのではなく、その人の研究の内容が大切だという当たり前のことが、なかなか通用しない。そんな世間の実態が金田夫人を通して描かれている。

朝日新聞連載小説『春に散る』沢木耕太郎第468回2016/7/25

 この試合の前に、スパーリング相手の中西に広岡がアドバイスをして、中西がスタイルを変え、それが翔吾に何かヒントを与えると予想した。
 前回では、翔吾のインサイド・アッパーをかわした大塚の体が翔吾に当たり、翔吾が眼をケガすると予想した。
 どちらも外れた。

 スパーリングでは何も変わらず、特に得るものもなかった。
 試合は、佳菜子の心配は当たらずに、大塚有利のままラウンドが進んでいる。

 翔吾が広岡に、求めていることはなんだろう?キッドのキドニーの許可か?それとも広岡のクロス・カウンターの許可か?
 でも、そのどちらもなんとなくピンとこない。

 スパーリングが始まってから、星の登場がない。この試合でも、セコンドは佐瀬と藤原はついているが、星の描写がない。


 翔吾が、絶妙のタイミングで、クロス・カウンターを打ち、大塚に逆転勝利する。
 そういう流れを描いても、なんとなく物足りなさが残る。
 かと言って、このまま敗れるのも‥‥

朝日新聞連載小説『春に散る』沢木耕太郎第467回2016/7/24

(略)完璧なアウト・ボクシングが繰り広げられている。

 大塚の戦い方は、アマチュアの試合ならこれでいい。これが、理想的な戦い方だ。しかし、プロの世界ではこのままではダメだろう。人気が出ないだろうし、「完璧なアウト・ボクシング」の判定で世界チャンピオンに勝つという試合運びは考えられない。
 どこかで、アウト・ボクシングから抜け出さなければならない。翔吾とのこの試合でもそれは必要だ。
 そのチャンスがやってきた。

(略)今度は前方に鞭のように体をしならせて右のストレートを打ち込んだ。

 ストレートが当たっただけならいいが、大塚と翔吾の体はきわめて近いのではないか?

朝日新聞連載小説『春に散る』沢木耕太郎第466回2016/7/23

 第四ラウンド、いよいよ中盤だ。

(略)広岡は、ひやりとするような思いで認めざるを得なかった。

 広岡がこう認めるということは、このままでは翔吾に勝ち目はない。佐瀬もアドバイスすべき手がないのだ。
 大塚は体力を温存している。ポイントも確実に上げている。さらに、ストレートのカウンターを当てた。
 翔吾は徐々に体力を奪われていく。ポイントは上げられない。ジャブやストレートを打たれ続けている。翔吾が勝つには、踏み込んで打つアッパーは使えないので、キッドのキドニーか、クロスカウンターしか残っていない。
 しかし、そのいずれも危険を伴うものだ。

 もう一つ思い出す。中西は、過去の試合で圧倒的な不利を逆転していた。

朝日新聞連載小説『春に散る』沢木耕太郎第465回2016/7/22

 大塚は、確実にポイントをあげていく。翔吾は、軽いパンチを当てられ続け、徐々にダメージも増してくる。
 大塚の方は、判定勝ちに持ち込むだけでなく、チャンスがあればノックアウトをねらう。
 ダメージを受けて足の止まった翔吾を、大塚が追い詰める。翔吾にとっては、大塚が接近してくるその時しかチャンスは残されていない。
 ロープ際に追い詰められた翔吾が、踏み込む。大塚は、翔吾が踏み込んでアッパーを打ってくることを計算済みだ。ところが、翔吾は踏み込んだだけでなく、体を沈めた。「キッドのキドニー」を打つ気だ。
 
 想像する楽しみだ。

 佐瀬と星は、翔吾に何か策を与えているはずだ。
 
 翔吾は、中西とのスパーリングで何かつかんでいるはずだ。

 ノックアウトや判定ではなく、翔吾のけがで試合が終わるかもしれない。

 中西は、スパーリングの相手というだけの存在ではないはずだ。


 さあ、明日朝刊ではどうなるか。

朝日新聞連載小説『春に散る』沢木耕太郎第464回2016/7/21

 翔吾が大塚に勝つことを望むとすると、不安な要素が多すぎる。佳菜子の心配は的中するはずだ。
 だが、待てよ、佳菜子は翔吾の負けを予感しているのではなく、翔吾の「眼の下やまわりの疵」を心配しているのだ。
 佳菜子の心配だけでも、十分に不安なのに、広岡までも何かを予感している。

広岡には、しかしそのやりとりが、なぜか不安なものに聞こえた‥‥。


 この先、翔吾か大塚のどちらかが世界チャンピオンになるかもしれない。しかし、世界チャンピオンになるボクサーが『春に散る』という小説にとって、重要なのではないと感じる。
 チャンプの家の四人の元ボクサーにとって、翔吾にボクシングを教えたことは大切なことであった。だからといって、四人が世界チャンピオンを育てることを目指しているかというと、それは違うと思う。


 昨日、実際に日本人ボクサーの世界戦が二試合行われた。
 二人の日本人ボクサーは敗者も勝者もすばらしい戦いを見せてくれた。
 それに、対戦相手も強かった。
 最終的には、スピード、力、技術の差が勝敗を決めた。差はあったが、わずかであり、敗者も高いレベルに達していることがわかる。
 敗者は精神力が弱くトレーニングが不足しているとは言えないとつくづく感じた。

朝日新聞連載小説『春に散る』沢木耕太郎第463回2016/7/20

 たちまち試合の前日になってしまった。
 スパーリングは、接近戦のままだったのか?
 広岡は、翔吾と中西へのアドバイスをしなかったのか?


 膝をたたくと、膝の上に乗る。薬をつけるときに我慢をさせる。こういうことは、犬はやるが猫はやらないと思っていた。
 猫と暮らすのも四匹めとなった。今の猫は五歳を超えた。そうすると、こういう猫の行為が珍しいものでなくなる。猫は、一緒に生活している人に対してこのくらいのことはする。
 それにしても、佳菜子の力は相変わらずのようだ。そして、チャンプの家の住人は佳菜子の力を受け入れているだけで、利用しようとはしない。だからこそ、彼女の力が発揮されているのだ。
 試合の結果を、前のように言い当てはしないだろうが、佳菜子の予知する力はなにかの形で出てくるだろう。

朝日新聞連載小説『春に散る』沢木耕太郎第462回2016/7/18

 翔吾の考え方は間違っている。ボクサータイプをいかに打ち合いに持ち込むかを練習するのに、両者がファイタータイプのような打ち合いをしている。
 中西が最初から打ち合ってくるとしたら、翔吾はむしろ大塚のような戦い方をしながら、大塚の弱点を捜さなければならない。
 一番の近道は、中西に過去のスタイルで戦ってもらうことだ。中西が徹底して足を使い、翔吾はそのボクサータイプの中西を打ち合いに持ち込むための戦術を考えることだ。

 一方、中西も間違っている。「いい試合を組んでもらえない」のではどうしようもないが、今のままのファイタータイプでは、世界は取れない。ファイタータイプだとしても、何か変えなければならないだろう。

 翔吾も中西も今のままの接近戦を続けているのでは、「階段」を昇れない。
 それを打開するのは、広岡だ。広岡の言葉が二人を同時に変えると思う。先ずは、中西の戦い方を直すのではないか。

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