本屋のとなりは写真館

朝日新聞連載小説『国宝』『ディス・イズ・ザ・ディ』の毎回ごとの感想と、読んだ本の感想を更新しています。

2016年09月

朝日新聞連載小説『クラウドガール』金原ひとみ第15回2016/9/16

 母親の感覚は、「病的な」ほど個性的だ。だが、理有は「こんな気持ちの悪いぬいぐるみ」と思っていながら、ベスティのぬいぐるみに引きつけられてこの喫茶店に入っている。
 理有がボブだけを続ける感覚と、母親の「シンプルな物を好む感覚」にはつながるものがありそうだ。
 杏の方には、母親と共通する部分がまだ見えてこない。

ベスティというのはドイツ語で獣という意味なのだと母は私たちに教えた。

 姉妹に、狼のぬいぐるみを見せながら話す母の姿が浮かぶ。平凡で和やかな母と娘二人のイメージとはかけ離れている。

朝日新聞連載小説『クラウドガール』金原ひとみ第14回2016/9/15

 理有の母のことが少し分かる。
 母は、何度もヨーロッパへ行っている。コレクションにするためにドイツからベスティを買ってくるのだから、観光だけで行っているのであるまい。

 喫茶店の店員の若者が興味深い。

きつねの目は左右で大きさが違い、黒目がいわゆる斜視のように左右に離れている。

 そんなぬいぐるみの顔を「多分僕の自己イメージに近いんですよ」と言っている。
 ほとんどのぬいぐるみの顔は、完璧に左右対称で大きな目だ。それをしげしげと見ると、かわいさの裏に不気味さも見えてくる。
 だが、左右の目の大きさの違うぬいぐるみの顔に安心できるという若者はいったいどんな人なのか?

朝日新聞連載小説『クラウドガール』金原ひとみ第13回2016/9/14

 美容室の広岡さんは、シニカルなものの見方と髪のカットだけにこだわっている。その広岡さんが、一人の客でしかない理有の髪をカットすることに、強い思い入れを持っている。理有の髪や顔立ちがその思い入れの理由ではないであろう。ボブだけを何年も注文し続ける理有の内面に、何かを感じているから、彼女のボブが広岡さんにとって特別なものになっていると思う。


迷いがある状態は地獄だ。選んだのが地獄へと続く道であったとしても、「地獄に行くか行かないか決められない地獄」から脱出できたということはある種の解放だ。

 魅力のある表現だ。
 「決められない」状態を、「地獄」と表現している。それに、彼女の先にあるのは、どっちにしても「地獄」なのだ。
 このような感覚の理有に強い興味を感じる。お店を三軒も回って買ったのは白いブラウス一枚だけ、カフェを素通りして喫茶店に入る、メニューも見ずにブレンドを注文する。
 そんな理有の行動と内面をもっと知りたい。

朝日新聞連載小説『クラウドガール』金原ひとみ第12回2016/9/13

(略)あの支離滅裂な世界で、私は国籍を捨ててどうにか生きていけないか(略)

 理有の考えが表れている。
 これは、この小説の主人公だけのものではない。前の連載の『春に散る』沢木耕太郎作では、いわば国籍を捨てたような設定の主人公が登場した。この主人公によって、元ボクサーの老人とボクシングを捨てようとしていた若者に、新しい人生が開かれた。日本国内のルールや常識に縛られていては、息の詰まるような生き方から脱することのできない現実が『春に散る』では描かれていた。
 『クラウドガール』では、どうなるのだろう?

朝日新聞連載小説『クラウドガール』金原ひとみ第11回2016/9/11

 挿絵を毎回楽しみにしている。今回は特に印象に残った。
 広岡さんのシニカルさを認める理有もシニカルな面をもつのであろう。自分の顔を「人の記憶に残らない顔」と自覚しながら、同じ髪型を続けるのはシニカルな心理だと思う。
 理有のこういう面は、聡明さを感じさせるし、自分の考え方を譲らないのではないかと予感させる。

 理有と杏の違いがますます出てくる。それだけに、この二人にはどんな共通点があるのだろうか、興味をそそられる。

朝日新聞連載小説『クラウドガール』金原ひとみ第10回2016/9/10

 理有は感情を見せない。この年齢で自分の髪型にこだわりのない人は珍しい。それに、美容室で女性が髪をカットしてもらうことを「散髪」というのだろうか。美容師とのやり取りは、まるで中年の男性のようだ。
 彼女のマレーシアへの留学は、遊び半分のものではなかったことが会話から分かる。
 理有と杏には共通点があるのだろうが、この二人はいったいどんなところでつながっているのだろうか?

 杏は、16歳高校生。一人で暮している。同じ高校の晴臣が恋人。晴臣の母は、有名女優らしい。晴臣もマンションで一人暮らしをしているらしい。
 ある夜、杏は晴臣の浮気の現場を知り、彼を携帯で殴り、警察に通報され補導された。晴臣の母のマネジャーの計らいで警察から返された杏を待っていたのは、半年間留学をしていた理有だった。杏は理有が帰国したことを喜んだ。

朝日新聞連載小説『クラウドガール』金原ひとみ第9回2016/9/9

 杏は理有の言うことは、すべて正しいとしている。でも、理有が言う正しいことの中で実行に移すものと移さないものがあるとしている。

理有ちゃんは私よりも私にとって正しいことを知っているから、きっと私には自立が必要なんだろう。でもその正しさを受け入れるかどうかを決めるのは私だ。(7回)

 理有は杏と違って料理や片づけもできるようだ。大学生活に目標をもっている。だが、その感覚は平凡ではない。

でもごちゃごちゃに線の乱れた国にいる間、私はルールを気にしない自分でいられて、そんな自分を私は、何というか発見された新生物を見るような新鮮な気持ちで受け入れられたのだ。

 この感覚は、今後の理有の行動の根本になりそうだ。

 眉カミソリは、杏の過去に関係するものか?

朝日新聞連載小説『クラウドガール』金原ひとみ第8回2016/9/8

 杏の言葉と行動については特に不思議さはない。こういう境遇にあれば、こうなるだろうと思える。でも、杏の理有への態度は不思議だ。どんなに仲のよい姉妹であっても、都合の悪いことを全部は話さないだろう。ところが、杏は、理有に一切嘘をつかないし、こうしろと言われても全面的に聞き入れている。

杏がこうして、異様なまでに私に甘えるのも、同じ理由なのだろうか。

 杏には生死の境をさまようようなことがあったのであろう。

朝日新聞連載小説『クラウドガール』金原ひとみ第7回2016/9/7

 一人暮らしだった杏の生活ぶりがうかがえる。
 沢木耕太郎の『春に散る』では、共同生活を始める前の星や佐瀬の様子から、一人暮らしの老人の生活ぶりが描かれていた。十六歳の少女の場合も、老人男性の場合も、どちらもよい生活とは言えない。そして、どちらも今の現実では、それほど特別なケースには思えなくなっている。

 杏の場合は、半年間の一人暮らしのようだ。そうすると、衣食住ではなんとかなるのだろう。金がそれほどなくとも、洗濯をしなくとも、百均のような所で買い替え買い替えし、外で食べていれば、学校へも通い続けられる。晴臣は金には困らないようだから、ますます食べ物と居場所には不自由がなさそうだ。

 実際の一人暮らしでは、料理や洗濯ができなければ困るだろうが、一番困るのは家の中の片づけと掃除とゴミの始末だ。ゴミの分別収集に合わせて、一人暮らしの少女や老人がちゃんとやるのは大変だろう。

何故か唯一テーブルに置いてあった八枚切りの食パンは当然の如く丸々黴ていた。


 今の日本は、超高齢化と超大量廃棄とでも呼べるような社会現象が、目の前に迫っているのか。

朝日新聞連載小説『クラウドガール』金原ひとみ第6回2016/9/6

理有ちゃんの声がパソコンや携帯越しではなく、生で聞こえる事に、震えるほど感激しているのに気付く。

 パソコンや携帯越しのやり取りがほとんどだから、こう感じるのだろう。
 「生で聞こえる事に、震えるほど感激している」とあるのだから、逆に生での会話を激しく嫌う場合もあるのだろう。

 杏が理有を求める強さは、奇妙にさえ思える。
 理有だけでなく、理有の代わりの晴臣だけでなく、杏は、自分を包み込んでくれる人を求めているのかもしれない。

朝日新聞連載小説『クラウドガール』金原ひとみ第5回2016/9/5

 携帯で殴りかかった(1回)ので、驚いた。携帯が壊れてしまったらどうすのだろうと思っていた。最近のスマホはそうは簡単に壊れはしないのだ。
 晴臣の本音、本音と言うべきか、ともかくもいちばん伝えたいことをその壊れかけの携帯に送っている。自分を殴った凶器に向けて、自分と別れないでくれ、と懇願しているようで、なんだかこっけいな気もする。
 杏の自己を見つめる眼は、しっかりしている。晴臣を許せないのではなく、晴臣を許し信じたいという自分を嫌いだという。

 暴力が、晴臣に向かっているのは、その晴臣だけが杏を受け入れ受け止めてくれる人間だからなのではないか。

 中野さんと晴臣は、黙って杏の言葉を聞いていたのだろう。そして、それに対しての晴臣のメッセージだったのだろう。
 そのメッセージにも、杏は心を動かさなかった。


 スマホでのリアルタイムの動画。対面での暴力。対面での独白。対面では伝えきれない思いを携帯のメッセージで。いやはやめまぐるしい。
 会って直接言葉で伝える。手紙や電子メール・メッセージなど媒体を通して伝える。この二つの方法はそのままだろうが、媒体の伝達スピードが違ってきている。

朝日新聞連載小説『クラウドガール』金原ひとみ第4回2016/9/4

 送られてきた画像だけで、いきなり殴りかかるとは、と疑問だった。

深夜に渋谷のホテル街周辺を女の子と歩いておいて

 これなら無理ない。それに、晴臣のこういうことは前にもあったらしい。今回はスマホでの画像がきっかけだから、人の噂や告げ口よりも事実に近いものを伝えている。それに、時間のズレもない。これなら、杏の怒りも分かる。

 スマホのアプリもそうだが、この作には聞いたことのない日本語や、物事が出てくる。でも、夏目漱石の日本語や明治時代の人々の考え方をどれだけ理解しているかというと、似たようなものかとも思う。
 でも、私の世代の読者のためにも、漱石の小説につくような注釈があってもいい。たとえば、スナチャ、EDM、シェルカなど。

朝日新聞連載小説『クラウドガール』金原ひとみ第3回2016/9/3

涙が零れて、足の付け根が震えた。殺してやる!怒鳴り声をあげると、私は泣きながら拳を振り下ろした。(1回)

すれ違いざまに膝の裏を蹴りつけると(2回)

怒りが収まらずもう一度晴臣の背中に拳をぶつける。(3回)

 杏の怒りと暴力は、徹底して晴臣に向かっている。それ以外では、冷静とさえ感じる。宿題やんなきゃ、も言い訳や嘘ではないような気がする。
 暴力は晴臣に向かっているが、怒りは晴臣だけへではないようにも感じる。
 一方、晴臣はこれだけやられて、一切抵抗したり、杏のことを切り捨てる素振りは見せていない。それどころか、杏の顔を見ただけで、殴られることが分かったようだ。
 晴臣に杏を拒否する気持ちがあるなら、暴力で対抗しないまでも、スマホで殴ってきた彼女をかばうことはしないだろう。

朝日新聞連載小説『クラウドガール』金原ひとみ第2回2016/9/2

 「僕の恋人」という文なら、「僕」は男で「恋人」は女、というのは、昭和までかな、と思っていた。それで、次の言葉が誰のものであるかわからなかった。

僕たちにはよくある事っていうか。(第1回)

 「僕」は、殴られた男で晴臣、スマホで殴った方は女で杏、十六歳らしい。
 登場人物のアウトラインを、警察官の質問で、要領よく描いている。

 取り調べ室の場面を、現実のように、しかもあまり珍しくもない事として受け取れる。
 報道される青少年事件や雑多な情報から、こういうやり取りを生む警察の対応、そして杏の家庭の様子が容易にイメージできてしまう。
 それでいながら、大人の側はどうすべきかと問われても、ありきたりの答えしか思い浮かばない。

(略)私と警察官は机を挟み、間抜けなほど離れて向き合った。

 
この小説の作中人物と私との間には、「間抜けなほど」の距離があるのかもしれない。

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