2016年11月

朝日新聞連載小説『クラウドガール』金原ひとみ第88回2016/11/30

 他人について、好き勝手にものを言えるのは、小説やドラマの登場人物についてだけだ。
 私は、母であり作家であったユリカのことを、高橋の話から、他の人と協調しようという気持ちのない人と表現した。
 理有は、次のようにとらえていた。

 杏(あん)のことをおさるさんと言っていた母だって、精神構造的には共感能力や予測能力の欠如したおさるさんだったのではないだろうか。

 協調心がないというのと、共感能力がないというのは重なる部分もあるが、異なる部分もある。また、予測能力が欠如しているというのも興味深い。
 我が子に向かって何かを言うときには、その言葉が子どもにどんな影響を与えるか、また周囲の人はその言葉をどう感じるかを、普通は考えると思う。だが、共感能力も予測能力も欠如しているなら、そんなことは考えない。思った通り感じた通りに言い、行動するのだろう。
 さらに、理有は、ユリカのことを次のように表現している。

「私も母といると、時空が歪(ゆが)むっていうか、そういう、ぐにゃっとする感じがありました。(略)」

 これも、おもしろい。
 作家と呼ばれるような人は、みんなこのような独特の時間や空間についての感性をもっていると思う。その中でも、ユリカは特に独特だったのだろう。
 
 ユリカのことを、理有が語っている部分がおもしろい。

朝日新聞連載小説『クラウドガール』金原ひとみ第87回2016/11/29

 母であり作家であったユリカは、自己を優先し、独善的に行動する人だったと感じる。夫に対しても、不倫相手に対しても、相手の気持ちを考慮して、自己を抑制することはなかったのだろう。
 高橋の話からそのように思える。
 人間関係で、他の人と協調する気持ちなどユリカにとっては微塵もなかった。自己中心で、独善的で自己の規範だけに従って行動する。それは、自己にあくまでも忠実で、打算や偽善の全くない行動だったという面もあるのではないだろうか。

 高橋の質問に、冷静に対処する理有に驚く。理有にも、自己の意思通りに行動する強さがある。他人の余計な介入を断じて許さない言動は、母ゆずりのものを感じた。

朝日新聞連載小説『クラウドガール』金原ひとみ第86回2016/11/28

 高橋という人のことも、ユリカのことも少しずつわかってきた。
 冠婚葬祭的なものに意味を見出さないというのは、共感できる。だが、それを考えるだけでなく、実行してはばからないというのは、なかなかできることではない。

おさるさんだって、調教すれば猿回しくらいはできるんだから。

 この言葉から、ひどい母だったととらえるか、違うととらえるかは、まだわからない。

朝日新聞連載小説『クラウドガール』金原ひとみ第85回2016/11/27

 いろいろなことが中途半端になっていて、なんとなくスッキリしない。読んでいて、イライラしてきそうだ。
 
 美容師の広岡と理有の間に何かがあったのか、なかったのか。
 理有は、光也が母の読者であったことを乗り越えたのか。
 杏の消息は。

 何よりも、母ユリカの姿が浮かび上がってこない。ユリカが描かれないうちは、理有と杏についていくら書かれてもレースのカーテン越しに外を見ているようだ。
 新しい登場人物で、母のことが見えてくるのであろうか。

杏はおさるさんなの、言う事を聞かなかったり、常識が通用しなかったとしても苛々(いらいら)しちゃ駄目。

 これが、母の言葉だったとすると、高橋という登場人物は母と姉妹の生活に深く入り込んでいたのかもしれない。

朝日新聞連載小説『クラウドガール』金原ひとみ第84回2016/11/26

 理有の視点から、母の死とその後の姉妹の生活について語られている。
 表面は冷静に振舞っている祖父が、娘(姉妹の母)と杏の「非常識なところ、空気を読めないところ」を評価していると書かれている。それは、母と杏の共通項であり、一方では理有と杏の違いであるのだろう。 
 祖父母が娘の死を悲しみ、残された孫のことをいかに心配しているかが伝わってくる。
 祖父母が、どれほど心配し、どれほど気遣っても、孫姉妹を守ることも勇気づけることもできない。母の死の真相を、祖父母と姉妹が互いに隠すほかないうちは、そこに断絶が存在し続けると感じる。

 理有は杏のことが心配になってきた。理有と杏は、今は対立しているが、互いを憎んではいない。対立の原因は、杏は光也を、理有は晴臣をそれぞれ気に入らないことにあると思う。

朝日新聞連載小説『クラウドガール』金原ひとみ第83回2016/11/25
 
 杏は、三日間行方をくらましているようだ。パリの父に連絡を取ってもいないだろう。


 理有本人から彼女の内面が語られている。

足を踏み出し続けていないと、その場で静止した私が端々から粒になってばらばらに飛び散ってしまいそうな気がした。私は歩き続けた。足が折れても、ミイラになっても、私は歩き続けるような気がした。


 理有にとっての逃げ場は、マレーシアだった。そして、日々を送るためには、きちんきちんと行動することが必要だったと思う。
 杏にとっての逃げ場は、晴臣だった。そして、日々を送るためには、無軌道に遊び回ることが必要だったと思う。


 理有と光也の関係はどうなっているのだろうか?
 杏は、誰とどこにいるのだろうか?

朝日新聞連載小説『クラウドガール』金原ひとみ第82回2016/11/24追加

 晴臣は、どうしようもないやつだ。
 でも、晴臣が杏と結婚したいと言っていた気持ちに嘘はない。晴臣にとって、杏は次々に替わる遊び相手の一人などではない。杏を誰よりも大切な人であると思っていることに疑いはない。
 では、なぜ杏を裏切るのか。彼は、欲望をコントロールできない。欲望をコントロールするための学習をしていないので、そのスキルを持ち合わせていないのだと感じる。欲望のコントロールだけでなく、生活全般のスキルも著しく不足している。
 杏がこのまま戻らなければ、晴臣は、誰よりも大切な人を自分のせいで失う経験をすることになる。

朝日新聞連載小説『クラウドガール』金原ひとみ第82回2016/11/24

 前の浮気のときには、また繰り返すだろうともうしないと言う言葉を信じたい、という葛藤が、杏にあった。そして、晴臣を信じたいと思う自分を嫌悪しながらも、杏は晴臣を許した。
 今は杏に迷いはない。


「別れる」

 それだけ言うと私は口を閉じて目を閉じた。

 これで、杏ははじめて誰にも依存しなくなる。その意味で、ここから彼女の人生がはじまると感じる。

 誰にも頼らない、誰のためでもない生き方をしなければならないのは、理有も同じだと思う。

朝日新聞連載小説『クラウドガール』金原ひとみ第81回2016/11/23

 杏の暴力は、晴臣に向かった。怒りの対象は、もっぱら晴臣だった。(1回)

 今は、ベッドにいた女に向かっている。(81回)

人の男を取る女は、何もかも器用にできる。ああいう女に生まれて、世の中ちょろいなって舐(な)めくさって生きていたかった。どうして私は、こんなに弱いんだろう。

 
女が逃げると、怒りの対象は、晴臣になった。
 次に、怒りを部屋中へ向けた。

 浮気をする晴臣へ怒りを爆発させていたのが前回の浮気までだ。今は、浮気相手の女へも、もちろん晴臣本人へも、そして、自分も含めた全てへ怒りを爆発させている。


雲が出てきたのは外ではなく自分の中なのだとわかった。

 この部分からは、杏の美容室でのパニックを思い出す。


 この小説の特徴が見える。
 杏の暴力の場面で、ストーリーが大きく動く。
 杏の回想や思考の場面で、小説のモチーフが表れて来る。
 杏の視点は、作者自身の視点と重なる。

朝日新聞連載小説『クラウドガール』金原ひとみ第80回2016/11/22

 晴臣の行動は予想できた。
 杏もそれは分かっていたはずだ。予想できなかったのは、理有の変化だった。理有が今まで通りの彼女だったら、杏は、姉のもとへ戻っただろう。
 杏は、「晴臣がいれば、私は理有ちゃんと生きていた時と同等の、いやそれ以上の平穏の中で生きていられる。」(77回)と思っていただけに、前回の浮気の時のように晴臣を許すことも、姉のもとへ戻ることもできない。

 杏がすがることができる人といえば、パパか、祖父母か、あるいは広岡さんか、今までの登場人物の中ではそれしかいないだろう。

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