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朝日新聞連載小説『国宝』『ディス・イズ・ザ・ディ』の毎回ごとの感想と、読んだ本の感想を更新しています。

2017年01月

朝日新聞連載小説『国宝』吉田修一第31回2017/1/31その2

 立花組は続いているし、喜久雄の家も以前のままのようだ。母親も無事だったのだろう。そして、辻村は喜久雄のことを持ち上げている。
 権五郎の一回忌も盛大に行う準備がされているであろう。
 だが、喜久雄はそれに満足などしていない。そうでなければ、亡き父の一回忌の前夜に、春江の母のスナックの 二階でくすぶってなどいないだろう。
 そして、徳次も立花組の変化に気づいていると思う。いかに、鑑別所を脱走してきていても、頼りにできるなら、先ずは組に顔を出すはずだ。立花組には顔を出さず、脱走したその足で、喜久雄の所に来ている。
 組の大人たちが辻村にだまされても、喜久雄と徳次は、だまされていないと思う。そうだとすると、この二人、亡き父、亡き親分の一回忌で何かやるかもしれない。

朝日新聞連載小説『国宝』吉田修一第30回2017/1/31
 
 愛甲会の辻村は、巧妙に目的を達成した。
 この抗争の出発点であった愛甲会の熊井組長が襲われたのも、裏切り者の手引きがあったかもしれない。もし、そうだとするなら、そこに辻村が絡んでいたであろう。
 熊井親分亡き後、辻村は愛甲会の組長にはならずに、もっと大きなものを狙っていただろう。権五郎を撃ったことによって、宮地組が潰れ、立花組が弱体化した。まさに、辻村の狙い通りだ。
 任侠の世界では、悪い奴ほど大きくなれる。冷酷であればあるほど、力を付ける。
 それは、極道の世界だけでなく表の社会であっても、組織の中で上へ行くための条件の一つだと思う。
 
 花井半二郎は、唯一の証人だが、真実を語ることはないだろう。
 役者、映画俳優といっても、所詮は人気商売、辻村の罪を暴くことが自分の利益にならないことを百も承知だろう。それよりも、証人になれば自分だけでなく家族、一門の命をも危うくすることをよく知っているはずだ。
 さらに、半二郎にはそれだけでない弱みがあるのではないか。そうでなければ、興行の関係があったとはいえ、そう簡単に辻村の誘いにのって極道の新年会に顔を出すはずがない、と思う。

朝日新聞連載小説『国宝』吉田修一第29回2017/1/30

 髭の話で、喜久雄の中学生の顔がようやく見えてきた。また、徳次が寒さに震えていることから、彼の辛さが分かる。徳次は、泣き言や弱音を吐いていないが、実際は追い詰められ、辛さに必死に耐えているのだろう。

 宮地組は解散に追い込まれていた。一方の立花組は親分と幹部を失ってはいるが、何らかの形で続いているのかもしれない。もし、組が続いていたとしても、喜久雄が跡継ぎとして大切にされていて、徳次が頼りにできるようなものではないと感じる。

朝日新聞連載小説『国宝』吉田修一第28回2017/1/29

 権五郎は、新年会で撃たれ、命を落としていたことがはっきりした。
 喜久雄の様子からは、明日、権五郎の一回忌があるという雰囲気は感じられない。徳次が今の立花組の状態を知らないのか。或いは、喜久雄と徳次の二人だけであっても親分の一回忌をやろうとしているのか。

 それにしても、喜久雄にも徳次にも、諦めや切羽詰まった感じがない。また、十六と十四の少年という雰囲気もない。喜久雄は、二階で春江と母が自分の事を話していても、悠々と煙草を吸っている。徳次は、鑑別所を脱走してきたのに、野良猫に餌をやっている。まるで、二人とも、数々の修羅場をくぐって来た壮年の男のようだ。
 世間の荒波を乗り越える手立てを身に付けることは、年齢や性格とは無関係なものなのかもしれない。苦労した経験の多さと生命力の強さが、ものを言うのだろう。
 その点から言えば、徳次については納得できるが、喜久雄のふてぶてしさは本物なのだろうか、疑問に思う。

朝日新聞連載小説『国宝』吉田修一第27回2017/1/28

 階下へ降りる時の靴下、タバコの銘柄、はしごのような階段、貧しくてすさんだ暮らしぶりを、見事に描いている。
 喜久雄は、春江の母に厄介者扱いされていることが分かる。中学生の分際で、娘の男であり、しかも転がり込んでいるとしたら、当然だろう。
 羽振りの良い極道の親分の一人息子として、「坊ちゃん」扱いされ、好き放題にしていた喜久雄の激変ぶりが伝ってくる。
 もしも、喜久雄が「坊ちゃん」のままだったら、父とは違って何の苦労もしていないので、任侠の道へ入っても、鼻持ちならない極道にしかなれなかったであろう。
 どんな分野でも、甘やかされて育った二代目は、大成しないことが多い。そして、それは長い目で見れば、二代目本人の不幸でもあると思う。

朝日新聞連載小説『国宝』吉田修一第26回2017/1/27

 オリンピックが二か月前というのだから、昭和三十九年の大晦日、つまり、権五郎が撃たれた時から一年が過ぎようとしている。
 喜久雄は、春江の家に転がり込んでいる様子だ。その春江の家の貧しさが描かれている。
 権五郎の生死は、はっきりとはしていないが、辻村に撃たれて絶命したと思う。親分を失えば、どんなに栄えていた組も壊滅状態になる。喜久雄は、殺されこそしなかったが、父が盛んな頃の贅沢や大っぴらな行動はできないはずだ。
 立花組が潰された状態だとすると、喜久雄がこうやって長崎にいることができるのは、誰か援助してくれる人がいるのかもしれない。

1~14回
 長崎の名門料亭花丸では、立花組の新年会が盛大に開かれた。立花組組長の権五郎は、今や長崎の仁侠世界で実質的に一番の親分である。
 招かれた親分衆の中に、見かけぬ顔があった。それは、愛甲会の若頭が連れて来た歌舞伎役者で映画俳優の二代目花井半二郎であった。役者が顔を出したせいもあり、新年会はますます賑やかなものとなった。
 宴もたけなわ、乱痴気騒ぎとなった舞台に突如幕が引かれた。その幕が開くと、そこには歌舞伎舞踊の名場面が繰り広げられる。そして、遊女墨染の舞がなんとも幻想的で、会場の皆を釘付けにする。その踊り手は、芸妓かと思われたが、なんと権五郎の一人息子だというではないか。

15~25回
 遊女役は権五郎の一人息子、十四歳の喜久雄で、相手役は立花組の若い衆の徳次、十六歳だった。この二人に踊りの稽古をさせ、念入りな舞台を準備したのは、権五郎の女房、喜久雄の母のマツだった。
 徳次は、華僑の父と芸者の間に生まれた子で、母は既に亡くなっており、父は日本にはいない。チンピラとして街で生きていた徳次は立花組の組員に拾われるようにして、組の部屋住みになった。徳次は、年が近いせいもあり、喜久雄とは気が合った。
 喜久雄は、十四ながら、悪さも覚え、情婦といえそうな女(春江)と関係を持っていた。
 
 舞台が大成功の裡に終わり、喜久雄と徳次が料亭の風呂場で化粧を流している時、新年会の座敷が騒がしくなる。その騒ぎは、立花組権五郎に恨みを抱いていた宮地組の殴り込みだった。新年会ですっかりよい気分になっていた権五郎たちは、完全に裏をかかれ、宮地組のドスや日本刀に素手で防戦するしかなかった。
 いったん、二階に逃れた権五郎の前に姿を現したのは、愛甲会の辻村と役者の半二郎だった。愛甲会は、もとより立花組の味方だった。
 素手で立ち向かうしか術のなかった権五郎と立花組の子分たちだが、権五郎の大暴れと、敵の武器を奪ったことで、勢いを取り戻した。敵の武器を奪った立花組の子分たちは、階下に宮地組を追って行く。二階には、権五郎と、辻村と半二郎だけになる。その時、味方と信じて疑わなかった辻村が拳銃を出し、権五郎の腹に二発撃ち込んだ。

朝日新聞夕刊連載小説・津村記久子作・『ディス・イズ・ザ・ディ 最終節に向かう22人』第3回2017/1/20
第1話 えりちゃんの復活③

あらすじ
 オスプレイ嵐山(鶚)を応援することに嫌気を感じ始めているヨシミは、不振が長引く鶚を応援し続けている人たちがどんな気持ちなのか、不思議にさえ感じている。えりちゃんは、試合が始まる前から、スタジアムで売られているおにぎりをおいしそうに食べ、CA富士の選手について楽しそうに話している。それに比べ、ヨシミは、鶚への不満を周囲のサポーターにぶつけたい気持ちになっている。
 試合開始前に、トイレに行ったヨシミは、見覚えのあるヨシミと同い年くらいの男性に目を止めた。

感想
 チームのサポーターになることは、サポーター同士も結びつきができるのだろう。そうなると、一人で応援しているのと、応援団の一員になるのとは違いがありそうだ。
 ヨシミも、えりちゃんもまだサポーター同士で親しい人はいないようだ。

 勝ち続けるチームには、応援する人も多い。弱いチームを応援し続けるには、それなりの我慢がいるのだろう。だから、弱いチームを長年応援し続ける人は、強いチームを応援する人よりもそのチームや選手への思い入れは強いはずだ。
 二部リーグ、しかも弱いチームを応援することは、大勢に流されず自己の好みを貫くタイプの人には、格好の活動なのであろう。

朝日新聞連載小説『国宝』吉田修一第25回2017/1/26

 登場人物の動きの描き方が巧みだった。
 辻村の動きになんとなく不信感を持たせる描写がなされていた。※前回の感想 

  辻村が権五郎を撃った現場を見ているのは、花井半二郎だけのようだ。
 その場の様子から、半二郎は、辻村の裏切りを全く予想していない。一方、辻村の裏切りは、計画づくのことだろう。おそらく、宮地の組員の殴り込みは、辻村が手引きをしたのだろう。
 辻村が生き延びると、権五郎殺しの張本人を知るのは半二郎だけになる。事件後、警察の捜査が入っても、宮地の組員にワルサーを渡し、宮地の一人を身代わりにすれば、事件は決着するだろう。
 どの場合を考えても、半二郎の立場は難しいものになる。

 ここまで考えて、大きな疑問が出てきた。
 どうやって二階に来たかは分からないが、辻村は半二郎を連れて来ている。
①二階に逃れて来た権五郎の部屋に、辻村と半二郎が駆け込んで来た。(23回)
②すっかり怯えきっている半二郎を、部屋に引き入れたのは権五郎だ。(以下24回)
③この部屋から更に奥の座敷に、半二郎を逃がしたのは辻村だ。
④半二郎の背後にいた辻村は、半二郎を払うと権五郎のいる部屋の襖を蹴破った。(以下25回)
⑤辻村が権五郎に向けて、ワルサーを二発撃った。

 辻村は、半二郎が見ていることを知っていて撃った。これは、仕方なくそうしたのか、それとも、別の狙いがあるのか。

 また、半二郎は、偶然この場に居合わせたというだけではない。半二郎は、辻村の元の親分で愛甲会を興した熊井勝利とはかなり関係が深かったようだ。権五郎の名前の由来(7回)なども、熊井から聞いていたと思われる。
 
 半二郎は、喜久雄を助ける役回りと予想していたが、そんな単純なことでは済みそうもない。

朝日新聞連載小説『国宝』吉田修一第24回2017/1/25

①辻村と半二郎は、権五郎が逃れてきた二階の座敷に襖を開けて現れた。(23回)
②権五郎が、奮戦している最中、辻村は半二郎をさらに奥の座敷に逃がす。
③半二郎が権五郎の大暴れを襖の隙間から覗いている時に、辻村は半二郎の背後に立つ。

そのとき襖の隙間から覗いている半二郎の肩をふいに引く者がありました。見れば、形相を変えた辻村が立っております。

 
辻村は立花組に加勢して戦ってはいない。
 逃げるに逃げられなくなっているのか?それとも、辻村には何か狙いがあるのだろうか?

朝日新聞連載小説『国宝』吉田修一第23回2017/1/24

 連載の毎回に感想を書いていると、作品の設定と伏線に眼が向く。
 
 【設定】 立花組の新年会は、老舗の料亭で開かれていた。 

 これは、立花組、権五郎が圧倒的な力を持っていることを示している。ヤクザの世界だから、常に殴り込みをされる危険を抱えている。だが、それを恐れないほどの力があったということだ。だからこそ、油断があったのであろう。料亭花丸では、殴り込みをかけられたら、どんなに屈強の子分を抱えていても、どんなに武器の扱いに慣れていても、地形的に不利で、しかも肝心の武器が手元にない状況だった。

 【設定】 権五郎が絶対絶命の場面に、愛甲会の辻村と、歌舞伎役者二代目花井半二郎が登場している。

 辻村にとってみれば、宮地組は亡き親分の仇だ。もし、権五郎が殺されたなら、宮地組は辻村にとって二重の仇になる。
 権五郎は、今は逃げるしか助かる術はない。だが、逃げようとはしていない。

 (略)すぐにでも階下に戻ろうとするのですが、(略)
 
 権五郎は、子分たちを見殺しにできない。自ら、死地に向かう前に大切なことを言うのではないか。言う相手は、辻村だけでなく、半二郎へも何かを伝えると思う。

 【伏線】 半二郎はヤクザではなく、歌舞伎役者。しかも、今は歌舞伎の舞台を思わせる顔つきにさせられている。

(略)まるで火焔を象った歌舞伎の隈どりのようでもあります。

朝日新聞連載小説『国宝』吉田修一第22回2017/1/23

動きを失った二人の男たちのまえで、雪を染めた熱い血から湯気が立っております。

 
この文の文末が「湯気が立っている。」となっていたら、その場の様子が生のまま伝わってくる。「おります。」になると、離れた所から静かに見つめている感じが伝わる。不思議なものだ。
 描かれている凄惨さに変わりはないが、実写として描いた映像よりも、この文の方がより踏み込んだ感覚を味わわせていると感じた。

 喜久雄が見ているのは、逃げる若衆に宮地の組員の日本刀が刺さった場までであろう。座敷は、語り手の視点に移っている。
 
 宮地の組員の日本刀は、刺そうとして刺さったものでない。
 殴り込みをかけた宮地の組員が子供たちを放り投げたのは、巻き添えにしたくなかったからであろう。
 こういう描き方に、作者の熟練の技を感じる。

朝日新聞連載小説『国宝』吉田修一第21回2017/1/22

 息つかせぬ展開!
 挿絵(束 芋・画)第2回の華やかな座敷が、今は凄惨な場となっているに違いない。この挿絵の華やかながら、どこか不穏な空気が、小説の流れにいかにも沿っている。

 予想してみる。
 新年会で、一人息子の舞台が見事だったことに、権五郎は上機嫌で普段になく気を許していた。そこへ、突然の殴り込み、権五郎以下立花組の幹部の面々も次々に殺されたり、深手を負わされる。女房のマツは、その形勢を見て取り、なんとか息子の喜久雄の命だけは守ろうとする。喜久雄は、どんな多勢に無勢であっても、父を救おうとするが、マツと徳次に押さえられて、行くことができない。
 そして、その場から、喜久雄と徳次を逃がしたのは、花井半二郎だった。

 そろそろ、第一章 料亭花丸の場も終わりそうだ。

朝日新聞連載小説『国宝』吉田修一第20回2017/1/21

 おもしろくなってきた。
 極道たちの新年会の面々を釘付けにした踊り手の少年を、華奢で美しいとイメージしていたが、完全に覆された。華奢などころが、もう一端の男だ。
 中学生のワルかともイメージしたが、それもそんなもんじゃなかった。父権五郎も母マツもこの息子のしていることを聞かされたら、腰を抜かさんばかりになるのではないか。
 その上に、喜久雄は、今の自分に彼なりの筋を持っている。

(略)このミミズクのように生きたいと思いましたし、このミミズクの気持ちこそがこの世で最も尊ぶべきものだと思えたのであります。

 喜久雄には彼なりの信念が既にあるということなのだろう。

 任侠の親分の息子とはいいながら、売春婦と思われる女性を情婦にしている中学生。前の連載小説『クラウドガール』では、マンションで同棲している高校生同士。
 小説でいろいろな若者に会える。

朝日新聞連載小説『国宝』吉田修一第19回2017/1/20

 小説の設定では、新年会が昭和三十九年、この年に喜久雄が十四、徳次が十六、とある。(16回)そうすると、喜久雄は、昭和二十五年前後の生まれということになる。
 あくまでも小説の設定だが、私は徳次とほぼ同じ世代になる。
 私の中学生のころ、今と比べると物がなかった。中学校では、給食はないし、真冬でも体育館には暖房がなかった。一学級に四十人以上の生徒が溢れていた。そんな中で、いわゆるワルの連中は、学校の中でワルはワルなりの行動規範があった。番長がいて、集団を取り仕切っていた。もちろん、喧嘩やらタバコやらもやっていたが、同じ学校の真面目な生徒には手を出さないという面もあった。遠い昔なので、思い出が美化されているのかもしれないが。
 このとんでもない二人が、風呂場で湯をかけあっている姿は、時代を考えるとそれほどとんでもないことではないと感じる。
 この二人に、今のところは、見事な歌舞伎舞踊で観客を釘付けする素養は出てきていない。それどころが、二人ともが極道の世界に身を置く素質の方がありそうだ。
 今後のストーリー展開で、喜久雄と徳次は、役者の半二郎と顔を合わせるだろう。半二郎は、喜久雄に役者の才能を見つけるだろうと思っていた。だが、徳次にも眼を付けるかもしれない。それとも、そういうストーリーにはならないのか。

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