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新聞連載小説『ひこばえ』重松清・作 川上和生・画 の感想と、読んだ本の感想を更新しています。

2017年01月

朝日新聞連載小説『国宝』吉田修一第23回2017/1/24

 連載の毎回に感想を書いていると、作品の設定と伏線に眼が向く。
 
 【設定】 立花組の新年会は、老舗の料亭で開かれていた。 

 これは、立花組、権五郎が圧倒的な力を持っていることを示している。ヤクザの世界だから、常に殴り込みをされる危険を抱えている。だが、それを恐れないほどの力があったということだ。だからこそ、油断があったのであろう。料亭花丸では、殴り込みをかけられたら、どんなに屈強の子分を抱えていても、どんなに武器の扱いに慣れていても、地形的に不利で、しかも肝心の武器が手元にない状況だった。

 【設定】 権五郎が絶対絶命の場面に、愛甲会の辻村と、歌舞伎役者二代目花井半二郎が登場している。

 辻村にとってみれば、宮地組は亡き親分の仇だ。もし、権五郎が殺されたなら、宮地組は辻村にとって二重の仇になる。
 権五郎は、今は逃げるしか助かる術はない。だが、逃げようとはしていない。

 (略)すぐにでも階下に戻ろうとするのですが、(略)
 
 権五郎は、子分たちを見殺しにできない。自ら、死地に向かう前に大切なことを言うのではないか。言う相手は、辻村だけでなく、半二郎へも何かを伝えると思う。

 【伏線】 半二郎はヤクザではなく、歌舞伎役者。しかも、今は歌舞伎の舞台を思わせる顔つきにさせられている。

(略)まるで火焔を象った歌舞伎の隈どりのようでもあります。

朝日新聞連載小説『国宝』吉田修一第22回2017/1/23

動きを失った二人の男たちのまえで、雪を染めた熱い血から湯気が立っております。

 
この文の文末が「湯気が立っている。」となっていたら、その場の様子が生のまま伝わってくる。「おります。」になると、離れた所から静かに見つめている感じが伝わる。不思議なものだ。
 描かれている凄惨さに変わりはないが、実写として描いた映像よりも、この文の方がより踏み込んだ感覚を味わわせていると感じた。

 喜久雄が見ているのは、逃げる若衆に宮地の組員の日本刀が刺さった場までであろう。座敷は、語り手の視点に移っている。
 
 宮地の組員の日本刀は、刺そうとして刺さったものでない。
 殴り込みをかけた宮地の組員が子供たちを放り投げたのは、巻き添えにしたくなかったからであろう。
 こういう描き方に、作者の熟練の技を感じる。

朝日新聞連載小説『国宝』吉田修一第21回2017/1/22

 息つかせぬ展開!
 挿絵(束 芋・画)第2回の華やかな座敷が、今は凄惨な場となっているに違いない。この挿絵の華やかながら、どこか不穏な空気が、小説の流れにいかにも沿っている。

 予想してみる。
 新年会で、一人息子の舞台が見事だったことに、権五郎は上機嫌で普段になく気を許していた。そこへ、突然の殴り込み、権五郎以下立花組の幹部の面々も次々に殺されたり、深手を負わされる。女房のマツは、その形勢を見て取り、なんとか息子の喜久雄の命だけは守ろうとする。喜久雄は、どんな多勢に無勢であっても、父を救おうとするが、マツと徳次に押さえられて、行くことができない。
 そして、その場から、喜久雄と徳次を逃がしたのは、花井半二郎だった。

 そろそろ、第一章 料亭花丸の場も終わりそうだ。

朝日新聞連載小説『国宝』吉田修一第20回2017/1/21

 おもしろくなってきた。
 極道たちの新年会の面々を釘付けにした踊り手の少年を、華奢で美しいとイメージしていたが、完全に覆された。華奢などころが、もう一端の男だ。
 中学生のワルかともイメージしたが、それもそんなもんじゃなかった。父権五郎も母マツもこの息子のしていることを聞かされたら、腰を抜かさんばかりになるのではないか。
 その上に、喜久雄は、今の自分に彼なりの筋を持っている。

(略)このミミズクのように生きたいと思いましたし、このミミズクの気持ちこそがこの世で最も尊ぶべきものだと思えたのであります。

 喜久雄には彼なりの信念が既にあるということなのだろう。

 任侠の親分の息子とはいいながら、売春婦と思われる女性を情婦にしている中学生。前の連載小説『クラウドガール』では、マンションで同棲している高校生同士。
 小説でいろいろな若者に会える。

朝日新聞連載小説『国宝』吉田修一第19回2017/1/20

 小説の設定では、新年会が昭和三十九年、この年に喜久雄が十四、徳次が十六、とある。(16回)そうすると、喜久雄は、昭和二十五年前後の生まれということになる。
 あくまでも小説の設定だが、私は徳次とほぼ同じ世代になる。
 私の中学生のころ、今と比べると物がなかった。中学校では、給食はないし、真冬でも体育館には暖房がなかった。一学級に四十人以上の生徒が溢れていた。そんな中で、いわゆるワルの連中は、学校の中でワルはワルなりの行動規範があった。番長がいて、集団を取り仕切っていた。もちろん、喧嘩やらタバコやらもやっていたが、同じ学校の真面目な生徒には手を出さないという面もあった。遠い昔なので、思い出が美化されているのかもしれないが。
 このとんでもない二人が、風呂場で湯をかけあっている姿は、時代を考えるとそれほどとんでもないことではないと感じる。
 この二人に、今のところは、見事な歌舞伎舞踊で観客を釘付けする素養は出てきていない。それどころが、二人ともが極道の世界に身を置く素質の方がありそうだ。
 今後のストーリー展開で、喜久雄と徳次は、役者の半二郎と顔を合わせるだろう。半二郎は、喜久雄に役者の才能を見つけるだろうと思っていた。だが、徳次にも眼を付けるかもしれない。それとも、そういうストーリーにはならないのか。

朝日新聞夕刊連載小説・津村記久子作・『ディス・イズ・ザ・ディ 最終節に向かう22人』第2回2017/1/13
えりちゃんの復活②

あらすじ
 CA富士の試合を観に行くのを楽しみにしているえりちゃんに比べ、ヨシミは気分が乗らない。ヨシミがオスプレイ嵐山(鶚)の試合を観に行き始めたころは、チームは好調で一部リーグで2位になっていた。ところが、その後は不調で、今は二部リーグに降格していた。オスプレイ嵐山の試合を観に行ってチームが負ける度に、ヨシミは、気晴らしをしなければならなかった。

感想
 熱狂的なサッカーサポーターが取り上げられるのは、そのチームが優勝した場面が多い。でも、応援している人達は、チームが負けている間が肝心なのだろう。応援チームが負ければ、悔しいし、気分も沈む。それをどう挽回して、また応援するか、そこにはどんな要素が働くのだろうか。
 ヨシミは、応援してきたチームが下降している今は、もうこのチームを見限りそうだ。
 
 ヨシミは、仕事の昇進がふいになり、元彼が結婚し、自分自身以外のことを考えたかったころからサッカーを観に行くようになった。一方、えりちゃんは、大学の人間関係に悩み、引きこもりになっていた時に、ヨシミにサッカー観戦に誘われた。このヨシミに誘われたことがきっかけとなって、えりちゃんは、サッカーに興味を持ち、引きこもりからも抜け出せたようだ。
 サッカーを観戦に行き、特定のチームの応援をするのが、落ち込んでいる自分を変えることにつながっている。だが、ヨシミの場合は、気分を変えるためにサッカー観戦をしていたのに、応援チームが不調になると、さらに、別のことを始めている。なんだか、皮肉なことだ。

朝日新聞連載小説『国宝』吉田修一第18回2017/1/19

 居場所のない若造が、極道の道に入るよくあるパターンだ。
 ただ、この徳次には特徴もある。先ず、同じようなチンピラと徒党を組んでいない。また、弱い者へ暴力を振るったり、恐喝したりはしていないようだ。手先の器用さを武器に、大人びた格好で必死に生きていこうとしていた様子が見て取れる。

朝日新聞夕刊連載小説・津村記久子作・『ディス・イズ・ザ・ディ 最終節に向かう22人』第1回2017/1/6
第1話 えりちゃんの復活①

あらすじ
 
えりちゃんから、ヨシミに、「サッカー観にいこうよ」と連絡が来た。それは、鶚対CA富士の試合だった。
 
えりちゃんは、ヨシミの年下のいとこだ。えりちゃんは、大学での人間関係がうまくいかなくて、大学を休学していた。ヨシミは、サッカーに興味がなかったえりちゃんを連れて、サッカー二部リーグの鶚(オスプレイ嵐山)対三鷹(三鷹ロスゲロス)の開幕戦を観に行ったことがあった。試合は盛り上がらず、ヨシミはえりちゃんにつまらない思いをさせたと思っていた。
 その後えりちゃんは、大学に復帰し、いつの間にかCA富士のファンになっていた。ひきこもりだったえりちゃんは、サッカーのファンになってからすっかり変わったようだった。ヨシミの方は、応援をしている鶚の低迷ぶりに疲れ始めていた。

感想
 地元のプロ野球チームやプロサッカーチームの応援をするようになって、時間とお金の使い方がすっかり変わったという人の話を、最近よく聞く。
 私には、そういう経験がない。去年はたまたま地元の日本ハムと北海道コンサドーレ札幌が活躍した。テレビやラジオで試合中継を視聴するのが、せいぜいでそれ以上のことはしなかった。でも、応援団やサポーターとして熱中するのは悪くないとも思う。
 私と同年代の人のプロ野球チームファンと最近のファンとは、どこか違う所がありそうだ。サッカーチームを応援したくなるのは、どんな動機があるのだろうか。また、サッカーチームの応援が生活の中心になるような若い人はどんな気持ちなのだろうか。そこに興味がある。

朝日新聞連載小説『国宝』吉田修一第17回2017/1/18

 徳次の父は華僑で行方知れず、母は芸者で、徳次五歳の時に亡くなった。今の徳次には、親分の権五郎以外に頼りになる人はいない。その親分の一人息子喜久雄は、徳次にとっては正に恩ある人の「坊ちゃん」だ。だが、徳次は喜久雄に媚びへつらってだけではなさそうだ。

結果、褌(ふんどし)一丁になりますと、まるで調子を合わせたように二人同時にくしゃみをしまして仲居たちを笑わせます。

 徳次は、二歳年上で、世の中の荒波をいやというほど味わっている。さて、この二人どんな物語を紡いでくれるのだろうか。

朝日新聞連載小説『国宝』吉田修一第16回2017/1/17

 墨染を舞った息子の喜久雄は、どんな性格付けがされるかと思っていた。
 少女と見間違うような華奢な体格をし、性格も内気で、父とは正反対の少年。あるいは、きれいな顔をし、一見おとなしいが、その実冷酷な面を持ち、父の性格を受け継いでいる少年。この二通りを予想していた。どうも、そのどちらでもなさそうだ。

略)悪さを教えるのは年上の徳次なのですが、教わる喜久雄も、そこは極道を親に育ってきただけのことはありまして、打てば響くと申しますか、幼いながら腕には覚えがあると申せばいいのか、とにかくのみ込みだけは早いのであります。

 喜久雄は相手役の徳次とともに、年相応の悪さもするし、男の子らしい中学生のようだ。この徳次にも興味が湧く。

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