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朝日新聞連載小説『国宝』『ディス・イズ・ザ・ディ』の毎回ごとの感想と、読んだ本の感想を更新しています。

2017年02月

朝日新聞連載小説『国宝』吉田修一第57回2017/2/28

 徳次が登場すると、なんだかホッとする。脱走の身であり、敵討ちに誘った男なのに、憎めない所がある。組に入ったきっかけや、野良猫に餌をやる、寺の屋根裏で手を合わせたなどの話に、人柄が出てくるのだろう。
 今回での、列車の中を見て回ったり、安カメラにも愛嬌がある。
 徳次が春江と連絡を取っていたことは察しがつくが、いったい誰が徳次の大阪行きを手配したのだろうか。育ての母のマツと考えるのが手っ取り早いが、マツにそんな才覚があり、徳次をつけてやることを喜久雄に隠すだろうか。
 
 小説の舞台の時代の歌で明るいものが初めて出てきた。喜久雄の年齢相応の感じが見える。
 挿絵では、喜久雄の顔の部分が初めて描かれた。ふっくらした優し気な顎と唇に見える。

朝日新聞連載小説『国宝』吉田修一第56回2017/2/27

 尾崎の尻馬に乗っただけだが、宮地の大親分、なかなかの大物ぶりだ。たとえ、本心は全く別でも、これだけの演技はたいしたものだと思う。
 それもそのはず、このことが表ざたになれば、どんな厄介が舞い込むか分からない。喜久雄一人が警察に捕まっても、裏の社会で、この敵討ちがどんな評判になるか分かったものではない。

「立花の息子は、すぐに長崎から追い払うこと」

 一方の、尾崎も、この条件は飲まざるをえないものだ。
 さあ、この条件と半二郎の所へ行くことがどう結びつくのか。

朝日新聞連載小説『国宝』吉田修一第55回2017/2/26

 呆然とさせられる。
 尾崎が宮地に、今回の事を警察沙汰にさせないための話をするだろうとは思った。しかし、まさかこんなことを耳元で囁くなんて思わなかった。

「親分さん、ここは美談にしませんか?」

 これでは、尾崎はヤクザ嫌いどころか、ヤクザ顔負けの取引の仕方ではないか。やり方は途方もないが、目的は、喜久雄のことを考えてのことであろう。
  
 尾崎のような雰囲気を持った教師は、この時代には実際にいた。もちろん、昭和の学校にも、尾崎とは全く別の雰囲気を持つ教師の方が多かった。しかし、現代では、尾崎のような教師はフィクションでも存在しないと思う。

朝日新聞連載小説『国宝』吉田修一第54回2017/2/25

 想像(予想)51回感想その2したことの②が明らかになった。
 尾崎は、喜久雄が自分を襲うかもしれないと思い、服の下に防具を付けていき、喜久雄のドスの手ごたえは尾崎の防具に当たったと想像していた。想像とは違った。
 尾崎は、喜久雄の襲撃が表沙汰にならなかったことに関わってくるのであろう。尾崎は、ヤクザ嫌いなので、相手が今は名士であろうと、宮地にズバズバと言いたいことを言いそうだ。


(略)簡単に言えば長崎から逃げていくのであります。

 この連載が始まる時の紹介記事の中で、歌舞伎役者が主人公の小説ということを予備知識として与えられている。もし、それがなければ、半二郎の所へ行くのだとしても、喜久雄が役者の道へ進むとは思えない。喜久雄自身も、役者になるために大阪に出るとは思っていないのではないか。
 
 卒業さえ待たずに、長崎を出たという件には驚いた。51回感想その2の①で、尾崎は、喜久雄と春江に「中学校だけは卒業しておけ。卒業式だけでもいいから出ろ。」と言ったのかと想像していた。

朝日新聞連載小説『国宝』吉田修一第53回2017/2/24

 過去の事実が虚構の中に織り込まれてくる。昭和という時代を舞台にした歴史小説の雰囲気が漂ってくる。歴史上の事実といっても、国際情勢や日本の政治が取り上げられているわけではない。もっぱら、文化面だ。文化面の中でも、芸術と呼ばれる分野ではなく、大衆芸能の領域のようだ。
 
 43回では、長崎を題材にしたヒット曲を取り上げている。大ヒットではあるが、明るさや派手さとは無縁のスター歌手たちと思う。

高橋勝とコロラティーノ 青江三奈 瀬川瑛子 内山田洋とクールファイブ (43回)
 
 今回は、渥美清と映画監督(瀬川昌治と思われる)が取り上げられている。この映画監督瀬川昌治については、名前さえ知らなかった。だが、業績を見ると、テレビドラマなどで私も楽しませてもらった監督、演出家であった。ただし、この映画監督も国際的な賞を得るような業績はないようで、庶民の娯楽のために力を発揮した方であるらしい。
 渥美清の寅さんについては、語られ尽くしていると思う。ただ、寅さんシリーズを観るたびに思うのは、寅さんの周辺の人々は、当時の経済発展と脚光を浴びるような文化から取り残された人ばかりだと感じる。

 喜久雄が乗った列車はたとえ安価な席でも、集団就職で都会に向かう田舎の中卒者が乗るような列車ではなかったと思う。外見は、中学校卒業したての少年でしかない喜久雄に、この列車旅でもドラマがあるのだろうか。

朝日新聞連載小説『国宝』吉田修一第52回2017/2/23

 マツは、心から喜久雄のことを心配している。しかし、喜久雄の将来を深く考えてのことではなさそうだ。立花の組員は、喜久雄が単身親分の敵を取ろうとしたことを知っているのではないか。しかし、見送りの組員は頼りになりそうもないし、喜久雄が何をするために大阪に行くのかを知りもしないようだ。

A8上段
 
 寝台車では、料金の安い座席だったはずだ。喜久雄自身も、何をするのか、何をさせられるのかをよく知らないのではないか。

26~37回
 立花組組長権五郎の腹に二発の銃弾を撃ったのは、権五郎が味方と思っていた愛甲会の辻村だった。辻村が権五郎を撃った現場には、役者の花井半二郎以外には誰もいなかった。
 親分亡き後の立花組を仕切ったのが、この辻村であった。殴り込みをかけた宮地組は、事件を起こしたせいで、組の解散に追い込まれた。
 辻村の計らいで、父権五郎が死んだ後も、喜久雄と徳次は以前のように遊び暮らしていた。しかし、ある日、映画館で中学生のワルたちに歯向かわれた。中学生のワル、ニッキの譲治たちは、立花組が落ち目であり、喜久雄が親の敵も取れないことをバカにして、隙をついて徳次を殴り倒した。映画館で、乱闘する喜久雄と徳次たちと、ニッキの譲治たち、そこへ警官が現れる。喜久雄を警官に捕まらせまいと、徳次は自分を犠牲にして喜久雄をその場から逃がした。捕まった徳次は、鑑別所送りになった。  
 大晦日の夜、春江の家でくすぶっている喜久雄の所へ、鑑別所を脱走してきた徳次が現れた。徳次は、親分の敵を討とうと喜久雄を説得する。しかし、喜久雄はその話にはのらない。

38~50回 
 銃弾を二発くらったが、権五郎は病院で三日生き続けて死んだ。死に際の父権五郎に対して、喜久雄は、父親が何かに負けて人生を終えることが悔しくて涙を流した。
 権五郎が死んで、喜久雄は天涯孤独になった。というのは、喜久雄の実母千代子は彼が二歳のころに病死していたのだ。今の母マツは、後妻だった。結核だった千代子が生きているうちから、マツは権五郎と夫婦同然であった。しかし、マツは病気の千代子の面倒もよくみる女であった。
 権五郎が死んでから立花組はすっかり勢いを失って、愛甲会の辻村が好き勝手に振舞っていた。権五郎の一回忌も粗末なもので、マツも喜久雄も惨めな思いを味わわされた。
 そんな変化にも関わらず、喜久雄と春江の仲は続き、二人して刺青を入れた。喜久雄は、春江のポン引きのような生活を送っていた。夜の街に立つ春江と喜久雄の所にやってきたのは、喜久雄の学校の教師尾崎だった。尾崎は喜久雄を殴り、「お前は、この先、一生、こげん暮らしば続けていくつもりか!」と怒鳴りつけた。
 尾崎に殴られた翌日、喜久雄は久し振りに学校へ向かった。登校の途中、逃亡生活を続けていた徳次が現れた。徳次は、大阪へ行くと言う。喜久雄は、自分も徳次と一緒に大阪に行くと嘘をついた。徳次と別れた喜久雄は110番へ、徳次の立ち回り先を電話した。
 学校に着いた喜久雄は、朝礼の列に加わる。彼は、ドスを隠し持っていた。朝礼では、慈善家として宮地恒三が演説を行うことになっていた。この慈善家こそ、喜久雄が親の敵と思っている宮地だった。宮地の大親分が壇上で、マイクのまえに立とうとする。喜久雄は、ドスを握りしめ、大親分めがけて一気に駆け出す。

 ここに至るまでのストーリーで明かされていないことへ、想像が膨らむ。
①尾崎が現れた夜、尾崎は春江の髪をつかみ喜久雄の顔を踏みつけた。そして、それだけで立ち去りはしなかった。教師尾崎がわざわざ深夜の盛り場に出てきたのは、喜久雄と春江に伝えたいことがあったからだった。
②尾崎は、喜久雄が登校することを予想していた。そして、何かやるだろうことも予想し、それに備えて準備をしていた。
③喜久雄の襲撃が未遂に終わったとき、宮地はそのことを隠蔽する必要があった。
④表向きは、喜久雄の敵討ち未遂はなかったことになった。しかし、そこは極道の裏社会、それが通るはずもなかった。
⑤二代目花井半二郎は、罪の意識に苛まれていた。それは、権五郎の死の真実を誰にも明かせないことだった。せめてもの罪滅ぼしに、半二郎は、マツに手紙を書いた。
⑥マツと喜久雄は、辻村が差配している組の現状に気づき始めていたが、どうすることもできなかった。そこへ、半二郎から話があった。

朝日新聞連載小説『国宝』吉田修一第51回2017/2/22

 旅立ちの長崎駅の風景は悲しげに描かれている。
 長崎を出る喜久雄と見送るマツは、なんとも慌ただしげだ。だが、立花の組員たちは一年ぶりの晴れやかさを感じているようだ。
 短いやり取りしか描かれていないが、門出の喜久雄と見送る母マツの声にも張りがある、と感じる。

 喜久雄とマツの様子と、組員たちの万歳には、大阪へ向かう喜久雄を見送るというにとどまらない事情があったと思う。それは、徐々に明かされるはずだ。

朝日新聞夕刊連載小説・津村記久子作・『ディス・イズ・ザ・ディ 最終節に向かう22人』第7回2017/2/17
第2話 若松家ダービー②

あらすじ
 圭太が雄琴に行っていたのは、実は家族で応援していたチームとは違うチームの試合を観るためだった。若松家は、家族揃って泉大津ディアブロのホームスタジアムに行くのが習慣になっていたし、圭太もそれに不満を持ってはいなかった。だが、その泉大津ディアブロを粉砕した琵琶湖トルメンタスを観てから圭太の気持ちが変わった。それ以来、圭太にとって、琵琶湖トルメンタスの選手と峰岸監督がかけがえのないかっこいいものになった。

感想
 圭太が家族とは違う琵琶湖トルメンタスを好きになった理由は、選手たちのハードワークと勇気を誇れるチームになりたいという監督の言葉だった。また、その監督の指揮通りに動く無名の選手たちの運動量の豊富さに魅力を感じている。これは、サッカーとサッカーチームをよく知っているサポーターの考え方だと思う。圭太は、しっかりした考え方を持っているし、サッカーチームに何が大切かをよく知っている。
 圭太のことを疑っていた母親も家族の楽しみを大切にする良い母だ。ただし、サッカーチームへの理解では息子の方がリードしているようだ。
 第1話のえりちゃんも第2話の圭太も、人気チームや常勝チームとは逆のチームに可能性を見つけ、応援している。ここには、雰囲気だけで勝ちを喜ぶ態度とは異なる真剣さと深さを感じる。

朝日新聞連載小説『国宝』吉田修一第50回2017/2/21

 喜久雄が敵討ちを心に決めたのは、権五郎の臨終の時と読み取れる。そうなると、周囲の皆と徳次を完全に欺いていたのだ。しかも、決行の手順については、冷静に計算している。

この一年、喜久雄はじっとこの瞬間だけを待っておりました。

ここから壇上まで五メートルほど、駆け出しながらドスを抜いて、壇上に飛び乗るまでに一、二秒。

 
この展開は、予想できなかった。だが、親を殺された十五の息子の一途さは伝わってくる。喜久雄の真情は作者の胸の内にあり、まだそのほとんどが読者には語られていないのだと思う。
 不審なのは、一年前から心に決めていたのに、直前にドスを盗んいるらしい(49回)ことだ。それと、前回の感想にも書いたが、学校に行っていなかった彼が、宮地が学校に来ることをどうして知ったかだ。尾崎から聞かされたのか?

 尾崎は、喜久雄の動きを見て、自分を刺しに来ると思ったのではないか?

朝日新聞連載小説『国宝』吉田修一第48回2017/2/20


「俺も昼まで学校行ったら、徳ちゃんと一緒に大阪にいくけん」(48回)

 喜久雄は、大阪に行くものと思った。長崎にいては先が開けてこないと思った。

(略)事務所から盗んできた刃渡り二十センチのドスの重みが伝わってまいります。(49回)

 喜久雄は、尾崎を刺すつもりだと思った。


 父の敵と思い込んでいる宮地恒三が学校に来ることを、喜久雄はいつどうやって知ったのか?
 敵討ちはしないと徳次に言っていたのは嘘だったのか、それとも心変わりしたのか?
 父の位牌に手を合わせたのは、これを決心していたからのようだ。

朝日新聞連載小説『国宝』吉田修一第48回2017/2/19

「今日、坊ちゃんが久しぶりに学校に行くって、春江に聞いたもんやけん」
「ああ」
 徳次の言葉を喜久雄は聞き流します。

 徳次は喜久雄とは顔を合わせていなかったが、春江とはちょくちょく会っていたのかもしれない。そうだとすると、徳次と春江は、喜久雄に全てを話していないことになる。喜久雄も、昨夜春江と分かれてから、春江が徳次と会ったことに気づいたが、そこを追及はしなかった。
 春江の生い立ちと事情については、いずれストーリーの重要な部分になるだろう。
 

 この小説の登場人物たち、昭和を生きた世代の一般的な考え方の特徴に、平等意識があると思う。身分や階級に縛られた過去の社会から、身分や階級を全面的に否定する社会へ変化した。若者は、自身の才能と努力でどこまででも自分の人生を切り開くことができると信じられた。それは、考えや理想だけだったかもしれないが、世の常識でもあった。
 昭和の東京オリンピックの時代の若者は、自分の人生や自分の職業が、家や親に束縛されるべきではないと信じていた。少なくとも私はそうだった。
 喜久雄を見ると、今の年齢まではその生い立ちが全てを決めている。父権五郎の羽振りがよくならなければ、親分の息子としてチヤホヤされることはなかった。権五郎が殺されなければ、親分の息子の位置から引きずり降ろされることもなかった。中学生で情婦がいたり、刺青を入れることもなかった。
 その事情は、徳次も同じだ。
 世間では、子どもは平等であることと無限の可能性をもった存在であることが常識であった。ところが、実際の世間では、子どもは親の職業や経済力の影響を多大に受けていた。それが、経済発展へ向かう昭和の世間の一断面であったのかもしれない。
 喜久雄、徳次、春江の様子を読むと、こんなことを考えてしまう。

朝日新聞連載小説『国宝』吉田修一第47回2017/2/18
 
 学校に行こうとすると、母親に珍しいと言われる。昨晩教師に殴られてきたことを、若い衆に知られていて、しかもそれを母の前で言われる。父の位牌に手を合わせると、これも珍しいと組員からちゃかされる。
 組の本家だから、一般家庭とは違っている。しかし、一般の家庭でも、似たような様子はあった。この頃の時代の家庭の食事は、家族や同居している人たちとみんなで食べるのが普通だった。また、子どもがやった悪い事は、親にはバレなくても、兄弟や近所の人には知られてしまい、それを平気でみんなの前で話された。
 
 喜久雄の周囲と、小説『クラウドガール』の姉妹と比べるなら、家族関係、人間関係はまるで別世界の様子を見せている。

 喜久雄の環境は父が死んでから、特に悪くなっていて、中学生に良い影響を与えることは何一つない。それでいながら、今感じるのは、不思議にも彼が不幸のどん底にいるとは感じられないことだ。乱暴でも、教師や周囲の大人が子どもに関わってくるのがよかった、などと昔を懐かしがっても、なんの役にも立たない。
 ただ、『クラウドガール』に描かれている若者は、喜久雄の青春よりもつらいのではないかと思う。子どもの心を傷つけるようなことには親でも触れようとしない人間関係の中で、豊富な物に囲まれながら食事は独りでとるような生活が、幸福だとは感じられない。

 喜久雄が、学校に行こうと思い、権五郎の位牌に手を合わせたのは、昨夜のことが、彼に何か変化をもたらしているのだろう。昨夜、尾崎が春江に何を言ったのかも気になる。

朝日新聞連載小説『国宝』吉田修一第46回2017/2/17

 錆刀は、包丁とは違うので、研ぎ直しても元にもどりはしない。錆刀は、捨て去るしかないのだ。

「俺が将来、立花組ば継いだら、真っ先にお前の玉とってやる」
 
 この言葉が、喜久雄の唯一の武器、喜久雄の刀なのであろう。

 教師を「尾崎」とだけ書いていること、鰻屋の出前のこと、作者の巧みさが楽しめる。

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