2017年03月

朝日新聞連載小説『国宝』吉田修一・作 束妹・画第88回2017/3/31

 歌舞伎名門の御曹司と、舞妓のお座敷の外での逢引は京都の夜に似合いの風景と感じる。そこに、役者見習いになってまだ一年そこそこの喜久雄が、しっくり馴染むのかどうか、次回以降が待たれる。

 権五郎は、病気の女房がいるのに、マツを家に入れた。マツが正式の女房になり、喜久雄を育てているのに、若い女にバーを持たせていた。
 喜久雄は、春江を呼び寄せている。だが、舞妓の市駒に完全に心を奪われている。  
 こういう女性への接し方は、権五郎と喜久雄の欠点なのであろうか。女癖が悪い、人間性に欠ける、などと非難できることとは違うものを感じる。

朝日新聞連載小説『国宝』吉田修一・作 束妹・画第回2017/3/20

 お金は人を動かす。現実でも小説でも。この小説でもお金が描かれていくだろう。
 マツは、立花組のことも自分のことも全てを投げ打って、喜久雄のためにお金を作るに違いない。だが、その力も尽きかけている。喜久雄は、権五郎に稼ぎが少なかった頃は幼かった。物心がついてからは、金の面では甘やかされていた。父が殺されてからは辛い思いもしていたが、まだ金に困ることはなかった。大阪に来てから今までも、仕送りに何の心配もしていない。
 逆に、徳次と春江は金の苦労が身に染みていると思う。
 半二郎は、歌舞伎の名門役者で、映画スターだが、息子や喜久雄の金の管理を見ると、お金の価値を知っていると感じる。

(略)この数年後、一部の評論家たちから「芸品がある」と評される喜久雄の踊りに結びついたのでございます。
 
 ここからの数年間には、喜久雄を巡る人の間に、金の問題も出てきそうだ。

朝日新聞連載小説『国宝』吉田修一・作 束妹・画第86回2017/3/29

 歌舞伎の家に入ったら、たとえ、急に預けられた身だとしても、そのしきたりは分かってくるのだろう。稽古と高校は一緒でも、俊介は二代目花井半二郎の御曹司で、喜久雄は全くの素人の出だ。二人の差は歴然としている。今回で説明されている部屋子になれればその差が狭まるのだろう。

 大阪に来て一年が過ぎた喜久雄にとって、半二郎は師匠であり、絶対的な存在だ。また、俊介とは友達のように口をきいているが、役者としての差は二人の今後に様々な影響を与えるに違いない。
 喜久雄を取り巻く人間は花井の家の者だけでない。徳次と春江も大阪にいる。今の喜久雄は、大阪で順調な生活をしている。だが、呼び寄せた春江の動向によっては、喜久雄の今の順調な生活が続かなくなるような場面があるのではないか?

朝日新聞連載小説『国宝』吉田修一・作 束妹・画第回2017/3/28

 喜久雄と俊介は、まるで兄弟のようだ。同い年だから、双子のようなのかもしれない。喜久雄が、俊介を「俊ぼん」と呼んでいるのは皆がそう呼ぶからか、それとも、自分を下だと意識しているからだろうか?
 喜久雄は進んで大阪弁に馴染もうとしているから、もう長崎にも立花組にも未練はないのであろう。

二人が二人して、男が女を真似(まね)るのではなく、男がいったん女に化けて、その女をも脱ぎ去ったあとに残る「女形」というものを、本能的に掴(つか)めているのでございます。

 半二郎のもくろみ通り、喜久雄と俊介はこれ以上望めないほどのライバルになっているようだ。疑問なのは、喜久雄がどのくらい俊介に追いついているかだ。喜久雄が長崎で習った舞踊は、しょせんは素人の域を出ないと思う。それとも、喜久雄には稀に見る女形としての才能があるとでも言うのだろうか。

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 挿絵の自転車が不思議だ。

朝日新聞連載小説『国宝』吉田修一・作 束妹・画第84回2017/3/27

 喜久雄は、稽古がおもしろくてたまらないのだろう。今までは、観客として観ていた舞台を役者の立場でやれる。しかも、きっと喜久雄は飲み込みがよく、俊介と同じ稽古についていくことができているのだろう。いや、ついていくどころか、俊介よりも自分の方が上達が早いと思い込んでいるのかもしれない。
 しかし、喜久雄は、役者修行を始めてから数か月だし、俊介とはそもそも生まれが違う。その内に、俊介との決定的な違いを突き付けられる時がくるに違いない。

朝日新聞連載小説『国宝』吉田修一・作 束妹・画第83回2017/3/26

 マツからの仕送りのことを読んで、マツの気持ちを次のように感じた。

 マツは、千代子が生きているうちから権五郎と夫婦同然になりましたが、それは自分から望んだことではありませんでした。当時のマツは、権五郎の強引さに逆らうことができなかったのです。
 それでも、マツは病気の千代子にはいつも済まないと思っていました。千代子が亡くなってからも、千代子への気持ちもあり、喜久雄を大切に育てました。幸か不幸か、マツに子はできませんでした。
 権五郎亡き後も、マツは喜久雄を立派に育てることが自分の役目だと心に決め、千代子の唯一の願いだった喜久雄をヤクザにしないということを成し遂げようと思いました。また、喜久雄が幼い頃から、芝居に興味を持ったことも、喜久雄を可愛がる気持ちを強くさせました。というのは、マツの唯一の楽しみは芝居見物だったからです。
 落ち目の立花組で、仕送りの金を工面することは並み大抵のことではありませんでしたが、なんとか金を作り仕送りを続けました。また、マツは、組の人間の中では、徳次になぜか親しみを感じていました。そこで、徳次を大阪へのお供につけたのでした。

朝日新聞連載小説『国宝』吉田修一・作 束妹・画第82回2017/3/25

 徳次の気持ちについて、次のように感じる。

 立花組での暮らしはおもしろかったが、花井の家での暮らしはもっとおもしろいと思っています。
 番頭の源吉さんや女中頭のお勢さんは、徳次をかわいがってくれます。俊介こそ、最初は喧嘩腰でしたが、今はそんなことはありません。今は、俊介のことを喜久雄と同じように面倒を見なければならない坊ちゃんと思っています。
 肝心の喜久雄は、厳しい役者の稽古に打ち込んでいます。その喜久雄が会いたがっていた春江を、大阪に呼び寄せることもできました。
 なにより、ここは長崎よりもうまい物が食えることに満足しています。

朝日新聞連載小説『国宝』吉田修一・作 束妹・画第81回2017/3/24

 稽古に励む喜久雄の気持ちについて、次のように感じる。

 女将の幸子も、息子の俊介も今まで見たことのないような人です。幸子はきれいでよくしゃべります。俊介は、こんな男がいるのかと思うほど色白です。
 また、義太夫や踊りの稽古は、長崎のものとは比べものにならないほど厳しいものです。なぜか、その稽古を辛いとは感じません。それどころか、義太夫や踊りの面白さを感じるようになりました。
 なかでも、花井半二郎の稽古は一番厳しいのですが、これも辛くはありません。それよりは、真剣に教えてくれる半二郎の期待になんとかこたえないと思うのです。

 大阪に出て来るまでの春江について、次のように感じる。

 喜久雄と徳次が長崎にいなくなって、急に一人ぼっちだと、春江は思います。大阪からは、時々ハガキが届きます。短い文面には、喜久雄が高校へ通っていること、役者の稽古をしていることが書かれています。どうやら二人は楽しく暮らしているようです。
 ある日の便りで、春江も大阪へ出て来いと、急に誘われました。母を長崎に残していくことに迷いはありました。母は、このまま長崎にいてもよいことはないので、大阪へ行けと言います。
 喜久雄と一緒になれると思うと、うれしさが先に立ち、大阪行きの列車に乗りました。

感想その4
 父仁志は、圭太の細かな変化には気付かなかった。供子から、圭太の変化について相談された時もはっきりとした意見を言えなかった。だが、母供子とは違う角度から息子を見ていた。
 仁志は、圭太とサッカーチームについて話し合っている様子はなかった。だが、圭太が応援するクラブについては調べていてよく知っていたし、最終節には琵琶湖のホームへ夫婦で行く手配をしていた。
 仁志は、家族にサービスをする気はない。家族と一緒にサッカー観戦しても、自分なりの楽しみ方をしている。
 供子は、仁志に不満はないが、家族のリーダーとは思っていない。それは、二人の子どもも同じだ。
 これが、今の家庭に求められる父親のひとつの姿だと思う。家族の中心は、母と子だ。父は、母子に沿って行動する。その位置にいることが、母子の関係が煮詰まった時には、平静な観点から、父としてアプローチできるのだと思う。
 母の役目、父の役目という固定されたものはない。両親の考えを一つにして、子どもに向かうのでもない。両親は、それぞれの持ち味を生かして、子育てするのが今は必要だと感じた。

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