本屋のとなりは写真館

朝日新聞連載小説『国宝』『ディス・イズ・ザ・ディ』の毎回ごとの感想と、読んだ本の感想を更新しています。

2017年04月

 愛甲会の辻村は、まさにこの小説の狂言回しだ。
 喜久雄と半二郎の関わりの全てに辻村が顔を出している。徳次が喜久雄のお供として、大阪へ行くことになったのも、辻村の手配だ。さらに、徳次の鑑別所脱走の件をなかったことのようにしたのも辻村だ。
 その辻村が、俊介を絡めとってしまったようだ。この狂言回し役辻村は、花井親子にがっちりと食い込んでいる。 
 ということは、喜久雄が役者として成長していく過程へも、大きな力を出し続けることができるということだろう。 
 また、徳次が北海道で、成功しようが失敗しようが、辻村には逆らえないということだ。

第四章 大阪二段目
76~87回 
 舞台は、長崎から1965(昭和40)年の大阪へ移った。喜久雄と徳次が、大阪の歌舞伎役者花井半二郎の下で暮らすようになり、ほぼ一年が過ぎた。
 その大阪へ、喜久雄を追うように春江も出て来ていた。春江は、喜久雄と徳次が準備した安アパートに住み、大阪のスナックで働き始める。
 喜久雄は、半二郎の一人息子俊介と一緒に、厳しい役者の稽古に打ち込んでいる。喜久雄と俊介は、同じ高校に通い、すっかり仲良くなっている。
 半二郎は、俊介と喜久雄に女形としての才能を見出していた。そこで、喜久雄を「部屋子(へやご)」にしたいと、長崎の母マツへ手紙を出した。手紙を受け取り、喜久雄に会いに大阪に来たマツは、役者修行に打ち込んでいる息子を見て喜ぶ。しかし、マツが借金までして大阪へ仕送りをしていることは、喜久雄には話せなかった。
※「部屋子」になれば、歌舞伎役者の幹部俳優「名題(なだい)」と同等の扱いを受ける。

88~100回
 喜久雄と俊介は、半二郎の計らいで黒子として京都南座に呼ばれる。
 喜久雄は、京都で初めてのお座敷遊びをし、舞妓の市駒と会う。市駒は、お座敷がはねた後、初対面の喜久雄に、「喜久雄さんに芸妓人生を賭ける。人気役者になって、二号さんか三号さんを予約や。」と言う。
 喜久雄と俊介は、京都南座に出演していた名女形の小野川万菊の楽屋を訪れる。喜久雄は、万菊から「きれいなお顔だこと。でも、役者になるんだったら、その顔は邪魔。」と言われる。
 万菊の『隅田川』の演技に、喜久雄は、強烈な体験を受ける。
 徳次は、春江をきっかけに知り合った弁天とつるんで遊ぶようになっている。徳次の鑑別所脱走の件は、愛甲会の辻村が裏で動いたので、収容期間短縮になっていた。
 春江は、長崎からの出稼ぎの人をお客とするスナックで働き、その店を繁盛させている。
 徳次は、弁天がどこかから持ち込んできた儲け話に乗って、北海道へ行くと決め、喜久雄に別れを告げる。喜久雄は、誰かに騙されていると徳次を止めるが、徳次の決心は変わらない。
 
物語の年譜(第一章~第四章)
昭和39(1964)年
元旦。 喜久雄と徳次は、新年会の余興で「積恋雪関扉(つもるこいゆきのせきのと)」を踊る。その踊りを花井半二郎が観る。立花権五郎は、新年会に襲われ、裏切り者の辻村に拳銃で撃たれて三日後に死ぬ。
昭和40(1965)年 東京オリンピック開催
1月末。喜久雄は、学校に講話に来た宮地を襲うが、失敗する。
その後、喜久雄と徳次は、大阪の花井半二郎の家へ。更に、数か月後、春江が大阪へ。半二郎は、息子俊介と喜久雄に女形の才能を見出し、二人に厳しい稽古を付ける。
昭和41年(1966)年
喜久雄は、半二郎に連れられて京都へ。京都で、六代目小野川万菊の演目を観る。また、舞妓市駒と出会う。
徳次は、儲け話があるからと、喜久雄に別れを告げ、弁天と共に北海道へ行く。

朝日新聞連載小説『国宝』吉田修一・作 束妹・画第103回2017/4/16

 すばらしいことだと感じる。
 初舞台で、これほどの「恍惚感」を味わうのは、役者になることを運命づけられているのだ。
 次の表現に注目した。

(略)さっきまで自分がいた舞台の床の感触や、はっきりと一人一人が見えていた見物の顔、そして何よりも舞台に漂っていた香の甘い香りが蘇りまして、(略)

 
無事に舞台を終えた安堵感でも、初舞台が好評だったことでもない。舞台に立つことの喜びを純粋に感じているのだ。
 そして、ほぼ二年間の、踊りを骨で覚えるという激しい稽古と、見ているだけで気が違いそうになる繰り返しの稽古の末の初舞台の「恍惚感」なのだ。

朝日新聞連載小説『国宝』吉田修一・作 束妹・画第102回2017/4/15

 さて、遅ればせながら、慌ただしく始まりましたこの第五章、成功を夢見た徳次が北海道へ旅立ちました前章から、すでに四年近くの月日が流れております。

 物語の時系列を整理しておく。

昭和39(1964)年
元旦。 喜久雄と徳次は、新年会の余興で「積恋雪関扉(つもるこいゆきのせきのと)」を踊る。その踊りを花井半二郎が観る。立花権五郎は、新年会への殴り込みで銃弾を二発受けて、三日後に死ぬ。

昭和40(1965)年
1月末。喜久雄は、学校に講話に来た宮地を襲うが、失敗する。
その後、喜久雄と徳次は、大阪の花井半二郎の家へ。更に、数か月後、春江が大阪へ。

昭和41年(1966)年
喜久雄は、半二郎に連れられて京都へ。京都で、六代目小野川万菊の演目を観る。また、舞妓市駒と出会う。
徳次は、儲け話があるからと、喜久雄に別れを告げ、弁天と共に北海道へ行く。

昭和42(1967)年
喜久雄(17才)は、芸名花井東一郎として初舞台。

昭和45(1970)年
4月 花井半二郎一座の四国巡業で、喜久雄と俊介が「二人道成寺」の白拍子を踊る。 ※大阪万博開催が1970年3月から。

『波の音が消えるまで』 沢木耕太郎 新潮社 

aDSC_0018_001

 
 何かを追い求める生き物が、人間だ。そんなことを思わせる小説だ。
  だからといって、主人公の思想が難しく書かれているのではない。むしろ、主人公は単純で、行動の人物だ。その面では、エンタテイメントの要素が強い。 
 主人公は、作品の最初から最後まで、バカラをやり続ける。そして、遂にバカラの必勝法を手に入れる。この必勝法は、リアルだ。バカラの勝負の場面もリアルだ。
 書かれている必勝法はリアルだが、私はそれを試してみようとは思わなかった。その勝ち方を手に入れるには、その域に達するまでがあまりに遠すぎるのだ。
 
 かえって、バカラに、溺れる過程の惨めさがよく理解できた。賭博を止められなくなる心理は、理解しているようでできていなかった。
 楽をして儲けようというだけではない。損を取り戻そうするだけではない。一度味わった勝ちを再び味わおうというだけでもない。勝負のおもしろさにのめり込むだけでもない。
 人は、賭博だけでなく、自棄(やけ)になる時がある。誰にでも、いろいろな場面で自暴自棄になることがある。ネクタイの絞め方などというどうでもよいことの場合もあり、会社を潰すような影響の大きい場合もある。とにかく負の循環に入り込むと、自棄になり、信じられないような行動を平気でとる。
 バカラで負け、文無しになり、他人のコインを掠め取り、また賭ける。どうして止められないのか、と思っていたが、この主人公の気持ちになると、そういうことを平気でするようになるのも人間だということに共感できる。

朝日新聞連載小説『国宝』吉田修一・作 束妹・画第101回2017/4/14

 俊介は、花井半弥の名で初舞台も踏んでいる。(67回)喜久雄も、芸名をもらい舞台に立つようになっていた。しかも、俊介と同等の役柄のようだ。いかに、地方公演と言いながら喜久雄にとっては、大抜擢だと思う。
 さらに、俊介に水をぶっかけるなんて、喜久雄の方が舞台への心構えができている。

 喜久雄が主役の一人として舞台に立っていること。俊介と喜久雄が、役者として同等の扱いを受け、二人ともそれに慣れていること。二人は、一座の人気役者になっていること。俊介は、遊びの方も達者なこと。
 そういうことが、予想できる。

朝日新聞連載小説『国宝』吉田修一・作 束妹・画第回2017/4/13

 徳次の気持ちについて、想像したことがあった。82回感想 俊介に対しても兄貴分のようになるのかと思ったが、違っていた。徳次にとって、喜久雄はただ一人の「坊ちゃん」だった。
 権五郎が生きていた間の喜久雄が徳次に、字や計算を教えていたなんて、微塵も想像しなかった。思いもつかなかったが、語られてみると、大いに納得できる。組員たちには、バレないように、外見では悪いことの相談でもしているような様子で、字を教え、習っていたのだろう。それを、知っていたのはマツだけかもしれない。
 二人は、そのころの置かれている立場こそ違え、生い立ちと境遇は共通だということを、互いに感じ取っていたのだろう。

 十代の人間が誰によって育てられるか、を考えさせられる。徳次は、親、教師によって育てられていない。親、教師だけでなく、大人によっても育てられていない。近い年齢の喜久雄、春江、弁天から学んでいる。大人からは、痛めつけられることの方が多い。それは、小説の中だけなのか、徳次だけなのか。
 子ども、少年を、育てるのは、親、教師そして家庭、学校だ。それが、私の現実的な常識である。
 その常識に見直しを、迫られているようだ。
 
 もう一つ、常識を変える。義太夫節を聴く、私の常識にはなかった。ラジオ番組で義太夫節を聴き始めた。

朝日新聞連載小説『国宝』吉田修一・作 束妹・画第99回2017/4/12
 
 徳次が、弁天に言っていることと、喜久雄に言ったことが違う。
 徳次は、「春ちゃんに金送って、自分の店持たせたるわ。そしたら坊ちゃんも安心やろし」(98回)と言った。
 喜久雄には、「北海道で金作って、将来事業起こして成功した暁には、誰よりも立派な坊ちゃんのご贔屓さんになって(略)」と言い、春江のことには触れていない。

 弁天は、春江に惚れている。弁天から見て、徳次が春江に惚れているようには見えない。

「春ちゃんて、喜久雄いうやつの女なんやろ?なんで徳次が面倒看てんねん?」(98回)
 
 弁天には、徳次の春江への気持ちが不思議なのだろう。
 徳次と春江の関わりは、まだ語られていないことが多い。徳次は、本当に坊ちゃんの女だからというだけで、春江の身を案じているのか?それとも、徳次と春江の縁が、今後明かされるのか?

朝日新聞連載小説『国宝』吉田修一・作 束妹・画第98回2017/4/11

 物語のたくさんの要素が詰まっている回だ。
①弁天の話から、喜久雄の春江への今の態度が分かる。
②徳次と弁天に、北海道行きの話が出てきた。
③春江の容姿が描かれた。
 どの事柄もおもしろいが、③が特におもしろい。夜の女のよそおいとはいえ、春江のきれいさは並大抵ではない。春江と喜久雄が並べば、人目を引くことは間違いない。
 人の外見は、その人の価値を決める要素になる。特に美しい顔は、その人の人生を左右する。そして、美しい容姿は、幸福に結び付くばかりではない。
 若い喜久雄と春江の美しさは、今後の二人にどう影響するのだろうか。

 語り手が、物語の先に触れているので、忘れないように残しておく。

83回
(略)マツからの仕送りのほとんどを、半二郎は喜久雄のために貯金してくれておりました。この貯金がのちにちょっとした騒動を引き起こすのですが、(略)


95回

aIMG_2713

 実はこの日、二人が目のあたりにした小野川万菊の姿が、のちの二人の人生を大きく狂わせていくことになるのでございますが、当然このときはまだ、二人ともそれを知る由ございません。

朝日新聞夕刊連載小説・津村記久子作・内巻敦子画『ディス・イズ・ザ・ディ 最終節に向かう22人』第14回2017/4/7 第3話 三鷹を取り戻す③

あらすじ
 最終節を前にして、貴志の周囲ではますます三鷹の話題が盛り上がっていた。貴志も、三鷹の今の戦績を気にするようになる。そして、貴志が中学生の時に好きだった若生選手が少し前に三鷹の監督に昇格したことを知る。 
 貴志は、それを知り、中学生の時に、保健室の先生から若生選手が写っているポスターをもらったことを思い出し、そのポスターを探し出す。そして、最終節の三鷹対弘前の試合に行くことを決める。
 この対戦相手の弘前ネプタドーレは、バイト仲間の松下が身に付けていたエンブレムのクラブだった。

感想
 子どもの頃に好きなものを、他の人からバカにされたりして、好きだと言えなくなることはよくある。子ども向けのドラマやアニメのヒーローや、子ども向けのおもちゃの類だ。食べ物などの好みでもそういうことはある。大人ぶって、自分から、もうそんなものからは卒業したふりをする。
 しかし、小中学生の時に好きだったことからそうは簡単には離れられないのも確かだ。私の経験からもそう思う。そして、その好みややりたいと思って我慢していたことを再開するのはとても楽しいものだ。
 貴志も、そういう経験をするのだろうか。

朝日新聞連載小説『国宝』吉田修一・作 束妹・画第97回2017/4/9
 
 注目することが出てきている。
① 徳次は、弁天と一緒に、天王寺村の芸人の所に出入りして、それをおもしろがっている。
② 徳次がお供として大阪へ行くことになった裏には、喜久雄の知らない動きがあった。
③ 徳次は、逃げるが勝ちを経験して、辛抱が足りなくなっている。

①から、徳次に、歌舞伎役者よりもおもしろいものができたことが感じられる。
②から、喜久雄と徳次は常に一心同体の動きをしているわけではないことが示されている。これから先は、互いに離れはしないだろうが、それぞれ違う道を歩むのではないかと思わせられる。
③から、徳次の今後を決めるような出来事が近々起こるのではないかと思わせられる。

朝日新聞夕刊連載小説・津村記久子作・内巻敦子画『ディス・イズ・ザ・ディ 最終節に向かう22人』第13回2017/3/31 第3話 三鷹を取り戻す②

あらすじ
 貴志が高校生になった時に、三鷹は二部へ昇格して、地元ではニュースになっていた。だが、貴志が三鷹に興味を持つことはなかった。
 大学生になった貴志は、アルバイト先で松下という人に会う。松下とはアルバイト仲間というだけの関係だったが、彼が身に付けていたサッカークラブのものらしいエンブレムのことは気になっている。

感想
 貴志は、中学生の頃好きだった三鷹が周囲で話題になっていて、なんとなく妙な気持ちを感じているようだ。
 また、大学生となった彼は、三鷹以外のサッカークラブのことも気にしていない。サッカークラブのことだけでなく、好きなことを見失っているように感じる。でも、だからと言って人間関係に悩んでいる様子もない。要するに、平凡な学生生活を送っているのであろう。
 好きだったクラブのことを、周囲から同調されそうもないので、自分で抑え込んでしまった。このままでは、貴志は、他人の眼をいつも気にして過ごすことになりそうだ。

朝日新聞連載小説『国宝』吉田修一・作 束妹・画第93回2017/4/8

 長崎からの出稼ぎの人が集まる店、そこで働く春江。春江の保護者気取りの徳次。どうやら、春江に惚れたらしい弁天。
 大阪の場末の様子が伝わってくる。そして、この三人がその場所に馴染んで生き生きとしているのを感じる。
 ここと、別の世界に進もうとしているのが、喜久雄なのではないか。厳しい稽古や劇場への出入りだけでなく、会う役者やごひいき筋の人々、更には、遊ぶ所までが今までとは違ってきているであろう。
 喜久雄は、俊介のような歌舞伎役者の御曹司の立場を見せられて、そういう場に自分も立つことができると夢想すると思う。そういう思いに駆られれば、市駒のことは別としても春江に会う回数も減ってくるだろう。

朝日新聞連載小説『国宝』吉田修一・作 束妹・画第95回2017/4/7

 小野川万菊の楽屋の様子では、俊介より喜久雄が、万菊の凄さに気づいているように受け取った。しかし、実際の舞台を観ている二人の反応を見ると、そうとばかりは言えないようだ。


喜久雄
 あまりに強烈な体験に心が拒否反応を示すのですが、次第にその化け物がもの悲しい女に見えてまいります。

「いや、こんなもん、女形でもないわ。女形いうもんは、もっとうっとりするくらいきれいなもんや。それが女形や」

俊介
 喜久雄が万菊の魔力を断ち切るように、隣の俊介に目を向けますと、やはり何かに憑(つ)かれたように舞台を凝視しております。
(略)
「たしかに化け物や。そやけど、美しい化け物やで」

85回 女形の説明
 これを一言で説明するのは難しいのでありますが、二人が二人して、男が女を真似るのではなく、男がいったん女に化けて、その女をも脱ぎ去ったあとに残る「女形」というものを、本能的に掴めているのでございます。
 
 
この説明からすると、俊介の方が「女形」の本質に近づいているような気がする。

↑このページのトップヘ