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朝日新聞連載小説『国宝』『ディス・イズ・ザ・ディ』の毎回ごとの感想と、読んだ本の感想を更新しています。

2017年05月

朝日新聞連載小説『国宝』吉田修一・作 束妹・画第回2017/5/18

 喜久雄は、ある日突然人気役者になったと言える。芸の稽古は、人の何倍もやってきたが、芸能界のことを何も知らずに人気者になった、という設定だった。
 その喜久雄だが、徳次や弁天と一緒にテレビの収録に付いて来て、ベテランの師匠が若いディレクターの言いなりになる現場を目撃している。また、徳次と一緒にいる時間が長いようだから、映画界のことも芸人横丁の売れない芸人のことも見聞きしている。これは、喜久雄にとって芸人と芸能界の裏表を学ぶ機会になっていると思う。
 その喜久雄にとんでもないニュースが飛び込んできた。半二郎の事故の時に、喜久雄だけが邸にいなっかったということから何かが起こるのか?

朝日新聞連載小説『国宝』吉田修一・作 束妹・画第133回2017/5/17

 若いテレビディレクターの要求をはねつけて帰ってしまった師匠の代りに、弁天と徳次が番組の穴を埋め、しかもそれが、大受けする。そんな展開を予想したが、それほど甘いものではなかった。

 もしテレビの世界で認められれば、また人気者に返り咲けるかもしれません。師匠もそれは分かっているのでございます。そんな師匠が惨めにも太々(ふてぶて)しくも見え、泣くに泣けない喜久雄たちでございます。

 作者は、喜久雄たちに、テレビの力を見せつける場を設定した。
 スターというのも、なかなか苦労なものだとつくづく感じる。

朝日新聞連載小説『国宝』吉田修一・作 束妹・画第132回2017/5/16

 喜久雄は、スターと言っても、歌舞伎の舞台上のこと。取材を受けるのも雑誌に載るものだし、後は写真がせいぜいのようだ。
 だが、時代はいよいよテレビ全盛に移っていく頃だと思う。
 そのテレビでの演芸だが、出演する方が慣れていなかったということをよく聞く。西洋師匠の泣き言も、まさにそういうことだろう。寄席では、考えられない時間短縮の要求なのだ。

朝日新聞連載小説『国宝』吉田修一・作 束妹・画第131回2017/5/15

 映画には出演しなかったらしい弁天が、また元気に登場した。そういえば、130回では、春江が登場している。
 人気者になった喜久雄だが、お高くとまっていないようで、安心した。
 テレビ収録に怖気づく師匠の沢田西洋、そこへいつの間にか弟子になっていた弁天と、大部屋俳優の徳次、これはなにかが起きそうだ。

朝日新聞連載小説『国宝』吉田修一・作 束妹・画第130回2017/5/14

 やはり。
 それにしても、徳次らしい。

 そして、半二郎の次の言葉がカッコイイ。

「(略)あとで世話かけられるより、先に世話焼いたるほうが」マシや。

 
これで、徳次の身の振り方が定まったようだ。

朝日新聞連載小説『国宝』吉田修一・作 束妹・画第129回2017/5/13

 驚いた!
 ここまで、役者として適性があったとは。
 喜久雄と俊介の「二人道成寺」は、歌舞伎の舞台、いわば日の当たる場所でのスター誕生劇だった。それに対して、徳次の主演映画「夏の墓場」は、いわば日陰の場所でのスター誕生劇だ。
 弁天は、この映画に出なかったのか?
 
 今の徳次が、歌舞伎の大部屋にいるのだから、この映画以降は映画俳優としてどんどん売れることはなかったのであろう。

朝日新聞連載小説『国宝』吉田修一・作 束妹・画第128回2017/5/12

 徳次は、威勢の割にはそれほど喧嘩が強いわけではない。しかし、人好きのする所がある。それに、今回のドキュメンタリー映画への意図せぬ出演の様子から、役者には向いていそうだ。また、少なくとも極道や金儲けよりは芸能に関係のある世界の方が合っていると思う。
 また、共に騙された弁天も口はうまそうで、この二人は今後も良き相棒かもしれない。
 ドキュメンタリー映画の監督が、喜久雄と俊介をスターにした興行会社「三友」出身というのも、縁に繋がりそうだ。

朝日新聞連載小説『国宝』吉田修一・作 束妹・画第回2017/5/11

 徳次と弁天は、持ち前のしぶとさと悪知恵を使って脱走したと思いきや、「見ず知らずの人たちの恩義に」助けられて大阪まで辿り着いた、と語られている。なんとも、おもしろい。
 しかも、大阪に着いてからの二人の仕返しがこれまた独特だ。ドキュメンタリー映画に、徳次と弁天が出演するのか?

朝日新聞連載小説『国宝』吉田修一・作 束妹・画第126回2017/5/10

 少なくとも二、三年間は北海道でいろいろな経験をした、と予想したら、見事に外された。
 徳次と弁天が行った先は、普通なら、逃げ出せない刑務所のような飯場だ。そこから一月後に帰って来た、ということは、徳次の特技「脱走」が活きたか?

101~125回 第五章 スター誕生 あらすじ

 第四章から四年近くの歳月が流れ、第五章 スター誕生は、昭和45(1970)年4月の時点になっている。

 喜久雄は、花井東一郎を襲名し、京都南座で端役ながら初舞台(昭和42年喜久雄17歳)を踏んでいた。
 しかし、当時は関西歌舞伎低迷期で、初舞台を踏んだからと言って、部屋子(へやご)の喜久雄はもちろん、御曹司の俊介でさえ、役などつかない状況だった。そこで、半二郎が始めたのが地方巡業である。その地方巡業で、喜久雄と俊介の二人は、「二人道成寺」の主役を演じている。
 その地方巡業の楽屋に、興行会社の社長梅木が突然現れる。梅木は、劇評家の藤川先生が、喜久雄と俊介の「二人道成寺」を激賞しているので、社長自ら観に来たと言う。そして、梅木社長は、二人を褒め、今度の京都南座に二人の「道成寺」をかけると言う。これは、普通では考えられないような大抜擢だった。
 梅木社長に竹野という歌舞伎を悪く言う新入社員が、付いて来ていた。

 地方巡業が終わり、休みをもらった喜久雄は、長崎に久しぶりに帰省する。母を驚かせようと、連絡をせずに帰った喜久雄が目にしたものは実家の変わりようだった。実家だった屋敷は人手に渡り、マツは元の屋敷で女中として働いていた。驚いた喜久雄は、マツを大阪に連れて行こうとする。しかし、マツは、喜久雄が人気役者になる日を女中をしながら待つのが幸せだと言い、元の屋敷で女中を続けると言い張る。
 半二郎は、喜久雄の実家の変化もマツの現状も知っていて、マツからの必死の思いの仕送りの金を貯めていてくれた。その仕送りの貯金二百万近い通帳を、帰省から戻った喜久雄に渡した。

 京都南座での喜久雄と俊介の「二人道成寺」は、予想以上の大成功となる。南座の「二人道成寺」は人気爆発で、まさに世紀のスター誕生劇となった。喜久雄と俊介は、たちまち毎日取材に応じる人気者になった。
 
 そんな人気者の二人の側に、北海道へ行ったはずの徳次が大部屋の一員として稽古に励んでいる。

朝日新聞連載小説『国宝』吉田修一・作 束妹・画第125回2017/5/9

 語り手が、徳次のことを丁寧に扱っている。それほどこの物語の中で徳次は主要な人物なのだ。
 徳次が北海道から帰って来たことだけが、描かれているのではない。徳次は、大部屋ながら役者に戻っている。しかも、その大部屋を仕切っている。その上、喜久雄と俊介に対して、親し気な口を利いている。
 次章から、また新しい物語が語られる。
 その物語で、出てくるであろう登場人物を思い出し、その後を想像してみよう。
 まずは、徳次。
 北海道で大成功はしなかった。しかし、今までにない経験を積んできた。昔のように、警察から追われるようなことはしていない。ただ、金には困っているのかもしれない。
 春江。
 スナックで大いに稼いでいる。しかし、喜久雄はあまり会いに来てくれなくて、そのことが不満だ。
 市駒。
 喜久雄が彼女のもくろみ通り、人気役者になって、ますます喜久雄をつかまえて離さない。喜久雄の方も春江を捨てたわけではないが、市駒へ入れあげている。
 竹野
 三友の社長から、俊介と喜久雄の新しい出演機会を見つけるように命じられる。喜久雄とは、反発しあいながらも、歌舞伎に留まらない活動の場を開発していく。
 
 徳次は、人気スターの俊介と喜久雄を良くも悪くも支えるのではないか。
 春江と市駒は、どこかでぶつかるのではないか。
 竹野は、喜久雄を歌舞伎以外の活動へ引っ張りだすのではないか。

 次章への期待が膨らむ。

朝日新聞連載小説『国宝』吉田修一・作 束妹・画第124回2017/5/7
 
 歌舞伎の世界には、うまい役者、いい役者、と呼ばれる人は何人もいる。そして、そういう一流と認められる役者は、歌舞伎をよく観る観客には知られている。
 ところが、私のように歌舞伎を観たことのない者が、歌舞伎役者の顔と名前を知るのは、専らテレビやラジオや映画を通してだ。123、124回から、どういう役者が、歌舞伎を観ないような人々にも知られていくのかが、よく分かる。
 要するに、人気なのだ。そして、その人気は、興行会社やマスコミによって作られていく。本人に才能と実力があり、その才能と実力を売り出していくプロデューサーがいて、スターが誕生することが描かれている。
 人気が優先するスターは、スターとしての時期が短いと言われているし、それは当たっていると思う。一時期の人気者で終わらないためには、本人が実力を磨くことと、周囲の人々がいかにそのスターを支えていくかが重要なのであろう。
 前回で、語り手は次のように言っていた。

 尚、まだまだ若い二人でございますから、浮かれるなというほうが無理なこと。

 この二人に人気に溺れるな、と言っても無理であろう。特に喜久雄の方には、歌舞伎界以外の人間関係がある。その上、喜久雄には半二郎が貯めておいてくれた大金がある。ドラマが展開するタネに事欠かない。

朝日新聞夕刊連載小説・津村記久子作・内巻敦子画『ディス・イズ・ザ・ディ 最終節に向かう22人』第16回2017/4/21  第3話 三鷹を取り戻す⑤(第3話 最終回)

あらすじ
 貴志と松下は二人並んで、三鷹と弘前の試合を観始める。松下は、自分が応援している弘前の順位も知らなければ、PKさえはっきりとは分かっていないようだった。それなのに、楽しそうに弘前を応援している。また、一試合だけケーブルテレビで三鷹の試合を観て、その試合に勝った三鷹を強いと言う。
 そんな松下の応援ぶりが、貴志には微笑ましかった。
 試合は、後半に弘前がかろうじて一点入れ、弘前が勝利した。弘前ネプタドーレは、この最終節に勝ったので、二部からの降格を免れた。ところが、松下はそのことさえ知らなかったようで、貴志にすまなそうな様子をした。松下は、試合の後、貴志に自分のことをいろいろと話し、貴志に来シーズンも来ようよ、言った。
 貴志は、スタジアムからの帰り道で、自分は何かを自分自身から取り返したのだということを知った。

感想
 サッカーを好きになるのにも、サッカーについての情報を知らなければならないという強迫観念ようなものがある。
 興味を持ち、その興味を深めていくために、興味の対象についてより知りたいと思うのは当然だと思う。好きになったことについて、調べようと思うと、今は知識とも呼べない断片的な情報が溢れている。その断片的な情報が、実は好きなことをより好きになるのを邪魔しているのではないか、と感じる。
 松下は、サッカーについても、サッカークラブについても、情報を事前に身に付けていない。それだけに、スタジアムで物を食べ、酒を飲んで、彼の地元のクラブを応援することそのものを、楽しんでいる。
 中学生の貴志は、三鷹が地元のクラブであり、好きな選手がいたから応援していた。そういうシンプルな動機を取り戻したのだと思う。
 好きだ、楽しい、という感情は、単純なことから始まるのだ。理由づけや、その対象についてのさまざまな情報は不必要なのだ。自分の足で調べずにインターネットなどから得られる情報と、周囲の評判を取り払うことが、自分を取り戻すことに通じる、と思った。

朝日新聞連載小説『国宝』吉田修一・作 束妹・画第123回2017/5/6

 歌舞伎に限らず、名門の御曹司の強みは生まれた時から、本物、それも一流のものに囲まれていることだと思う。
 俊介が育ってきた邸で、聞こえてくる三味線の音、義太夫の節回し、舞踊の所作、どれも当代の一流のものだ。自宅での稽古場にしても、間に合わせの場などではない。本人の才能だけでなく、才能を伸ばす環境が整えられている。
 だが、御曹司には強みだけでなく弱点もある。それは、皆から「俊ぼん」と大事にされ、苦労を知らないことだと思う。
 一方、喜久雄の強みは、何よりも持って生まれた才能と容姿だ。その才能に五年間の集中的な稽古が加わって、俊介と対等の人気を得ることができたのだろう。だが、どんなに稽古を積もうが、周囲の環境の面では俊介に追いつくことはできないと思う。
 挿絵も二人の違いをよく表わしている。俊介の立場から見れば、自分だけでなく周囲へも水をやり、周囲から自分を育ててもらおうとしているように見える。

「(略)自分自身が一流になったら、なんも周りに一流のもん並べんでも済みますやろ。(略)」

 喜久雄のこの考えは、どこか間違っているように思う。自分自身が一流かどうかは、自身で決められるものではない。

朝日新聞連載小説『国宝』吉田修一・作 束妹・画第122回2017/5/5
 
 一人の劇評家の言葉で、興行会社の社長が動いた。一か八かの賭けのような南座での出演だった。初日が終わると一日にして、爆発的な人気になった。
 花井半弥と花井東一郎の役者の名がどのように、世間に知れ渡ったかが描かれている。
 人気が沸騰した裏には、花井半二郎の二人の才能と見抜く眼と厳しい稽古があった。それにしても、地道に舞台を積み重ねて得た人気とは違っていると思う。ここでも、運に操られる喜久雄の姿が見えてくる。
 人気の恐ろしさは、俊介の方が教え込まれていると思う。喜久雄は、稽古と舞台以外の芸能の世界のことを何も知らない。人気が高まれば、喜久雄の周りの多くの人々は、今までとは違う顔を見せるに違いない。そして、徳次、春江、市駒、それぞれが喜久雄の人気によって人生を変えられるのではないか。
 喜久雄は、己の人気をどう受け止めていくのか?
 
 南座の初舞台前の緊張からようやく解放されたが、次の展開にまた緊張する。

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