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朝日新聞連載小説『国宝』『ディス・イズ・ザ・ディ』の毎回ごとの感想と、読んだ本の感想を更新しています。

2017年06月

朝日新聞連載小説『国宝』吉田修一・作 束妹・画第176回2017/6/30

 『国宝』の主人公喜久雄が、生き生きとした人物として感じられる。
 小説の冒頭から第六章までは、主人公を、ヤクザの親分の息子に生まれ、その後歌舞伎役者の家に引き取られ、歌舞伎役者となって人気を得る、という極めて特異な環境と才能の人物と受け取っていた。特異な成育歴と持って生まれた才能のせいか、常識や倫理観では世間とはかけ離れた感覚の人物と感じられた。
 それが、第七章の後半から、見方が変わってきた。
 半二郎が交通事故に遭い、その代役に指名された時は、病室で寝る間も惜しんで稽古を付けてもらった。俊介が代役となっていたら、これほどの厳しい稽古をやり遂げられたろうか。
 半二郎との同時襲名が決まった時の幸子に対する喜久雄の思いは、174回の感想の通りだ。
 今回では、今までのような半二郎の指導がなくなり、懸命に演技の勉強に取り組んでいる喜久雄が描かれている。
 苦境に立たされ続けながら、自分の道を見つけてひたすらにその道に励む主人公を感じる。

朝日新聞連載小説『国宝』吉田修一・作 束妹・画第175回2017/6/29

 辻村を対象に、襲名激励会と新年会の類似172回感想を連想した。 類似の対象は辻村ではなく、喜久雄の父であった。権五郎は実の父で、半二郎は今や実の父に勝る存在だ。喜久雄は、二人の父を失うのか。

 二代目半二郎は、糖尿の気があったとある。糖尿から緑内障が悪化し、さらに、襲名を機に宴席も続いたし無理を重ねていたであろう。そうならば、この吐血は、深刻だ。命を取り留めたとしても今までのように舞台に立つことは考えづらい。
 また、襲名披露の会場へさえ姿を現していない俊介も、父のこの状態を見過ごすことはできないに違いない。

朝日新聞連載小説『国宝』吉田修一・作 束妹・画第174回2017/6/28

 幸子に、不満を思いっきりぶっつけられた喜久雄は、言い訳は一言もせずに、次のように言っていた。

 「女将さん‥‥‥。よう分かりました。もう、そんなに苦しまんでええですわ。‥‥‥辞退します。旦那はんにも、ちゃんとそう言いますわ」(169回)

 ここには、喜久雄の気持ちがよく表れている。喜久雄は、自分の襲名を望んでいないはずがない。だが、幸子を苦しませることは、なによりも嫌なことだったのであろう。
 喜久雄のこの言葉が、幸子の不満を解消し、覚悟を決めさせた。このやり取り以来、幸子を中心に、「白虎」「半二郎」の同時襲名へ向けて、丹波屋一家は一丸となって襲名披露興行へ向けて取り組んでいる。
 このときに、喜久雄は初めて半二郎と幸子の真の息子になれたと思う。

朝日新聞連載小説『国宝』吉田修一・作 束妹・画第173回2017/6/27

 いつも崖っぷちにいるのが、喜久雄だ。
 父が襲撃された時に出ていけば、どうなっていたかわからない。それを、徳次とマツが止めた。
 長崎の映画館で中学生のワルたちに襲われたときは、徳次がいなければ、大怪我をするか、警察に捕まったかだろう。
 宮地の大親分を襲った時は、捕まって鑑別所に入れられただろう。それを、尾崎が救った。
 歌舞伎役者として舞台に立つようになってからも、何度も人気が下火になりそうになった。それを、半二郎の事故や病気や、俊介の出奔によって免れた。
 だが、襲名の舞台を前にした今が一番の崖っぷちに立たされているように感じる。
 半二郎の健康も、俊介の動向も危うい。さらに、今回の最後の長い一文の意味するところは?

このころすでに役者と裏社会の関係が取り沙汰されておりましたが、(略)そこには彫り物のある若者ではなく、芸道に励む若者がいたのでございます。

 
「芸道に励む若者」という喜久雄のイメージは、当時の芸能記者や周囲の関係者によって作られたもの、という意味にとれる。そして、それは逆に動き出すと、実子俊介を追い出した「彫り物のある若者」となる危うさを秘めている。

朝日新聞連載小説『国宝』吉田修一・作 束妹・画第172回2017/6/26

 第一章料亭花丸の場の新年会を思い出させる場面だ。長崎の料亭花丸は、喜久雄の亡き父権五郎が勢いの絶頂にあり、そこから奈落の底へ突き落とされた所だった。今回の東洋ホテルは、辻村が場を取り仕切り、その場の主役であるはずの喜久雄をまるで息子のようにぞんざいに扱っている。
 頂上に立つ者は、常にその座を狙われるであろうが、辻村にもかつての権五郎のような悲運が待ち構えているのであろうか。

 三代目半二郎を襲名する喜久雄は、半二郎からの厳しい稽古によって身に付けた芸と俊介との共演であった『二人道成寺』によって、世に知られる役者になった。
 次に、半二郎が交通事故に遭ったことから半二郎の代役をやり、世間に注目されて更に人気を得た。
 さらに、俊介の出奔と半二郎の眼の病によって、半二郎の名を継ぐこととなる。
 いくら、人気の出る出ないは、運に左右されるとしても、このままであれば、全てを半二郎と俊介次第の役者人生になってしまう。歌舞伎役者として、喜久雄なりに壁にぶち当たることや、喜久雄自身の転機がなければ、後世に名を残す役者にはなれないと感じる。

朝日新聞連載小説『国宝』吉田修一・作 束妹・画第171回2017/6/25

 敗戦後の昭和の風潮として、人間の生き方は運命に支配されている、というとらえ方は流行らなかった。その逆で、人は夢をもち努力すればどんなことも成し遂げられる、というとらえ方の方が歓迎された。
 『国宝』を読み継いできて次のように思う。
 運が全てを決めるからと、何もせずに運頼みの生き方をするなら、運ではなく、他人の言いなりになってしまう。
 一方、自分の目標と努力が全てを決めると考えるなら、失敗や挫折の度に自分を責め、生きることに疲れ切ってしまう。
 運命と自己決定は、生きていくことをどの面から見るか、だと思う。そして、『国宝』は、人を運命の面から描いている。

 ラジオ番組で、萩本欽一が片岡鶴太郎へのインタビューで、次のような趣旨の発言をしていた。
 自分の今までの芸能人生はすべて運が決めた。運というのは、結局は人との出会いだ。
 また、片岡鶴太郎は、次のようにも言っていた。
 自分が芸人に初めて弟子入りをした時に、その時の師匠から、お前はもう今日から堅気の人間ではなくなる、と言われ、うれしかったことを覚えている。
 『国宝』は、芸人の表面だけでなく、芸人、役者の全体像を描いていると思う。

 物語が、大きく動きそうな断片がいくつもある。
①襲名披露が無事終われば、幸子が言った通り、俊介の歌舞伎役者としての道は絶たれる。
②激励会ということは、襲名披露はまだか?
③辻村将生の名が出てきた。
④源さんはいるのに、徳次がいないのは?
⑤唐突に半二郎の聴覚が敏感になったことが出てきた。
 半二郎の耳は、大勢のざわめきの中から何かを聴き取るのであろうか?

朝日新聞連載小説『国宝』吉田修一・作 束妹・画第170回2017/6/24

 もしも、喜久雄が常識も経済観念もある男だったら、幸子はこんなふうに胸の内をぶちまけはしなかったと思う。 
 世の中が、常識と分別がある人ばかりでは息が詰まる。喜久雄が隙だらけで、女性関係についてもだらしのない男だから、幸子のようなしっかり者が思っていることをぶつけられるのだ。
 幸子は、もうすっかり腹を決めていながら、喜久雄に無理をふっかけたのだ。
 幸子は、マツに負けず劣らずしっかりしているし、大胆に行動する。
 私の読み落としかもしれないが、俊介が幸子の実子かどうかは明らかになっていない。俊介が先妻の子であるなら、幸子とマツはますます共通するところがある。
 
 出奔した俊介がどうなるか、読者に予見をもたせることがいくつかある。
①春江と共に消えた。
②俊介は、地方巡業で辻村とつながりをもっていた。
③小野川万菊の舞台を観たときの、喜久雄と俊介の観方の違いが二人の人生を狂わせたとの表現がある。感想95回その2  感想 95回
 俊介が役者の道を閉ざされる展開になるとは、私は思えない。

朝日新聞連載小説『国宝』吉田修一・作 束妹・画第169回2017/6/23

 今日の挿絵が、幸子の内面を見事に表現している。いくら言っても、半二郎は黙して語らずだし、女将の立場では、愚痴を言って回るわけにはいかないだろう。その苛立ちが溜まりに溜まってしまったというところだ。
 また、喜久雄は、そういう本音を受け止めてくれるという印象を与える人柄なのだと思う。

 ただし、喜久雄が襲名を辞退しても、半二郎がいつ舞台に立てなくなるかもしれない今は、本質的な解決にはならないと思う。

朝日新聞連載小説『国宝』吉田修一・作 束妹・画第168回2017/6/22 

 幸子の思いは、複雑だ。
①代役が喜久雄だと聞かされたときの幸子は、それを信じられず、半二郎に食ってかかろうとした。(140回)
②俊介が置手紙を残して消えたときの幸子は、茫然自失となった。そして、俊介から連絡がないままの月日は、幸子の顔に皺を、美しい黒髪に白髪を増やした。(150回)
③俊介が出奔してから、幸子は喜久雄に「あの子の気持ち考えたら、アンタのせいやないと分かってても、まともにアンタの顔見られへんねん」と言う。そのこともあって、喜久雄は半二郎の家を出てマンション住まいをするようになった。(153回)
④喜久雄と市駒の二人の間に立って世話を焼いた。また、喜久雄の出演舞台のために初日には劇場入口に立ち、御贔屓筋に挨拶に回った。さらに、一人暮らしを始めた喜久雄の世話の手配をした。俊介が出奔し、喜久雄の顔をまともに見られない、と言った幸子だが、喜久雄のためにこれだけのことをしていた。(160回)
 夫の半二郎は、息子俊介への思いを、幸子に詳しく話すことがない。半二郎は、自分の襲名のことと、丹波屋の跡取りのことで悩んでいる。幸子はそんな半二郎のことを心配し、それ以上に俊介と喜久雄の板挟みになっていると感じる。

朝日新聞夕刊連載小説・津村記久子作・内巻敦子画『ディス・イズ・ザ・ディ 最終節に向かう22人』第23回2017/6/16 第五話 篠村兄弟の恩寵(おんちょう)①

あらすじ
 靖(兄)と昭仁(弟)の兄弟は、奈良FCを応援し、いつも試合を観に行っていた。昭仁は、奈良FCの選手の中でも、特に窓井を応援している。その窓井が昨シーズンに伊勢志摩ユナイテッドへ移籍した。
 今年の開幕戦を、靖は今まで通りに奈良FCの試合に行くと思っていた。ところが、昭仁は窓井の移籍先伊勢志摩ユナイテッドの試合へ行くつもりだった。二人は、どちらの試合に行くかで言い争いをする。その結果、今シーズンからは、兄と弟が別の試合に行くようになった。
 靖には、付き合っている嶺田さんという人がいる。嶺田さんに、最終節の話をすると、私も行こうかな、言ってくれた。

感想
 今までの話の主人公について思い出してみる。

第一話 えりちゃんの復活
仕事にも恋愛にも行き詰った独身女性と、その女性のいとこで、引きこもりになった女子大生(えりちゃん)。

第二話 若松家ダービー
両親と違う考えを持ち始めた子と、家族(若松家)から離れていく息子を心配する母親。

第三話 三鷹を取り戻す
同級生や周囲の人の目を気にして、自分の好きなチーム(三鷹)と選手のことを言い出せない男子(貴志)。

第四話 眼鏡の町の漂着
姿を消した恋人を忘れられない女性(眼鏡の香里)と、解散した過去のサッカーチームのことを忘れられない男性(誠一)。

 それぞれの話の登場人物は、前に進むことのできない状態や心配事や不安を抱えていた。そして、それらの心の重荷を、サッカー観戦、サッカークラブの応援をきっかけとして乗り越えていった。
 現代の誰にでもありそうな悩みを、誰でもがしそうなスポーツ観戦で解消する。一話一話は、現実の社会でもありそうなできごとが起き、普通の若者の姿が描かれている。
 だが、それが重なってきて、つながりをもってくると、もっと別のものが見えてくる。
 昭和の時代では、学校生活や家庭の団らんや会社での地位を上げることなどが、多くの若い人々の共通の関心事になり得た。しかし、平成の今は、そういうことはない。年代が同じでも、互いに分かり合えることの少ない今の社会で、家族や友人や恋人同士はどうなっていくのか。
 第五話を、そういう視点からも読んでみたいと思う。

朝日新聞連載小説『国宝』吉田修一・作 束妹・画第167回2017/6/21

松王丸  
①「源蔵」が匿っている「菅原道真」の若君、「管秀才」の首実検をする立場。
②忠義に従えば、かつて仕えていた「菅原道真」の子「管秀才」の命を助けねばならぬ。
③「源蔵」が「管秀才」の身代わりを出すであろうことを予測して、我が子「小太郎」を「源蔵」の寺子屋に行かせた。
④寺子屋へ「小太郎」を連れて行ったのが、母の「千代」で、「千代」も我が子が身代わりになることを覚悟していた。
 「松王丸」は、自分の役目と「菅原道真」の子「管秀才」を救うことの板挟みになる。そして、我が子の命を犠牲にして、主君の子を救うという忠義の道を選んだ。

半二郎
①我が子の俊介のライバルになるようにと、喜久雄に役者としての修行をさせた。
②自分が事故に遭ったときに、芸では我が子よりも優れていた喜久雄を、代役として指名した。
③自分が「白虎」を襲名し、俊介に「半二郎」を襲名させることが、花井の家の主としての役目である。
④目が不自由になった今、出奔中の俊介を待っていたのでは、襲名ができなくなるかもしれない。
 自分が「白虎」を襲名し、喜久雄に「半二郎」を襲名させれば、俊介の歌舞伎役者としての道を完全に閉ざすことになる。名跡を取るか、我が子を取るか、の板挟みになっている。

 役としての「松王丸」と、今の半二郎の思いは重なるところがある。演目の中の「菅秀才」と「小太郎」が、喜久雄と俊介とに、重なってくるのであろうか?

朝日新聞連載小説『国宝』吉田修一・作 束妹・画第166回2017/6/20 

 今まで一度も物語上では描かれていないが、半二郎は、喜久雄に大きな負い目を感じていることと思う。
 そして、喜久雄に負い目を感じている以上に、俊介のことを愛していると思う。
 勝手な推測ではあるが、自分の代役に喜久雄を立てたのも、ただ俊介の芸が未熟だったからではないと思う。代役を決めたのは、喜久雄がよいか、俊介がよいか、ではなくて、何かもっと大切なことのためには、喜久雄の方がよいと判断したと思う。

 『菅原伝授手習鑑』の「寺子屋」で、「源蔵」は、なによりも大切である「菅秀才」を守るために、誰かを犠牲にするしかないと悩む。
 さらに、半二郎が演ずるのは、身代わりとなった「小太郎」の実の父「松王丸」だというから、その意味は深い。また、「松王丸」の妻、「小太郎」の母の名が「千代」というのも何か縁がありそうだ。「菅秀才」と「小太郎」を、俊介と喜久雄に当てはめるような簡単なものではないであろう。
 歌舞伎役者にとって、なによりも大切なものは、実の子でも愛弟子でもなく、舞台であり、役者としての名跡なのではないだろうか。

朝日新聞連載小説『国宝』吉田修一・作 束妹・画第回2017/6/19 

 この喜久雄は、人気が出てそれがたちまち下火になった頃であろう。半二郎の代役といいながらも、主役の大舞台を踏んだこともあり、人気が下降気味としても注目されている役者だ。その喜久雄がここまで半二郎の世話をしている。しかも、その世話の様子は、気配りのある細やかなものだと感じる。
 喜久雄には、こういう面がある。常識はないし、女性づきあいは奔放だ。だが、これと決めた人にはとことん従うし、優しい。

 常識があり、倫理観もある人間は、周囲の人のことを思いやり、社会へも貢献する。さらに、自分の仕事で成果を上げる。人間についての見方で、そういう観念をどこかでもってしまっている。でも、そんなことはない。
 人付き合いは悪いが、仕事はできる。仕事はできるが、家族をないがしろにする。ルールは守らないが、人との大切な約束は守る。実生活ではだらしがないが、心根は優しい。むしろ、そういうのが人間なのだろう。

朝日新聞連載小説『国宝』吉田修一・作 束妹・画第回2017/6/18
 
 このまま半二郎が治療を受けずにいると、突然の失明もあり得る。もしも、そうなったら以前の交通事故どころの騒ぎではない、花井半二郎一門が危機的な状況になる。
 半二郎が「花井白虎」の襲名どころか、舞台に立てなくなると思うと、どうしても音信不通になっている俊介のことが気がかりになる。
 半二郎と幸子と喜久雄は、俊介の居場所をつかんでいない。だが、当の俊介の方は、父や母や喜久雄の様子を知っていると思う。それは、新聞雑誌などを通して知ることができるし、それ以上に詳しく花井の家のことと喜久雄の舞台や人気の状況を知っているような気がする。
 長崎では、逃亡中なのに、徳次は喜久雄の動きを詳しく知っていた。それは、春江を介して知ったのだと思う。
 出奔した俊介のそばには、春江がいるし、花井一門のことは徳次がよく知っている。春江と徳次を介して、俊介に実家の様子が詳しく伝わっていると想像した。

 俊介に春江がついていることから、俊介が逃げ出したままで終わるような人物とはどうしても思えない。

朝日新聞連載小説『国宝』吉田修一・作 束妹・画第163回2017/6/17

 主人公が急に身近な存在になった。

「嘘やろか? 嘘ちゃうよな?」

 半二郎の養子になり、三代目半二郎を襲名したい、そうすればもっといい役もつく。
 本来なら三代目半二郎を襲名するはずの俊介に帰ってきてほしい、そうすれば半二郎も幸子も安心する。
 この二つのどちらが本心で、どちらが嘘なのか、喜久雄自身もわからないのだろう。こんな風に迷う喜久雄に親しみを感じる。

「気休めで言うんやないんです。あの春江が一緒やったら、絶対に俊ぼんを死なせるようなことはしませんから」

 喜久雄が春江のことを、恨んだりせずに、こう思っているところも共感できる。

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