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朝日新聞連載小説『国宝』『ディス・イズ・ザ・ディ』の毎回ごとの感想と、読んだ本の感想を更新しています。

2017年06月

朝日新聞連載小説『国宝』吉田修一・作 束妹・画第162回2017/6/16 

 描写は深入りしなかったが、どうも次の二つのことが伝わってくる。
①喜久雄は、女性に対して自分が男性であるということを誇示しようとしている。少なくとも、赤城洋子に対しては。
②喜久雄は、歌舞伎の舞台の香や香水に強い反応をする。これは、感覚だけのことではないかもしれない。

 喜久雄は、何かに悩むという様子をほとんど見せたことがない。喜久雄が物事を考える質でないのかもしれないし、そういう面を描いていないのかもしれない。
 長崎の頃、春江の母のスナックで、脱走してきた徳次と話しいる場面があった。その時の喜久雄は、煙草の箱で作った傘を弄んでいた。あの時の喜久雄は、迷っているというか、気持ちを決めかねている気配があった。
 今回の洋子とベッドにいながら、養子のことを話す喜久雄にも、迷いが感じられる。
 
 養子の件は、襲名につながる。襲名は、第七章の題名「出世魚」につながるのか?

朝日新聞連載小説『国宝』吉田修一・作 束妹・画第161回2017/6/15

 洋子の前にも、春江と市駒だけではない女性経験をもつと思われる喜久雄だが、こういう迫り方をされるのは初めてだろう。
 喜久雄は、十七の時の初舞台で次のように感じている。

(略)何よりも舞台に漂っていた香の甘い香りが甦りまして、喜久雄は思わずそばにあったつい立ての裏へ身を隠そうとしたのでございます。と言いますのも、まるで夢のなかで精を放ってしまったような、人目を憚るほどの恍惚感が(略) (103回)

 舞台の香ではないが、香水の香り、そして、下にあるように妙に動揺している描写、これは喜久雄の心理の奥にある何かが姿を現すのではないか。

自分の口調に怒気が混じっていることに喜久雄も気づいてはいるのですが、

朝日新聞連載小説『国宝』吉田修一・作 束妹・画第160回2017/6/14

 前回に感じた以上に不思議で、そして、これこそが喜久雄の個性だといえることが今回に書かれている。
 育ての母のマツがいかに喜久雄へ愛情を注いできたかは、繰り返すまでもない。
 喜久雄が半二郎の代役を務めてからも、幸子はますます喜久雄の面倒を見ていた。しかも、俊介が出奔してからも、以前に変わらず喜久雄を助けている。幸子は、マツに次いで二人目の育ての母といえるほどだと思う。
 喜久雄が生みの母とは早くに別れたのに育ての母に恵まれたのは、マツと幸子という母性の豊かなしっかり者の女性と出会えたからである。それと同時に喜久雄は、母として愛情を注がずにいられない何かをもっていると感じた。

朝日新聞連載小説『国宝』吉田修一・作 束妹・画第159回2017/6/19

 喜久雄が突拍子もない生き方をする主人公であることは、もう十分にわかっていた。それにしても、昭和のこの時代を生きる男しては、いくら人気が出た歌舞伎役者としても、この女性関係には驚かされる。 
 女遊びが盛ん、なんていう生半可なもんじゃない。春江も中学生の喜久雄から離れられなかった。市駒も人気が出る前の喜久雄を一目で生涯の男と決めた。今は春江とは続いていないようだが、市駒がいながら女優の赤城洋子ともいい仲だ。もてるというか、とにかく魅力がある男なんだろう。

 映画スターとか人気役者の女性関係はこういうもんだと、他人事に考えてきたが、喜久雄については、どうしてそんなに好かれるのか、またたくさんの女性にとことん好かれることが、本人にどんな影響を与えるのか、知りたくなってきた。

朝日新聞連載小説『国宝』吉田修一・作 束妹・画第158回2017/6/11

 喜久雄の個人的な生活の細々したところは、相変わらず徳次が面倒を見ている。今や、人気役者となった喜久雄の表には出したくない部分の尻拭いの全部を徳次がしているようだ。
 また、歌舞伎役者としては、芸の指導は無論のこと、半二郎があらゆることの面倒を見ているのであろう。
 喜久雄の役者としての活動は、半二郎と徳次なしでは成り立たないと思う。それでは、市駒と娘の綾乃の存在は、役者としての喜久雄の励みになっているのであろうか、それとも妨げになっているのであろうか?

 この回では、語り手が手っ取り早くしばらく登場しなかった市駒のその後を説明した。出奔した俊介と春江のことも、近い内に語り手がその後の事情を明かしそうな気がする。

朝日新聞夕刊連載小説・津村記久子作・内巻敦子画『ディス・イズ・ザ・ディ 最終節に向かう22人』第22回2017/6/9 第4話 眼鏡の町の漂着⑥ 第4話 了

あらすじ
 鯖江アザレアSCと倉敷FCの試合の前半は0-0だったが、終了間際に鯖江が得点し勝った。
 誠一が応援していて、香里が注目した倉敷の野上選手は後半に入り運動量が落ち、浦野という選手と交代する。この浦野が倉敷の若い選手に抜かれて、得点を許してしまう。浦野は、チームが敗れるとピッチに座り込み動かなくなってしまう。浦野を迎えにきたのが、野上だった。野上は、浦野の横に座って肩をだいて、揺すった。
 香里は息を詰めてその様子を見つめていた。
 倉敷は鯖江に敗れたが、他会場の結果から昇格プレーオフに回ることになった。誠一は、それを大型ビジョンで知る。そして、野上がもしも引退しても、自分は倉敷の試合を観続けるであろうと思い始める。このことで、ヴィオラというクラブが消えて以来、自分の行き場のなかった何かが、出口のようなものを見つけた心地がした。
 香里は、コンコースを歩きながら、マスコットのつつちゃんに挨拶していこうとマスコットたちの方へ進んだ。その通路で、一時は必死に捜していた吉原さんを見つける。吉原さんは、腕を伸ばせば届く距離を歩いている。しかし、香里は吉原さんの背中を見送った後、マスコットのさばおくんとつつちゃんのところに向かう。香里が、つつちゃんに、シーズンの間ありがとう、また来ますね、と言うと、つつちゃんは、そっと香里の背中を抱いた。
 つつちゃんのそばを離れた香里は、見覚えのある人(誠一)を見かけて、倉敷残念でしたね、と声をかける。
 眼鏡の女性(香里)は、誠一に、携帯で野上選手が引退しないというニュースを見せてくれる。誠一は、野上のことを知り、自分は自分の時間が進むことを許していいのだ、とやっと思えた。

感想
 
前回の感想では、香里と誠一の気持ちは分かるが、その気持ちとサッカー観戦とがどう結びつくのか分からない、と書いた。今回を読み、その疑問が消えた。
 若い世代が、野球に、プロレスに、テニスやバレーボールに、夢中になった時期があった。また、スポーツだけでなく、グループサウンズに、アイドルに、熱中した時期もある。芸能以外でも、時代が違えば、学校生活が、恋愛や友情が、地域の祭りが、若い世代に共通する興味関心の対象となった。
 今は、世代に共通する興味関心の対象が多様なのだろう。そして、今の若い世代の興味関心の対象の一つにサッカー観戦があるということが分かる。

 第1話から第4話までで、第4話が一番おもしろかった。
 主人公二人が、互いに名前も知り合うこともなく終わる。香里の前から消えたモトカレの消えた理由も、そのモトカレを見つけながら声もかけなかった理由もはっきりしない。誠一が、解散したクラブのことがずっと忘れられなかった理由も、その過去のクラブへの思いから抜け出せると思った理由もはっきりはしない。
 それなのに、香里と誠一が今までの自分とは違う自分を発見したことが伝わってくる。二人は、なんとなく引かれ合っている。今後付き合うようになるかもしれない。そうならなくとも、それぞれが、自分の方法でサッカー観戦を楽しむだろう。
 サッカー観戦を自分のやり方で楽しめるということは、自分の人生を自分なりの生き方で進んいくことにつながると思う。

朝日新聞連載小説『国宝』吉田修一・作 束妹・画第157回2017/6/10

 人好きがする、なぜか憎めないという人はいるものである。徳次がそうであろう。けんかっぱやいし、嘘はつくし、騙されるし、信用のできない男だ。だが、なんともおもしろい奴だ。
 喜久雄は、常識がないし、若いながら苦労しているとしても半二郎のような苦労人にはなれそうもない。だが、人気が出る資質と運を持ち合わせている。
 マツも半二郎も春江も徳次も、喜久雄のことをいつも思っている。喜久雄は、周りの人を理由なく惹きつける男なのだろう。徳次が呼び出した件も、別の人物との関わりなのだろう。たぶん、春江でも赤城洋子でもない女と何かがあるのだろう。

朝日新聞連載小説『国宝』吉田修一・作 束妹・画第156回2017/6/9

 半二郎のカッコよさをまた感じる。
①喜久雄が大阪に来る前から、義太夫の師匠に稽古を頼んであった。
②マツからの仕送りを貯めていて、頃合いを見計らって縁起のいい金額にして喜久雄に通帳を渡した。
③徳次の映画出演のことを聞き、大部屋俳優として雇い入れた。
④俊介の出奔に動じなかった。
 今までの半二郎がしたことには、深い配慮と厳しさと優しさがにじみ出ていると思う。そして、今回もまた憎いほどの言い回しだ。

「喜久雄、お前のことはもう諦めた。これはな、お前が真人間になるのはもう諦めたっちゅう意味や、分かるか?」

 語り手の言葉を聞かないと誤解しそうだが、正に喜久雄の本質を見抜き、ますます役者として育てようという半二郎の心の内だと感じる。

 そして、半二郎と同様にマツは、義理も人情も備わった味のある人だと感心した。
 一時期の人気とはいえ、今やマスコミにも騒がれた喜久雄に、より上の目標を突きつける。そして、マツ自身は自分の生きる道を自分で立てている。
 春江は大阪に出て来てから、喜久雄に頼った暮らしはしていなかった。それどころか、長崎から出稼ぎに来ている人たちを相手に郷土料理を作って、ちゃんと稼いでいた。
 喜久雄の常識のなさに比べて、マツと春江は常識もあり、人情もあり、そして強い人として描かれている。

朝日新聞連載小説『国宝』吉田修一・作 束妹・画第155回2017/6/6

 半二郎が、喜久雄のことをどう見ているかが、前回と今回に書かれている。
 喜久雄を今のまま東京に出しても潰れる。先が長いのだから、今潰したくはない。ここには、半二郎が喜久雄の実力を見抜いている面と、歌舞伎役者として大切に育てたいという強い気持ちが感じられる。(154回)
 今日の回からは、半二郎の世話になりだしてから今まで、喜久雄は半二郎を落胆させるようなことをしなかったとある。刺青の件でさっさと高校を辞める、俊介と一緒に祇園で遊ぶ、天王寺村の芸人横丁に出入りする、などなど心配されそうなことはあった。だが、それにもまして芸の稽古に精進していたから、半二郎は、喜久雄のことを認めていたのだろう。
 その喜久雄が、決して逆らうことなどできない半二郎を落胆させた。その理由は、人気ゆえか、それとも俊介と春江のことだろうか?

朝日新聞夕刊連載小説・津村記久子作・内巻敦子画『ディス・イズ・ザ・ディ 最終節に向かう22人』第21回2017/6/2 第4話 眼鏡の町の漂着⑤

あらすじ
 マスコットのつつちゃんのいる屋台で、誠一が買い物のために並んでいるとバスの中で話した眼鏡の女性が現れる。誠一は、屋台の前でも、その女性と言葉を交わす。
 自分の席に戻った誠一が思うことは、これから始まる試合のことではない。十七歳の時に観たヴィオラの最終試合のことだった。ヴィオラの最終試合からの月日で、誠一は、大学に合格し、好きな人ができその人と別れ、就職をするなどいろいろなできごとを経験した。でも、誠一の半分は、いつもヴィオラの最終試合のスタジアムにいると考えている。
 香里は、偶然会った男性が好きだと言っていた野上選手に注目して試合を観ている。サッカーにくわしくない香里だが、野上選手が、とてもいい選手だとわかるようになった。

感想
 
第4話の二人の気持ちがわかるようで、まだわからない。
 サッカーの試合を観ることが好きで、好きなサッカークラブを応援するのが楽しい。それは香里も誠一もその通りなのだろう。だが、鯖江と倉敷に勝ってほしいとそれぞれが願っているかというと違うようだ。
 サッカーが好きで、スタジアムに通っているというよりは、それぞれが消えてしまったものを追い求めていることの方が強いと感じる。
 消えてしまったものに、とらわれ続けるのはわかる。でも、それがサッカーの応援という行動につながるのが、どうもよくわからない。

朝日新聞夕刊連載小説・津村記久子作・内巻敦子画『ディス・イズ・ザ・ディ 最終節に向かう22人』第20回2017/5/26  第4話 眼鏡の町の漂着④

あらすじ
 誠一は、解散したヴィオラ西部東京の最終試合のことが未だに忘れられない。それは、雨の中での負け試合だった。そのヴィオラの終わりは、誠一には永遠だった。
 ヴィオラが解散してからは、野上選手をずっと見てきている。その野上選手も、この最終節で引退する。
 そんな話を、携帯を見せてくれた隣の席の眼鏡の女性に誠一は話す。自分の話ばかりしたことに気づいた誠一は、その女性に、好きな選手がいるのか?それともチーム自体が好きなのか?とたずねる。
 その女性は、選手もチームも周辺もわりと好きだが、マスコットをすごく好きと答える。

感想
 
誠一は、過去の失われてしまったことに、ずっととらわれ続けている。過去の失われてしまったことというと、オーバーに聞こえる。だが、好きで応援していたチームの消滅を忘れられないで、そのチームに所属していた選手の移籍先をずうっと追い続けているのは、過去を追い求めていることになると思う。
 私は、誠一と同じ年頃には常に新しいものを追い求めてきた。昭和の雰囲気は、そういう傾向が強かった。無くなってしまったものを追い求める今の青年と、私と同年代の青年の違いをはっきりと感じる。

 消滅したチームを追い求めて、そのチームに所属していた選手の引退を見に来ている誠一。消えてしまった恋人を追い求めて、チームのマスコットを大好きという香里。この二人、なんとなく共通点がある。

朝日新聞夕刊連載小説・津村記久子作・内巻敦子画『ディス・イズ・ザ・ディ 最終節に向かう22人』第19回2017/5/19 第4話 眼鏡の町の漂着③

あらすじ
 誠一は、倉敷FCのディフェンダーの野上を観るために、スタジアムに来ていた。携帯で倉敷のスターティングメンバーを確かめようとしたが、バッテリー切れなので、シャトルバスで偶然隣に座った女性に携帯でスタメンを見せてくれないかと頼む。その見知らぬ眼鏡の女性は、快く誠一の頼みに応じてくれる。
 誠一は十四歳の時から、野上を頼もしい選手だと感じていた。そのころの野上選手は、一部リーグのヴィオラ西部東京に所属していた。そのヴィオラ西部は、十七年前に解散した。誠一にとっては、ヴィオラ西部の解散は大きな出来事だった。

感想
 小中学生の時に好きになったことを、その後も途切れることなく続けた経験がない。小中学生の頃に好きだったことは、その後もずうっと好きだが、たいていは興味関心に中断があったり、中断の後の復活があったりする。
 スター選手とはいえないサッカー選手を二十年も応援し続けることや、既に解散したサッカーチームのことをいつまでも忘れないという嗜好は、いわゆるオタクとされる傾向なのかもしれない。
 誠一が、野上を応援し続け、解散したクラブを忘れられないのには何か原因や理由があるのだろうか。

朝日新聞連載小説『国宝』吉田修一・作 束妹・画第154回2017/6/7

 歌舞伎役者としての喜久雄の本当の力が、だんだんに分かってきた。いかに、稽古に打ち込もうと、たかだか四年になるかならないかの経験では、人気が出てもこんなものなのだろう。
 そうなると、その経験不足の喜久雄よりも、俊介の芸の力はもっと不足しているということか?どうもそうは思えない。喜久雄を代役にした半二郎の真意が明かされるときがくるのであろうか?

 舞妓の市駒と、三友の新入社員で喜久雄と喧嘩をした竹野の二人がその後登場しない。この二人も、これからの喜久雄にからんできそうだ。

朝日新聞連載小説『国宝』吉田修一・作 束妹・画第153回2017/6/6

 今日の挿絵は、舞台用のかつらと小道具に見える。だが、興行面の思惑だけで、動かされている喜久雄の姿と見ればそうも見える。全ての物事は、視点によって全く違う様相になると思う。
 もしも、喜久雄の心情を軸にこの物語を描くならば、出奔した俊介と、それ以上に春江のことに悩む喜久雄が浮かび上がってくる。さらに、人気が出たことを喜ぶ感情や、人気に翳りが出てきて、それを何とか回復しようとする思いなどが見えるだろう。
 小説『国宝』では、喜久雄を取り巻く人々の思いと喜久雄の行動だけが描かれている。喜久雄の『二人道成寺』の人気は、劇評家と興行会社社長がつくったものだ。さらに、『曽根崎心中』で人気が高まったのは、半二郎の事故なしでは考えられない。その人気が一時のものであったのも、興行面だけを考えた喜久雄の起用から生じている。
 この視点からは、本人には何の希望も悩みもなく、ただただ運命とでも呼ぶべきものに翻弄される喜久雄の姿が描かれている。
 それなのに、喜久雄の心情や意思が伝わってくる。不思議だ。
 私が、今までに読んだ小説は登場人物の心情、心理に視点を置いたものが多かった。しかし、それは人間の一面のみに視点を置き過ぎているのかもしれない。そんな気さえしてくる。

 私自身のことまで、考えさせられる。
 自分の人生は、自分で切り拓くものだと思い込んでいた。自分の進路は、自分で選択するのが正しいと思っていた。振り返ってみて、そうだったろうか?自分が考えて選択したと思っていたが、本当にそうだったろうか?
 結果として、良かった選択も、悪かった選択も自分で決めたことだと思い、周囲からもそう言われた。しかし、視点を変えるなら、そこに自分の意思がはたらいた領域はごくごく狭かったとも思う。

第126~150回 第六章 曽根崎の森の道行 あらすじ

 楽な儲け話があると北海道へ向かった徳次と弁天だったが、その話は全く違っていて、二人は辛い労働をさせられる。騙されたことに気づいた二人は、出発から一月後には北海道の飯場を逃げ出す。無一文の二人だったが、見ず知らずの人たちの恩義に頼りながらどうにか大阪まで辿り着く。
 大阪に戻った徳次は、北海道でもらい損ねた給金を手に入れられないかと大阪の福祉センターに陳情に行く。二人が福祉センターに乗り込んだときに、ちょうどそこではドキュメンタリー映画を撮影していた。たまたま陳情に来た徳次と弁天の話と姿は、このドキュメンタリー映画のフィルムに収められる。この清田監督のドキュメンタリー映画は、テレビでも放映され、反響を呼ぶ。それが、縁となって、清田監督は、徳次を次のリアリズム映画の主役に抜擢する。徳次主演の映画は、全国七カ所で上映される。その後は、徳次に映画俳優の仕事が来ることはなかったが、このことが半二郎の耳に入り、半二郎の計らいで、徳次は、大部屋俳優の一人として雇い入れてもらった。

 大阪で、また一緒になった喜久雄と徳次のところに、半二郎が交通事故に遭ったという知らせが飛び込む。幸い半二郎の怪我は命にかかわるようなものではない。だが、複雑骨折をしているので、次の舞台である大阪中座の『曽根崎心中』には、半二郎の代役を立てなければならない。妻の幸子は、当然息子の俊介が代役に指名されると思っていたが、半二郎は喜久雄を自分の代役に指名する。幸子も俊介も驚き落胆する。俊介は一度は激しく怒るが、父の決めたことと諦め、喜久雄に協力すると言う。
 舞台稽古までの三日三晩寝る間も惜しんで、半二郎の病室で、喜久雄の一心不乱の稽古が続いた。
 実子の俊介がいるのに部屋子の喜久雄が半二郎の代役になったことは、スキャンダルとなり世間の注目を浴びる。
 舞台稽古では、座頭の生田庄左衛門が、代役の花井東一郎(喜久雄)にどんな評価を下すかと、俊介はじめ関係者一同がかたずをのんで見守っている。稽古は、何事もなく進み、休憩に入る。そのときに、庄左衛門が、喜久雄に「初役のわりには、よう入ってるわ。」と声をかける。これは、まぎれもないお褒めの言葉だった。これを聞いた関係者は、口を合わせて喜久雄の芸を褒める。それは、実子の俊介よりは、喜久雄の方が芸が上という評判となってたちまちに広まる。
 中座での公演は、マスコミも大注目し、古い世襲制度を破った素人の子花井東一郎は、時代の寵児と祭り上げられる。この公演中は、俊介は喜久雄との『二人道成寺』を必死に舞い、喜久雄はその後、『曽根崎心中』の「お初」を無我夢中で演じた。
 客は大入り、劇評は絶賛で、中座での公演が終わる。その翌朝、俊介は、置手紙を残して半次郎の邸から消える。
 それ以来、俊介の出奔から数年が流れた。俊介だけが消えたのではなく、春江も姿を消していた。

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