2017年09月

朝日新聞連載小説『国宝』吉田修一・作 束妹・画第266回2017/9/30

 風向きが変わって来たように感じる。竹野の思惑通りには進んでいない。
 この劇評では、半弥よりも万菊の方が高く評価されている。それに、竹野や万菊は、俊介復活の演目としては、『加賀見山旧錦絵(かがみやまこきょうのにしきえ)』の方を重視していたのではないかと思う。
 やはり、喜久雄が『娘道成寺』を観ただけで劇場を去ったのには何かわけがありそうだ。

朝日新聞連載小説『国宝』吉田修一・作 束妹・画第265回2017/9/29

 三代目半二郎の反応は、見事だった。

「そんなわけないだろ!」
 そう叫び返そうとした自分の声が、たった今、駐車場に反響した記者の声と、まるで一緒なのでございます。
 俺は、役者だ。こんなところであんな声出してたまるか。


①出そうとした声を、出す前に聞いている。
②興奮しているにもかかわらず、その声の調子を分析している。
③声に出すことを自制している。

 三代目さん、こういう時は、何もせずにいつも通りにしているのも芸の内ですよ。特に、記者連中にはね。

朝日新聞連載小説『国宝』吉田修一・作 束妹・画第264回2017/9/28

 なぜ、喜久雄は、幕が降りるまで観続けなかったのか?
 俊介への「劇場を揺るがすほどの拍手」を聞くのが、悔しかったのか?
 地下駐車場でこれから起こる事が、今後を動かすのか?

 そして、今回だけでは分からない疑問が湧く。俊介の今の舞台は、俊介が言っていた「本物の役者」の舞台なのか?

朝日新聞連載小説『国宝』吉田修一・作 束妹・画第263回2017/9/27

 見世物小屋での俊介は、身震いするような冷気を、舞台から客席へ吹かせていた。竹野は、その演技に、まるで見ている自分までその臭ってくるような恨みに呑(の)み込まれてしまいそうになった。(230回)

 万菊は、俊介に向かって、「(略)‥‥あなた、歌舞伎が憎くて憎くて仕方ないんでしょ」と言った。(240回)

そして紛れもなくこの凄(すさ)まじい緊張感の源泉は俊介であり、とてつもなく危険な何かが、そこで踊っているのでございます。

 
恨みと憎しみがそこにはあると思う。

朝日新聞連載小説『国宝』吉田修一・作 束妹・画第262回2017/9/26 
 
 「白虎」を襲名したいという二代目半二郎の願いのために、幸子は、我が子俊介のことを諦めた。
 役者への修行に励む喜久雄のために、春江は、故郷と母を捨てた。本物の役者になりたいと御曹司の立場を捨てた俊介のために、春江は、喜久雄を捨てた。

 その幸子と春江は、俊介と一豊のために、喜久雄と綾乃を切り捨てるしかないのだろうか?

国宝 あらすじ 226~250回 第十章 怪猫

 三友本社から出向して、大阪のテレビ局にいる竹野は、同僚に教えられて、山陰の温泉街の見世物小屋の芝居を見に行く。そのわびしい舞台の化け猫の演技に、竹野は釘付けになる。
 化け猫を演じた役者の楽屋を訪れた竹野が、目にしたのは出奔していた俊介の姿だった。

 東京で体調を崩し、舞台に立てなくなっていた喜久雄は、京都の市駒と娘綾乃の所で暮らし始める。娘と遊ぶ時間を過ごした喜久雄は、頭も体も若返ったように感じる。喜久雄は、徳次と市駒に東京の歌舞伎の舞台に戻る決心ができたことを言う。

 竹野は、俊介の歌舞伎の舞台復活をテレビで特集するという企画を立てる。その企画のために、小野川万菊の力を借りようと、万菊を、例の温泉街の見世物小屋へ連れて行く。
 見世物小屋で、化け猫を演じる俊介の芸を見ながら万菊は、観客席で舞台上の俊介と共演しているような所作をする。

 東京に戻った喜久雄に、俊介が発見されたと知らせが入る。喜久雄と再会した俊介は、自分のいなかった間の詫びを言うが、どこか冷たさを感じさせる。その俊介が、出奔している間に子ができたと告げた。俊介との短い再会を果たした喜久雄は、春江がいるという帝国ホテルへ向かう。そこには、母となった春江と、春江と俊介の子一豊の姿があった。

 俊介の復帰の舞台が決まる。俊介は、明治座で、万菊と共演することになっている。喜久雄の方は、以前よりはいい役が付くようにはなっているが、主役級の役は付かない。
 万菊との稽古に励む俊介を目の当たりにした喜久雄は、「ここから這い上がれよ」と自身に叫ぶ。そんな悔しさを噛み締めている喜久雄のもとに、吾妻千五郎の次女彰子が現れる。

この番組の最後、佐渡アナウンサーは次のような質問をいたします。


「この十年、何を考えていたか?」と。


 に応えて俊介は、「なんで自分は丹波屋の跡取りに生まれたのかと、そればかり考えていた」と答えたのでございます。

 
「跡取り」という言葉は、平成の今は価値のあるものに感じられない。
 昭和の戦後、庶民の生活で大きく変化したものに、「跡取り」がある。遺産相続の法律が庶民の間にも定着して、親の遺したものを長子が跡取りすることが不可能になった。
 だが、歌舞伎役者の世界や、一部の職種では、それが今も残っている。「跡取り」という制度と考え方を過去に戻すことは不可能だが、動産や不動産だけが「跡取り」の対象ではないことを考えさせられる。

 80、90歳まで歌舞伎ができたらいいなあと思います。
 「人間国宝」と、宝みたいな言い方ですが、先人から教わってきたことを次の代に伝え、育てなさいということですね。

(朝日新聞記事「語る 人生の贈り物 歌舞伎俳優 中村 吉右衛門」2017/7/28)※中村吉右衛門は、2011年に歌舞伎立ち役で人間国宝に認定。

 竹野は、ある程度、俊介と喜久雄の今までの事実を知っているはずだ。だが、それには目をつぶり、喜久雄を、丹波屋を乗っ取った悪役に、俊介を、身を隠して芸を磨いていた丹波屋の正統の後継者に仕立てようとしている。
 では、竹野は悪意の興行師、テレビマンか?そんなことはない。俊介の化け猫の芸を発見したのは、竹野だ。たとえ、化け猫の芸で、歌舞伎の舞台に俊介が復帰しても、竹野の策略がなければ、俊介は歌舞伎愛好家の中で、注目されるだけで終わったであろう。
 それどこか、竹野の悪意の筋書きは、喜久雄にも世間の注目を集めることになると思う。
 竹野は、俊介と喜久雄の救い主になる可能性を感じる。

朝日新聞連載小説『国宝』吉田修一・作 束妹・画第261回2017/9/25

 喜久雄は、俊介を追い出そうなどと思ったことはなかった。白虎が倒れてからは、必死で丹波屋を支えようとした。病に伏す白虎を実の父のように感じた。白虎が亡くなってからは、いい役もつかなくなり辛い日々を送りながらも、白虎の借金を返すために、どんな仕事でも引き受けた。また、綾乃のことを世間に隠して、独身のような顔をしたことはなかった。
 俊介は、自分が家を出てからの丹波屋の状態を知りながらも、姿を隠したままだった。父白虎が倒れても見舞いもしなかった。白虎が死んでも、葬儀にも現れなかった。
 春江は、喜久雄に自分の気持ちを全く告げずに、俊介と共に行動した。
 これが、事実だ。(※小説の中の)
 テレビの視聴者は、春江の過去と、春江と喜久雄の過去の事実を知ったら、どう思ったろうか。
 世間のゴシップは、事実などどうでもよいのだ。これは、小説の中だけでなく、現実の社会でも当てはまると思う。

朝日新聞連載小説『国宝』吉田修一・作 束妹・画第260回2017/9/24

 この番組を見たら、私は、喜久雄を悪人と思う。そして、理由もなく嫌い、これからも怪しげなことをする役者だと信じるだろう。
 たとえ、喜久雄の襲名の経緯(いきさつ)や俊介が姿をくらましたことを知っていたとしても、そんなことは、十年前のゴシップに過ぎないのだから。今のゴシップのインパクトに適(かな)うはずがない。

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