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新聞連載小説『ひこばえ』重松清・作 川上和生・画 の感想と、読んだ本の感想を更新しています。

2017年11月

朝日新聞連載小説『国宝』吉田修一・作 束妹・画第325回2017/11/30

その一

 いきなり事実に基づくことが出てきた。

略)その脚本は、昭和二十六年に初演された舟橋聖一脚色、谷崎潤一郎監修によります戯曲を元にした壮大な一大絵巻(略)

 脚本『源氏物語』は、事実に基づいたものといえる。
 昭和の演劇史に沿いながら物語が展開していることを感じる。

その二

「おめえ、大したもんだよ。自分が世話になってきた親分さんの顔、ちゃんと立てたんだってな?(略)俺はな、そういう奴を買うんだよ。世のなか、自分の損得でしか動かねえ奴ばっかりだ」(324回)

「うちの娘婿がやったことを咎(とが)められる奴(やつ)が、この世界にいるんですかね? あいつを咎めるってことは、自分たちを咎めることだ。自分たちの芸を汚すことだぜ。役者が立派なふりしてどうすんですかい? いいですか。立派な人間じゃねえからこそ立派ってこともあるんだよ」(325回)

 
あまりにも、タイミングよく千五郎が出て来たので、都合良すぎないか、と思った。が、千五郎の言い分には筋が通っていた。
 そして、この感覚は、以前に弁天が言っていたことに通じる。

「(略)唯一、王様を笑えんのが芸人やで。それが王様になってどないすんねん」(287回)


 
千五郎と弁天が言ったことの底にある精神は、「芸人」に限らないと思う。

朝日新聞連載小説『国宝』吉田修一・作 束妹・画第323回2017/11/28
 
 綾乃にしてみれば、外へも出してもらえず、何もすることがない状態が最も苦痛だったろう。どんなに喜久雄と徳次と市駒に心配され、大切に守られても、綾乃は自分の居場所を見つけられなかっただろう。
 春江は、綾乃を病人扱いしなかった。さらに、子ども扱いもしなかった。まるで、使用人のように次から次へと綾乃に用事を言いつけた。春江の所は、弟子もいれば人の出入りも多い。用事はいくらでもある。
 喜久雄の子とは言え、他人の子を預かりながら、こき使うことはなかなかできない。綾乃に反発されたり、逃げ出されたりしたら、面目を失くしただろう。それなのに、春江は自信を持って、綾乃に家の手伝いをさせた。春江には、この方法が、薬から立ち直るにはよい方法だという経験があったのだろう。

朝日新聞連載小説『国宝』吉田修一・作 束妹・画第322回2017/11/27

 長崎で、喜久雄と春江がどうやって出会い、どうして離れられなくなったのか、ずうっと謎だった。以前に、次のような予想をしたことさえあった。

76回感想
 喜久雄は、組の年上の者から童貞であることをからかわれ、徳次に相談した。徳次は、手っ取り早いのは、買うことだと教え、公園に行けば若い娘を買えると言った。そこで、喜久雄は深夜公園に出かけ、春江に会った。喜久雄は、一度会っただけで、春江を好きになり、春江も同様だった。喜久雄は、さすがに、売春をしている少女を好きになったとは親には言えず、春江に大金をやることはできなかった。
 春江の母には、多額の借金があり、金がどうしても必要だった。春江と喜久雄は、出会いこそ特殊であったが、互いに好きになり、離れられなくなったのは十五の少年と少女の純粋な気持ちだった。
 いずれ、明かされるであろう二人の出会いと恋はどんなものであろうか。


 その謎が明らかになるかもしれない。

そう言い切る春江の目の奥に喜久雄は出会ったころの彼女を見たのでございます。

 十五歳の春江は、薬に苦しむ身内を抱えていたか、あるいは、それに等しい苦しみを抱えた人のために体を売っていたということが考えられる。

朝日新聞連載小説『国宝』吉田修一・作 束妹・画第321回2017/11/25

 物語の全体構造が覆っていく。

 喜久雄の生活は、昭和のことでありながら、まるで、時代が違うような印象があった。
 中学校で人を襲ったのに、何事もなかったように扱われた。背中の彫り物が問題となったのは、高校でだけだった。舞台のことだけを考えて生活してくることができた。
 春江を大阪に呼んでおきながら、市駒との間に子をもうけた。市駒がいながら、赤城洋子のマンションに入り浸っていた。市駒と綾乃のおかげで立ち直ったのに、彰子を利用しようとした。
 役者ならこのような女性関係は驚くに当たらないこととして、物語は進んでいた。
 喜久雄はもちろん、徳次、春江、俊介、主要な登場人物は、運命に操られているとして描かれていた。
 それが、辻村の生い立ちと逮捕のことから、急激に昭和の現実と昭和に生きた人間の生活が表れてくる。
 綾乃の転落は、現実に沿っている。綾乃の叫びは、喜久雄の奔放で無責任な女性関係のつけである。

 歌舞伎役者が、昭和といえども特異な環境にいることは分かる。だが、歌舞伎役者として稀な才能を持っていたとしても、一般社会との軋轢は生じる。そして、妥協を重ねながら、時代風潮と一般社会に折り合いをつけなければならないはずだ。
 そこが、これからどう描かれていくか、楽しみだ。

 徳次は、組事務所での件を、市駒にも綾乃にも話していないのではないかと思う。徳次は、これからどうやって綾乃を救おうとするのか、徳次の綾乃への親心といえるものが、前回の時以上に試されることになると思う。

朝日新聞連載小説『国宝』吉田修一・作 束妹・画第320回2017/11/25

その一(予想)
①この騒ぎで、喜久雄は新派を去ることになる。新派を去り、歌舞伎界に戻ることもできず、喜久雄は役者として再び窮地に陥る。 
②この騒ぎは、俊介と春江に及ぶ。特に春江の刺青が、春江を恨んでいる新宗教の連中からマスコミに流される。

その二
 これまでの喜久雄の人生は、運命のなすがままだったように描かれている。
 だが、今回の喜久雄の出自については、いつかは明るみに出ることは必然だった。たとえ、辻村からの出演依頼を断っていても、喜久雄が世間から注目されればされるほど、その生い立ちと、暴力団との関係はどこかで暴かれるに違いない。
 侠客の父をもつ喜久雄が、役者になったのはめぐり合わせや運だけではない。そこには、喜久雄の意志が色濃く働いていた。また、辻村の依頼に応じたことも、喜久雄の明確な意志だった。
 喜久雄がこの窮地から這い上がるとしたなら、今までのように運に救われるようなことはないと思う。

 その三
 俊介の今の歌舞伎界での人気とよい評価は、自分の芸の力だけで築いたものではない。
 竹野の興行面の力と、万菊の後ろ盾があったからこそだ。したがって、今のままでは、真に二代目半二郎を継ぐ役者とはなれないであろう。

朝日新聞連載小説『国宝』吉田修一・作 束妹・画第319回2017/11/24

その一
 辻村の恩を感じていたから、喜久雄は二十周年パーティーでの舞台を引き受けた。しかし、喜久雄が、辻村に対して親近感を持っていたとは思えない。それなのに、警察に踏み込まれた場で、辻村を慕っているような行動を、喜久雄はなぜしたのか。しかも、辻村をかばうかのような行動で、注目を浴びた。それは、徳次の言う通り喜久雄にとっていいことは何もないはずだ。


その二

 無遠慮に強い照明は、力尽きた白鷺が美しければ美しいほど、魔法のとけた無残な姿を浮かび上がらせるのでございます。

 以前に、万菊は、俊介に向かって喜久雄のことを次のように言っていた。

 「(略)でもね、ずっと綺麗な顔のままってのは悲劇ですよ。考えてごらんなさいな、晴れやかな舞台が終わって薄暗い倉庫の隅に投げ置かれたって、綺麗な顔のまんまなんですからね。(略)」(284回)

 
上の二つの文章が重なって来る。
 
このことは、喜久雄の新派でのカリスマに、限界がみえてきたことを暗示しているような気がする。

朝日新聞連載小説『国宝』吉田修一・作 束妹・画第317回2017/11/22

 不思議と辻村へは、嫌悪感が湧かない。辻村は、裏切り者で、喜久雄を騙し続けている。また、二代目半二郎にも、苦しみを与えていた。
 その反面では、興行で二代目半二郎と喜久雄を助けていた。喜久雄へは、人気がある時だけでなく、落ち目の時にも金の面で援助した。
 辻村は、権五郎と同じように、極道の世界を自分の力で生き抜いてきたのであろう。そして、その自力で這い上がってきた辻村が、日本のエスタブリッシュメント一族の世襲者とつながりのある広域組織の星野組に潰されそうになっている。
 こういうところがあるので、辻村を憎悪する気持ちが弱まるのであろう。作者の筆致からも、辻村を、戦後の混乱期を生きた男の一典型として描いていることが感じられる。

朝日新聞連載小説『国宝』吉田修一・作 束妹・画第316回2017/11/21 

 辻村は、企みを抱き、権五郎の新年会に向かった。さらしの下には、ドスではなく入念に包んだワルサーを隠し持っていただろう。そして、連れて行くのは、二代目半二郎だ。
 辻村は、首尾よく企みを遂げた。唯一の誤算は、権五郎をワルサーで撃つ現場を、二代目半二郎に見られたことだったろう。だが、その後始末にもぬかりはなかった。あらすじ 第一章

 その後の辻村は、暴力と騙し合いと裏切りの極道の世界を生き抜き、今やその頂点に立つ一人となっている。そして、その力を誇示するために招いたのが、三代目半二郎、喜久雄であった。
 喜久雄は、辻村と権五郎と二代目半二郎との因縁を知る由もない。

 頂点に立つ者は、常にその地位をねらわれると思う。

①親分権五郎が死に、喜久雄は坊ちゃんでもなんでもなくなった。おまけに立花組は、すっかり落ち目になった。
②喜久雄は、歌舞伎の稽古に熱中していたが、役者として舞台に立てるかどうかもまったくわからなかった。
③二人道成寺で人気を得た喜久雄だが、すぐにその人気にも陰りが見えた。
④二代目半二郎が亡くなって、喜久雄は人気でも金銭面でもまったくいい所はなかった。

 喜久雄が坊ちゃんだったとき、喜久雄に人気があったとき、そして、新派のスターである今、徳次はいい思いをしている。だが、秤にかければ落ち目のときが長い。それなのに、喜久雄のそばを去ろうとしたのは、北海道行き一度きりだ。


「……なんや、あんたのこと気に入ったわ。あんたの忠義心か親心かしらんけど、それに免じて、あの娘のことは諦めたる。指つめて帰ったらええ」

 徳次の心には、喜久雄への「忠義心」と綾乃への「親心」がある。もちろん、忠義心も親心も無償のものだ。
 そんな江戸時代の遺物が昭和に残ったと考えるのは理屈に合わない。理屈には合わないが、そこに、憧れと美しさを感じる。

朝日新聞連載小説『国宝』吉田修一・作 束妹・画第315回2017/11/20

 私は、現代の小説をこのブログを書くようになってから読み始めた。吉田修一という作家については、名前も聞いたことがなかった。今回を読んで、俄然、吉田修一に興味が湧いてきた。

 徳次、喜久雄、春江、マツ、俊介、市駒、それに、二代目半二郎と幸子、この人物たちのことを、昭和に生きた人間として、現実に照らし合わせて書いているのであろうか。
 こんな生き方をする人物たちは、現実の昭和にはいなかった。
 この人物たちのような思いを心の底に秘めている人は、現実の昭和にいた。
 この二つが、私の中で交錯している。

 少なくとも、次のことは読み取れる。
 吉田修一は、ストーリーのために昭和の絵空事として徳次を描いてはいない。

朝日新聞連載小説『国宝』吉田修一・作 束妹・画第314回2017/11/19

 そこに徳次は、極道育ちという自分の血に持つ、逆の意味でのプライドを喜久雄に見たのでございます。

 極道の血を持つからには、力のある親分の威光を借りて、物事のかたを付けることはしない、というプライドなのだと感じる。
 さらに、喜久雄も徳次も、辻村の力を借りてトラブルを退けても、それが本当にかたを付けたことにならないのをよく知っているはずだ。辻村の名を出せば、それは辻村に借りをつくったことになるのだ。

 肉親のいない徳次にとって、喜久雄も綾乃も肉親に等しい、いやそれ以上の存在なのだ。だからこそ、綾乃のことで、辻村に借りをつくりたくはないのだろう。

朝日新聞連載小説『国宝』吉田修一・作 束妹・画第313回2017/11/18

その一
 徳次がやろうとしている解決の手段として思いつくことは、次の三つ。
①金銭
②裏の人脈
③徳次の命

 私に思いつくのは、これだけだが、さて‥‥


その二
 312回で徳次が言っていた「鷺娘(さぎむすめ)やないか……」の意図は、本文中にあった。

 冒頭は女の恋の恨みを表現したあと、衣装を引き抜いて町娘。冒頭とはがらりと雰囲気を変えまして若い娘の恋心を踊り、その後ふたたび雰囲気を変える後半では、白地に鷺の羽を縫い取った振り袖姿で、地獄の責め苦を表現しながら、次第に弱り息絶えていく、まるで錦絵のような舞踊でございます。(301回)

 綾乃の派手な化粧の顔の下に、幼いころの顔を思い浮かべ、その変わりぶりを、鷺娘に重ね合わせているのであろう。

①辻村のパーティーへの出演を、喜久雄が受けたこと。
②喜久雄のパリ公演の成功が、俊介に与える影響。併せて、松野という男のこと。
 舞台は、すっかり綾乃のことになっているが、①と②が同時進行しているはずだ。
 それに、加えて、③のことも疑問だ。
③徳次が言った「鷺娘(さぎむすめ)やないか……」の意味すること。

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