本屋のとなりは写真館

新聞連載小説『ひこばえ』重松清・作 川上和生・画 の感想と、読んだ本の感想を更新しています。

2017年11月

①親分権五郎が死に、喜久雄は坊ちゃんでもなんでもなくなった。おまけに立花組は、すっかり落ち目になった。
②喜久雄は、歌舞伎の稽古に熱中していたが、役者として舞台に立てるかどうかもまったくわからなかった。
③二人道成寺で人気を得た喜久雄だが、すぐにその人気にも陰りが見えた。
④二代目半二郎が亡くなって、喜久雄は人気でも金銭面でもまったくいい所はなかった。

 喜久雄が坊ちゃんだったとき、喜久雄に人気があったとき、そして、新派のスターである今、徳次はいい思いをしている。だが、秤にかければ落ち目のときが長い。それなのに、喜久雄のそばを去ろうとしたのは、北海道行き一度きりだ。


「……なんや、あんたのこと気に入ったわ。あんたの忠義心か親心かしらんけど、それに免じて、あの娘のことは諦めたる。指つめて帰ったらええ」

 徳次の心には、喜久雄への「忠義心」と綾乃への「親心」がある。もちろん、忠義心も親心も無償のものだ。
 そんな江戸時代の遺物が昭和に残ったと考えるのは理屈に合わない。理屈には合わないが、そこに、憧れと美しさを感じる。

朝日新聞連載小説『国宝』吉田修一・作 束妹・画第315回2017/11/20

 私は、現代の小説をこのブログを書くようになってから読み始めた。吉田修一という作家については、名前も聞いたことがなかった。今回を読んで、俄然、吉田修一に興味が湧いてきた。

 徳次、喜久雄、春江、マツ、俊介、市駒、それに、二代目半二郎と幸子、この人物たちのことを、昭和に生きた人間として、現実に照らし合わせて書いているのであろうか。
 こんな生き方をする人物たちは、現実の昭和にはいなかった。
 この人物たちのような思いを心の底に秘めている人は、現実の昭和にいた。
 この二つが、私の中で交錯している。

 少なくとも、次のことは読み取れる。
 吉田修一は、ストーリーのために昭和の絵空事として徳次を描いてはいない。

朝日新聞連載小説『国宝』吉田修一・作 束妹・画第314回2017/11/19

 そこに徳次は、極道育ちという自分の血に持つ、逆の意味でのプライドを喜久雄に見たのでございます。

 極道の血を持つからには、力のある親分の威光を借りて、物事のかたを付けることはしない、というプライドなのだと感じる。
 さらに、喜久雄も徳次も、辻村の力を借りてトラブルを退けても、それが本当にかたを付けたことにならないのをよく知っているはずだ。辻村の名を出せば、それは辻村に借りをつくったことになるのだ。

 肉親のいない徳次にとって、喜久雄も綾乃も肉親に等しい、いやそれ以上の存在なのだ。だからこそ、綾乃のことで、辻村に借りをつくりたくはないのだろう。

朝日新聞連載小説『国宝』吉田修一・作 束妹・画第313回2017/11/18

その一
 徳次がやろうとしている解決の手段として思いつくことは、次の三つ。
①金銭
②裏の人脈
③徳次の命

 私に思いつくのは、これだけだが、さて‥‥


その二
 312回で徳次が言っていた「鷺娘(さぎむすめ)やないか……」の意図は、本文中にあった。

 冒頭は女の恋の恨みを表現したあと、衣装を引き抜いて町娘。冒頭とはがらりと雰囲気を変えまして若い娘の恋心を踊り、その後ふたたび雰囲気を変える後半では、白地に鷺の羽を縫い取った振り袖姿で、地獄の責め苦を表現しながら、次第に弱り息絶えていく、まるで錦絵のような舞踊でございます。(301回)

 綾乃の派手な化粧の顔の下に、幼いころの顔を思い浮かべ、その変わりぶりを、鷺娘に重ね合わせているのであろう。

①辻村のパーティーへの出演を、喜久雄が受けたこと。
②喜久雄のパリ公演の成功が、俊介に与える影響。併せて、松野という男のこと。
 舞台は、すっかり綾乃のことになっているが、①と②が同時進行しているはずだ。
 それに、加えて、③のことも疑問だ。
③徳次が言った「鷺娘(さぎむすめ)やないか……」の意味すること。

朝日新聞連載小説『国宝』吉田修一・作 束妹・画第312回2017/11/17

 徳次の動きが小気味いい。こういう動きをして、読者に無理を感じさせない作者の人物づくりが見事だ。

 綾乃を救い出し、病院へ行き、家へ連れ戻ったとしても、綾乃の問題は解決しないだろう。徳次が説得するだろうか、喜久雄が出て来るだろうか。
 話し合いや説得ではなく、綾乃自身とタカシという暴走族の男の行動がまだあると思う。

朝日新聞夕刊連載小説・津村記久子作・内巻敦子画『ディス・イズ・ザ・ディ 最終節に向かう22人』第40回 第8話 また夜が明けるまで①2017/10/20

あらすじ
 忍と夫の和敏は、結婚する前からヴァーレ浜松を応援し、観戦に通っている。だが、二人が観戦のために浜松に出かけると、ヴァーレ浜松は負けるということが多かった。
 ヴァーレ浜松の最終節は、自動昇格枠をかけた試合だった。二人は、長い間話し合った結果、観に行くと負けるので、最終節は自宅で観戦することに決めていた。
 最終節の試合の前日、忍の東京での仕事がキャンセルになった。思わぬ時間が空いたので、忍は我慢できなくなり、試合が行われる四国行きの飛行機に搭乗してしまう。
 浜松が最終節で勝利し、一部リーグへの自動昇格枠である2位に入ることは、忍と和敏、それに多くの浜松のファンの願いである。しかし、その可能性は高くはない。

感想
 
応援はするのだが、現地に試合を観に行くとそのチームが負けるということはあり得ることだ。逆の場合は、胸を張っていられる。だが、表立って応援すればするほど負けるという場合は、気持ちは複雑だ。
 統計的にみれば、試合を観に行った場合の勝ち負けは、そのチームの成績に比例するだけだろうが、なかなかそう冷静にはなれない。

朝日新聞連載小説『国宝』吉田修一・作 束妹・画第311回2017/11/16

 徳次と喜久雄には、実の親も兄弟もいない。だが、喜久雄にはマツがいるし、今は、市駒と、彰子、それに、娘の綾乃がいる。
 育ての親さえいなかった徳次には女房もいない。その徳次にとって、喜久雄は坊ちゃんであると同時に弟であろう。そうなると、市駒、彰子は義理の妹となるし、綾乃は姪っ子になる。
 徳次は、妹に懇願されて、姪っ子を救いに向かった。しかも、向かう場所と相手にする人間は、徳次が昔よく知っていた場であり人である。
 徳次は、その力を発揮するに違いない。

朝日新聞連載小説『国宝』吉田修一・作 束妹・画第310回2017/11/15

 喜久雄は実の父親だ。さらに、喜久雄と母、市駒が結婚をしていないことを知っている。父は、どん底の時には、母の所に来て、自分を可愛がった。マスコミが隠し子などと騒ぎ立てた時には、父は、母と自分を守ってはくれなかった。父は、新しい女を妻とし、新派のスターとして大人気を得ている。そんな今、父は、母と自分を見向きもしなくなっている。
 綾乃がこのように、喜久雄を見たとしても無理はない。
 徳次は、父の付き人で、母の古くからの知り合いだ。徳次は、喜久雄がどうであろうと、いつも自分のことを可愛がってくれてきた。
 綾乃は、徳次と喜久雄の違いを感じているだろう。

 いずれにしても、綾乃が荒んでいる原因は、父、喜久雄のことだけではないと思う。

朝日新聞連載小説『国宝』吉田修一・作 束妹・画第308回2017/11/14

 徳次は、ある面では喜久雄よりも浮き沈みが激しい。浮浪児から、ヤクザの部屋住み、鑑別所入り、鑑別所脱走、歌舞伎役者の家の手代見習い、北海道行き、北海道のタコ部屋から脱走、ドキュメンタリー映画に出演、映画に主演、歌舞伎の大部屋役者、そして、喜久雄の付き人、ざっと振り返っても、こうなる。
 喜久雄の役者としての浮き沈みは、徳次自身の浮き沈みでもあった。喜久雄に人気があるうちは、徳次もいい思いをしている。だが、喜久雄に媚びてはいなかった。喜久雄がどん底だった時も、人気があった時と同じように、喜久雄から離れなかった。
 喜久雄と共にいることによって、春江、俊介、弁天、市駒、綾乃とつながりができた。視点を変えるならば、喜久雄は、徳次がいたから、それぞれの人との関係を続けられたとも言える。

 私は、人の縁ということを自分のこととして、改めて考えたことはなかった。でも、人と人との間には確かに縁というものがあると思わせられる。

このページのトップヘ