本屋のとなりは写真館

新聞連載小説『ひこばえ』重松清・作 川上和生・画 の感想と、読んだ本の感想を更新しています。

2017年12月

朝日新聞連載小説『国宝』吉田修一・作 束妹・画第343回2017/12/19

 この小説の脇役的な登場人物にはある特徴がある。その人物が関わる事件にどんな決着がつくのだろうと期待していると、決着が分からぬまま、その件が終わりになってしまう。だから、その脇役もその場面だけで後は登場しなくなる。ところが、その脇役について生い立ちや背景が丁寧に描かれている場合があった。
 喜久雄と春江の刺青を彫った彫り師の辰42回感想は、戦後の典型的な人物として描かれていた。しかし、その後は全く登場しない。
 体育教師尾崎は、喜久雄の運命を決める動き65回感想その2をした。しかし、喜久雄が大阪に出て来てからは、一度登場しただけだった。
 『太陽のカラヴァッジョ』の清田監督のことも、鶴若のテレビのお笑い番組出演のことももうこれからは触れられないのかもしれない。そうでありながら、清田監督も鶴若も忘れられない登場人物だ。

 徳次は、綾乃のことはもう忘れたかのように、喜久雄本人に緊張感が不足していることを心配している。

朝日新聞連載小説『国宝』吉田修一・作 束妹・画第342回2017/12/18

 喜久雄は、鶴若の生い立ちとその苦労を知らないと思う。喜久雄が知っているのは、鶴若が万菊と並ぶ女形となってからだろう。だから、力も人気もある鶴若が、後ろ盾を失った若い喜久雄にひどい仕打ちをしたと感じている。それなのに、テレビ番組を見て、鶴若へ同情とも言えそうな感情を持っている。
 語り手によって明かされた鶴若の生い立ちを、喜久雄が詳しく知ったら、過去のひどい仕打ちに対する感情も違ったものになると感じる。
 
 弁天の言いたいことがよく分かる。お笑い芸人は、売れるまでは歌舞伎役者よりももっと低く見られ、世間からだけでなく芸能界の中でさえ、さんざん虐げられてきているはずだ。

 他人の過去を知るのは難しい。自分が接しているその時とその場でしか、人を判断していないと知らされる。

 辻村のパーティーの件がきっかけとなって、喜久雄は歌舞伎に復帰できたので、辻村は恩人だ。辻村が父を撃ったことを喜久雄が知ったら、辻村は親の仇だ。では、喜久雄の父、権五郎と辻村が出会った時のことを知ったら、どうなるか。

 「おい坊主!飢え死にしとうないなら、俺の首、食い千切って奪い取れ!」
(略)
 辻村は饅頭を食うために、男の首に噛みつきました。本気で、この男、権五郎の首を食い千切ろうしたのでございます。(318回)

 
人間は、今だけの存在ではない。人間は、表面には見えてこない面を必ず持っている。そう思わされる。

朝日新聞連載小説『国宝』吉田修一・作 束妹・画第341回2017/12/17

 ひどい仕打ちを受け、「死ね」とまで思った相手であり、今もこちらからの丁寧な挨拶に返事もしない。そんな相手でも、あまりにひどい扱いを受けているのを見ると、人としてかわいそうに思う。それが人情というものなのだろう。

 もしも、私が喜久雄の立場なら、鶴若をことさらに嘲笑うことはしないと思う。そして、見て見ぬふりだろう。
 鶴若にとっても、中途半端な同情をされるよりは、笑われるか、無視される方が気が楽だろう。

朝日新聞夕刊連載小説・津村記久子作・内巻敦子画『ディス・イズ・ザ・ディ 最終節に向かう22人』第42回2017/11/10 第8話 また夜が明けるまで③

あらすじ
 文子は、迎えに来たゆみちゃんと一緒に帰らなくてもよくなって、一気にモルゲン土佐のことを考え始める。車のドアに手をかけながら、文子は、タクシー乗り場に一人で立っている女の人、忍を発見した。文子は、その女の人に、「あの、どうされましたか?」と声をかけた。
 その女の人は、空港の中でもたもたしているうちに、バスが出てしまい、タクシーも来るまでに時間がかかると、事情を話した。
 文子は、その人に、「もしよろしければ、お送りしましょうか?」と言う。女の人は、「いいんですか?」と言った。
 走り出した車の中で、文子は、広瀬文子という名で、中学校の教師をしていると忍に言う。
 忍は、東京から来たことと、ヴェーレ浜松の試合を観に来たことを話す。忍は、文子、広瀬先生がサッカーに詳しいことに気づく。そして、自分がスタジアムに観に来ると、いつも浜松が負けると話す。広瀬先生は、その話に笑いながらも、「わからなくはないです。」と言った。

感想
 偶然に出会ったこの二人、単なるサッカーファンというだけでないようだ。
 忍は、自分がスタジアムに行くと、浜松が負けると思い込んでいるのに、スタジアムに来ずにはいられなかった。文子は、土佐の降格が心配でたまらない。心配だけでなく、土佐の不振は、自分の応援が足りなかったからか、とまで悩んでいる。
 応援も、熱中すると、こんな心配や自分の責任まで感じるようになるのか、と改めて思う。

 苦しい立場に追い込まれた時、主人公の喜久雄は文句を言わず、じっと耐え、そこに魅力を感じる。
 ところが、人気が出て、うまく回っている時の主人公にはどうも魅力を感じない。理由の一つは、主人公が苦境から這い上がる時は、いつも他からの力に救われているからだと思う。
 長崎での親の仇討ち失敗の時は、教師の尾崎に救われた。隠し子騒動と千五郎から許してもらえず、役者廃業かというところまで追い込まれた時は、彰子と新派の大看板、曽根松子に救われた。辻村逮捕の騒動で、新派に出演できなくなった時は、千五郎に救われた。
 今の喜久雄の人気も、俊介との共演と竹野の働きの要素が大きい。また、娘の綾乃を立ち直らせたのは、徳次と春江だ。
 こうやって、振り返ると、主人公の成功は他力本願ばかりのように見える。

朝日新聞連載小説『国宝』吉田修一・作 束妹・画第339回2017/12/15

「ほんま長いことかかったけど、坊ちゃん、とうとうあの鶴若に勝ったんやな」

 徳次がこう言っているのだから、徳次と一緒に感慨に浸りたい。しかし、喜久雄が鶴若に勝ったと、手放しで喜ぶ気持ちになり切れない。
 今の喜久雄は、芸の上でも人気の上でも鶴若を超えているのだろう。そうではあるが、鶴若の失敗は金のことであり、歌舞伎役者として「勝った」とは言えないように思う。

朝日新聞連載小説『国宝』吉田修一・作 束妹・画第338回2017/12/14

 夜の街での徳次人気、なぜなのか。夜の街で羽振りが利くと言えば、先ずは金離れがよいことだろう。三代目半二郎や弁天は、言うまでもなく湯水のごとく金を使うであろうが、徳次はそのおこぼれに預かっているにすぎないはずだ。
 徳次は、羽振りがよいのではなくて、「贔屓」され、「好感」を持たれるということのようだ。
 徳次は、喜久雄や弁天と自分の関係を鼻にかけない、夜の街の女性を見下さない、なによりも性格が明るく話上手、酒の飲み方がきれい、などいろいろと考えられる。しかし、やはり理由はよくはわからない。

 実際、夜の街での徳次人気、若いころからのことではございまして、銀座だろうが祇園だろうが博多だろうが、いろんな男たちを見てきている夜の女たちの目には、徳次が違って見えるようでございます。
 
 男と生まれたからには、こういう人になりたい。たとえ、今からでも徳次の人気に近づく方法はないものか。

朝日新聞連載小説『国宝』吉田修一・作 束妹・画第337回2017/12/13

 喜久雄の役者としての活躍ぶりは、今までで最も華やかだ。それに、徳次も彼の得意とするところがよく出ている。
 それなのに、今回冒頭では、幕を下ろして誰もいなくなった劇場の重苦しさが書かれている。
 また、今回の末尾では、「彰子」の登場の時を思わせるような言葉とともに「本職ピアノ教師の女」が登場した。

朝日新聞連載小説『国宝』吉田修一・作 束妹・画第336回2017/12/12

 厳しい稽古を重ねても、いい役がつかないことにはどうにもならない。いい役がついても、その役を完璧にこなさなくてはならない。いい役を完璧にやり遂げても、それが人気を得なければならない。
 いい役をやり遂げて、観客を魅了しても、次の舞台と次の役では、よりいいものに挑まなければならないのであろう。
 
 喜久雄と俊介、息の合った二人がそれぞれの個性を十分に発揮している舞台を観ることができた。
 そして、『二人道成寺』の共演から『春興鏡獅子』の共演までの間の、二人それぞれに起こった出来事が思い起こされる。

朝日新聞連載小説『国宝』吉田修一・作 束妹・画第335回2017/12/10

 この『春興鏡獅子』の舞台の時に、喜久雄と俊介は三十代と四十代の境目ということになる。ここから、十年、二十年経つとどうなるか。俊介の「唸るほどに粋」はますます磨きがかかりそうだ。そうはいかないのが、喜久雄の「惚れ惚れするほど美しく」の方だと思う。喜久雄の美しさは、天賦のものが土台となっている。だから、年齢とともに衰えるのを防ぎようがないと思えるのだが、どうだろうか。

 今回の二人の舞台の描写は、豪華で美しい。だが、観客の大喝采があるとはいえ、二人が舞台から去る場面で終わっているのは、何かを暗示していそうだ。

朝日新聞連載小説『国宝』吉田修一・作 束妹・画第334回2017/12/9

 小説中で年代がはっきりと出てきたか所を、記憶を頼りに書き出してみる。

昭和39(1964)年
元旦。 喜久雄と徳次は、新年会の余興で「積恋雪関扉(つもるこいゆきのせきのと)」を踊る。その踊りを花井半二郎が観る。立花権五郎は、新年会に襲われ、裏切り者の辻村に拳銃で撃たれて三日後に死ぬ。

昭和40(1965)年 東京オリンピック開催
1月末。喜久雄は、学校に講話に来た宮地を襲うが、失敗する。
その後、喜久雄と徳次は、大阪の花井半二郎の家へ。更に、数か月後、春江が大阪へ。半二郎は、息子俊介と喜久雄に女形の才能を見出し、二人に厳しい稽古を付ける。

昭和42(1967)年 喜久雄17歳

京都南座で端役ながら喜久雄が初舞台を踏む。

昭和50(1975)年7月18日

白虎の葬儀告別式

昭和61(1986)年12月
喜久雄と俊介共演の『源氏物語』の初演。

昭和61(1986)年12月~平成3(1991)年2月

バブル景気の時期

平成2(1990)年
新帝祝賀の舞台で喜久雄と俊介が『春興鏡獅子(しゅんきょうかがみじし)』を演じ、スタンディングオベーションを受ける。
 
 喜久雄と俊介の人気が衰えず、私生活面も充実しているのが、バブル景気の時期と重なっている。それならば、バブル(「泡の場」?)がはじけると‥‥

朝日新聞連載小説『国宝』吉田修一・作 束妹・画第333回2017/12/8

 私にとっても、グッと近い時代の話になってきた。私みたいなサラリーマンであっても、給料は毎年上がるものだったし、わずかでも銀行に預けておけば、3年ほどで預金が増えたと実感できる時代だった。
 徳次やマツへの喜久雄の金の使い方は、バブルの頃なら当たり前だった。

 喜久雄と綾乃の二人きりの旅行、何が起こるのだろう?
 喜久雄と綾乃の二人きりは、ある意味仕方がないのだろう。彰子が一緒に行くわけにはいかないし、彰子抜きに市駒が行くのは、またスキャンダルになる。かといって、春江が同行するのは、もっとややこしいことになりそうだ。
 マツと綾乃が会えば、祖母と孫ということになるのだろうが、これも平凡な祖母と孫とはいえない。

朝日新聞連載小説『国宝』吉田修一・作 束妹・画第332回2017/12/7

 エンタメより文芸作品の価値が高いとは思わない。そこをおさえた上で、小説『国宝』が、単なる娯楽作品ではなかったといえる。昭和に生きた歌舞伎役者とその周囲の人々を描く小説だと思う。324回感想

 それは、竹野の描き方にも表れている。竹野は、歌舞伎は退屈で、歌舞伎役者は世襲でしかないと言い切っていた。しかも、俊介を発見した時はテレビ業界で働いていた。さらに、俊介の復活のために、喜久雄のゴシップをあくどく流した。
 その竹野だが、彼がいなければ、俊介の復活はなかったし、彼が動かなければ、万菊と俊介の共演も実現しなかった。さらに、『鷺娘』の同時公演は彼の企画だった。新派から歌舞伎に戻った喜久雄と、復活後さらに芸を磨いた俊介、二人の人気の高まりの陰には、常に竹野がいた。
 どんなに優れた芸の持ち主でも、有能な興行面を支える人、プロデューサーなしに成功しないことは、現実の芸能界では周知のことだ。そこをうまく描いていると感じる。

 この当時、どこよりもバブルを謳歌(おうか)していたテレビ業界から歌舞伎役者への誘いも多かったはずで、実際に高額なギャラに飛びついた役者たちもあったなか、
「あの二人は舞台に立たせといてやろう」 と、経済的にもいろいろと助けていたのが竹野だったそうでございます。

 
また、バブル景気のことを押さえている点も、昭和を描く場合には欠かせないことだ。

朝日新聞連載小説『国宝』吉田修一・作 束妹・画第331回2017/12/6

 二代目半二郎が思い描いた俊介と喜久雄は、今ここで言葉を交わしている二人の姿だったのかもしれない。
 喜久雄と俊介、三代目半二郎と半弥が、ここに到るまでに経験した苦しみを思うと、役者というのは過酷ななものだと思う。
 どんな人の人生も、苦しさを重ねなければ、過去を懐かしく感じることはできないのだと、この小説を読み、思う。

 「女たちの忠臣蔵」と言えば、喜久雄と俊介の経験の裏には、春江、市駒、彰子、それに綾乃がいる。

↑このページのトップヘ