2017年12月

朝日新聞連載小説『国宝』吉田修一・作 束妹・画第348回2017/12/24

 CGや特殊メイクを駆使した映画でも、あるいは、制作に時間をたっぷりとかけたアニメーションでも、こういうストーリーを迫力あるものにするのは至難の技だと思う。
 それを、生の舞台で表現しようというのだから、歌舞伎というのは特別なものだと思う。

 舞台上の俊介を支えているのが、春江であり、幸子であり、源吉だ。支えていると言うが、支えがなければどんな立派な看板も倒れるしかない。しかも、その支える側が、命がけであることが伝わって来る。

朝日新聞連載小説『国宝』吉田修一・作 束妹・画第347回2017/12/24

 いよいよ『土蜘』の幕が上がる。竹野の策略の力も借りて、劇的に歌舞伎の舞台に復活した俊介、花井半弥は、『源氏物語』を、喜久雄、三代目花井半二郎との共演で成功させた。その俊介が、万菊や喜久雄の力を借りずに、役者としての真価を、この『女蜘』の役で問われる。
 この『女蜘』は、出奔中の俊介が、見世物小屋で鬼気迫る演技を見せていた『化け猫』の役に共通するものがあるように感じる。

 二代同時襲名についての幸子の気持ちは十分に分かる。こういう時に、できることと言えば、現代と言えども限られている。幸子と春江、この二人も俊介の出奔という出来事がなければ、ただ顔見知り程度の関係であったろう。

朝日新聞連載小説『国宝』吉田修一・作 束妹・画第346回2017/12/22

 重要な働きをし、人物についても詳しく語られたのに、ある場面を過ぎると一切登場しなくなる人物が何人かいた。343回感想
 逆に、一度登場して何十回分も姿を見せないが、再登場した時には重要な役割を担っている脇役もいた。その典型が、竹野だ。
 理由はないのだが、ここに来て松野なる老人277回感想のことが気になる。

朝日新聞連載小説『国宝』吉田修一・作 束妹・画第345回2017/12/21

 『阿古屋』の幕を上げるには、共演者の手配から、会場の確保まで、さまざまな制約があるに違いない。それなのに、胡弓の師匠の許しがなければ、舞台に立てないなんて普通なら考えられない。しかし、「命かけてお教えしましょう」と言われたからには、従わざるを得ないか。

 同時襲名と聞くと、周囲の人たちも俊介自身も、父と喜久雄の同時襲名を思い出さざるを得ないだろう。しかも、父が襲名披露の舞台で倒れたのを、俊介が自身のせいと考えてもおかしくない。さらに、一豊の襲名の折りには、死なせてしまった長男、豊生を思い起こすであろう。

 喜久雄も俊介も、次の高みに至るには、大きな痛みに堪えなければならないと感じる。

朝日新聞連載小説『国宝』吉田修一・作 束妹・画第344回2017/12/20

 喜久雄と俊介は、役者としてどんな高みにたどり着き、どんな舞台を見せてくれるのであろうか、楽しみだ。
 次の役に取り組む俊介の動きをみると、歌舞伎役者が役者だけでないことがよく分かる。監督、演出を兼ねる。さらに、原作、旧作を大幅に変えるので、脚本も俊介が創っているに等しい。これは、喜久雄も同じである。それだけに、歌舞伎のある演目の良し悪しは全て、主役の力量にかかっていると言えよう。

朝日新聞連載小説『国宝』吉田修一・作 束妹・画第343回2017/12/19

 この小説の脇役的な登場人物にはある特徴がある。その人物が関わる事件にどんな決着がつくのだろうと期待していると、決着が分からぬまま、その件が終わりになってしまう。だから、その脇役もその場面だけで後は登場しなくなる。ところが、その脇役について生い立ちや背景が丁寧に描かれている場合があった。
 喜久雄と春江の刺青を彫った彫り師の辰42回感想は、戦後の典型的な人物として描かれていた。しかし、その後は全く登場しない。
 体育教師尾崎は、喜久雄の運命を決める動き65回感想その2をした。しかし、喜久雄が大阪に出て来てからは、一度登場しただけだった。
 『太陽のカラヴァッジョ』の清田監督のことも、鶴若のテレビのお笑い番組出演のことももうこれからは触れられないのかもしれない。そうでありながら、清田監督も鶴若も忘れられない登場人物だ。

 徳次は、綾乃のことはもう忘れたかのように、喜久雄本人に緊張感が不足していることを心配している。

朝日新聞連載小説『国宝』吉田修一・作 束妹・画第342回2017/12/18

 喜久雄は、鶴若の生い立ちとその苦労を知らないと思う。喜久雄が知っているのは、鶴若が万菊と並ぶ女形となってからだろう。だから、力も人気もある鶴若が、後ろ盾を失った若い喜久雄にひどい仕打ちをしたと感じている。それなのに、テレビ番組を見て、鶴若へ同情とも言えそうな感情を持っている。
 語り手によって明かされた鶴若の生い立ちを、喜久雄が詳しく知ったら、過去のひどい仕打ちに対する感情も違ったものになると感じる。
 
 弁天の言いたいことがよく分かる。お笑い芸人は、売れるまでは歌舞伎役者よりももっと低く見られ、世間からだけでなく芸能界の中でさえ、さんざん虐げられてきているはずだ。

 他人の過去を知るのは難しい。自分が接しているその時とその場でしか、人を判断していないと知らされる。

 辻村のパーティーの件がきっかけとなって、喜久雄は歌舞伎に復帰できたので、辻村は恩人だ。辻村が父を撃ったことを喜久雄が知ったら、辻村は親の仇だ。では、喜久雄の父、権五郎と辻村が出会った時のことを知ったら、どうなるか。

 「おい坊主!飢え死にしとうないなら、俺の首、食い千切って奪い取れ!」
(略)
 辻村は饅頭を食うために、男の首に噛みつきました。本気で、この男、権五郎の首を食い千切ろうしたのでございます。(318回)

 
人間は、今だけの存在ではない。人間は、表面には見えてこない面を必ず持っている。そう思わされる。

朝日新聞連載小説『国宝』吉田修一・作 束妹・画第341回2017/12/17

 ひどい仕打ちを受け、「死ね」とまで思った相手であり、今もこちらからの丁寧な挨拶に返事もしない。そんな相手でも、あまりにひどい扱いを受けているのを見ると、人としてかわいそうに思う。それが人情というものなのだろう。

 もしも、私が喜久雄の立場なら、鶴若をことさらに嘲笑うことはしないと思う。そして、見て見ぬふりだろう。
 鶴若にとっても、中途半端な同情をされるよりは、笑われるか、無視される方が気が楽だろう。

朝日新聞夕刊連載小説・津村記久子作・内巻敦子画『ディス・イズ・ザ・ディ 最終節に向かう22人』第42回2017/11/10 第8話 また夜が明けるまで③

あらすじ
 文子は、迎えに来たゆみちゃんと一緒に帰らなくてもよくなって、一気にモルゲン土佐のことを考え始める。車のドアに手をかけながら、文子は、タクシー乗り場に一人で立っている女の人、忍を発見した。文子は、その女の人に、「あの、どうされましたか?」と声をかけた。
 その女の人は、空港の中でもたもたしているうちに、バスが出てしまい、タクシーも来るまでに時間がかかると、事情を話した。
 文子は、その人に、「もしよろしければ、お送りしましょうか?」と言う。女の人は、「いいんですか?」と言った。
 走り出した車の中で、文子は、広瀬文子という名で、中学校の教師をしていると忍に言う。
 忍は、東京から来たことと、ヴェーレ浜松の試合を観に来たことを話す。忍は、文子、広瀬先生がサッカーに詳しいことに気づく。そして、自分がスタジアムに観に来ると、いつも浜松が負けると話す。広瀬先生は、その話に笑いながらも、「わからなくはないです。」と言った。

感想
 偶然に出会ったこの二人、単なるサッカーファンというだけでないようだ。
 忍は、自分がスタジアムに行くと、浜松が負けると思い込んでいるのに、スタジアムに来ずにはいられなかった。文子は、土佐の降格が心配でたまらない。心配だけでなく、土佐の不振は、自分の応援が足りなかったからか、とまで悩んでいる。
 応援も、熱中すると、こんな心配や自分の責任まで感じるようになるのか、と改めて思う。

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