本屋のとなりは写真館

新聞連載小説『ひこばえ』重松清・作 川上和生・画 の感想と、読んだ本の感想を更新しています。

2018年01月

朝日新聞連載小説『国宝』吉田修一・作 束妹・画第385回2018/1/31

 前回では、役者としても全盛期を迎えた喜久雄が描かれていた。
 一方、息子との同時襲名と、襲名披露の舞台の成功が俊介の絶頂期とすれば、次の段階の始まりが、このテレビドラマへの出演ということになりそうだ。

朝日新聞連載小説『国宝』吉田修一・作 束妹・画第354回2018/1/30

 広がっていたストーリーの小川が、徐々に合流して、川のようになって来た。伊藤京之助、胡弓の稽古などが、繋がって来る。

(略)良く言えば、役者としても、男としても、父親としても、まさに脂が乗り切った絶頂期なのですが、(略)

 この時期が喜久雄の絶頂期だとしたら、この後は下降期になるのであろうか。確かに、体力と美貌はどうあがいても、年齢には勝てない。しかも、万菊は、喜久雄のきれいな顔が、女形の邪魔になると言い切っていた。94回感想
 万菊の言ったことが当たるとすれば、喜久雄はそれをどう乗り越えるのか、新たな興味が湧く。

朝日新聞連載小説『国宝』吉田修一・作 束妹・画第383回2018/1/29

 彰子の言葉を読んでいて、なんのことか分からなかった。娘の綾乃が子を生めば、喜久雄はおじいちゃんになるというのは当たり前のことだし、実際の世間でも、今やよくあることだ。だが、それを言うのが、娘の母ではない妻だというところが、奇妙と言えば奇妙だ。
 喜久雄と彰子の話からすると、綾乃の披露宴には、花嫁の父として喜久雄がいて、花嫁の母の席は市駒になる。そして、花嫁の父の妻が、花嫁の母ではないことを、恐らく出席者全員が知っているだろう。これも、一般社会から見るとやはり不思議だ。
 
 彰子は、見事に自分を抑えて、喜久雄を立てる考えを示した。マツ、春江、幸子、市駒、喜久雄の周りの女たちは揃いも揃って、賢くて気風がいい。

朝日新聞連載小説『国宝』吉田修一・作 束妹・画第382回2018/1/28

 喜久雄に向かって、「あんたに、捨てられたんや!」と叫んでいた綾乃だった。若い頃の喜久雄なら綾乃に今回のように頼まれたら、喜んだに違いない。だが、今の喜久雄はそんな風に受け取るだろうか。
 「三代目花井半二郎の娘」ということを、喜久雄自身がどう考えるか、予想もつかない発想が出て来るのではないか。
 明日の回も、驚かされそうだ。

朝日新聞連載小説『国宝』吉田修一・作 束妹・画第381回2018/1/27

 綾乃が紹介するというから、仕事柄、相手は人気作家か?と思わせられた。
「雪駄」からは、歌舞伎役者かと思った。
 まさか、相撲取りとは、驚いた。荒風の息子やその兄弟子たちとの酒席(369回)がここにつながった。
 今までの不満370回感想⑤の一つが消えそうだ。

朝日新聞連載小説『国宝』吉田修一・作 束妹・画第380回2018/1/26(略)

(略)誰もが喜久雄のような演技をできるはずもなく、となれば、喜久雄のほうで演技を抑えるしか一つ舞台で一つ世界を作るのは難しく、この喜久雄の苛立ちは誰の目にも明らかなのでございます。

 喜久雄の芸は、ここまで高まっていたのだ。ここで、自分の演技を抑えるというのは、なんとも難しいことだろうと思う。でも、それも名優の一つの条件なのだろう。それと、同時に共演者や後輩役者を指導する力も求められると思う。

 春江が登場すれば、襲名後の俊介のことも明らかになるか。

朝日新聞連載小説『国宝』吉田修一・作 束妹・画第379回2018/1/25

 喜久雄の新しい人格が、見える。自分がよい役につけなかったことも、ひどい扱いを受けたことにも不平不満を言うことのないのが、喜久雄の人柄であり、舞台への姿勢でもあったと思う。
 その喜久雄が、共演役者に稽古で厳しい注文をつけている。

「ありゃ、いわゆる優等生の不幸ってやつで、(略)」

 喜久雄の苛立ちが伝わって来る。自分の芸を高めるだけでなく、演目全体、舞台全体を高める段階へ入って来たということだ。
 この新たな課題を、乗り越えるのは困難なことだろう。

朝日新聞連載小説『国宝』吉田修一・作 束妹・画第378回2018/1/24

 美を追い求め、芸を極めつくすとこういう境地になるのであろうか。万菊の安宿での時間は表ざたにできないことであろうが、この気持ちには、ほっとさせられる。
 ただし、純粋に芸を極めつくした境地だけと言い切れないかもしれない。見世物小屋の俊介を発見した時に、万菊は、俊介の歌舞伎を憎む気持ちを察し、そこに共感していた。万菊自身にも、歌舞伎を憎む出来事があったのかもしれない。

 小野川万菊と言うと忘れられない場面があった。

 あまりに強烈な体験に心が拒否反応を示すのですが、次第にその化け物が物悲しい女に見えてまいります。
「いや、こんなもん、女形でもないわ。女形いうもんは、もっとうっとりするくらいきれいなもんや。それが女形や」
 喜久雄が万菊の魔力を断ち切るように、隣の俊介に目を向けますと、やはり何かに憑かれたように舞台を凝視しております。
「こんなもん、ただの化け物やで」
 何かから逃れるように、笑い飛ばした喜久雄の言葉に、このとき俊介は次のように応えます。
「たしかに化け物や、そやけど、美しい化け物やで」と。
 実はこの日、二人が目の当たりにした小野川万菊の姿が、のちの二人の人生を大きく狂わせていくことになるのでございます。(95回)


 この言葉は、俊介の出奔と丹波屋への復帰、喜久雄の新派への移籍と歌舞伎への復帰を指しているのか。
 それとも、まだ語られていない、「二人の人生を大きく狂わせていくこと」があるのか。

朝日新聞連載小説『国宝』吉田修一・作 束妹・画第377回2018/1/23

 「陽気な婆さん」と周囲の人に思われて、死んでいった万菊は、潔(いさぎよ)い。


 舞台に立てなくなって、歌舞伎界と縁を切ったのだろう。現役でなくなっても、万菊ほどの稀代の名優なら、大御所として尊敬され、歌舞伎界では大切にされ続けたに違いない。
 万菊は、そういう生き方を自ら捨て去り、孤独で気ままに最期を生きたのだと思う。

朝日新聞連載小説『国宝』吉田修一・作 束妹・画第376回2018/1/22 俊介の同時襲名から、早くも三年が経っていた。喜久雄にも俊介にも大きな変化はないようだ。
 
 登場した歌舞伎役者の中で、小野川万菊は、二代目半二郎に匹敵するほど紙数を割かれている。
 万菊の芸の凄みは、次のように描かれていた。
 
 広い劇場のなか、どこかにぽっかりと穴が空いているようで、今にもそこから何かが出て来そうな、そんな不気味さで客席全体が震え上がりそうになったまさにそのとき、まるで人魂のように、我が子を探し狂女となった小野川万菊が、花道に現れるのでございます。班女の前はそろりそろりと花道を舞台へ向かいます。その姿、その色、その陰影、まるでこの世のものとは思われず、円山応挙が描いた幽霊がそこに現れたかと思うほどのおどろおどろしさでございます。(95回)

 
また、その私生活では、マンションに住み、そこに海外のインテリアを施すなど、歌舞伎役者らしからぬ感性を見せていた。
 その万菊の亡骸が、ドヤ街の安宿で見つかるとは、万菊についての謎が深まる。

NHKテレビ 高麗屋 三代の春 ~襲名・松本幸四郎家 歌舞伎に生きる

 この番組を見て、驚いた。連載小説『国宝』で描かれている襲名への取り組みが、そのままドキュメンタリーになっていた。と言うよりは、事実を小説が忠実に描いているということだ。
 私には、職業とは一定時間働いて収入を得るためのもの、という概念が染みついているし、自分もそうして来た。
 ところが、自分の仕事、歌舞伎役者としての仕事にすべてをかける人が現実にいる、ことを改めて知らされた。
 映画やテレビとは違う場所で、伝統としての芸能を受け継いで来た役者が、昭和も平成も生き続け、支持を受け続けている。テレビやインターネットを通して楽しむ娯楽は、芸能の受け取り方の一部分に過ぎないのだ。
 
 新聞(朝日新聞2018/1/10 文化・文芸)記事に北島三郎の言葉として書かれていた。

 日本は戦争に負けて以降、苦しい時代、貧しい時代が続いた。そんな中で人々は海に出て漁をし、畑で作物を耕して‥‥。そうやって山坂乗り越えてきた。
 演歌は傷ついた人々や、それぞれの故郷で踏ん張っている人々の心を癒して励ましてきた。米国のジャズ、フランスのシャンソンのようにね。

 
演歌も、生の舞台が本当の舞台なのだ。

朝日新聞連載小説『国宝』吉田修一・作 束妹・画第375回2018/1/21

 前回の感想で、「不思議なのは」と書いたが、その疑問に対する答えが、俊介自身の口から吐露された。

 (略)私は、父が、この丹波屋の大名跡を継ごうとする席に立ちあうことができませんでした。これほどの親不孝があるかと、未だに、私は悔やんでも悔やんでも悔やみきれません。(略)

 (略)私は、あの子をこの腕の中で殺しました。(略)

 
 これが、語られなくては、俊介の復帰も、襲名も表向きのことだけになる。満員の観客の前で、本心を明かすことで、俊介は、歌舞伎の舞台へ本当に復帰し、本物の役者に近づいたと感じる。
 
 そして、本心を明かすことができた俊介の体に、本人も家族も気づかぬ病が巣くっていることを、作者は暗示していたと思う。

朝日新聞連載小説『国宝』吉田修一・作 束妹・画第374回2018/1/20

 今の俊介に欠けていることはない。芸の精進は実を結んでいる。息子は、親の望む道を歩んでいる。妻と母は、家を見事に支えている。恩のある源吉の幹部役者昇進も叶い、大御所の役者から認められ、喜久雄の協力もある。
 気がかりは、俊介の体の異変だけだ。
 不思議なのは、父への俊介の思いと、出奔中の出来事が詳しく語られないことだ。

朝日新聞連載小説『国宝』吉田修一・作 束妹・画第373回2018/1/19

 私は、父と同じ業種の会社に入り、定年まで働いた。父と同じ仕事をしていることへの気持ちは、肯定と否定は半々だった。今、振り返ると否定的な考えはなくなっている。あるのは、仕事の本質にもっと迫りたかったという思いだけだ。
 私の世代は、個性は非常に大切にすべきもので、家業を継ぐことよりも、自分が好きな道へ進むことの方が価値が高いと、信じる人が多い。私も例外ではない。だから、家の仕事、親の仕事を継ぐことは、不自由な生き方だと思っていた。

 今、まさに、俊介は、一家揃って、丹波屋を継ごうとしている。俊介一家が丹波屋の継承を成し遂げることへの、周囲からの期待は極めて大きい。だが、父の芸を継ぐこと、丹波屋の伝統を守ることは、襲名披露公演で成就するものではないはずだ。

↑このページのトップヘ